043.取扱いは乱暴に
わちゃわちゃその1。
ちゃんと寝てなさいよ――!
カレンは心の中で盛大に怒鳴った。
こんもりと連なる薔薇畑の向こうには、移動を続ける鮮やかな金髪。
先ほど仮眠をとると宣言したばかりの王太子ルドルフがそこに居た。
寝ているはずのルドルフが起きていることへの疑問と、顔を見ずに過ごせる心穏やかな時間が終了しての動揺とが織り交ざる。
カレンは、腰を浮かせてきょろきょろと忙しなく首を動かした。どこか、どこか隠れる場所。
「お前さん、お気に入りだって噂は本当だったのか」
誰の、との表現をすぱんと抜いてストレートに庭師が問いかけてきた。純粋な疑問が不意打ちとなり、カレンは足を滑らせて尻餅をついてしまった。
「そうか……あの殿下がとうとう……」
その反応で何かを納得したらしく、しみじみと白髭を撫でる庭師。
ちがう、ちがう、ぱくぱくと口だけで否定するが、庭師には届かない。
「み、三日間だけなんです」
三本、指を立てて無理矢理庭師の視界に入れる。
「ん?」
「三日間だけの話なんです。金髪侍女は明日までしか居ないので、そこのところ、噂をしているみなさんにしっかりと伝えておいてください」
「侍女がお前さんだと言っていいのか?」
「そこは伏せて!」
「お、おう」
ねじ込んだ勢いに圧倒され、厳つい庭師は頷いた。
これまで傍に女性を置かなかった王太子の侍女として、素性も分からない女が現れた。その話題は昨日一日で王宮内に好奇の噂として満ち満ちていたが、幸い、まだ正体まではバレていない。
これは、カレンの顔が王宮内でそれほど認知されていないお蔭であり、頑張って十二年間引き籠っていた成果と言えるだろう。
お気に入り=カレン。
この図式だけは回避したい。ついでに、三日間だけの侍女、という事実もしっかり流して、ただの醜聞好きの人々の興味はぜひとも薄めておきたいところだった。
「はっ!?」
と、必死になっていたら、つい身に迫る危機を忘れそうになって、カレンは慌てて薔薇畑を確認する。
当然、ルドルフは、先ほどよりもずっとカレンたちのいる木陰に近づいている。脚が長いせいか、予想よりも距離が縮むのが早い。おのれ。
ついでに、庭師と話をしていた間に場所を捕捉されたようで、青い瞳がしっかりとこちらに向いていた。
カレンはとっとと逃亡体勢に入ることにした。
すちゃ、と敬礼を庭師に向け、立ち上がる。
「私、もう行きます。ではまた」
「お、おお」
「残念ながら行かせられません」
戸惑い気味の庭師の返事に、聞き覚えのある声が被った。前方ばかりで、他に注意を払っていなかったカレンの横面は、突如登場した固くて青い壁にぼふっと当たって移動を失敗した。
この服は……
そろっと見上げれば、細められた紫水晶の瞳とかち合った。
「マリグ、さん……」
「はい、マリグですよ」
剣を抜いたとき以外は、いつも穏やかに話す近衛騎士なのに、今は固さを感じるほどの平坦なトーンで返事をする。
これは、もしかしなくても怒っているのではないだろうか。
そう思ったが理由がさっぱり思い当たらない。
私、何かしました?と疑問を口にようとしたが、それすらさせてもらえないような速やかさで、カレンはあっという間にマリグの太い腕によって背中から羽交い絞めにされた。
「え?」
「連行します」
「ええええ!?」
体格では二回りも大きなマリグが、カレンを羽交い絞めにしたまま軽々と持ち上げた。カレンの足が宙に浮く。
庭師といえば、休憩で座り込んだ姿勢のまま、一連の出来事を唖然と見上げている。
「勝手に居なくなるからだ」
そこに、大股に土を踏みしめてルドルフが到着した。
