031.訪問者たち
両手に書類を抱えたまま、あふー、と大きな欠伸をすると、部屋の主からすぐさま注意が飛んできた。
「欠伸をするときは口を隠せって教えられなかったの?マナーがなってないね」
「……小姑か」
「何か言った?」
「いーえ。その通りですわねテオドール様」
カレンは作り物の笑みを向けた。
清麗な横顔をこちらに向け執務机に座っているのは、王太子側近のテオドール・カルフォーネである。
今日は彼の執務室の片づけ、約束の期限、三日間の最終日であった。
執務机の斜め後ろにぺたりと座り込むカレンの傍では、執事のラルフと侍女のハンナが黙々と作業を行っていた。
二日目で予定外に増えてしまった荷物を片付けるための、急きょの助っ人である。
しかし、本日、カレンの作業スピードは前日より遅かった。
それもこれも、昨日のひと騒動と、そのあとの処理で寝るのが明け方になったせいである。
カレンは、実は一日八時間以上寝ないと調子が出ない性質である。
寝不足のせいか、口喧嘩相手のテオドールに対しても、今日は多少キレが悪い。
「顔が下品だと、中身も下品になるんだね」
テオドールが鼻で笑う。
彼の嫌味は毎日限りなく、カレンもそろそろ限界にきていた。
ということで、カレンは口でなく手を出した。
ゴミとなる書類を丸め、執務机に向かって手投げた。的の方向を見ることなく、である。
それはきれいに弧を描いて、ゆるふわの金髪にぽこりと見事に命中した。
テオドールが、きっ、とカレンを睨む。
「公爵子息の僕にこんなことしてタダで済むと思ってるの?」
「あら、何のお話?汚部屋の主は性格も汚いってことでしたかしら」
上手くない冗談だが、とぼけた顔で首を傾げるカレンに、テオドールの白皙のこめかみに青筋が浮かんだ。
即座に、今までペンを走らせていた紙をくしゃりと握り、手首を翻して真横に放る。
それは真っ直ぐに空を走り、カレンの額の中央にヒットした。
動かないカレンの眉間あたりから、ぽろりと紙くずが落ちてゆく。
「……大人気ないわね」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ」
暫しの間。
そしてカレンが、ふっ、と不敵に笑った直後、両者の間を丸めた書類が飛び交い始めた。
ぽこぽこぽこぽこ。
執務室に、何とも間の抜けた音が響く。
政治を司る王宮の一室で、公爵子息と侯爵令嬢の低レベルな紙くず合戦が繰り広げられた。
もちろん、ラルフとハンナは二人を止めることなく片付けを続行した。
二人の手元に投げる紙が無くなった頃、ようやく紙くず合戦は終了した。
収まらぬ怒りで頰を赤く染めたテオドールは、執務机に座ったまま、カレンをびしっと指差して言う。
「あまり反抗的な態度だと、その恰好で使いに出すよ」
「……」
カレンは口を結んで黙った。
それは、自分の恰好が、王宮のメイド服だったからである。
メイド服は、この執務室の片付けの期間に着用を指定された服装であった。
一応、結婚適齢期である令嬢が、王太子側近の執務室へ連日出入りしていることが大っぴらにならないように、との配慮であるという。
メイド服は、胸下をタイトに縛り、腰からはふわりと広がるシルエットの膝下丈スカート。そしてフリル多めのエプロン、おまけに頭には、白レースのヘッドドレス付きであった。
変装というだけあって徹底していて、服と共に金髪三つ編みのカツラまで用意されており、前世の感覚であれば間違いなくコスプレである。
もうカレンで遊んでるとしか思えず、用意した人間が誰かを探りたくなる。
「何度も言うけど、アンタ似合っているよ、その恰好」
テオドールは、天使のような清らかな顔を悪そうに歪めて言った。
どう見ても、褒めていないのは明白である。
カレンは眉間のシワを深めた。
残念ながら、小柄で、年の割に幼い顔立ちのカレンにこの格好はとても似合っていた。
テオドールの嘲りは、王宮の下級使用人であるメイドの服を着ていることに対してであった。が、カレンはメイド仕事に偏見はない。
屈辱なのは、この如何ともしがたいコスプレ感である。
精神年齢アラフィフである今、これはちょっとキツイ。
「どうしてもう少し大人しいデザインにしなかったのかしら……」
「お嬢様がフリルは多めに、と指定されたからです」
執事が淡々と事実を述べた。
実は、このメイド服はクォルツハイム商会が王都で人気のデザイナーと組んで作製し、王宮に卸しているものだ。
