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038.孤児院と庭

「この孤児院の建物は、設立時、実質の経営者だった貴族の所有物をそのまま譲られたものだそうです」


 孤児院を案内しながら、院長が説明をした。

 隣を歩くラルフは相槌をうつ。


「なるほど、それでこの装飾なのですね」

「はい。間取りには手を入れた場所もあるようですが、それ以外はほぼ改装せずに引き渡されました」


 二人が歩みを進める広めの廊下は、床や壁の内装がところどころ剥がれ、自分たちで手直したのか荒く修繕した跡が残っている。孤児院としては似つかわしくない、多少派手で古い流行の装飾が施された中に新しい補修箇所が存在し、アンバランスに混在した空間になっていた。


「用途が何だったかは伝えられていませんが、貴族の誰かが住んでいたのかもしれません」

「見る限りは、確かに丈夫に造られているようですね」

「はい、ここは建てられて百年以上経っているようですが、問題ありません」


 一部、内側の石材がむき出しの箇所もあったが、建材である石に傷みは見られない。管理がいいのか、石材の質がよいのかは分からないが、建物はまだまだ十分に使えそうでだった。


「ところで、院の実質の経営者だった貴族とは?」

「アベーユ伯爵家の血筋だそうです。既に途絶えてしまって、今はもうありませんが」


 院長が口にした家名は、たしかに何十年か前に断絶した貴族だった。そして、マリグの、アベーユ伯爵家の傍系。


「そこからこの院は大きな貴族の支援も特になく、細々とやっております」

「苦労されたのですね」

「寄付が集まりにくい分、教会付属の孤児院よりは苦労しているでしょうね。けれど、建物が頑丈で助かっていますよ。修繕費用が最低限で済んでいます」


 敷地も広いので畑を作るのにも事欠きません、と、院内の階段を上りながら、院長は柔らかい声で笑った。


 表面上は程よく相槌を打ちつつ、ラルフは主人の言葉を思い出す。確か、カレンの持つゲームの記憶では、孤児院の支援者であるアベーユ家の血縁者は存命であったはず。カレンの記憶違いか、現実との差異か。ここも報告せねばなるまい。


 視線を落として思考にふけったラルフの前に、明るい光景が広がった。

 広めの窓から、院庭が一望できる。

 そこでは二十人程の子供たちが過ごしていた。駆けっこをする少年、ベンチに座りおしゃべりに興じる少女たち、弟分か妹分であろう乳児を日向ぼっこさせる子たち。思い思いに笑顔で過ごす姿は、孤児だとういう境遇を忘れさせるほど、のびのびとしたものだった。


 庭に面する廊下を進み、子供たちの寝起きする部屋を見学する。その間も子供たちの声は途切れず、院内を賑やかに彩っていた。


「今は休憩時間なのです。掃除やら畑仕事やら裁縫やら、それぞれ役割を持って作業もしていますが……やはり子供ですから遊ぶ時間も十分に取らないと」


 院長の説明に被せるように、一段大きな歓声が聞こえた。庭を振り返ると、子供らが一点に集まり、はしゃいでいた。どうやら駆けっこで一人、派手に転んだようだ。

 小さな少年を、背の高い少年が抱え起こしていた。


「ここには、何人の孤児がいるのですか」

「現在は二歳から十七歳まで十八人です。大人は私だけで、アンジェ……先ほどのアンジェリカが手伝いに来てくれるだけですが、大きな子は率先して下の子供の面倒を見てくれます」

「教育がしっかりされていますね」

「心優しい子が多いのです」


 足を止め、院長が庭に目をやった。

 屈託なく笑う子供たち。質の良い服を着ているとは言いがたいが、満面の笑顔で過ごす様子は、この院が、貧しいながらも充実した環境であることを表していた。


 優しい眼差しで孤児らを見つめる院長は、目を細め、皺を作った。


「子供たちは、十六になれば外に働きに出ます。ここに住みつつ働いて、住み込みの職や生涯の相手を見つけたら巣立っていくのです。今度も、年長の子がひとり巣立ちます。兄貴肌というのでしょうか、皆に大変慕われている子でして……彼は遠くへ行きますが、それが嬉しくもあり、寂しくもありますね」


