034.八つ当たりは一周して
「契約を守らないヤツって踏みつけられても文句言えないわよねえ?」
「まず理由を説明しろ!?」
足の下で男が吠えた。
夜半の貴族街。
街灯すら届かない裏道で、屈強な男が小柄な少女の下敷き……いや、よく見れば明らかに意図的に踏みつけられ踏みつぶされ、地面と仲良くしていた。
男の顔には額から頬にかけて大きな傷があり、目つきも悪い。つまりは実にまっとうな悪人顔である。そんな男の背に、細身の少女が思い切り両足で乗っていた。
「ねーボス。夜間にウチの周囲を警護するのが貴方たちの仕事だったわよね? そういう契約だったわよね? 十分な報酬も払っているわよね? なのにちゃっかりサボってんじゃないわよ?」
「サボってねえよ! こうやって見回りしてるし、今日も不審者捕まえて引き渡したろ!」
「たった二人きりじゃない。屋敷内にはそれ以上にどんどこ刺客が入り込んできてるのよ? この目は節穴なの?」
「ぐあ! やめろ目を突くな!」
人差し指と中指で、ぐりぐりと男の目をいたぶるカレンに、ボスは悲鳴を上げた。
まったく、今ではまあまあ名のあるヤクザ団の首領をやっているのに、この少女は全く手加減しない。先日この少女の屋敷を襲撃し、惨敗してから、男とその一団はこの少女に夜間警護に雇われている。律儀なボスは、今夜もメンバーと共に周囲を警戒していた。
基本的に二人一組で警戒に当たっているが、たまたま一人で裏道を回っていたところ、そこを狙いすましたかのように雇主である少女が――突然上から落ちてきた。
屋敷の柵と木しかないこの場所で、まさか夜着姿の貴族令嬢が降ってくるなど、ボスは夢にも思わなかった。
「お前、どっから落ちてきたんだよ!?」
「違うわね。下りてきたのよ、あの木の上から」
少女は、暗闇の中にかろうじて見える、まあまあ高い樹木を指す。
まじかよ。と男は心中で唸った。
物音もしなければ気配もしない。
しかも微かにしか光のないこの場所でこの少女は、暗色服の自分めがけて真っ直ぐ着地してきたのである。暗闇で我が一団の腕自慢をあっさりと叩き伏せた彼女の実力を疑っていたわけではない。けれど、この何でもアリの感じちょっとズルくね?と文句を言いたくなるのは仕方がないだろう。
本当に自分たちはとんでもない相手に襲撃をしかけてしまった。とんだ貧乏くじだった。
こんな女を襲撃しろと言ってきた貴族、アイツいつかぶちのめす。涙目でボスはそう心に誓った。
「ちょっと聞いてるの? 警備の手を緩めるなって言っているのよ?」
「痛てて頭を踏むなって! とんでもねえ貴族様だな! 人を足で踏むとかサイテーだぞ!?」
「大丈夫よ裸足だから」
「履物の問題じゃねえよ!」
「うるさい男ね。近所迷惑でしょ? ついでに私にも大迷惑だわ。警備契約でお金を巻き上げておいて結局刺客に入られてるなんて」
「だから手を抜いてなんかないって」
「も―――!毎日毎日毎日毎日刺客刺客刺客刺客! 寝不足になるわ! 契約不履行、成敗!」
「いてててて!」
ごりごり。
カレンに踏まれ、頭も背中もいい音を立てた。地面に当たる顔が地味に痛い。
しかしカレンの軽い体重で男にそれほどのダメージを与えられるわけがなく。
あれ、背中、ちょっと気持ちよくね?とマッサージの「イタ気持ちいい」状態に男が気づくのにそれほど時間がかからなかった。
「ん? 何だか静かになったけど大丈夫?」
「あ? いや、痛え痛え」
「……苦痛を与えている気がしないわ……。何、もしかして貴方そういう趣味が」
「ねえよ!」
最初とは違う意味で吠えたとき、男の横にひとつの足音としゃらりという乾いた音が落ちた。
「お嬢様、せめて上に何か羽織ってお出かけになってください」
この屋敷の執事だった。
首をねじって見れば、彼は夜中にも関わらず、ぴしりとした執事服を着て片眼鏡のチェーンを揺らしている。
執事は主人の肩にそっとショールを羽織らせつつ、苦言を呈した。
「あと、その男を踏むならスリッパをお履きください。汚れます」
「あ、そうね」
