003.別に接点は欲しくなかった
「カレン、やっと見つけたわ」
エルヴィンと二曲続けてダンスをし、壁際でいったん休憩を取っているとひとりの女性が声を掛けてきた。
流れるような金髪にルビーの瞳。垂れ目ときれいに弧を描く眉の組み合わせは大人の色気を感じさせる。
ゲーム「悪魔の遊宴」の悪役令嬢、レイラ。
細い腰に豊かな胸は、さすが悪役令嬢といったボディである。
『卑しい出の女が、王太子殿下に近づかないでくださる?』
垂れ目で見下し、ヒロインの手を赤いハイヒールで踏みつけるアノ図はなかなか強烈だったなあ。
しかし、それももはやゲームの中だけの話。
「レイラ!よかったわ。人が多すぎて会えないかと思ってた」
カレンは嬉しそうにレイラに小走りで駆け寄る。
エルヴィンは無下にできない知り合いに会ったようで、つい先程、渋々と離れていっていた。妹と離れたくないのに、という顔を隠しもせずに。
うーん、お兄様は正直すぎよね。あんなんで本当に仕事うまくいってるのかしら。
「こら、淑女が走ってはだめよ」
駆け寄るカレンに、レイラはおっとりとたしなめた。ゲーム内では嫌らしさを感じた目は、今は優しく細められている。
軽く挨拶を交わした後、彼女はカレンの手を取り、万感の思いを込めるようにして両手で握った。
「……ようやくゲームが始まる時期ね。ここまで予定どおり進められたわ。これで、私たちの苦労は報われるのね」
「レイラ……。ええ、本当に」
そう、レイラも転生者だった。
『レイラ・カルフォーネです。よかったらおともだちになってくださいね』
六歳のとき、あの顔合わせの場で当時七歳のレイラが自己紹介をしてきたとき、カレンは卒倒しそうになった。
短時間で二度の驚愕だ。倒れないよう踏ん張った自分を褒めてやりたい。
悪役令嬢レイラ・カルフォーネは、高圧的で残虐非道な美女。王太子ルートと騎士ルート、そして実弟である公爵家令息ルートで出現するキャラ。
ヒロインを狙い、共にいる親友を殺す役である。
顔合わせの場では、ゲーム知識を整理しつつ、幼くても四人とも美形だなーなんて考えてたのが悪かった。
隣にいた同い年くらいの可愛らしい少女が声を掛けてきて、うっかり返事をしてしまったのだ。何だか見たことあるなとは思ったが、名前を聞くまで気付かなかった。
レイラが名乗り、ふんわり笑って手を差し伸べてきて、あれ、ゲームと印象が違うなあと思って。それで混乱しているうちに無意識に握手してしまっていた。
帰ってから床でのたうち回って、後悔と恐ろしさで散々泣いた。
いっそのことお友達の申し込みも却下したかったが、相手は公爵家。
この世界での上下関係は厳しい。親の立場を考えると無下にもできず、「病弱」を理由に手紙だけのやりとりに留めることにした。
「会いたい」とレイラの手紙にはよく書いてあったが、彼女の正体も知らず、凪いで躱して年に一回のお茶会程度で済ませてしまっていた。
彼女から転生者だと告白されたのは、カレンが十六歳、準成人になった誕生会でのこと。
『私、ここがゲームの世界だと知っているの。そして自分が悪役令嬢だということも――ゲームでは殺されてしまうことも』
ささやかな誕生パーティから抜け出し、二人きりになったバルコニーでレイラは垂れ目を苦しそうに細めて言った。
彼女はヒロインのライバルだけあってどのルートでも過酷な運命を持っていた。死刑や国外追放、もしくはヒロインと結ばれたキャラに殺される結末を辿る。
特に王太子ルートでは悲惨だ。身分だけで射止めた王太子妃候補の立場に固執し、ヒロインをいたぶり毒を盛り暗殺者をけしかける。しかし真の愛に目覚めた王太子により断罪され、ヒロインが王太子妃になるハッピーエンドでは処刑、バッドエンドでは貴族令嬢の殺人未遂で生涯幽閉、そののち密かに毒殺される。
彼女は公爵令嬢。カレンが十六歳だった当時は、王太子妃候補の筆頭に挙げられていた。
『でも私、もともと悪役になれるような性格でないの。それより静かに幸せに生きたい。嫉妬で他人を貶めて死ぬなんて嫌なの』
おっとりと私に言う彼女は確かにゲームのレイラとは違った。実際のレイラはどちらかと言えば控えめで欲もない。
元々性格が違うことに疑問は持っていたが、まさか彼女が転生者でしかも悪役になる気がないなんて思いもしなかった。
