029.侵入者の作戦は
ライトに。
「ええと、なんつったっけなここ。クロロム家?」
「クォルツハイム家ですよ」
そびえ立つ鉄柵を前に集まった、十人に満たない覆面の集団。
一団は、体格から見るにどの覆面も屈強な男たちに違いはなかった。全員、手には長剣や短刀などそれぞれ武器を携えている。
鉄柵の向こう側は、生垣にも使われる常緑樹がところどころに植えられており、中の様子は完全には分からず、遠くに屋敷の明かりが隙間から見えるだけであった。
そして、集団でひときわ背の高い覆面による、冒頭の間違い発言に、隣に立つ中肉中背のフードの人物はやんわりと訂正する。
「細かいこと気にすんなや」
訂正された長身の男が剣を肩に担いで言った。
この場がもう少し明るければ、男の覆面の隙間から見える目元に、斜めにざっくりと傷痕があるのが見えただろう。
この男が、覆面集団のボスであった。
彼らは小さな縄張りを持つ、いわゆるヤクザ者であった。
これまでは自分たちの縄張りで商売する露店の人間から地代という名目で金を集めるなどして細々と暮らしていた。
しかし、最近どうしたことか、周辺の同業者が根こそぎ姿を消してしまった。目の敵にしていた、ライバルたちもである。
噂では、何かヤバい仕事を請け負い、王都騎士団に捕まったと言う。
ボスである男は、これをチャンスとばかりに、縄張りの取り込みと、溢れたゴロツキたちを配下に入れる為に動いた。
この数カ月で、男はかつてないほど精力的に働いた。
そのおかげで、王都に現状残る中ではトップクラスの規模のヤクザ集団になることができたのである。
男は、地方の小さな村出身であり、騎士になる志を持って王都に上がったが、腕が足りなかったため試験に合格できずにならず者に身を落とした過去を持っていた。
騎士になって故郷への錦を飾る夢はとっくに諦めた。
が、ここで組織を大きくして、裏の世界で名を挙げることができるかもしれない。そして、今なら王都騎士団にも勝てるかもしれない。
男の夢は現実に近づいてきている。
そうして、かつて自分を失格とした騎士団を薙ぎ払うのをイメージし、にやにやするのが男の日課となっていた。
男は、有頂天だった。
またどうやら、運は別のチャンスを運んでくるものらしい。こうして転がり込んできたのが、今回の依頼である。
依頼の内容はシンプルだった。
ある貴族の屋敷を襲え、である。
金払いは大変良かった。
組織の運営資金一年分に当たる額をぽんと支払ったのである。
もちろん、ふたつ返事で話を受けた。
依頼人代理の男は、屋敷の中のものについては、人も金目の物も好きにしていいと言う。
これにやる気が上がらないはずはない。
依頼者は、名前は忘れたがどこぞの貴族らしい。
その依頼者の目的は金でなく、屋敷の主を貶めることであるというから、まあ貴族なんてヤクザにも劣る人間だといういい例だろう。
とにもかくにも、依頼代理人の青髪の青年から、屋敷の見取り図を手に入れ、今晩襲撃を行うこととなった。
「えーと、ちょっといいですか?」
「んだよ」
気合を入れていた覆面のボスは、隣のフードの男ののんびりした声に少し苛立った。
豪快を音にしたようなリーダーのダミ声と違い、このフードの男の、少し高めで柔らかい声は、この集団の中では少し異質だった。
「怒らないで下さいよー。ええと、今回の手順の確認ですが」
「ああ分かってるよ。陽動が入った後に俺らが突っ込めばいいんだろ?何度もしつこいんだよ」
「確認すら雑なのが不安ですねえ。背後に控えの人たちがいるの、忘れちゃ駄目ですよ?」
「うっせえ、分かってるって言ってるだろ」
ボスがダミ声で脅した。
なかなかに迫力があったが、フード男は慣れたようにひょいと肩を竦めただけで流す。このようなやりとりは珍しくないようであった。
さて、男たちの会話どおり、北と東の陽動部隊と、南に控える本命部隊がメインの襲撃部隊だが、実は本命のさらに後ろには二十人以上の下っ端が控えていた。