「主従揃って失礼だな!」
カレンがスリッパを履き、背中から退いたことでボスはようやく立ち上がることができた。
立ち上がって見てみれば、少女も執事も腰に剣を下げている。刺客が入ったと言っていたし、二人ともぴんぴんしているのを見ると、おそらくそれらを仕留めてきたあとだろう。
「刺客、そんなに来てんのか?」
一応仕事だからと真面目に少女に聞けば、相手は不機嫌そうな声を出した。
「そうよ。毎日ね。しかも一晩あたりの人数や回数が多すぎてこっちがキツキツよ。処理が追いつかない。お蔭で私も出なきゃで……あー眠い」
欠伸をする少女に、執事がやや苦い調子で口を挟む。
「無理にお嬢様が出ずとも結構と申していますのに」
「それじゃあ余裕がないでしょ? ウチの人員を考えたら私が入った方が結果的に効率がいいんだって。それはラルフも納得したでしょう」
「はい。ですが、お嬢様の寝不足で昼の仕事の効率が落ちるならば、そちらの方が深刻だと思いますが」
「安全が最優先よ。仕事の最低ラインはキープできてる」
カレンの『影』にも屋敷の護衛兵にも、人数に限りがある。
特に『影』については少数精鋭。しかも諜報活動や侵入調査などで常時傍にいるのはごく少数。カレンやその兄以外、使用人まで守るところまで手は回らない。家人まで危険が及ぶと判断した場合は、今回のようにカレンも出るようにしていた。
正直、ヨハネスが顔を出してから、刺客のレベルが軒並み上がっている。おそらく、以前のゴロツキレベルの刺客はボスたちが捕えていて、彼らで対応できない刺客が侵入してきているのだ。
ヤクザ団の夜間警備については、人数や見回り箇所もカレンたちとの調整の末に出したもの。多少精度を上げることは出来るが、腕のいい刺客を片っ端から捕えるようなレベルにはきっとならない。ヤクザたちによる夜間警備は、最低限のザルの目だった。
カレンもそれは充分に分かっている。
ということで、ボスを踏んだのは完全な八つ当たりだ。
眠い。とにかく眠いのだ。眠りの浅いカレンにとって、一定の睡眠時間は必須。ぎりぎりまでベットで寝ているとはいえ、寝不足は寝不足。現在、最高にぶっちぎりでストレスでが溜まっていた。
「それもこれも、テオドールのせいよ」
テオドールの執務室で、彼がドイブラー子爵に「王太子妃の最有力候補はカレン・クォルツハイム」と言ったその日から急に刺客が増えた。分かり易い。敵意が分かり易すぎて笑えてくる。実際カレンの口からは不気味に笑いが漏れてくる。
彼の執務室の片づけは数日前に完了しているが、連日連夜、刺客の攻撃は続いていた。
カレンは、明日から王太子の執務室の片づけのため、再度王宮に出ねばならない。なのにこの寝不足。
元凶のヨハネスとドイブラー子爵、早々に潰す。
カレンは隈に縁取られた目で決意をした。
「全く、俺も暇じゃねえのによー」
カレンたちと軽い情報交換ののち、ボスが呟いた。
クォルツハイム家の護衛隊長(実はカレンの『影』の一人)による訓練を受け、自分の一団の仕事だってやっている。それに加えて夜間は警備だ。彼もなかなかに多忙であった。
それに、とボスは胸ポケットを漁った。
彼の無骨で大きな手にあったのは、どう見ても子供用の小さな木の玩具。
これも届けに行かなければならない。先ほど少女に身体を踏まれたときに壊れたかと思ったが無事なようだ。よかった、と安堵しているそんな男の様子にカレンが気付いた。
「何それ玩具? 似合わないわね」
「うっせ。俺のシマにある孤児院へ持ってくやつだよ。うっかり入れたままだったんだ」
孤児院、と強面のボスが似合わない言葉を口にしたが、カレンはちょっとの間のあとに「ああ」と頷く。
「なるほど、最近貴方が入り浸っているところへの差し入れね。惚れた女が居るんですって?」
「ななな何でそれを知って!?」
ボスが明らかに狼狽えて、ずざざーっと後ずさった。
つい最近顔を出し始めた場所の情報をなぜこの少女が。しかも自分が好ましいと思う女性がいることまでなぜ知っている!?……いや、確かに何人かの部下には話したが!!