どうせ何かのきっかけでヒロインと対立するなりで、ゲームどおりに事が進むのではないかと思っていた。正直、ゲーム補正が万能だと思って憚らなかったのだ。
『それでレイラはどうするの…?』
『従兄がずっと求婚してくれていたの。とても優しくて素敵な人。実は今婚約中で……来年成人したら結婚するわ。両親も私の性格で将来の王妃など無理だと理解してくれたし』
この国は十八歳が成人。このとき十七歳の彼女はゲームが始まる前に結婚をし、さっさと舞台から退場するつもりらしかった。
従兄は子爵だったはずだ。身分は彼女の生家に劣るが、彼女は人を見る目があったし、本人が決めた人なら大丈夫だと思った。
『そうだったの。おめでとうレイラ。あなたの幸せを心から祝福するわ』
『ありがとうカレン。あのね、私、あの顔合わせの場で貴女も転生者だとすぐに分かったのよ』
『えっ、どうして分かったの』
『だって、キャラが、とかルートが、とか呟いてるんですもの。ばればれよ』
『そうだったの……』
『同じ境遇同士親しくなりたくて声をかけたのよ。でも付き合ううち、ゲームの運命から逃れようとしているのが分かって貴女の強さを感じて。それでもっと仲良くなりたい思ったの。なかなか会って貰えなかったけど』
『そ、そうだったの……ごめんなさい』
くすりと優しく笑って彼女は許してくれた。
『ねえカレン、私たち、これからも友達でいれるかしら』
『ええ、変わりなく……いいえ、これからもっと仲良くなれるわ、きっと』
『……ありがとう。大好きよ。カレン』
こうして二人は本当の親友になった。
――そして二年が経ち。
この夜会の日を迎えたのである。
悪役令嬢は結婚で退場。
ヒロインが住む地域を徹底的に避けた結果、街でヒロインと接触することもなく。
そして攻略キャラとも接点を持たなかった。
私は、完全にゲームから離れた!
カレンは珍しく浮き足立っていた。
それは「いい加減結婚相手を探しなさいな」という両親の手紙で、今まで避けてきた夜会に出席してみようかと思う程だった。レイラも同様である。
十二年間、戦々恐々としていたのだから少しくらい許してほしい。
でもね、と目の前のレイラは釘をさした。
「ヒロインが少し前に伯爵家に引き取られたようよ。貴族社会で、ましてや女同士で全く接点を持たないというのも難しいけれど、なるべく関わらないようにしましょうね」
「確かにそうね。気を引き締めるわ。特にこの一年は」
ゲームの期間はヒロインが十八歳の年の一年間である。念には念をで警戒するに越したことはない。
「無事乗り切って、お互いちゃんと幸せになりましょうね、レイラ」
「ええ、もちろんよ」
気を付けようと言いながらも、二人は顔を寄せ合い微笑みあった。
何だかんだで二人とも気持ちが浮ついていたのであろう。
「やあレイラ・モートレイ子爵夫人、お久しぶりですね。ご主人は息災でいらっしゃいますか」
そこに知人から解放されたエルヴィンが戻ってきた。
そして何気にカレンの腰に手を回す。
きっとストレスが溜まっているんだろう。
レイラがラベンダーのシンプルなドレスを摘まみ、淑女の礼を取った。
彼女は昨年無事結婚し、公爵令嬢からモートレイ子爵夫人になっていた。
「ごきげんようエルヴィン様。ええ、夫婦でつつがなく過ごしておりますわ。また当家にもお寄りくださいませ」
「ありがとう。モートレイ子爵は私と年も近いし共に宮廷勤めだから話が尽きないよ。またよろしくとお伝えいただけると嬉しい」
「まあ主人が喜びます。必ず伝えますわ」
親友のご主人と自分の兄の仲がいいのは嬉しい。
これからは家族ぐるみで付き合えたらいいなと、カレンは微笑ましく二人の様子を眺めた。
カレンが実家の経営する商会と付き合いのあるボルツ伯とダンスをし、レイラが久しぶりに会った実父のカルフォーネ公爵と踊り、ひと段落着いた頃。
兄エルヴィンを含む三人のところへ一組の男女がやってきた。
「エルヴィン殿、よろしいでしょうかな」
「これはサーミュラー伯爵。久方ぶりですね。このシーズンは領地にいらっしゃる予定と伺っていましたが」
大仰な態度でエルヴィンに声を掛けてきたのは、恰幅のいい中年の男性であった。
「いやあ実は理由ができまして慌てて王都に出てきたのです。丁度いい、ご挨拶なさい、シェリル」
「はい」
一歩前に進み出たのは、可憐な少女だった。
「シェリル・サーミュラーと申します。以後お見知りおきくださいませ」
