046.三日目の朝
「では、カレン、また」
「ええ、気をつけてね」
朝の光が満ちる中、レイラが乗るモートレイ子爵家の馬車を見送る。
「カレン。モートレイ夫人は、何の用でこんなに朝早くから?」
カレンの隣に並んで共にレイラを見送っていたのは、兄のエルヴィンだった。
カレンの顔を覗き込む彼の亜麻色の髪が、朝日を受けて淡く輝いていた。
やっぱりお兄様カッコいいわあ、とカレンは思う。
端整な顔立ちに知的な瞳。本当、攻略キャラじゃないのが不思議なくらいだ。
「レイラ、カルフォーネ公爵の誕生パーティの招待状を持ってきてくれたの。お兄様の分もあるわよ」
レイラの実家、カルフォーネ家の家長である公爵は、エルヴィンの上司でもある。
この場合、エルヴィンが出席するのは当然だろう。
エルヴィンは頷いた。
「ああ、わざわざ……後でお礼の手紙を送っておこう。モートレイ子爵とも、春の夜会以来会ってないしね。なんせカレンの親友の夫で、私の上司の娘婿……親しくしておいて損はない」
「なーんて理由をつけているけれど、お兄様、子爵と結構気が合ってるんでしょう? 素直に男同士の語らいに行きたいって言えばいいのに」
パチリと目を丸くしたエルヴィンは、次には悪戯っぽく笑った。
「見抜かれていたか……カレンには敵わないね。そうだね、議会がもうすぐひと段落するから、その後少し会って来るよ。素直にね」
「ええ、気晴らしも大事よ。しかし、まさかお兄様とレイラの旦那様がこんなに気が合うなんてね」
「自分でもびっくりだよ。モートレイ子爵ときちんと話をしたのは彼が結婚した後だったけれど。思慮も知識も持っていて話甲斐もあるし……あと何というか、考え方が似ていてね、話をしていてとても気分がいい」
「ふふ、いいことだわ。私に遠慮せず会いに行って来て」
「カレンも来たらいいんだよ?」
言われてきょとんとした。そうか、モートレイ家に行けば当然夫人であるレイラもいる。
なるほどそうね、と頷いた。
「ところでカレンは公爵の誕生パーティには行くのかい? 行くなら、新しいドレスを……」
これについては、身体の前で無言で拒否を示す×を作った。
「そうか、仕方ないね。残念だけど」
眉を落として了承する兄に、申し訳ない気持ちになった。
だけどこれは譲れない。レイラは結婚して一旦悪役令嬢ポジションから脱却したけれど、カレンはまだまだ渦中にいる。カルフォーネ公爵家のパーティに参加なんてしたら、ゲームキャラとの接点盛りだくさんだ。
病弱設定を全開に、これは断らせていただくしかない。
招待状を持ってきてくれたレイラにも、本当に申し訳ないと思いつつ、欠席は伝えてあった。
「着飾ったカレンが見たかった」と残念がられたが、どうも先ほど話題にしていた「ゲームを作った人間が、自分たちを観察している」という説がショックだったらしく、いつもみたいにネチっこく参加を促してくることもなかった。
レイラ、大丈夫かしら……
誰かが自分たちを見ている――その可能性に思い当たったときは、カレンの背にだって冷たいものが走った。レイラだって平静ではいられないだろう。
だって、もしかして、その『観察者』が、現実の出来事に何かの手心を加えたら。想像通りなら『観察者』は何がきっかけでどの出来事が起こるかを把握しているのだ。であれば、一旦脱却したと思った人間でも再びゲーム内容に沿った危機に巻き込まれる可能性だって皆無じゃない。
『悪魔の遊宴』は、ただの恋愛ゲームではない。前世で生きてきた世界より死も殺も身近なこの世界を土台とした、残虐性の高いゲーム。
ただプレイしているだけと、当事者として巻き込まれるのは大違いなのだ。
帰り際、一言もしゃべらなかったレイラを思い出した。
少しやりすぎただろうか。
正直、レイラがあんなに顔を青ざめさせるとは思わなかった。
考えてもみれば、神経が太くできている自分とは違い、彼女はか弱いお嬢様。……もう少し言い方があったかもしれない。