 院長の目線を追えば、そこにひとりの少年が居た。きっとあの少年が近々院を出るのだろう。

 ラルフも、院長と共に少年を見つめる。細身で、筋肉もあまりないが面倒見が良さそうであった。あの少年は、ここでの記憶を家族の思い出として生涯大切に持ち続けるだろう。


 ラルフの目に、少年の背と、孤児であった自分の背が重なった。


「……愛をもって育てられた恩は、忘れられないものです」


 素の無表情顔に戻り、ぽつり、と呟いた言葉を院長の耳が拾う。院長は、わずかに執事の顔を見たが、すぐに庭の子供に視線を戻した。


「……親としては、嬉しいことですね」


 同じくらい小さく返した院長の声の温かさに、ラルフは答えなかったが、ほんの少し、琥珀の目を細めた。





 ラルフがそれを目にしたのは、庭の隅にある畑を見学をしている最中のこと。


 城壁寄りに開拓された菜園は、西に内城壁がそびえ、強い西日を遮る役割も果たしているらしい。院長の説明を受ける執事服の客に興味津々の子供の人垣の向こう側、城壁沿いに生い茂る樹木――そこに、こちらに関心なく木々の間を抜けていく男を見た。

 孤児院の敷地内で、陽の下を歩かず、木陰で姿を隠すように急ぎ足で通る男。


「……院長、あの方は?」


 畑で収穫できる作物について、熱心に語る院長の言葉を遮ってラルフが尋ねた。院長が振り返った時には、男はすでに姿を消している。


「誰かいましたかな?」

「はい、男性が。恰幅かっぷくの良い方でしたね。それに……腰に、剣を下げていました」


 最後、声を落として押し込むように囁けば、院長の顔が明らかに強張った。

 そして怯えた視線がラルフを通り越し、肩越しに、ある方向へと伸びる。院長の無意識、一瞬の目の動きであったがラルフはそれを見逃さなかった。


 なるほど、あちらか。


「おや、あの建物は何ですか?」


 よくよく見れば、木々の隙間に、城壁とは異なる石造りの壁が覗いている。

 ラルフは遠慮なくそちらへ向かった。静かに歩みを進めているように見えるが、長い脚は院長からあっという間に距離を作った。


「あ、あの、そちらは」


 院長が慌てて、いや慌てすぎて足をもつれさせながら追いかけてくる。しかし、ラルフは聞こえない振りを決め込んでずんずんと歩く。

 進めばすぐに、今までいた場所から木々で死角となっていた場所に、古い石造りの小屋があった。孤児院の建物とは違い、粗野で手入れもされておらず、長年放置してあっただろう小屋。だが、最近手が入れられたのか、一部素材が新しい個所もあった。物置小屋には多少大きいように見えるが、明り取りの小窓にも板張りがしてあり、中の様子はうかがえない。


「……院長、あの小屋は?」


 人気がない小屋を見やりながら、ようやく追いついてきた院長にラルフは尋ねた。


「あ、あれは……不要なものを仕舞っていた小屋でして……全く使っておらず……中には大したものはありません」

「扉は新しいようですが?」


 扉だけ新調され、白木の色合いが、くすんだ小屋の壁と相まって違和感を浮き出させていた。


「そ、それは、こ、壊れて危険だったので新しく作り直しを……」

「おや。使っていない小屋なのに、ですか?」


 怯えに動揺を重ね、院長の目は激しく泳いだ。適当な言い訳もできず、明らかに言葉に詰まっている。


 あまり追い詰めると逆効果か。

 何かを隠しているのは明らかだが、誤魔化すこともできずに青ざめる院長に、一度方向転換すべきかと考える。

 そして、それを実行しようとしたとき「院長!」と女性の呼ぶ声がした。

 孤児院の子供に居場所を聞いたらしく、小走りにやってきたアンジェリカが、ラルフの姿を見て立ち止まった。


「院ちょ……あっ」

「お、おお、どうした、アンジェ」


 院長と同様、一瞬小屋に目をやり、再度ラルフをみて少し顔を青ざめさせる。対照的に、院長はこれ幸いとばかりに声を張って返事をした。


「あ、えっと……門のところに、そちらの執事の方を訪ねて馬に乗った人が来たので、呼びに……」


 多少戸惑いながら、アンジェリカは院長の問いかけに答えた。


「私を訪ねて? どのような人物でしたか?」

「ええと、馬に乗った、多分貴族の護衛兵だと。緊急だとかで」


「失礼」と、ラルフは最後まで言葉を聞かず、すぐに門へ向かって歩き始めた。もう少し時間があれば、と内心舌打ちしながら。


 門へとたどり着けば、自身が乗ってきた馬車の横に、見知った護衛兵と一頭の馬の姿が見える。

 やはり、クォルツハイム侯爵家の護衛兵であった。


 待っていたのは、護衛副隊長。ラルフの配下、『影』の一人であった。

 隣で首を振る馬の息が荒れているところをみると、急いで駆けてきたらしい。


「何かありましたか」


 護衛兵の関係をしらぬ御者の手前、執事の顔で対応するラルフに、『影』は返事をする間もなく、一通の手紙を差し出した。受取り、ひっくり返して見れば、そこには初めて目にするが、国内で知らぬ者はいない紋を象った封蝋。


