035.やはり好きになれません
「作り直せ」
ばさり、と書類の束が執務机の上に投げ出される。
前置きは、なし。書類に、ざっと目を通された直後のひとことだった。
机の主の威厳と視線に、向かいに立つ文官服の男の身体が縮こまる。文官は四十代後半。省内ではそれなり地位にある貴族であったが、息子程の青年からの圧力に瞬きすらできないでいた。
王太子ルドルフは、椅子の背もたれにぎしりと身体を預け、長い両手指を腹の前で組んだ。
「私が求めたのは、グラム皇国と他国の外交、交易の報告だ。グラムが我が国の目と鼻の先に侵攻している今、彼らの行動予測の基礎となる重要な情報。それは理解しているな?」
はい、と文官がほとんど息だけで返事をする。
「一か月前にグラムが自ら開示した数値など屑にも等しい。何のために大使が居る? 情報部がある? 自国の情報源を全力で使って集めろ。新人文官のような報告を作るために賃金を払っているわけではない」
数字を見ただけで、この美貌の王太子は報告書の数字がいつどこから出されたものかを見抜いてしまった。文官の額に大量の脂汗が浮かんだ。
「ニ日、時間をやる。期日の朝一番に再度報告書を持ってこい。国境から離れたこの王都で、貴殿が平和ボケしていないことを心から祈る」
各所から報告を集めるだけで通常四日はかかる。文官は白い顔を青くした。弁明するか、猶予を乞うか。身体は硬直したまま、文官は戸惑う頭で考えかけた。
しかしルドルフは、彼の頭が答えをはじき出す間すら与えない。机の書類を視線で刺し、次には目の前で固まっている文官にぎろりと青の双眸を向けた。
「行け」
命じられ、その声で金縛りが解けたかのように男が飛び跳ねた。一瞬前の硬直が嘘のような反応具合で文官は机の書類を引っ掴み、逃げるようにしてあっという間に部屋から飛び出して行った。
扉の音が消えた頃、執務机の後ろに姿勢よく控えた銀髪の近衛騎士が、そっとため息をついた。
「今日はまた……お優しいことですね」
分厚い椅子の背に凭れた王太子ルドルフが、マリグを見上げてにやりと笑った。
「今の私は上機嫌だからな」
きっと、近しい者にしかわからない。
実は、今日の王太子は稀に見る上機嫌ぶりだった。
文官に対し、再提出期限を本日中にしなかったこと、再作成に必要な情報のヒントを与えたこと、追加条件を出さなかったこと。これらがすべて、今日の彼の機嫌の良さを表していた。
普段の彼なら、「国境の領地に配属替えを希望するか?」とでも言って、狼狽える臣下に更に圧力をかけるだろう。
それをせずにあっさりと帰すとは、我が国の王太子に対して多大な影響力があるようだ……と、近衛騎士マリグは、現在姿が見えない彼女の効果を思い知った。
「ところで、貴方を上機嫌にさせたカレン嬢はいったいどこへ?」
今日から三日間、侯爵令嬢カレン・クォルツハイムが王太子付きになる。
マリグは、文官の来訪の少し前にここにやってきたばかりで、彼女をまだ見ていなかった。名門クォルツハイム侯爵家の令嬢であり、何事につけても規格外のあの少女は、すでにこの執務室に来ているはずだった。
「休憩室の掃除をしている。そろそろ戻ってくる頃だ」
顎で指した先にはひとつの扉があった。
執務室に隣接する休憩室は、仮眠と軽い食事をするための空間。王族や高官の部屋にのみ設置され、ある意味完全な私室であり、出入りができる者は限られている。