けれど、カレンにはまだ『観察者』の考察で、彼女に伝えていないことがあった。
――『観察者』はきっと、この世界をループしてる――
でなければ、実際に起こったイベントを数々の分岐ルートとして盛り込むことなどできるはずがない。
実際、カレンが体験したイベントは、攻略ルートに関わらずランダムに起きていた。
しかもカレンがヒロイン側になったり、悪役令嬢になったりと役割もバラバラだった。
『観察者』説に行きついたお蔭で、これまでのイベントのちぐはぐ感にようやく納得ができた。
そう考えれば、この世界に発生した技術――おそらくカレンが元居た世界からの転生者が持ち込んだもの――の出現した時代が、カレンの知っている順に並んでいないのも理解できる。
電気があるのに、大砲がない、という例は十分に予想を埋めるだけの現実と言えた。
『観察者』はきっと、実際に起こった出来事を、ゲームイベントとして創作に組み込んでいる――
「……一度イベントの内容とトリガーを整理しなきゃね……」
「トリガーって何だい?」
はたと気づけば、エルヴィンの翡翠の瞳が間近でカレンを覗き込んでいた。
「な、何でもないわ」
「そう……?」
両手を胸の前で忙しなく振るカレンを心配そうに見る兄。
すると、大きな手のひらが伸びてきて、カレンの頭にぽんと置かれた。
「ちゃんと寝ている? 目の下に隈ができている。今日も王宮へ行くのだろう? あまり無理をしないようにね」
まだ心配させてしまった……少し落ち込みかけて、でもすぐに苦笑してしまった。エルヴィンだってしっかり隈ができている。
「お兄様も議会がお忙しいのでしょ? 優秀な議長補佐様だから」
このところ兄がほとんど屋敷に帰ってきていないのは知っている。
国境付近の隣国侵攻で忙しいのは、王太子だけじゃない。
「そうだねえ。偉い立場も楽じゃない。私も父上たちみたいに領地で隠居したいなあ」
「そうね。色々落ち着いたら帰っちゃうのもいいかもしれないわね」
「――そう、色々ね」
カレンは、この世界で安心して生き延びられるようにしないといけない。
兄は、この家と、領地の民を守らないといけない。
兄はカレンが転生者であることも、剣を振るって身を守っていることも、王太子との賭けのことも全く知らないけれど。
けれどお互い、それぞれにやらねばならぬことがある。
「隠居できる日は、まだまだ遠いなあ」
エルヴィンがため息をついた。やれやれといった表情に、カレンが笑う。
「お嬢様、エルヴィン様――そろそろ、出発のお時間です」
執事のラルフが恭しく時間を告げてくる。
二人は頷いた。
「じゃあ行ってくるよ、カレン」
「ええ、お気をつけて」
カレンは手を振ってエルヴィンを見送った。
二人は同じく王宮に出仕はするが、馬車は別。特にカレンは、身分不詳の侍女として王宮に行くため、紋章のない馬車で、裏口から王宮に入る。
なかなか面倒なことをしているな、と自分でも思う。
今日は、王宮出仕の三日目。
カレンが侍女の恰好をして王太子の部屋の片づけをする、最終日だ。
「ラルフ」
「はい」
後ろに控える灰色の髪の執事が、短く返事した。
「ヨハネスの動向はどう?」
「残念ながらその後の足取りも動きも掴めておりません」
ヨハネス――青い髪、金の瞳の得体の知れない男。王都内で以前、集団人さらい事件の手引きをしていたとき、さらわれた女性を救出しにアジトに飛び込んだカレンと出会った。おそらく、今国境に侵攻している隣国グラム皇国の手の者だと踏んでいる。そして、カレンにやたら絡もうとして来る、おかしな奴。
「これから起こる事は、ドイブラー子爵の依頼だから」前回で会ったとき、奴はカレンにこう言い残していった。
何を考えているのか読めず、気持ち悪い。
「ヨハネスは情報なしですが、代わりに、ドイブラーの方に、予想通りの動きが出ています」
「そう、十分だわ」
ドイブラー子爵は金と地位にしか興味のない、小物の悪役だ。
