042.赤い実と
「今日も来たのかい」
カレンの肩ほどの低木の間から、ぬうっと白髭の男が現れた。麦わら帽子の下、よく日に焼けた顔の中で、口の周りの白髭と目だけが浮き出たようにカレンを見下ろしていた。
「来ました。こんにちは。今日も良いお天気ですね」
「儂ら庭師にとっちゃ、晴れも雨もいい天気だ」
いじめっこ風味のテオドールを適当に相手したあと、カレンは王宮から少し離れた王族用の農園に来ていた。
ハプニングのお蔭で少し遅れてしまったが、これは予定通りのことで決してサボリではない。王宮に入れるのもあと一日。少し気になっていたことを片付けたかった。
濃緑の侍女服に金髪カツラ姿のまま、カレンは庭師のいる場所へと回り込む。
直線距離ならそれほどないのに、お行儀よく整列する低木は一株あたりの幅が広く、畑の畔のようにいくつも列を成す低木の向こう側に回り込むのにも少し手間がかかった。
木の間を直接抜けることもできなくはないが、木々の緑の細枝と葉にはすべて小さな棘が覆っており、普通に通っただけでは服や皮膚が無事ではすまなさそうだった。
特に、今のカレンの装いは、王宮侍女服に金髪カツラのままである。このあとも王太子執務室へと戻らねばならないと考えたら下手にボロボロになるわけにもいかない。
木々の小路を通り抜けてゆくと、カレンの手のひらよりも小ぶりな薄桃色の花が、ぽつりぽつりと顔を出しているのに気付く。
「始めて来たときより、ずいぶん花が増えましたね」
「ああ、ずいぶん増えた」
端的に庭師が答える。この初老の庭師は、職人らしくあまり口数が多くない。
「忙しいだろうに、毎日来んでもよかろう」
カレンを見ず、しゃがんで根元の草を抜く庭師の口周りの白髭がもごもごと動いた。実は昨日も来ていたのだが、あまり時間がなく、庭師の顔を見ただけで帰っているので、今日はもう少し話がしたかった。
「王宮に顔を出すのは明日までですし、やはりできるだけここの様子を見たくて。……どうですか?」
「この花のつき方なら問題は無い」
「そうですか、よかった。楽しみにしてるんです。赤い実が生るの」
王太子やテオドール、そしてあの汚い顔を踏みつけたいほど憎らしいドイブラー子爵の件で忘れてしまいそうだが、そもそもカレンがルドルフの色気攻撃に耐えながら王宮に居るのは、この木に生る「赤い実」を手に入れるためだった。
ここ、王宮の専属農園にしかない「赤い実」。
カレンも散々調べたが、国内で食用にできる実が生る薔薇の木が栽培されている場所はこの場所以外、存在していなかった。
そもそも、誰が、どこからこの木を探し出してきたのかも定かではなく、真実、「赤い実」と木の存在は、王宮内でも秘匿扱いとされていたようだった。
そんな重要な木について、王太子はどうやったのか、カレン庭師と交渉する許可を王妃からあっさりと取り付けてきた。
『対価を先に払われたら、お前は逃げないだろう?』
数週間前、テオドールの汚部屋掃除を完了した日、にこやかに注げたルドルフの声が蘇る。
その時点ではカレンの中で「王太子部屋の片付けなど、いつでもボイコットできる」という気分は多少あった。しかし、商会の新商品として大ヒットの予感を感じさせる赤い実が手に入るお膳立てをしてもらっては、義理堅いカレンとしては逃げるのが卑怯なことだとしか思えなくなる。
大変遺憾だけれども、ルドルフの言う通りなのがとても悔しくて、カレンはこっそり頭の中だけでルドルフを踏みつけた。
そうしてカレンは、早々に王宮専属庭師との接触を持つことができたのだった。
「この花が、もうすぐ実になるんですね」
カレンは、草むしりを続ける庭師の隣で、そっと薔薇の花に手を添わせた。
大輪の、と表現される重量感ある薔薇とは異なり、たった五枚の花弁を控えめに開かせた薄紅色の花がカレンを見つめている。
カレンの前世記憶にある秋桜にも似た見た目だが、この花はそれよりもずっと大きい。