製作の際はカレン自身も構想段階から参加したのだが、そのとき主張したコンセプトは「機能性と少女性」であった。
少女の清らかさと可愛らしさを表現した意匠で、主人だけでなく、客をも目でもてなす。そのためにフリルを多めに使い、しかし上品さは損なわないデザインにした。
このメイド服を導入してから、王宮メイド職は応募者が急増するほど人気が出た。
が、今カレンはとても後悔している。
「一応、年齢が高くても違和感がないデザインにしたはずなんだけど……元のイメージがあるだけに、恥ずかしさが先に立つわ」
言うまでもなく、元のイメージは、前世のそういう喫茶店の制服である。
「そうですかぁ?私は可愛いと思いますけどぉ」
侍女のハンナが、自分の服を引っ張りながら言った。
こちらもカレンと同じ服である。だが、彼女はいつもメイド服なので違和感がない。
クォルツハイム家のデザインより、フリルが多く可愛らしいという程度である。
ちなみに、ラルフも王宮の使用人の制服を着用していた。
こちらは薄緑の詰襟服に茶のズボンといった出で立ちであるが、彼の姿勢の良さと威圧感は隠せない。
着替えたラルフを見て、ただの使用人に見えない使用人というのは、少し問題があるなとカレンは思った。
「無駄口ばかりだけど、わかってるの?今日が最終日なんだよ?きちんと終わらせてよね」
執務机の天使が、緩い癖のある金髪を揺らして言った。
「はいはい」
カレンは適当に返事をして作業を再開した。
助っ人二人のお蔭で、片付けのメドはついている。あとは、このまま何事も無く今日が終わってくれることを願うばかりだった。
テオドールの執務室は、出入りが比較的自由であった。
王家の関係者や大臣の代理、文官などが書類の提出、王太子への提言、情報収集や根回しなどでたびたび人が訪れる。
これも、王太子への面会が簡単にできず、側近が窓口的役割となっているためであろう。
当然、話題によっては部外者に聞かせられないものも多い。テオドールの指示により、カレンたちが一時的に部屋を出されることも多かった。
そして、ちょうど昼に差し掛かる頃、カレンたちが居る執務室に一組の訪問者があった。
「やあ、ご機嫌いかがですかな、テオドール殿」
「ドイブラー子爵?本日訪問とは伺っていませんが、どうされましたか?」
訪問予定も告げずにやってきたらしい相手にも関わらず、テオドールが、王太子側近らしく落ち着いた態度で対応する。
天使の柔らかな笑みを浮かべつつ、だが声音には完全には歓迎していない色を含ませている。
相手は、カレンへの暗殺者投入数ナンバーワンのドイブラー子爵であった。
ヨハネスいわく、昨夜の襲撃団を指示した貴族である。
「まあまあいいではないですか。固いことはおっしゃらず」
ちょび髭を摘みながら、子爵は粘着質な笑みを浮かべた。分厚く歪んだ唇が、性格の厭らしさを表面化させているようである。
貴族内でも煙たがられている男は、脂肪と欲がめいいっぱい詰まった太い腹を揺らして豪快に語り出す。
「いやあ、久々にテオドール殿のお顔を見ようと王宮にやってきたのですが、やはり自由はよいですな!拘束されていた期間は痩せ細る思いでしたからな」
「子爵には離宮の一室をご提供していたと思いますが、何か不都合ありましたか?」
「いやいや、待遇は十分でしたがね、疑われていると思うと心が苦しくてですなあ」
ドイブラー子爵は、つい一週間前まで人さらい事件を企てた疑いで拘束されていた。
しかし証拠が出てこなかったこと、そして、ドイブラーの本家であるドイブラー伯爵の抗議により釈放されたのである。
この事件は、さらわれた中に貴族令嬢が二人いたことで、まあまあ大事件の扱いとなっていた。しかしこの子爵はそれを理解していないかのような陽気さを振りまいた。
この事件の調査は王太子の指揮の元行われていた。となれば、当然補佐役のテオドールも関わっている。
実際、カレンが片付けている資料の中に、事件関係と思われるものも混ざっていた(中までは見れなかったが)。
ここで、主犯扱いの子爵がのこのこ顔を出すなど、王太子側を舐めているとしか言いようがない。しかしテオドールは、その苛立ちを微塵も感じさせない涼やかな笑顔を浮かべている。
と、ドイブラー子爵と共にやってきた男が子爵に話しかけた。
「疑いが晴れてよかったですよね、兄上。しかし、王都騎士にはもう少し慎重に捜査をしていただきたいものです。無実の兄上を拘束するなど」