初日から、あの侯爵令嬢は重要な役割を与えられ、しっかりと働いているらしい。
マリグも何となくつられて扉に目を向けていると、把手が動き、カレンがワゴンを押して現れた。
掃除も終え、休憩室に備え付けられた小さな炊事場で紅茶を用意して持ってきたようだ。
と、カレンがマリグに気づき、丁寧に礼を取る。
挨拶を返しながら、マリグの眉が下がった。女性とはいえ、伯爵家の自分より爵位が上の人間に頭を下げられると多少戸惑った。
「あまり、畏まらないでいただけるとありがたいのですが……」
「そうは言っても、今日はこんな格好ですし」
カレンが軽く手を広げて自分の姿を見せた。
本日のカレンは、濃紺のドレスを身に纏っている。首や腕も布で覆われ、裾も床まであるシンプルなデザイン。これは王宮侍女の制服だった。
ルヘクト王国の王宮侍女は、メイドと明確に立場が分かれていた。メイドは掃除、洗濯、官職たちの給仕など何でもこなす下働き的立ち位置で、平民出身でも就ける職。対して侍女は、王族や高官の雑務や身の回りの世話を行う秘書的な立場で、貴族の女性が就く役割である。
今回も変装として金髪のカツラを被るカレンは、しとしととワゴンを押し、執務机の横までやってきた。そして紅茶を淹れるべく作業を開始する。
マリグは、彼女を眺めながら、なんだか見慣れぬものを見ている気になった。
なぜだろうと首を傾げ、気づく。そうだ、カレンがいつになく落ち着いているように見えたからだ。ルドルフの近くにいるときはいつも怒ったり、怒鳴ったりしていたのに。
意外に馴染んでいるのだろうかと考えていると、マリグにほんの少し悪戯心が湧いた。本当に、ちょっとした出来心であった。
愉快な気持ちで、王太子でもあり乳兄弟であるルドルフに話しかける。
「そういえばルドルフ、知っていますか? 今朝からある噂が王宮内でもちきりなのですよ」
「ほう。何だ?」
「これまで、決して侍女をつけようとしなかった王太子殿下が、とうとう侍女をつけたと。ここに来るときも、広間で噂話をする人々を目にしました」
「ああ、この部屋まで、カレンが私と歩くところを見たのだな」
中央玄関からこそこそと侍女服で入り込んだカレンを捕まえ、執務室まで連れてきたのはルドルフ本人だった。
「そのようです。王太子殿下が自ら迎えに出るとは、いったいどこのご令嬢なのか、もしかして妃候補なのか、と。誰もが興味深々のようですよ」
侍女職は就いた王族や高官に見初められれば結婚相手となることもある。逆に、目当ての令嬢を侍女にするケースも珍しくない。
これまで醜聞のひとつも無かった王太子が、侍女という形で初めて傍に置いた女性……王宮の人間がこれに盛り上がらないわけがなかった。
「カレンのことが噂にな……なるほど」
面白そうに王太子が口角を上げたとき、マリグのうしろでパキン、と乾いた音がした。
振り向けば、カレンが紅茶を注いでいたカップが見事に真っ二つに割れていた。途中まで注がれていた飴色の液体が、ソーサーにたっぷりと溢れている。
「あら、触ってもないのに……おほほ、ひびが入っていたのかしら」
カレンが誰に対してでもなく、優雅に告げた。内海のように穏やかなのに、温度が全く無い声であった。
王太子専用カップにひびが入っているわけがない。明らかに、今、何かの力が加わって割れたのだ。
しかし、カレンはカップに触ってすらいない。
――怒りか? 怒りなのか? 人は怒りだけで、カップを触れずに割ることができるのか??
