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047.事件直前、三日目の昼

「絵に描いたような険悪ムードだな」


 金髪碧眼の絶世の美形が、優雅にカップを口に運びながら正直な感想を述べた。


「まあまあ二人とも……」


 隣に座る銀髪紫眼の精悍な美青年が、向いに並んで座るカレンとテオドールに、なだめるように話しかける。

 言うまでもなく、前の金髪碧眼は、この部屋の主でありルヘクト王国王太子であるルドルフ。

 銀髪紫眼の青年は、乳兄弟であり側近である騎士マリグである。


「二人とも、せっかくの休憩時間なのですから、こんなときくらいは穏やかに過ごしませんか」


 マリグは、ピリリとした何かを放つテオドールを宥める役を買って出ていた。幾度目かわらからない宥めの台詞を口にするマリグに、ルドルフは隣から「また無駄なことを」という視線を寄越している。


「だってマリグさん、この女が姉さんを語るから」

「あらテオドール様、何をおっしゃっているの。ここ三年は、貴方とよりも私の方がレイラと過ごしている時間は多いんですのよ」


 オホホ、とわざとらしい笑い声を流すカレンをテオドールが睨みつける。


 マリグは、とうとう仲裁を諦めた。

 二人でこの部屋に入って来てからずっとこの状態。

 自分がいないタイミングで、ルドルフがテオドールにカレンを呼んでくるよう命じてしまっていたのだ。昼の休憩にカレンを同席させることが分かっていたのに、どうして自分はあのタイミングで席を外してしまったのか。

 仕事では鬼畜になるルドルフに対し、天使で物腰柔らかい(これでも普段は)のテオドールは、臣下への緩衝材。

 頼みのテオドールが不機嫌となったら、気を遣うのはマリグである。交渉事や文官への仕事指示に不慣れな自分が出張るのは避けたいところなのだが。


 きーきーと言い合う二人。口論はまだ終わらないようで、マリグはため息をついて紅茶を飲んだ。


「嫉妬とは恐ろしいものですね」


 テオドールの、姉への敬愛は思っていたよりずっと深いらしい。


「それだけではないがな」

「はい?」


 マリグにしか聞こえない程度の声に振り返ると、声の主はカップを手にしたまま椅子に背を預け、長い脚を組んでいた。


「ルドルフ。それだけではない、とはどういうことですか?」

「お前は、誰かの能力や性格を妬ましいと思ったことはあるか?」

「……まあ、ありますね。普通に」


 思い出すのにやや間をおき、マリグは答えた。

 マリグの父は騎士団長。そしてマリグのアベーユ伯爵家は代々優秀な騎士を輩出している家系である。剣技、馬術、騎士としての心の在り方、その点で他人と比較されることも多く、大も小も含め、嫉妬など日常茶飯事だった。


「けれど、個人差はあれ、その能力も努力で身につけたものでしょうから、醜い嫉妬はしませんよ」

「では、努力していないのに、本当は自分が心から欲しいと思っているものを持っている相手には?」

「……ああ、そういうことですか」


 テオドールは、公爵家の嫡男として、多大なプレッシャーの中で育った。

 父は、貴族の中でも最高位と言われる貴族院議長。しかも実力主義で容赦ない。そこの後継ぎとして期待され、厳しく教育されていた。

 しかし、テオドールが準成人となった十六歳のとき、父の後任には既にカレンの兄、エルヴィン・クォルツハイムが立ち、次期議長の最有力候補として補佐の仕事を専任していたのである。

 テオドールは進むべき方向を見失った。

 そんな中、唯一の癒しであったのが実の姉、レイラである。


 美しく優しい姉。

 幼い頃、彼女の愛情はすべて自分に向いていたという自負がある。姉はほどなく従兄に嫁いだが、その嫁ぎ先も言うなれば身内。テオドールは、姉の実家であるこの家を強固なものにすることを誓った。姉を守るために。