服は整っているものの、ほんの少しの残る寝癖が、彼が今寝起きであることを教えてくれていた。
ルドルフの顔をみたとたん、カレンの頭が反論モードに切り替わる。
「勝手にじゃないわ。テオドール様と一緒に出て行ったの見ていたでしょう?」
「一人でどこかに行くとは言っていなかった」
切れ長の目を細めるルドルフ。マリグ同様、少し怒っているようにも感じ、カレンはさらに意味が分からなくなって、でも聞ける相手が見つからなくて、つい庭師の顔を見た。当然、庭師は首を横に振ったけれども。
「話は済んだのか」
ルドルフが声を掛けたのは、状況についていけずに座り込んだままの庭師に対してだった。この場で余計な会話は不要と言わんばかりのルドルフに、立ち上がることもせず、庭師はとりあえずといった様子で首肯する。
「ではこの侍女は連れて帰る。邪魔をしたな」
「はあ」
ルドルフは短く庭師に声を掛け、さっさとやってきた来た方向へと脚を向け歩き始めた。その後ろにマリグも従う。カレンはわけが分からない、といった顔のまま、宙ぶらりん状態で運ばれて行った。
「殿下のあんな余裕のないご様子は、珍しいのお……」
王妃の実家時代から庭師として、遠巻きながらもルドルフの成長を見ていた彼は、貴重なものをみたと立ち去る三人の背に向け、ぽつりとつぶやいた。が、その言葉は、カレンの耳にも届くことなく、薔薇の小森に吸い込まれていった。
「マリグさん、そろそろ離してください……」
「駄目です」
「逃げませんから」
「そういう話でもないですね」
じゃあどういう話なんだろう。
マリグの両腕の間にぶら下がったままカレンは首を傾げた。
三人は王宮の広い敷地内を本宮に向かって進んでいた。方角的には、おそらくこのままルドルフの執務室に戻されるのだろうと想像できる。どうせ戻ろうと思っていた場所に連行されている意味とは何なのだろう。
「どうして私を探していたんです……?」
令嬢らしからぬ運び方をされているにも関わらず、カレンは意に介した様子もなくマリグに問いかける。マリグはため息をついてカレンを見下ろした。
「テオドールと別れた後、執務室に戻ってこなかったからですよ」
「逃げだしたわけじゃないんですが……」
「分かってますよ。問題は一人で行動したことです。隠れて護衛していた騎士を撒いたでしょう?」
「あー」
つい、間抜けな声が出てしまった。
そういえばこの農園に来る前、しつこく付きまとっていたのが面倒で撒いてきたっけ。やたら下手な尾行だと思っていたら、あれ、騎士だったのか。
しまったな。と心の中で舌打ちした。
知らずに着けられていた護衛を撒いてしまったことでカレンは行方不明扱いになってしまい、近衛隊長のマリグ、そして寝ていたルドルフにまで報告が届いたのだろう。
けれど、護衛であろうとなかろうと、カレンはきっと尾行を撒いていた。赤い実に関わる人物に会いに行くのに、余計な人間を引き連れていくつもりは、これからもない。
「その様子だと騎士だと気づいていなかったようですね……一応隠密護衛の精鋭メンバーをつけたのですが」
「え、あれが?」
「……」
沈黙したマリグに、まずい、と口を閉じた。
思わずぽろっと本音が出てしまった。
「……首輪が要るかもしれませんね……」
低く、不穏なセリフが聞こえ、カレンは戦慄した。
まさかここでヤンデレ発動するの!? 監禁担当はテオドールのはずなのに!?
危険な予感が背中を這ったので、反射的に拘束から逃れようとちょっと暴れたら、マリグの腕の力が強まってさらにがっちりと固められてしまった。
死亡エンドはご免だけど、ヤンデレエンドも嫌だー!