「だから貴方声が響くのよ近所迷惑だって言ってるでしょ」と少女が叱るが、ボスはそれどころじゃないようだ。
仕方ないから答えてやろうと、カレンはこてんと首を傾げる。うーん。簡単に言えば……
「素行調査の一貫かしら」
「何だそりゃ! 俺にだってプライバシーはあるんだぞ!」
「あら、こちとら本気で危険から身を守ってるのよ。最近契約したばかりの相手の周囲を洗うのは基本でしょ」
「ちくしょー契約しておいて信用してねえのかよ、外道!」
「あー、違う違う」
「は?」
間抜けに口を開けたボスに対し、カレンはひらひらと手を振り否定を示した。
「以前、ドイブラー子爵が王都で貴方のような生業を営む人間をまとめて雇ったじゃない?それが失敗したことで王都はある意味『人手不足』なのよ」
あの集団誘拐事件で、王都のならず者集団が多数消滅したというのだ。このボスの組織が急に大きくなれたのも、潰れた集団にぶら下がって生きていた中で難を逃れた者をタイミングよく取り込めたからであった。
「ということで、王都のヤクザの中で繰り上がり上位となった貴方たちの一団にドイブラーから再接触があってもおかしくないと思ったのよ。それで周囲を監視していたわけ。孤児院情報はそのオマケよ」
状況を理解すれば、カレンの言うことは尤もだった。ボスは渋々了承せざるを得なかった。まあいいだろう、黙って監視されているよりはよっぽどいい。
「……なら、仕方ねえ……。だがプライバシーには配慮しろよ」
「バカねー面白そうな情報があったとして私が放置するわけないでしょ。全力でからかうネタに使ってあげるわ!」
「やっぱ外道だお前!」
ボス、この夜三度目の咆哮であった。
「おほほほ! 知られたくないプライバシーは全力で隠しなさいな!」
近所迷惑と注意したのは誰だったか。少女はヤクザの首領の抗議を高笑いで一蹴し、ぎゃいぎゃいと騒ぐボスに背を向け、執事と共に颯爽と立ち去っていった。
ボスの罵詈雑言が夜の闇に溶ける距離になった頃、カレンの顔から笑みが消え、考え込む表情になった。
「……ラルフ」
「はい。調べを入れますか?」
カレンが話し出すまで黙って待っていたラルフが主人の指示を先に口にした。無意識に指を顎に当てていたカレンが、自分より背の高い執事を呆れた顔で見上げる。
「まったく、貴方ってば相変わらず察しがいいというか」
「伊達に長年お仕えしていませんから。それより、孤児院ですね。何か気になることがございましたか」
先ほど会話で、カレンが気にするといえばボスが通っている孤児院くらいしかないだろう。そうアテをつけたが、さすがにラルフにもこの主人が何をもって孤児院を調査対象にしようとしているかまでは分からない。
「……ゲームにね、内城にある孤児院が出てくるのよ。確か近衛騎士ルートで。ヒロインが顔を出した孤児院の支援者が近衛騎士家の血縁なの。そこで彼女は、血縁である支援者と共に訪れた近衛騎士と出会う……」
孤児院は近衛騎士ルートの好感度を一気に上げる重要な外出先であった。それゆえ、カレンの記憶にもよく残っている。
その孤児院は、男性の院長だけしか大人が居ない。だからそれがヒロインが手伝いに顔を出す理由になる。つまり、孤児院の関係者に妙齢の女性などいないのだった。
ただ、ボスが通う孤児院がゲームの孤児院とは別だという可能性だってある。正直、調査報告を聞いた段階ではカレンも気にかけてはいなかった。が、このタイミングでボスの口から再び孤児院の話を聞き、無関係と言い切る自信がなくなった。
言うなれば……縁、だろうか。何かが、カレンと孤児院をつなげたような気がした。
ラルフが開けたドアをくぐり、屋敷に入りながらカレンは指示を出した。
「忙しいところ悪いけれど、ラルフ、孤児院の調査をしてくれる? 調査内容は支援者、人員、そして施設の状況を中心に。それもできるだけ急いで」
「はい」
「あと、同時に、ドイブラー子爵と近しい関係者の所有する施設も一緒に洗って。以前ピックアップしたものも含めて洗い出しよ」
「畏まりました」
恭しく応えながら、これはまたたんまりと仕事が増えたものだとラルフは思う。カレンが予想外にいろんなことに巻き込まれているせいで、想定を越えた仕事量になっているのだ。
この主人も相当の仕事を抱えているため文句は言えまい。が、しかし。
「この一件が落ち着いたら、私の報酬に対して契約の見直しをしていただけるとありがたいですね」
前を歩いていた主人が、半分だけ執事を振り返った。
「……最近支出が増えたのよ……」
「存じ上げております。夜間警備に彼らを雇ったせいですね。必要な場所に必要な経費をかけるお嬢様の判断に異論はございません」
「自分にも経費使えと言外に示しているのはわかっているわ」
「察しがよいのはありがたいことです」
「…………一カ月くらい休みをあげるわよ」
「おや、一カ月間、私の補佐なしでお嬢様がやっていけると?」
「うぐぐぐ………………うー、報酬についての回答はゲーム期間が終わるまで保留!」
「畏まりました。ではそれまでに追加の報酬について考えておきます」
顔を正面に戻したカレンが、小さく唸っているのが聞こえる。執事に軽くいなされたのが気に食わないらしい。
ラルフは誰にも分からない程度に小さく口角を上げる。本音を言えば、報酬アップなど特段望んではいない。単に、遠慮なく仕事を振る主人に意趣返しをしただけである。主従でやり口がそっくりだ、とこの場にボスが居たら叫んでいるだろう。しかしラルフに自覚はない。
主人の自室前で、ラルフはカレンの前に進み、流れるような動作で部屋の扉を開いて頭を下げた。
「刺客も一旦落ち着いたようなので、この後は我々にお任せください。それではお嬢様、おやすみなさいませ」
渋面のまま部屋に入っていく小さな主人を見送り、扉を閉めたラルフは今度こそ、満足げに笑ったのであった。