 今後、自分は王太子側近として力をつけ、次期国王の右腕と言われる存在になろう、そしてこのカルフォーネ公爵家の地位を不動のものにしようと考えたのである。


 しかし、そのレイラも気付けばカレンに夢中――。


 テオドールの大切にしていたものは、クォルツハイム侯爵家にすべて奪われたと言ってよかった。

 テオドールの怒りは、全てカレンに向いた。

 これは別に、カレンが兄よりか弱く見えたからではない。

 自分と同い年のカレンが、長年引きこもって社交界にも出ていなかったのに、努力もせず、美しく優しい姉レイラの愛情を一身に受けているように見えるからだ。


「努力してない相手、ですか」


 マリグは、テオドールと口喧嘩中のカレンを見た。

 確かに長年引きこもっていたのは事実だが、マリグの目から見てカレンの剣技は超一流。あれは努力せず身につけたと判断するようなものではない。


「知らない方がいいこともある。まあ、今は、な」


 ルドルフは薄く笑った。

 自分もカレンについて何も知らないが、事実、あの剣技だけでも、見れば彼女の隠れた努力と実力を知るはずだ。

 けれど、それを知ることがテオドールの幸せにつながるとは言いにくい。


「知ったら……複雑でしょうね」


 怒りのやり場が無くなる。特に、こんなやり合いを常にしている相手では。


「劣等感情が他人への攻撃となるなどままあることだ。そういった感情をコントロールできないという点では、テオドールもまだまだだということだな」

「手厳しいですね。まあ、貴方は劣等感など感じたことはないのでしょうけど」

「そうでもないぞ。……あれは、劣等感とは違うかもしれないが、しかし敵わないと思ったことはある」


 思わぬルドルフの言葉に、マリグは目を丸くした。


「貴方がですか。意外ですね」


 目を丸くしたマリグに、ルドルフはおどけたように肩を竦めた。

 口に運んだカップに満たされている飴色の液体が、黒いレースに覆われた亜麻色の髪を思い起こさせた。



◇◇



『――気を落とすな』


 どう声を掛けてよいか分からなかった。

 戸惑いの末に口にしたのは、自分でも驚くほどありきたりな言葉で。

 だから、一言も答えぬ幼い少女を咎めようとは思わなかった。

 少女は、幽霊のようだった。

 明らかに焦燥した顔。記憶にある桃色の唇は、薄い化粧でごまかされているものの、明らかに乾いて青い。正気と感情を鍵をかけた扉の中に押し込んだような瞳は、その翡翠の色に虚空を映していた。