カレンから漂う怒りの冷気を感じ取り、騎士団では猛者で知られる近衛騎士隊長マリグが、本気で冷汗をかいた。そしてようやく理解した。この少女は全く平常心ではなかかったのだ。王太子と真逆に、激しく不機嫌であったのだ……と。
そしてついでに学んだ。例え悪戯心であってもこの少女を決して怒らせてはならない、と。
「マリグ様もどうぞ?」
令嬢らしい笑みを浮かべて、カップを差し出される。
いい香りのする茶であるが、これに毒など入ってないだろうかと一瞬疑った。だが受け取らなという選択肢など取れるはずもなく、立ったままだったが、なんとか笑みを浮かべてカップを手に取る。
表情筋も、腕の筋肉も錆びついたように動かない。マリグは自分の身体からぎしぎしという音を聞いた。当然、紅茶の味なんぞ分かるわけがない。ただ、身体が無事なところをみると、どうやら紅茶に毒は入っていないようだった。
こめかみに汗を流しつつ横目で見ると、隣に座る王太子は、硬直気味のマリグを気にかけることもなく、いつも通り悠々と紅茶を口にしている。
この男の鋼の神経が欲しい……。
「金色の貴公子」の他に、官職たちからこっそり「鬼畜美形王子」と呼ばれることもある王太子の精神力。このときマリグは初めて羨ましいと思った。
「居なくなって清々したと思ったのに、またアンタ? なんで居るの?」
天使が、思い切り眉を潜めて毒を吐いた。
朝のうちに重要書類を運んできた、王太子側近のテオドールであった。
相変わらずふわふわである。髪も顔立ちも、雰囲気も天使のようにふわふわ。なのにカレンに向けるまなざしは剣先のように鋭く、どす黒い。
そんなトゲトゲのセリフにも関わらず、ルドルフが意外そうな顔をした。
「何だ、カレンと仲が良さそうだな」
「ご冗談を。誰がこんな女と」
返答は、けっ、と言わんばかりである。
王太子にその態度はいいのだろうか。カレンが眉をひそめると、気付いたマリグが小声で教えてくれた。
「テオドールの二面性については、我々は個性のひとつだと理解しています」
「はあ……皆さんオ優シイコトデ」
テオドールの感情は、子供がダダをこねているようなものではないだろうか、とカレンは思う。それを許容するなど、そんな温さで仕事になるのか。ここは王宮、国の中心だ。もう少し上下関係が厳しくてもいいのでは……
「誤解の無いように言えば、彼もアレはコントロールできています。重要な仕事の場では出ません。出るのは、彼が許されている場だけですよ」
「……どういう意味ですか?」
近衛騎士は、紫水晶の瞳を優しく細めた。
「彼自身が受け入れられている、と彼が感じられる場所でしかあんな態度を取らないということです。私が知る限りは、彼の家族と、ルドルフ、私。そしてカレン嬢の前だけです。たとえ親しく付き合っていようとも、国王陛下や王妃様、私の親の前では見せたことがありません」
正直、マリグの言葉に、すぐに納得はできなかった。
テオドールは、カレンのことが本気で気に食わないから黒天使の顔を見せている。理由はきっと、姉を取られたことへの反感……だと思う。たぶん間違いない。立派なシスコンなのは証明されている。
これまでの出来事を思い出しても、彼が自分相手に相手に心を許しているととは到底思えなかった。
親切にフォローしてくれたマリグには悪いが、この件に関してだけは例外だろうとカレンは考える。
「マリグ、打ち合わせだ」
端的な王太子の呼びつけに、「それでは」とマリグがカレンの元を離れていったため、テオドールの話はおしまいになってしまった。
そういえば、マリグはこの空間に慣れないカレンを気遣い、なるべく傍にいてくれようとした。
配慮のできる騎士、サイコーだ。仕事任せて放置のどっかの王太子や、敵意のある目を向けてくる黒い天使とは大違い。
そのどっかの王太子と黒天使は、打ち合わせのため、マリグと共に片隅にある、六人掛けの会議用机に向かい合って座り、書類を広げ始めた。
「マリグ、グラム軍の状況を報告しろ。テオドールはいつものように、想定される戦況に対しての予算を」
マリグが最新の情報を報告し、テオドールが持ってきた書類の束からさっと数枚を抜いてテーブルに置く。
傍で見ていて、さすがと言うか、国の中心を担う三人として高度な打ち合わせであった。若いにも関わらず本当に大したものだ、と精神年齢アラフィフのカレンは思う。
王太子が交戦期間、敵軍の進行をシミュレーションする。経費について、テオドールが素早く計算(なんと暗算)し、国庫の現状を加味して予算調整の提案をする。マリグも各地の領主が保有する兵の情報を出し、ケースに応じて増強できる軍事力をはじき出していく。
またここに、彼らが持つ限りの情報を織り込んで予測と計画を立てていくものだから……カレンは目が回りそうになった。
ていうか、私、ここに居てもいいの……?
