050.青い侵入者
夜半に開いた扉は、息を殺すように慎重に閉じられた。
侵入者は、絨毯の上を静かに進み、カレンたちが隠れるソファーの後ろを通った。
気配が立ち止まったのは、執務机の後ろ。壁一面の書架の前。
カレンとルドルフは、穴から様子を伺った。
二人が隠れているソファーの土台は、収納の通気を兼ねて、浮彫デザインの一部が不揃いな穴になっている。
二人は、大きく見やすい覗き穴を無言で取り合った。
結果、カレンが角度的にも大きさ的にも一番いい穴にポジションを勝ち取った。
ガッツポーズのカレンを見て、ルドルフが悔しそうに無音の舌打ちをする。
侵入者は、男だった。
暗い室内だが、窓からの僅かな月明かりで浮き上がる肩幅で分かる。
書架に備わる、あらゆる扉を次々と開けていく侵入者。
扉のない棚や、希少価値のある書物の背表紙には見向きもせず、何かを探し、扉や引き出しを漁る。
侵入者の背は、隙だらけに見えた。
さて。と、カレンは悩む。
自分としてはここで男を取り押さえてもいいのだが、ルドルフたちはタイミングを待っている様子。
協力する気もないけれど、邪魔をしてしまうと、あとが面倒そうだ。
ちらりと横目で問いかければ、「まだ待て」と目で制されてしまった。やっぱり。
こうして緊張感もなく悩んでいる間に、侵入者は鍵のかかった引き出しに行き当たっていた。
迷いもせず、引き出しの上から剣を差し込み、力任せに押し込んだ。
ガチンと金具が壊れる音がする。
開いた引き出しから、侵入者がひとつの箱を取り出した。
見覚えのある書類箱。あれは。
「そこまでだ!」
そこに声を上げたのはルドルフ――ではなく、なんと書架の収納に潜んでいた金髪天使テオドール。
大きな扉付き収納から飛び出し、侵入者に体当たりを食らわせた。
「うわぁっ!?」
思わぬ場所からの攻撃に完全に、姿勢を崩した侵入者は、間抜けな声で転がった。
壁に当たって止まったところへ、同時にソファー下から飛び出したルドルフが剣を抜いて切りかかる。
「ようやく会えたな、ヨハネス!」
「うへえっ」
間抜けな声を上げて防御する男。それは間違いなくヨハネスだった。
青い髪が必死に逃げる。
カレンの位置から、ヨハネスの全身が良く見えた。
見慣れた青い布地。縁取りされた金糸の刺繍が月明かりに浮いていた。
近衛騎士の制服。
ルドルフの目つきが鋭くなった。
「どこで手に入れた、その制服ッ」
力を込めた一撃が、容赦なく襲う。
ヨハネスは「わわっ。ちょ、待って」と断片的に叫びつつ、箱を抱えたまま片手の剣で受け流す。なんだかんだで一撃もあびていないのだから、やはり腕は悪くない。
ところで。そんな二人の背後で、カレンはというと。
あっれー、隠れてたのってテオドール様だったのー?
一連の様子をぽかんと眺めていた。
この部屋に入った時から、もうひとつ隠れる気配があったのには気づいていた。
気配の隠し方は及第点レベル。「どうせ騎士マリグでしょ。戦闘特化型の彼ならこんなものかしら」と思っていたのに。まさかの文官テオドール。
来てどうするつもりだったのかしら。剣も使えないんじゃ役に立たないのに。
「ちょっと、なんでアンタもいるんだよ」
考えていたことは、テオドールも一緒らしい。
収納から「よっこらしょ」と出てきた小柄な人物がカレンと分かると、低い声で突っ込んできた。
「個人的な事情よ」
さりげなく、テオドールから見えない角度に刀を隠す。暗くてよかった。
「だからって、こんな危険な場所に」
「わー? 隙だらけな体当たりでびっくりしたけど、そっちにいるの、側近のテオドール・カルフォーネ次期公爵様?」
何度か斬り合う間に体勢を立て直したらしい。ヨハネスの、場にそぐわない気の抜けた明るい声が、テオドールの言葉を遮った。
剣戟の合間に、自分を突き飛ばした人物を確認したらしい。
「こっちは王太子殿下直々のおもてなしだし、僕ってもしかして重要人物?」
「確かにお前は重要人物だ、大人しく捕まれ」
「ありがたいけど御免だなー」
「そう言うな。貴賓待遇してやる。お前の背後関係を洗いざらい吐かせてな!」
「怖っ、遠慮しますー」
言って、ルドルフの一撃をひょーいと避け、ヨハネスが駆けた。向かうのは、カレンのいる場所。テオドールがぎょっとし、カレンを背に庇おうと、とっさに前に出る。
――が、あと一歩のところでヨハネスは絨毯につまづいた。そりゃもう見事に。
足をもつれさせ、床で一回転する青い髪。
目を丸くするテオドールの前を転がり、止まったのはカレンの足元だった。
「や。カレンちゃん、お久しぶり」
「どーも」
あおむけに寝転んだ優男の顔を遠慮なく踏み潰す。
どさくさに紛れてスカートをのぞくとは太ぇ奴だ。
「いいねえ。扇情的な再会だ」
しかし本人は大変嬉しそうである。
頭のねじが一本跳んでるんだな、と、ぐりぐり顔を踏みつけながらカレンは思った。