当初、庭園を管理するはずの庭師がなぜ農園にいるのか不思議だったが、この実が薔薇の実だったと知って納得したものだ。初めて赤いジャムを口にしたときに感じた薔薇の風味、あれば薔薇そのものの風味だったのだ。
この実が手に入り、また味わえるのだと思うと感慨深い。
「昨日も同じこと言ってなかったかい」
「あはは。すいません。すごく楽しみで」
王妃主催のお茶会で初めて口にした赤い実のジャムは、甘酸っぱさと同時にほんのりとした薔薇の香りが腔内に広がる、高貴さを感じさせる味であった。
周囲のテーブルでも、令嬢たちがせっせとスコーンにジャムを乗せていたのをカレンは見ている。
その味が、ちょうどカレンが構想していたクォルツハイム商会の新商品のイメージにぴたりと合致したわけなのだが、実を言うと、商品化よりも何よりも、カレン自身が赤い実の酸味と風味にすっかりと嵌まっていた。
そうして何が何でも欲しくなり……王太子の要求を飲んでしまったわけだ。
その結果、つい先ほど王太子に押し倒され、なんでか側近に足ドンをされたが……
思い出してなんとなくイラっとした。ぶっちゃけ、割に合ってない。
……いや、でも後悔はしていない。交換条件としては悪くなかった。三日間王宮に通って王太子の相手をするだけ。何も減らない。
思い出してテンションが下がりかけたが、薔薇の花をもう一度見つめ、無理矢理自分に「耐えられる、いける」と言い聞かせ、気持ちを保つ。
「楽しみ、か……」
しみじみとした声に顔を向ければ、薔薇の根元の草を抜きながら、庭師が零していた。
実の収穫が楽しみ、と言ったカレンの言葉に、厳のような顔の、目元がほんの少しほころんでいる。
「そう言ってもらえたら、親父も喜ぶ」
「お父様が?」
「ああ、二十年前に死んだがね。この薔薇を見つけ、この辺りの土地で育ちやすいように改良をしたのは儂の親父だ」
初めて聞く話だった。
「何、親父はただの薔薇狂いだ。各地から情報を仕入れて、新種の薔薇を見つけたと聞いたらすぐさま金を払って手に入れようとするような男だった。よくおふくろと喧嘩してたよ。この薔薇もそうやって伝手を使って手に入れたものだ。国の、西の地方で見つけたらしいと言っていた」
「なかなか一途なお父様ですね」
「一途で済めばいいけどな。腕を認められて王妃様のご実家に雇ってもらえたが、正直そうじゃなかったらとっくに儂らは薔薇破産しとった。親父のことは、庭師としちゃ尊敬してるが、生活費に手をつけた点についてはバカ親だとしか言いようがない」
「それはそれは……」
目の前の、不器用ながら真面目に生きる庭師の父親は、どうやら極端な薔薇マニアだったらしい。カレンがこの庭師と言葉を交わしたのはまだ数回だが、比較端的に話すこの男がこんなに長々と話すのは珍しかった。懐かしそうにしていたが、父親の存命時には何かとご家庭問題もあったのだろう。
「だが、薔薇栽培の腕に間違いはなかったよ」
腰を伸ばすためか、一旦立ち上がった庭師は腰に手を当てるとよいしょと背を伸ばし、立ったまま、自分より少し背の低い薔薇の畑を眺めやった。
「親父は、代々庭師として生きるウチの家系の中でも抜群の腕を持っとった。儂は子供のときから親父について仕事を覚えていたが、今でも敵う気がしねえ」
「そんなにすごい方だったんですか」
薔薇栽培の凄腕、と聞いてもカレンにはピンとこない。それでも王宮専属となるほど腕を認められているこの男が敵わないと言うなら、余程なのだろうと思う。
「ああ、凄かったな。どこで学んだのか分からないくらい知識が豊富で。木を読むのにも長けていたよ」
「木を読む?」
「肥料をやるタイミングだったり、選定のあんばいを判断する感覚だな。あれは経験がなきゃ分からねえ。それを親父は若い頃から息をするように読んだ。儂のじいさんが言ってたよ、じいさんも教えていないことを親父は知っていた。ありゃ神から与えられた才能なんだろうと」