優雅に淑女の礼を取り、エルヴィンを見つめる。
シェリル・サーミュラー伯爵令嬢。
――ヒロインだ。
カレンとレイラは息を飲んだ。
まさかここで会ってしまうなんて。
ふんわりと少女は微笑んだ。
ピンクベージュの髪に、コバルトブルーの透き通った瞳はくりくりとしててとても可愛い。
淡い水色のプリンセスラインのドレスも似合い、可憐な雰囲気はゲームのヒロインに相応しかった。
「私の娘です。お恥ずかしながら平民の女性に産ませた子でして……。私なりに愛してはおったのですが、母親は妊娠と同時に逃げてしまって。ずっと行方を捜し、昨年ようやく引き取ることができました」
「そうだったのですか」
エルヴィンに説明するサーミュラー伯爵と、微笑んだまま頷くヒロイン。
嘘だ。
カレンとレイラは顔を見合わせた。
ゲーム設定集によれば、ヒロインの母親は伯爵家の元使用人。伯爵に無理矢理関係を持たされ、望まぬ妊娠をした。それが伯爵夫人の知るところとなり、母親はひどい嫌がらせを受けて追い出され、街でひっそりとヒロインを産むのだ。
ヒロインは母親の死後、この夜会の約半年前に伯爵家に引き取られる。しかし、幼少の頃から伯爵家からの仕打ちを母親から聞いていたことで、伯爵とは関係がよくない状態でゲームがスタートするはずだった。
なのに、二人の様子からは不仲は感じない。ここで伯爵の言葉を素直に肯定する理由も分からなかった。
カレンに疑問は浮かんだが、ここでレイラと相談もできない。
そうこうしているうち、伯爵とエルヴィンの会話は進んでいた。
「引き取って間もない娘ゆえ、友人すらおりません。よければ同い年のカレン嬢とお近づきになれたらと思っておるのですが」
「妹は人見知りの上あまり交友が広くないのですが……カレン、おいで」
妹が社交を避けていることを知る兄は控えめに答えたが、直接的に頼まれて断ることもできず、カレンを呼んだ。
少し迷ったが呼ばれては仕方がないと、人見知りらしくおずおずとした様子で進み出た。
「ご挨拶なさい」
「……カレン・クォルツハイムと申します。初めましてシェリル様」
「初めまして。カレン様、よろしくお願いいたします」
貴族として生活してから間がないはずなのに、ヒロインが礼をする姿は堂々としている。
不思議に思っていると、エルヴィンはまた知り合いらしき人物から声を掛けられた。どうやら伯爵も知る人物のようで、エルヴィンはやや顔をしかめてからカレンに声を掛けた。
「カレン、悪いがちょっと話をしてくる。そんなに長くならないから」
「大丈夫よ。ゆっくり話していらして」
うん、お兄様、行くの嫌だって顔はしちゃだめよ。
とりあえず人前なので気付かない振りをし、令嬢らしい口調で答え兄と伯爵を見送った。
そして残されたのはシェリルとレイラとカレンである。
初めに口を開いたのはシェリルだった。
レイラをちらりと伺って問いかけてきた。
「ええと、カレン様、そちらの方は……」
「あ、えっと」
「レイラ・モートレイと申します。初めましてシェリル様」
さすが元公爵令嬢。この状況でも動揺せず、カレンをフォローするように堂々と挨拶をした。
が、以後お見知りおきくださいとは間違っても言わない。
警戒のため笑顔も低レベルで挨拶をしたレイラに、ヒロインは戸惑った表情をした。
「レイラ……様って、もしかしてレイラ・カルフォーネ様?公爵家の?」
「ええ、昨年モートレイ子爵家に嫁ぎました」
今度こそ驚愕に満ちた顔でシェリルはレイラに一歩近づいた。
「結婚、されたのですか?なぜ?」
その反応に、カレンとレイラにはぴんとくるものがあった。
初対面としては失礼な態度だったが、情報を引き出すため、レイラは気づかない振りをして会話を続ける。
「なぜとおっしゃられても……。夫は従兄で幼少の頃よりの付き合いでしたから気心も知れておりましたし」
「レ、レイラ様ならもっとよいご縁があったのでは?」
「政略結婚も貴族と生まれた運命かもしれませんが、愛してくれる男性と一緒に居るのが幸せでしょう?」
「で、でもレイラ様なら子爵家なんかよりもっと……王太子様とか」
「王太子殿下は素晴らしい方です。私などよりさらに素敵なご令嬢がいらっしゃいますわ。それより勘違いされていらっしゃるようですが、私、今とても幸せですのよ」
にこやかな顔のレイラに、シェリルは言葉を詰まらせた。
あれ?レイラちょっと怒ってる?