 差出人をすぐさま把握し、中を確認する。


「手紙を持った王宮の使いが、緊急と言っておりましたので届けにあがりました」

「……ご苦労」


 御者に聞こえぬ程度の低い声で答える。


 封書は、王太子からの言付けであった。

 カレンを迎えに来い、との内容だが、場所と時間の指定付きだ。緊急と言っておきながらおかしいことだが、これは行かねばなるまい。

 懐中時計を見れば、ここから直行すればまだ間に合う時間であった。


「お嬢様に何かあったのかもしれない。ここは私が行く。お前は戻るように」

「はい。それと、ラルフ様、もうひとつ」


 頷いて了承した副隊長が、小さな紙片を差し出してきた。目を通せば、それは昨夜のうちに諜報に指示した情報。


「……十分な情報だ」


 お嬢様も満足されるだろう。そう告げれば、副隊長は小さく頷いた。



 ◆◆



「ふーん。そのアンジェリカって、いい子そうねぇ」


 王宮の敷地からようやく街中に入った馬車が、石畳を踏みガラガラと固い音を響かせる。

 王宮侍女の濃緑のドレスを着たままのカレンは、窓から街並みを眺めながらラルフの孤児院報告について――より先に、アンジェリカについて感想を漏らした。


「そうですね。あのヤクザ者とはアンバランスな気がしますが」


 主人の思考の自由度には慣れ切った執事が、いつも通り表情を変えずに返す。


「可愛い子だったの?」

「女性の醜美を評価するのは得意ではありませんが……比較的顔立ちは整っているのではと」


 表現はともかく、執事として多くの顔を見てきたラルフが言うのだから、少なくとも顔はいい方なのだろう。

 最近雇ったヤクザの首領――通称ボスは顔に大きな傷のある強面の男。あのゴツくて不器用そうな男が、どんな顔をして惚れた女のいる孤児院を訪ねているのだろうか。俄然、興味は沸いた。


「それよりお嬢様」

「あ、ごめんごめん。で、諜報からの情報はソレね?」


 ボスをイジるネタに、によりと口元を歪めていると、懐から紙片を取り出す執事の声に我に返った。慌てて真面目な顔を作る。


「はい。ドイブラー子爵と、孤児院両面から調べを進めておりました結果です」

「金の流れから調べてアタリだったわねぇ」


 摘まんだ紙に、ざっと目を通してカレンは満足そうに微笑んだ。

 紙片は、集団人さらい事件の黒幕と怪しまれているドイブラー子爵と、あの孤児院をつなぐ、ひとつの組織の情報であった。


「トゥーグ鉄鋼会――技術集団よね。高度な技術を持っているのに、決してその技法を公にしないっていう。……そんな腕も金もある集団のトップがあの孤児院の現在のしゅとなる支援者だったのね」

「はい。院長が『現在、支援をしてくれている貴族はいない』と言っていたのは事実です。確かに貴族の支援者はいない。実際は、鉄鋼会の会長個人が支援をしていたようです」

「で、今、その会長の、孤児院への寄付が止まってると」


 持っていた紙片の中身を頭に入れ、執事へと返す。


「はい。その理由が、ドイブラー子爵への借金返済で余裕が無くなったため、だそうで」


 カレンは馬車のクッションに背を預けて目を閉じ、記憶から情報を引き出した。


 トゥーグ鉄鋼会。

 国内外にその名を轟かす鉄の技術集団。製鉄法から加工法までを集団内で秘し、父子相伝でしか伝えないという。


 その集団の発祥がいつなのかは分かっていない。ただ、彼らの鉄製品が知られるようになった頃にはすでに、王都から馬車で一日ほどの山間地にひとつの村を作って静かに生活をしていたという。その村の名前がトゥーグ。

 鉄鋼会という呼び名は、彼らが商売として本格的に鉄製品を売り出す際に使った名前だったはずだ。


「ただ、何の借金なのかしらね……? 会としての経営が不振だという話は聞いたことがないわ」


 カレンもクォルツハイム商会の実質的経営者として商売関係の情報は充分に持っている。だが、トゥーグ鉄鋼会については経営についても商品についても、売上は上々という噂しか耳に入っていない。