ちなみにすっ転んだ際に落としたヨハネスの剣は、テオドールがしっかりと確保してる。
「あはは。どこに混ざろうか悩んだけど、こっち来て正解だった。やっぱり大人数で会うんじゃ雰囲気ないよねー」
「ってことは、うちの屋敷にも誰か向かわせているのね」
「鋭いなー。やっぱりカレンちゃんっていいよねえ」
カレンの足の下から、金の瞳が愉快気に笑う。
今夜、仕掛けられるとしたら三か所。カレンはそう踏んでいた。
クォルツハイムの屋敷、王太子の旧執務室、そしてここ、テオドールの執務室。
カレンはそれぞれにネタを仕込んでいた。クォルツハイムの屋敷には、最近雇い入れたゴロツキ集団とボス、そしてクォルツハイムの護衛兵たちが迎え撃つべく準備をしている。
そしてカレンは、ヨハネスが現れる可能性が高いここに潜んでいたわけだが。
「カレンちゃんちに向かったのは、ドイブラー子爵の手勢だよ。数は多いけど大したことない」
「それを貴方が言っていいの」
「だって、あっちは本命じゃないしー」
ヨハネスは足の下で、けらけらと笑った。
そりゃそうだろう。ドイブラー子爵の目的は「王太子妃の有力候補を亡き者にすること」なのだから。カレン・クォルツハイムを襲うのはその一環。
けど、ヨハネスは、王太子妃争いになんて興味はない。
「で、目的の物は見つかったの?」
ヨハネスの手元、カルフォーネ家特製の鍵付き書類箱。
現在、王太子の超重要書類が入っている物である。
「すごいね、中身を知ってるの?」
箱を抱えたまま、金の眼が丸くなった。
窓の下、月明かりがちょうど落ちる場所に座り込んでるから、表情がよく分かる。
間抜けに驚いてるけれど、女性受けしそうな甘い顔立ちは相変わらず。何だか腹が立って、カレンは冷たく見下ろした。
「知るわけないでしょ。そっちの二人が何かこそこそ仕込んでたから、それかなって思っただけよ」
「へー」
毎回、警護付きで見せびらかすように運ばれていた書類箱。
書類の中身がほとんど変わっていないのは、何度か中身を目にしたカレンにも分かっていた。
ただの書類移動用の箱ではなく、一定の機密事項が収められていた箱。
「悪いけど、お前の目的の物はそこにはないよ」
冷たく答えたのはテオドールだった。
「ええっ。夕方の時点では、これに入ってるって聞いてたのにー」
「バカだな、僕がここにいるのに、そのままにしておくはずがないでしょう」
「なんだよー」
しゅーんとなったヨハネス。
囲まれているとは思えない、余裕のある姿。けれどカレンは警戒していた。このままヨハネスが捕まって終わりなわけがない。
何かが、カレンの心にずっとひっかかっている。ヨハネスの姿を油断なく見下ろしつつ、この男の行動を思い返していた。
――そういえば、ヨハネスって、扉の鍵閉めてたっけ?
「――ま、それも想定内だけどね」
カレンの足元から、けろっと笑うヨハネスの声。
その瞬間、壁際で何かを警戒していたルドルフが叫んだ。
「扉だ! 避けろ!」
声と同時にカレンが飛んだ。
テオドールを突き飛ばし、刀を抜く。
空中で叩き切ったのは、ボウガンの矢だった。
扉が開いていた。確認する間もなく、飛び込んできた人影がカレンを襲う。
ボウガンを切った刀を返し上げる。そのまま、無駄のない動きで落ちてきた剣を弾き飛ばした。
「まさか扉からとはね!」
前回、あと一歩のところでヨハネスを逃したのは、凄腕のボウガンの攻撃のせいだった。窓の外を警戒していたが、今回は王宮内に堂々と潜んでいたらしい。
こいつもどこから手に入れたか、騎士服を着こんでいる。
腕にボウガンを固定したまま鋭く剣を扱う相手。カレンはその顔を間近で確認した。
「女!?」
床に倒れ込んでいたテオドールが驚愕する。
剣を受け止めたカレンの視界に、長い髪が入った。
「あなた、メイドの……!」
王宮で時々見かけていたメイドだった。
青みがかった黒い髪。テオドールの部屋に、何度かお茶を運んできたメイド。
「なるほど、スパイってこと!」
剣を弾き飛ばすと、女も一緒に後ろへ飛ばされた。
とどめだ、と脚に力を入れると、ヨハネスの剣が割り込んできて邪魔をされた。
「ヨハネス邪魔!」
「ひどーい」
何合か打ち合い、ぶつかって両者の動きが硬直する。剣の押し合い。
助太刀に入ろうとしたルドルフは、ボーガンに邪魔をされて近づけないでいる。
剣をあっさり奪われた、丸腰のテオドールは戦力外。部屋の隅で、カレンの戦いをあんぐりと口を開けて見ていた。
そんな中、剣を間挟み、ヨハネスはぐぐっとカレンに顔を近づける。
「ねえ、カレンちゃん」
「何よ!」
「僕の本命はこっちなんだけど」
「だから何よ!」
「僕と一緒に来ない?」
きれいに整った金の瞳が、怪しくカレンに微笑んだ。
カレンは美形に怒りを覚えるタイプ。ゆえに、ためらいなく顔を踏めます(*´ω`*)