 このような状態で、よくも葬儀に出てきたものだ。

 彼女の背後には、彼女と共に残された長兄の姿があった。

 姉弟の葬儀に参列しているのは、彼女と、この兄だけ。両親は寝込んで床から一歩も動けない状態だと聞いた。


『……末の娘は、意識が定かではないようです』


 背の低い自分の耳に、屈んで囁いてきたのは、貴族院議長のカルフォーネ公爵だった。


 カレンが正気を失っているということは誰の目にも明らか。それでも改めて聞けば痛ましいことだった。

 少年だったルドルフは眉をしかめた。

 深々と頭を下げる長兄に対し、カレンは動くことすらしない。支えられてやっと立っているだけだった。


 たいして交流がある娘ではなかった。

 年が近く、数年前から始まった高位貴族の令息令嬢の交流会で何度か顔を見ただけ。

 未来の王太子とお近づきに、と参加者たちが自分に擦り寄って来る中、一定の距離を置くカレン。

 不思議に思ったが、近臣たちはそんなルドルフに、人見知りなご令嬢なのですよと説明した。

 しかしルドルフは違和感を覚えた。

 人見知り――? いや、違う。

 彼女の視線には確かな意思があった。それが何かは、少年ルドルフには全く分からなかったけれど。


 王子であるルドルフは、視線を落とすことで侯爵家の長兄に哀悼の意を示した。

 カレンは相変わらず何も語らず、表情ひとつ変えない。まるで魂だけぽっこりと抜けた、ただの人形。

 ――これは、もう駄目だな。

 ルドルフは思った。

 王子として、凄惨な三国間戦争の「産物」を見てきた。

 戦いに巻き込まれ、目の前で全てを失った人間が、絶望に打たれ、正気を失い、狂う様を。

 そして、ルドルフは知っていた。太刀打ちできないほど圧倒的な力に自我を砕かれた人間は、二度と元に戻らないということも。


 カレンが正気を取り戻すことはないだろう。

 本当は、既知の人間が廃人になるなど、気持ちの良いことではない。

 けれど、ルドルフは王子らしく、もはやクォルツハイム侯爵家の血統は長男からしか望めぬであろうとメモをし、頭の中にあった使える貴族リストからカレンという存在を消去した。

 少しだけ、興味を持ち始めていた相手を失うのは惜しいと思ったが。

 だが、現実に抗わず、ルドルフはカレンに背を向け、静かに葬儀の席を後にした。



◇◇



 ――だが。

 ルドルフの予想に反し、カレンは戻ってきた。

 強い意志を宿した瞳を持って。

 王太子である自分に張り合う度胸と知性を持って。


 面白い、と思うと同時に感嘆もした。

 魂が抜け切ったあの状態から、まさか息を吹き返すとは。

 しかも正気を失う以前より、さらに「強く」なった。

 葬儀のあと、再び王都に戻ってくるまでに、カレンに一体何があったのか。

 興味で目が離せなくなった。


「姉さんと過ごした時間は僕の方が長い」

「あら、私との方が濃密な時間は過ごしているわよ。この社交シーズンに入ってから二度もお泊り会をしているんだもの。貴方、レイラが結婚しちゃった後、合計何時間一緒に過ごした?」

「……くっ……姉さんは、アンタの物じゃない!」

「何当たり前のこと言ってるの。レイラは旦那様のものでしょ」

「……生意気!」

「ほっほっほ、青い青い」


 口元に手の甲を当て、嫌らしく高笑いするカレン。

 このノリの良さは生来のものなのか、あのあと培われた性格か。

 どちらにしても、お互い子供だった頃には見なかった顔だった。


 ルドルフは考える。

 自分がカレンと同じ目にあったとして。

 自分の力ではどうにもならない圧倒的な絶望に、自我を砕かれ、正気を失ったとして。


 ……果たして、ここまで強く己を取り戻すことができるだろうか。


「……ふん、いつか姉さんも気づくよ。こんな生意気なまな板に構う必要はないってね」

「今ちょっと聞き捨てならない比喩使ったわね」

「二人とも、そこまでだ」


 埒があかぬ。

 ルドルフは邂逅を止め、二人の言い合いにパン、と手を打った。


「休憩時間が終わる。仕事に戻れ」


 カレンの顔が、呆れていた。

 代弁すれば「強引に休憩に呼んでおいて、さっさと帰れとは、なんて勝手なの」だろう。

 しかし、退室できるのはありがたいらしく、カレンは何も言わずテキパキと出て行く支度を整えていた。

 ティーセットを片付けているのは、今の彼女王太子付き侍女という役割だからだろう。

 ティーセットを持った侍女服が、一度給湯部屋に消えていく。


 ルドルフはテオドールに次の仕事の指示をした。


「テオドール、お前の執務室に預けてある上水工事の計画書、このあとこちらに移動させてくれ」

「畏まりました」


 この王太子執務室の引越しのきっかけになった、前の王太子執務室の不審者侵入未遂事件。その後から引越しが完全に終わるまで、重要書類は側近であるテオドールの執務室に集中保管されてあった。