「ガードが固く、借金の理由までは分かっていません。しかしあと一日いただければ調べはつくかと」

「ん、頼むわ。任せたわよ」


 それにしても……


 執事の手際のよさに満足しつつも、カレンは顎に手を当てた。


 ドイブラー子爵が、裏で汚い金貸しをしているという話は聞いたことがある。金にも地位にも執着し、意地汚いドイブラーのことだ。トゥーグの会長は、きっとまともではない方法で借金を背負わされたに違いない。

 そしてきっと、孤児院はトゥーグからの寄付が止まったことで経営難になり、それを何かの形でドイブラーに利用された。それはおそらく間違いない。


「ただ、分からないのよね……ドイブラーは孤児院を使って何をしようとしているの?」


 歴史が古いだけの、何の変哲もない孤児院。

 今や後ろ盾となる貴族もおらず、ドイブラー子爵が孤児院に構う理由が思い当たらない。


「あの孤児院に、なんの価値があるのかしら」


 むむむ、と考え込んだが、頭があまり回っていないこともあって、どうも検討がつけられない。


「お嬢様のいつもおっしゃっているゲームにはヒントはないのですか」

「んー。なかった……と思う。孤児院は騎士ルートの、いわゆる逢引場所って程度だから。好感度が上がれば、孤児院で騎士と会って、その後街でデートしたり、騎士の馬で森や泉デートしたりするくらいよ」

「森や泉、ですか。わざわざ外城までデートに行くとは……」

「あーそうね。確かゲームじゃ、わざわざ一泊してた気がするわ」

「外城でですか」

「そう、森の近くにアベーユ家の別邸があったはず」


 内城にあるのは精々田園程度で、森や泉となると外城の、それも外城壁近くまで行かねばならず、馬でもまあまあ距離がある。思い出してみれば、ゲーム内でのデート場所は好感度によって変化が出てくる。攻略キャラ内で一番アクティブな騎士の場合は、森や泉デートはレベルの高い行先であった。

 そこは日帰りでも十分に行ける距離であるが、わざわざ一泊する上に……結ばれたり、なんてする。もちろん、アレだ、肉体的にだ。


 なんだろう。ゲームであれば何とも思わなかったのに、現実にマリグを知っている状態でこんなネタを思い出すと、身の置き所がない感覚になってしまう。

 明日、マリグの顔を見れるだろうか。なんかごめん。


「では、ドイブラーと孤児院に関しては、引き続き調査を行うということでよろしいでしょうか」


 窓の外に浮かぶ、銀髪の騎士の顔に謝罪をしていたら、ラルフが淡々と確認をしてきた。思考を飛ばして黙り込んでいた主人にしびれを切らしたようだ。


「あ、うん。それでよろしく」


 間抜けに返事をしてから、はた、と思いつく。


「ラルフ、それにもうひとつ」

「――追加でご命令ですか」

「不機嫌にならないでよ。まるで別料金を取られるような気分になるわ」

「似たようなものかもしれませんね」

「主人を脅すのは止めなさいって」


 ひくりと頬が引きつった。この執事なら別に何か要求されてもおかしくない。本当にやめて欲しい。ただでさえ出費が多いのに。

 しかしここで引いていては主人がすたる。こほん、と切り替えるようにひとつ咳をして、できるだけ含みのある笑顔を向けた。


「ま、そんな手間じゃないわよ。これが上手く行けば、思ったより早くカタがつくかもね。早ければ、二日以内に」

「具体的な日付を出されましたね。二日以内と言えば、お嬢様が王宮にいらっしゃる期限ですが、何か関係が?」

「あるわ。実は、私もそろそろ限界なの。ここいらでさくっとカタをつけたいわ。だから協力して頂戴」


 ぶっちゃけ、カレンは大変眠かった。今日も引越し準備という、身体を動かす仕事の最中にも寝落ちしそうになるほど眠かった。これでは身体がもたない。カレンの本能がそう告げていた。


「私、カレン・クォルツハイム、さっさとドイブラーを潰して、刺客撲滅、快適睡眠を手に入れることをここに誓います!」


 おー!と力強く宣誓する。

 今、カレンのやる気は、ここ数週間で一番高くなっていた。だが、


「狭いので、腕を振り上げるのをやめていただければ嬉しいです」


 執事の返事は安定的にそっけなかった。

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