子爵を手先に使って、ヨハネスが何をする気なのか知らない。けれど、待つのは嫌いだ。
王宮にはラルフ達を使って派手に噂を撒いてやった。――「王太子付き女官が、王太子殿下の恋人の有力候補」と。
この社交シーズンなら噂が広まるには一晩で充分。ましてや今大注目の王太子の婚約者ネタとあれば、貴族たちの口には必ず上るはず。
ドイブラー子爵は、娘を王太子妃にと狙っている。単純な子爵の思考からすればたぶん今日に動きがあるだろう。
そして、こちらも仕込み完了。迎え撃つには十分の支度はした。
「絶対に今日解決する。そして全力で寝てやるんだから」
寝不足大敵。握りこぶしをしたカレンの、隈を湛えた目は据わっている。
が、後ろからラルフの小さなため息が聞こえた。
「何よ、ラルフ」
「いえ、鍛え方を間違ったかと思いまして。この程度の寝不足でフラつくような甘い身体では……」
「うるさい」
カレンの剣の師匠で執事のこの男は、丁寧な口調で毎回毎回容赦ない。
「普通、人間てのは寝不足で死ぬ身体にできてるのよ! 私より寝てないはずなのに平気な顔をしている貴方がおかしいんだって自覚しなさいよ」
「そうは言われましても、私は幼い頃からこんな生活をしていますので」
平然と返す慇懃無礼鉄仮面執事に、イラッとする。
「それよりラルフ」
「はい、何でしょう」
鉄仮面に一歩近づき、カレンは執事の顔を見上げる。
灰色の髪に、琥珀の瞳――無表情で無愛想だから忘れがちだが、この男も相当美形だ。琥珀や金の瞳は、隣国グラム皇国の人間によくある色。ヨハネスのように、青の髪を持っていれば分かり易いが、瞳の色だけでもグラム人の血統だと十分に分かる。
寝不足の幻影か。朝日に透ける灰色の髪が淡い青にも見えてきた。
「ラルフ貴方――グラムの皇子じゃないわよね」
グラムの第二皇子。ゲーム『悪魔の遊宴』の隠しキャラで、グラム皇国から追われ、死んだとされる幻の皇子。
カレンは隠しキャラの存在を知らなかったが、レイラから聞くには、ゲーム通りならこのルヘクト王国に身分を隠して生きているらしい。
ヨハネスが怪しい、とカレンは思っている。
けれど、ゲームの登場人物であるカレンの周囲にいるこの男だって充分怪しい。
――幼い頃から一緒に居る相手がそうだとは思いたくないけれど――
「それは、お嬢様がおっしゃっていたゲームの隠しキャラとか言うものですか」
「そう」
自分の手足である彼には、ゲームのことも全て話してある。
カレンが首肯すると、ラルフはもう一度ため息をついた。
「何をバカなことを……私は生まれてこの方、一度だって皇子などという立派なものになったことはありません」
「そう」
言いながら、ほっとしていた。
身内から自分を殺す相手が出るかもしれないなんて、考えたくもなかったから。
「それよりお嬢様」
「なぁに」
胸を撫で下ろすカレンに、懐中時計を見ていた執事が冷静に言った。
「そんなバカなことを言っている間に――遅刻です」
「早く言いなさいよそういうことは!!」
悲鳴のような怒号が玄関ホールに響く。
「ハンナ、かつらー!」
「はぁーい」
いつもの間延びした声とともにクォルツハイム家のメイド、ハンナがパタパタと走ってくる。
仮にも元暗殺屋なら足音くらい立てずに移動できないものなのか。その時になれば投擲の名手であるメイドに対して思ったが、突っ込んでる時間が惜しい。それより変装用の金髪カツラを早く。
「――って、何で貴女が被ってるのよ!」
「一度金髪になってみたかったんですぅ」
「今じゃなくたっていいでしょう! 早く寄越しなさいよもーっ!」
「遅刻です」
再度執事の淡々とした無情な宣言通り。
最終日にしてカレン・クォルツハイム(金髪女官バージョン)、遅刻。
馬車に鞭打ってたどり着いた王宮で待ち受けていたのは、当然、王太子ルドルフの爽やかで鬼畜な笑顔であった。
次はルドルフのおしおき回……とかにはなりません。すいません。