 もちろん、その保管場所確保のため、奮闘して整理整頓(という名の汚部屋掃除)をしたのはカレンである。

 上水工事は、近年まれに見る王都の大工事計画だった。


 そういえば、分厚い束がいくつかあったわねー。

 給湯部屋から戻り、やりとりを聞いてカレンは思い出した。

 口の中には、ティーセットにたっぷりと余っていたチョコレートを頬ばっていた。捨てられたら勿体ないので始末しただけだ。他意はない。

 モムモム、と口を動かしつつ、自分が先日片付けたばかりの部屋を思い出していた。

 テオドールの執務室は、片付けられない彼のためにと多くの巨大な収納がついた部屋であった。

 確か、上水工事の計画書は……


「書棚の、人が入れるくらい大きな収納の、上段にまとめて片付けてあるわよ」

「知ってる!」


 噛みつく勢いで叫ばれた。

 カレンは軽く肩を竦めた。テオドールはその横をどかどかと足音を立てて通り抜け、さっさと退出してしまった。


「……あまり、苛めてやらないでくださいね」


 マリグが苦笑して言った。


「テオドール様が勝手に変な反発心をお待ちなんです。こちらはそのつもりないんですけれどね」


 よく言う、とマリグはさらに苦笑した。

 この令嬢は、同い年のテオドールをまるで子供のように扱う。

 テオドールは優秀な側近だ。人当たりの良い外見を武器に、穏やかな空気で相手の本音を巧みに引き出す。

 情報の分析能力も高い。カレンが「汚部屋」と呼んでいる彼の部屋の惨状は、普通の何倍も情報を集めた結果なのであった。


 だが、カレン相手に見せる顔は、いつものテオドールと全く違う。

 イラつきを正直に表しすぎている。まるで子供のように。

 こんな顔、見せたことがなかった。


 カレンがしているのは、テオドールが貴族相手にやっていることと似ているようで違う。

 カレンは相手の本気を無自覚に引き出す。しかも、反抗心は持たせても警戒心は抱かせない。

 不思議な少女だ、とマリグは思う。


 その少女は、翡翠の瞳を悪戯っぽく細めて見せた。


「テオドール様が優秀なのは分かります。だから、同じ年の私と戯れてストレス解消をしているのだと思っていますよ」


 享受しているように聞こえるが、その大人びた表情は「他人に苛立ちをぶつけて、許してもらおうなんてまだまだだ」と言っていた。


「テオドールは、まだまだ手こずりそうだな」


 隣でルドルフが苦笑気味に言ったが、マリグはその通りだと思った。

 と、そのまま退出しようと律儀に一礼したカレンを見て、ルドルフが笑みを見せた。


「カレン」

「……何」

「そう警戒するな」


 じりっと一歩下がったカレンを見て、ルドルフは腰に手を当てる。


「これまでの自分の行動を振り返ってから、それを言いなさいよ」


 ルドルフは、言われた通りに自分の行動を振り返る。

 あの夜会での再会の日、賭けが成立したときなんとなくキスをした。最近では王宮の茶会に来たカレンを見つけて空き部屋で押し倒し、昨日の朝はカレンが起こしてくれたのでついでに押し倒し、そのあと人前で抱き上げた。しかしあのときは、カレンもノリノリで付き合ってくれたように思うが?


「……特に反省する点は思い当たらないな」

「ちょっとマリグさん、ここの王太子の教育どうなってるんです」

「お、俺に言われても」


 王太子付き近衛騎士隊長は、カレンの迫力のある抗議にタジタジとなった。

「王太子なら真っ当な異性への感覚を云々」とマリグに詰め寄っているカレンに、「それでな」と、ルドルフはマイペースに声を掛ける。


「お前のお蔭で、今日で無事執務室の引っ越しも終わりそうだ」

「それは何よりですね」

「で、今夜食事を」

「結構です」


 国じゅうの女性が憧れてやまない王太子ルドルフの食事の誘いを、カレンは最後まで聞くことなく一刀両断にお断りした。

 けれど、ルドルフは驚かない。逆に楽しそうな笑みを浮かべる。

「何なの、マゾなの」と、カレンの顔が引きつった。


「ここまできっぱり断られると気分がいいな。いや待て、予想通りだという意味だ安心しろ」


 やっぱりマゾか。とカレンがドン引きしていたら、笑顔のまま訂正された。


 やっぱり分からないわ、この男。

ちょっとした手術やらなんやらで、すっかり時間が開いてしまいました。申し訳ありません。

(命には関わりませんのでご安心ください、元気です)


早くこの件解決させたいよ~

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