シェリルは逃げるようにカレンに向き直った。
「カレン様は……街へ出たりはしませんの?」
これはほぼ確定ではないだろうか。
レイラと一瞬目が合い、軽く頷かれた。カレンは扇子を広げて口元を覆い表情を隠す。
「街へですか……?唐突なご質問でいらっしゃいますわね……。ありますわ。主に内城だけですけれど」
「外城へは?」
「馬車で通るだけで、街を歩いたりしたことはありませんわ」
シェリルは愕然としていた。
この王都は二重の城壁で囲まれている。
城を中心に内側が「内城」。ここは主に貴族の館や貴族相手に商売をする商店が中心。そしてその「内城」と外側の城壁の間を「外城」と呼んでいる。ここは平民中心のエリアでヒロインが生まれ育った場所だった。
カレンはこの外城には一度も自分で足を踏み入れていない。ヒロインに会うまいと徹底的に避けていたのだ。
今のカレンにとって迷惑でしかない話だが、ヒロインにとって親友は必要な役どころだ。
ゲーム内で親友の役割は情報提供係。貴族社会での情報を掴むという必要性から、ヒロインより身分が高い設定だった。
親友は「今度王太子様が街にお忍びに出られるわよ!」のように、相手の好感度に合わせたチャンスのタイミングも知らせてくれる。
現実でも彼女が引き取られたサーミュラー伯爵家は新興貴族な上、政治上も重要な役職に就いている訳ではないので王家や上級貴族の細かい情報など拾えないだろう。
おそらくシェリルにとって情報不足は後々影響してくるはずだ。
そういう理由から、シェリルが転生者であれば、予定より遅くはなってもカレンと繋がりを持ちたいと思ってもおかしくなかった。
「貴方がた、何かご存じなの?」
「何か、とは何かしら」
レイラがすっかり笑顔を消して答えた。
やっぱりレイラ怒ってる。もしかしてさっき「子爵家なんかより」って言われたから?
レイラは旦那様ラブだ。家柄を馬鹿にする発言は許せないはずである。
その態度に、シェリルがすうっと表情を変えた。先ほどの可憐さがどこへ行ったかという程ふてぶてしい雰囲気を纏う。そして、少し苛立った様に眉を寄せた。
「……二人とも記憶を持ってるのね」
「何をおっしゃっているの?」
「ねえカレン、私と友達にならない?」
「え?ええと、私、初めてお会いした方と急に仲良くなんて……」
「カレンは私の大切な友人ですの。初対面で呼び捨てにする方とのお付き合いは歓迎できませんわ」
レイラがシェリルとカレンの間に立ち、助け舟を出した。
シェリルは更に苛立った様子で、割り込んだレイラを見やる。
「全てゲームの通りでないとは思ったけど、まさかね。でも困るの。特にレイラには悪役してもらわないと、今夜のイベントが起きないのよ」
思い当たる言葉に記憶を掘り返した。
そうか。この夜会は王太子ルートの初回イベントだった。彼女ははこれを狙っていたんだ。
しかしこのイベントは悪役令嬢がいなければ発生しない。
「どうしてくれるのよ!」
「何度も申し上げますが、何のことかしらシェリル・サーミュラー伯爵令嬢。初めてお会いしたのにこのような罵倒をされる謂れ、私達にはございませんわ。行きましょう、カレン」
ごきげんよう、とレイラは優雅にその場から立ち去った。
私も扇で顔を半分隠したまま、軽く礼をとりその場を辞する。
伯爵家の彼女は、侯爵家であるカレンより身分が低い。現在子爵夫人とはいえ、貴族トップの元公爵家のレイラも特段丁寧に対応する必要もなかった。
シェリルから少し離れたところでようやく肩の力を抜いたレイラは、眉を下げ、申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい。つい頭にきちゃって対応間違えたわ。気を付けないといけないと思ってたのに、気づかれちゃうなんて」
「大丈夫よ。一応知らぬ存ぜずで通したから、彼女の勘違いってことでいけるわよ」
「未熟ね、私……」
ちょっとしゅんとするレイラが可愛い。
その後は、飲み物を持ってきて一生懸命レイラの機嫌を取った。
だが、シェリルは諦めていなかったようだ。
そのあとも何かとまとわりつき、笑顔で何気なく言い掛かりに近い言葉をかけてくる。
それが続くとレイラの機嫌も再び急降下し、ついには険悪なムードになってきてしまったため、周りへ配慮したレイラに促され、シェリルを伴って庭園に出ることにした。
気付くと、シェリルの誘導で庭園の一角にある東屋に連れ込まれていた。
ここ、見たことある。
そう、そこは、シェリルが狙うイベントが起こる現場だったのである。