とんとん、と腰を叩き、そして庭師はしゃがんでいるカレンを見下ろした。カレンの顔を見て、そしてカレンの濃緑の侍女服の裾に視線を流す。
「きれいな服が汚れちまうぞ」
「あ、お構いなく」
「儂も丁度休憩だ。移動しよう」
日陰にしゃがみこんでいるカレンが暑がっていると思って気を利かせたのか、ぶっきらぼうに庭師は言って顎をしゃくった。職人特有の不器用さはあるが、優しい人だ。
庭師について薔薇の小森に寄り添うように、高い木々が並ぶ林の一角に出る。見れば、木陰には庭師のものらしき荷物が置いてあった。
カレンと庭師は木陰の草むらに並んで座った。
「実ができるのはあと四月ほど先だ。近くなったら知らせよう」
「ありがとうございます。イチゴより少し小さな実が生るんですよね? 早く食べてみたいです」
「ああ、そのまま食べても美味い」
「採れたてが食べたいな……できたら収穫も手伝わせてください」
「自分で摘む気か? 貴族のお嬢さんが?」
「……変ですか、やっぱり」
目を丸くした庭師に、カレンは眉を下げた。
ようやく赤い実が手に入る。それが嬉しくて申し出たのだがおかしく思われてしまったようだ。
「いや……商売ごとをしているってんで変わってるとは思っていたが」
「それ、内緒にしていてくださいね」
「わかっとる」
庭師は王妃の直下であり、王太子ルドルフとはそれほど関わりがないと聞いて。そして彼の堅実な性格から大丈夫だと確信してカレンは自身がクォルツハイム商会の実質的経営者だと正直に説明した。実を融通してもらうなら、変に誤魔化さず、正面から頼みたかったというのも理由のひとつだが、なんとなくこの庭師なら大丈夫だと感じていた。
「王妃様からはあらかじめ、儂の判断で実の扱いを決めていいと言われとった。王宮で使う量さえ確保しときゃ、王妃様は口出しも詮索もせぬと。だから儂は誰にかにお前さんのことを言う必要はない。言うつもりもない」
「ありがとうございます。助かります」
ルドルフがどう手回しをしたのか、カレンが庭師と話をしたときには、カレンに都合のよいように状況が整っていた。庭師との交渉のあとに軽く調べたが、庭師付近にルドルフが探りを入れている様子もない。おかしなところでフェアな男などだと感心したものだ。
「ところで……本当に、報酬はあれでいいんですか?」
一旦、ルドルフのことは頭の隅においやって、カレンは庭師に確認をした。
この薔薇は、この庭師が個人的に作っているもだとルドルフからは説明されていたため、丹精込めて育てた薔薇の実をいただくにあたり、カレンは交渉のときに庭師に「取引」を持ちかけていた。
この取引に、庭師は乗った。しかし、庭師が要求した報酬は、金でも権利でもなく、カレンでさえ多少返事に戸惑うほど意外な条件であった。
「構わんよ。儂は金や宝石など要らんし、そもそも王宮に居て揃わんものはない」
「それはそうですけど……」
「儂にもやってみたいことはある」
『この薔薇の木の大量栽培に携わること』
これが、庭師の要求した「報酬」だった。
この農園に植えられている薔薇の木は、次のシーズンに少量売り出す程度にはあったが、カレンが想定している生産量としては全く足りないだろう。大量栽培はカレンも計画していたので、彼の申し出は願ったりかなったりなのだが、正直、王宮専属庭師を私的な商売に引っ張り込んでいいものか……
「構わん。王妃様も分かっていらっしゃる」
「王妃様も構わないと?」
「ああ。これは儂の昔からの意地みたいなもんでな。王妃様は理解してくれとる」
「意地?」
初老の庭師の男は、麦わら帽子を浮かせ、額の汗をぬぐうと目を細めて薔薇を眺めた。
「大量栽培は、条件が揃わなくて親父が諦めたことだ。それを儂がやれたら、最高の薔薇師と言われた親父に、一泡吹かせてやれる気がしてな」