自分は今、もの凄く重要な話し合いを聞いている。
国王でも騎士団長でもない彼らがこのように話を詰めているのは、おそらくこの件の権限を持たされているから――そう遠くない、未来の世代交代を見据えて。
場違い感に身体がむずむずした。そもそも自分は片付け係としてここに呼ばれたはずなのに、なぜのんびり給茶をしているのか。いや、まんまとルドルフに引っ張り出されたのは間違いないのだが……
不満と戸惑いを壺に入れてかき混ぜているような気持ちのまま、三人に紅茶を淹れた。淹れろって目で言われたから仕方なくだ。
「頭はキレるのよねえ……。性格はアレだけど」
カレンは、部屋の隅にぽつんと立ったまま、ぼんやりと呟いた。
現状、白熱する三人に紅茶を出し、今度こそ本気でやることが無くなっている。
カレンの視線は、自然と王太子に向いていた。
「人を読み、時勢を読み、采配に長ける」そう彼のことを評したのは誰だったか。
二十一歳で、複数の省の実権を把握し、すでにその手腕は発揮されていた。戦上手で戦闘王と呼ばれた先代国王、外交王と呼ばれている現国王に続き、どのような賢王になるかと大変期待されている。そして、この美貌。国内外から嫁入り希望者続出、というのは、これは決して噂ではなく事実。
「……でも性格は、アレなのよねえ」
敢えて二度言った。
俺様ドS。
この国内での評価を吹っ飛ばす肩書をよく付けたものだ。異世界の乙ゲー、万歳。
彼の性格は、ゲームでも現実でも、本当にこの一言に尽きた。
先ほどの文官への対応がいい例だ。隣の部屋からこっそり聞いていたが、全くもってドSだった。あとのマリグとのやりとりを含めてドSだった。
カレンが部下を使うときに心掛けているのは、どんなに叱っても逃げ場を作り、やる気の基は残す、ということ。そういう意味で彼の臣下への対応はカレンと真逆だった。全く相容れない。
正直、前世の圧力上司を思い出して胃が痛くなった。正論で埋め尽くされた説教はキツイ。甘いと言われようがキツイ。正論で、己の間違いに気づくことだってある。そこを塗りつぶしてしまってはいけないのだ。
つまり何が言いたいかというと……王太子のやり方キライ。
庶民派を自称するカレンには、人の上に立ち慣れている王族のルドルフは遠くて苦手な存在だ。そしてあの顔。あれもいけない。綺麗すぎる。隣に立って比較されたら居たたまれないし、心臓にも悪い。早々にお帰り願いたい。
まあ、ひとことでまとめると、ずばり
「内面、外見、揃ってアウトです」
はい、よくできました私。
「何がアウトだ?」
すぐ隣から良く響く低い声がした。気づけば打ち合わせが終わったルドルフが書類を持ち、不思議そうな顔でカレンの横に立っている。
とっさのことに身体がピョンと跳ねた上、即座に三歩引いた。
「飛んだり跳ねたり忙しいな」
距離をとったカレンに構わず、ルドルフが長い脚で距離を簡単に詰める。ぎゃっ、とカレンは声もなく叫んだ。
ルドルフは平然と、カレンの金色カツラの髪の先ををひょいと摘まんだ。
「私と同じ金髪というのも悪くはないが、どうも見慣れないな」
「変装用よ! 取らないからね! 貴方が引っ張り込んだせいでおかしな噂まで立っちゃったからコレが生命線なのよ!」
「なんだ、お揃いにしたいのか?」
「話ちゃんと聞いてた!?」
くわっ、と食いつくと、ルドルフが口角を上げる。
愉快そうなその表情に、手のひらの上で弄ばれているようで悔しい。
それで満足したのか、ルドルフはさっさと机に戻っていった。書類を広げ始めたので、どうやら仕事を再開するらしい。
またねちねち絡んでくるかと思ったので、肩透かしをくらった気分である。
と、ルドルフの向こう側に、目つき鋭くこちらを睨む黒天使が見えた。王太子に絡まれないと思ったら、彼が絡んできた。今にも唾を吐きそうな顔で、憎々しげに突っかかって来る。