「マリグ、面倒な演技をするな」
と。それまで黙って前を歩いていたルドルフが口を挟んだ。
「え?」
間抜けな声を出せば、拘束されていたカレンの両腕が、歩くリズムとは別に、少しだけ上下した。どうやら器用なことに、マリグはカレンを持ったまま肩を竦めたらしい。
マリグの顔を仰ぎ見れば、お茶目に片目を瞑って小さく笑っている。
ばっちりとからかわれていたようだと理解して、カレンは肺の息を全部吐き出した。
誠実・正直・親切を絵に描いたような騎士のマリグに仕掛けられた悪戯は、とてもとても心臓に悪い。
「お仕置きとしては可愛いものでしょう?」
「ええ、大変可愛らしいお仕置きで……」
ぐったりとぶら下がったまま、カレンは答えた。
「こちらの護衛計画を無駄にしされたお返しですよ。どれだけ慌てたと思ったんですか」
「それはすいませんでした……」
素直に謝ったのは、反省したからでなく言い返す気力が削られていたからだ。
けれど、心配してくれたことには少しだけ感謝をした。なんせ昔から、最も身近に過ごした執事には荒く扱われるばかりで、普通に心配されることなど滅多になかった。マリグがくれる心配はちょっとだけ心地がいい。
「全く、お転婆もほどほどにしろ。せっかく取る気になった睡眠の時間が無駄になる」
「だけどそっちは謝らないわ。なぜわざわざ来たの」
ここに来るのはマリグだけでよかったのに、なぜ彼までわざわざ来たのか。
どうしてか憮然とした様子のルドルフに、カレンは口を尖らせて応戦した。
「お前が来るならここだと分かるのは私くらいだ。ついでに、マリグだけでお前を捕獲することはできんだろうと、囮役として来たんだ」
他の騎士を連れてくるつもりはなかった、とルドルフは付け加えた。
その配慮に対しカレンは、ふん、と鼻を鳴らしただけで対応する。
「王太子殿下自ら囮となって捕まえてくださるとは、身に余る光栄ですこと」
「ここまで心がこもっていない感想はめったと聞かないな」
「そうなってる原因を胸に手を当てて考えなさいよ」
「大人しく護衛されていれば何もしなかった」
「これまでの行為の蓄積の話をしているのよ、私は」
一方は前を向いて歩みを止めないまま、そして一方はは騎士の腕にぶら下げられたままで淡々と言い合う。
ルドルフの金髪の向こうには王宮がどんどん大きく近づき、庭園を行き交う人々がちらほらと見え始めてきていた。
「大体、何で寝てないの? どうしてこんなことで起きてくるの?」
「事態に対して私がどうするかは私が決める。お前に判断される必要はない」
「まず体調と事態を天秤にかけなさいよ」
「それを決めるのは私だと言っているだろう。明け方、グラム皇国の軍に動きが出たという報が入っている」
「あらちょうどいいじゃない。私はヨハネスを呼ぶための囮でしょう? 自分の身は自分で守れる。わざわざここまでしてもらう必要は感じない」
ルドルフは小さく舌打ちした。
グラム皇国と青髪のヨハネス繋ぐ線は間違いなく太く、このタイミングでの単独行動の危険性は相当高い。カレンはそれを理解して、それでも一人で行動しようとするのだ。
確かに、赤い実という餌をぶら下げ、ヨハネスが狙うだろうカレンを目の届く範囲で泳がせようと計画したのは自分だが、危機感を持っているのも自分たちだけだと思うと少し苛立つ。
「取引の結果とはいえ、王宮にいる間、侯爵令嬢であるお前の身を守ることは必要なことだ」
「余計な心配をしていただかなくて結構。そもそも、王宮を守る騎士様方の手を煩わせるのもちょっとねぇ」
「――お前は、」
ルドルフが足を止めて振り向いた。
「お前は、お前自身に対する扱いが軽い」
言い返そうとルドルフの青い瞳を見返して、カレンは彼の眼差しの中に、咎めるような、責めるような色を感じてしまってためらった。
いつも、どこかカレンをからかう空気を残しているルドルフに、こういう目を向けられるのは初めてだった。
まだわちゃわちゃします。