そうして、麦わら帽子の角度を変えて顔を隠す。
この初老の庭師はきっと、父の、越えられない壁のような背をずっと見て育ったのだろう。そして追いつくことができないまま、父親はこの世を去ってしまった。
目標が手の届かない場所に行ってしまった彼にとって、カレンの登場は、人生を再燃するに十分だったのかもしれない。
気候的な条件が云々、花の付き方がが云々、など専門的なことを照れ隠しのようにぼそぼそと話す庭師の横顔は、なんだかちょっぴり少し幼く見えた。カレンはそれが微笑ましくて、でもできるだけ気づかない振りで相槌を打ちながら聞く。
「……お前さんを見てると、親父を思い出す」
カレンを横目でちらりと見た庭師が言い出した意味が分からず、カレンは首を傾げた。
「お前さん、いくつだ」
「年ですか? 十八になりました」
「その割には、老成しとるの」
「ええ? そうですか?」
思わずどきりとするが、とっさに無邪気な笑顔を張り付けて返した。だが、逆に庭師はカレンの顔をじっと見つめてくる。
「見守るような……慈しむような、時々羨ましがるような……そんな感じだったよ、儂の親父も。儂が子供だからかと思っていたが、どうも違った。ずっと違和感があったな。何とも上手く言えんが、お前さん、そういうところ似とるよ」
「尊敬してらっしゃるお父様に似てるなんて、光栄です」
「口が上手いところは似てないな」
「そうですか……」
年をくっているだけあって、テオドールのように上手く誤魔化されてはくれない。
「『ずいぶん長く生きた』」
「え?」
「親父はそう言い残して逝ったよ。たいして長生きもしなかったくせに」
カレンは、自分の中に一滴の水が落ちたように感じた。水の波紋が、心を波立たせる。
もしかして、という予感がじわじわと指先にまで広がった。
「お前さんに、この実を譲ろうと思った理由は何だと思う?」
唐突に、庭師が話題を変えた。
少し戸惑ったけれど、実はカレンが今日、来た目的はこれを聞くことだった。
あの日、テオドール部屋を片付けきった直後、ふらりと現れた王太子に引きずられる形で、まさに着の身着のままメイド服で、充分な準備もなく庭師と引き合わされた。
門外不出の果実と聞いて難航を予想し、相当緊張して臨んだ交渉だったが、意外にもあっさりと了解をもらえてしまい、肩透かしをくらった気分になったっけ。
「この実の名前、憶えているか?」
「あ、はい。ローズヒップ、でしたね」
名前を聞いて多少驚いたものだった。
前世と同じ名前のものなんてこの世界にいくらでもあったが、カレンの知っているローズヒップとこの実の味は異なっている。少なくとも、前世の記憶のローズヒップは薔薇の風味がここまで華やかではなかったと思う。それに、確か生で食べれるほど甘くもなかったはずだ。
「この薔薇に関しては、情報が外に出ないようになっていた。だが、親父は『この名前を聞いて何かしら反応をしたやつなら、薔薇をやってもいい』と言ってたよ」
「……」
「この実に名前を付けたのは、親父だ」
確信が、できた。
きっと庭師の父親はカレンと同様、前世の記憶を持っていた。
それも、カレンと同じ世界の。
可能性を考えていなかったわけではない。
実際、悪役令嬢のレイラやヒロインのシェリルのように記憶を持っている者はいるのだ。けれどまさか、ゲームキャラクター以外で、それも全くゲームに関係のない場所でその存在を知ることになろうとは。
「お父様は何か」
何か他に言っていませんでしたか、と聞こうとしたが、カレンの言葉は続かなかった。それどころか、口をあんぐりとあけたまま固まってしまった。
原因は、視界の隅に飛び込んできたモノである。
薔薇の緑の小森の向こうを移動してくる、金色の頭。カレンが執務室を出てから一時間と経っていないのに。
――なぜルドルフがここに居る。
次回はまたワチャワチャします。