「まあまあ、弟よ。終わったことをあれこれ言うんじゃない」
ドイブラー子爵の弟である。
子爵より唇は薄いが、より醜悪な顔をしている。子爵よりも体型は細いが、頭頂部の髪が残念なことになっていた。
ドイブラー兄弟のわざとらしいやりとりを自然に流しながら、テオドールは、カレンに退出を促さなかった。執務机から立つ様子もないのを見れば、彼も子爵たちの訪問を歓迎していないことは明らかだ。
ドイブラー子爵は、テオドールの非難に気づかない様子で部屋中央の応接ソファに座った。勧められてもいないのに、である。
「いやあ、王宮も例年に増して慌ただしい様子ですな!やはり王太子殿下のご正妃選びが忙しいのでしょうか」
カレンは子爵に背を向けて作業を続けながら、うんざりとした顔になった。
このおっさんの頭の中は、どうやら娘を王太子妃にすることでいっぱいのようである。
しかし、どう贔屓目に見ても、彼の四歳の娘が対象になることは考えられなかった。子爵令嬢で四歳。身分的にも年齢的にも、箸にも棒にも掛からない。
「ドイブラー子爵、何度もお伝えしていますが、王太子妃候補は殿下と近いご年齢の方から選ばれます。ですから、四歳は対象外ですよ?」
「ドイブラー家は王家の血筋!ですから当然私の娘は王家の血を引いておりますし、身分的には問題はありませんな!何、年齢の差など些事ですよ。やはり重視すべきは血統です」
テオドールの直接的な指摘と拒否にも、ドイブラー子爵は全くメゲなかった。というか、これはたぶん話が通じていない。
「ところで、今王太子妃の選出状況はどうなっているんですかな?」
「子爵、それは」
「ああ!もちろん教えていただくのにタダでとは申しません。テオドール殿には、有益な情報をご提供させていただきますよ」
「と、仰いますと?」
「まあ少しだけ種明かしをすると、実は最近いいツテができましてな。そちらの情報が入るようになったのですよ。どこの情報かと申しますとな……グラム皇国のものです」
この言葉に、テオドールとカレンの背中が同時に反応した。
先日起こった人さらいの一件、さらわれた女性たちは奴隷とされるため、グラム皇国に密かに運び出される予定であった。
この事件の主犯とされるドイブラー子爵が、グラム皇国についての情報源を持っているなど、疑ってくださいと言ってるようなものである。
カレンは作業をしている振りをしながら、会話に意識を集中する。
またテオドールも、人さらい事件の詳細、そしてドイブラー子爵が疑われながらも証拠無しで釈放されたことを苦々しく思っているはずだ。しかし、にこりと無害そうな笑みを浮かべ、子爵を持ち上げるセリフを言った。
「さすがは子爵。僕たちでさえ得られない貴重な情報をお持ちのようだ」
「おお、そうですとも!王太子妃の選出について何か情報をいただければ、すぐにでもお話いたしますぞ!」
「そうですねえ……」
テオドールは考えるようなそぶりを見せた。
子爵は期待に満ちた目をしたが、テオドールが「うーん」「いや、でも……」と悩んでいる様子を見せると、先にカードを切ってしまった。
「実は、今、グラムの軍が侵攻しているんですぞ」
少し勿体ぶっただけでこれとは、子爵は余程駆け引きが不得手のようだ。
「なんですって?」
テオドールのルビーの瞳が見開かれた。
演技をしている様子はない。テオドールが知らないということは、自国に情報が入っていないということである。
「ご安心ください。我が国にではありません。ミリリタへ、です」
北の隣国、ミリリタへの出兵。
現状、微妙ながらも、ルヘクト王国、グラム皇国、ミリリタの三国は均衡を保っていた。それがなぜ急にグラムが侵攻をはじめたのか。
また、グラム皇国の侵攻がミリリタへだとしても、目的地がルヘクト王国の国境に近ければ警戒度合いが高くなる。
「一体なぜ……そして、ミリリタのどこへ」
「さて、どこへでしょうなあ」
にやにやと子爵が笑った。
これ以上のことを聞きたければ、情報を出せということである。分かり易いだけに、カレンとしては腹が立ったが、テオドールはどうするのだろうか。
「……殿下の正妃選出は、期限が約一年後ですから、まだ確定の情報ではありませんが」
「ほうほう」
「現状有力なのは、カレン・クォルツハイム侯爵令嬢でしょうね」
「ほほう」
「なんですって!?」
思わず声が出てしまった。