「殿下に対して、よくそんな口がきけるね。失礼だと思わないの?」
これでひとつ分かったのだが、テオドールは、やはりカレンとルドルフの関係性や、これまでの経緯を把握していないようだ。彼の中でカレンはあくまでも「最近ようやく社交場に出てきた姉の友(と認めるのも癪)」らしい。
「あら、側近様はただの侍女に妬いていらっしゃるの?」
テオドール相手なら何ら困ることはない。すっかり自分のペースを取り戻す。ついでに、彼の様子から、彼が自分に対して心を許しているなんてないな、と実感できた。そしてちょっと安心した。
カレンの返答に、テオドールの眉間の皺が深くなった。
「テオドール」
嫌味の反論の口を開きかけたテオドールだったが、ルドルフに名を呼ばれたことで口を閉じ、王太子に姿勢よく向き直った。
「遊んでいる暇はない。さっきの件を手配しろ」
「はい。――それでは失礼いたします」
ぴしりと張った命令に、テオドールが苛立ちを一瞬で消して側近の顔に戻った。切れのいい返事をし、書類箱を持って踵を返す。
一礼して退出する際、カレンを憎々しげに見てはいたので、どうせ時間を置いて嫌味は言われるのだろう。カレンは肩をすくめた。
「優秀な側近だ。いじめすぎて気を散らしてくれるなよ」
ルドルフが書類に目を落としたまま、会議机のカップを片付けるカレンの背に言葉をかける。
「あんな子供じみた側近じゃあ、ルヘクトの未来も危ういわよ」
「お前も同じ年だろう。――まあ、私もあの状態のテオドールは久しぶりに見た。気を許さねばなかなか見れない」
ルドルフもマリグと同じことを言う。
親の仇を見るようなあの目つきを見て、心を許しているとか、目が悪いんじゃないだろうか。
「違うと思うけどね……」
弁解したり否定するのが面倒なのでカレンは呟くに止めた。後ろで護衛役に戻ったマリグが小さく笑う気配もする。
……ここは面倒事ばかりだ。早く期限の三日間が終わらないかな、と切実に思った。
「そうそう」
書類とペンを置く音がして、ルドルフがこちらを向いた気配がした。
「この執務室を引っ越すことにした。私の居住エリアへの移動だ。実施は明後日の執務終了後だ」
「へえ」
「だから明日から二日間は荷詰めを頼んだぞ」
「は?私ひとりで?」
「引越し作業の際は、近衛騎士や近侍を使う。それまでの荷詰はカレン一人だ」
「なんだってそんなことに!?」
きょとんと王太子の青い目が丸くなった。何でカレンが驚いているのか分からないようだ。
「他の者を軽々しく入れたくはない。越すことにしたのも、先週の侵入未遂事件でセキュリティ強化が必要だと感じたからだ。他に移動したとはいえ、この部屋にはまだ重要書類が残っている。何、ずいぶん量は減らしてある。集中して作業をすれば終わるだろう」
「マリグ様の手伝いは」
「マリグも多忙だ。片づけだけに時間を使わせたくない」
「ちょっとまって私は!?」
そりゃあ、そこら辺の侍女や近侍よりは体力がある自信はあるが。しかし、だからといって、一人でこの広い執務室の荷物詰めなんて、常識外れもいいところだ。
「できるだろう?」
当然のように王太子が言ってくる。鬼畜王子発動だ。しかしなぜ今それを自分に向ける!?
「ああ、お前の使用人を入れるのも禁止だ」
先回りして道も塞がれた。これではテオドールの執務室のときのように、ラルフとハンナを連れてくることもできない。
「ちょ、ちょっ……」
「では今から私はしばらく外に出る」
カレンが止める間もなく、言いたいことだけ言って彼はマリグを連れさっさと出て行ってしまった。
二人の出て行った方に向けた手が、完全に空を切る。
扉が閉まる直前の隙間から、マリグの申し訳なさそうな目が残って、消えた。
「えええええ」
何だコレ……!
カレンの声と心の声が広い執務室の中で響いて、重厚な家具と絨毯に吸い込まれていった。