これは襲撃成功の後、屋敷の中の物を速やかに運ぶための人員としていたが、もちろん全員武装しているので、何かあれば合図ひとついつでも投入できるようになっている。
これはフード男からの提案であったのだが、ボスは二重三重の仕掛けがあると、この作戦をたいそう気に入って受け入れた。ボスの頭には、失敗することなど考えられなかった。
と、遠くから小さく呼子の音が聞こえた。
この屋敷の警備兵の合図であろう。
陽動部隊がうまく警備兵と当たったようであった。
「始まったな」
リーダーが手で合図すると、他の覆面達が鉄柵に近づく。
そして、一斉に柵を上り始めた。
鉄柵の先は外側に曲げられ、返しの役割をしていたが、それすら物ともせず、するすると中へ入っていく。
うち一人が鉄柵と平行に走り去ったのは、近くにある門を内側から開錠するためである。後衛のメンバーはその開けられた門から入る予定であった。
ボスも、中盤で敷地の中に入り込んだ。
そして生垣の影に一旦身を隠す。
辺りを見回すが、自分たち以外に人影も、灯りもない。
遠く、屋敷の方向に部屋の灯りとは別に、忙しなく動く光が見えていた。方角的に見ても、あちらは陽動部隊の侵入場所である。
きっと上手くいっているのだろう。
「よし、行くぞ」
小さな声だったが、腹心の部下たちには十分だったようだ。
全員が一斉に屋敷に向かって駆けだした。
闇に慣れた目に、前を走っていた一人の部下が剣を抜いたのが見えた。
今回の襲撃部隊の顔ぶれは、一団の中でも腕利きばかり。中でも、この本命部隊にいるメンバーは特に腕に覚えのある者だけであった。
貴族の屋敷の警備兵など、騎士にもなれなかった人間の集まりである。自分たちが一斉に攻めれば相手にもならないだろう。
楽勝だ。
屋敷に入る前から、ボスは成功を確信し、覆面の下でほくそ笑んだ。
そのとき。
目の前の部下の身体が吹き飛んだ。
屋敷の窓から漏れる灯りを次々と遮って、部下の身体が視界を横へと流れていく様に見えた。
とっさに足を止めたが、ボスには何が起こったか分からなかった。
吹き飛んだ部下の身体は、木の陰に消え、その向こうでドンともゴツンとも言えない音が響き、静かになる。
どうやら木の幹に激突し、気絶してしまったようだった。
「お嬢様……いきなり蹴りとは……」
「いいじゃない。考えてもみれば、庭が血染めになるのってあまり気持ちいいものじゃないわ」
暗闇に似つかわしくない、朗らかな声が聞こえる。
呆れたような声は男であったが、後から聞こえたのは間違いなく女性、それも少女のものであった。
なぜこんなところに、とボスは耳を疑うが、よく見れば、闇夜に溶ける色合いのドレスを着た小柄な少女と、背の高い男性が彼らの前に立ちふさがっている。
ボスと彼らの間に、即座に二人の部下が守るように立った。
「なんだぁ?てめえは」
「それはこちらのセリフなのだけど」
唸るように威嚇したボスの声に、少女がさらりと答えた。同時に可愛らしく、ことりと首を傾げたのがシルエットで分かる。
「親切に説明する必要も感じないのよねえ……。ねえラルフ、こういった場合は前口上でも言った方がカッコいいのかしら」
「そうですね。その方が悪役らしくてよろしいかと」
「ちょっと。悪役はあっちでしょ」
「おや、悪役令嬢を目指していらっしゃったのでは」
「避けようとしてるのよ!まだ機嫌悪いの?面倒な男ね!」
「おい無視するんじゃねえよ!!」
口喧嘩を始めそうになった二人は、はたと気づいたようにボスを見た。
「ごめんごめん、忘れかけてたわ」
「忘れるんじゃねえよ!」
咎められる立場であるにも関わらず、ボスは盛大に抗議した。
注目されたい欲求が高いボスとしては、こんな場でも無視されるのは許せなかったのである。
気を取り直したらしい少女は、姿勢を軽く改めて告げた。
「じゃ、とりあえず侵入者ということで始末させてもらうわね?」
全てを言い終わるかどうかのタイミングで、前に立っていた部下たちが地に沈んだ。少女のドレスがふわりと揺れ、その手の得物が淡い光に反射する。
剣の使い手だと理解した時には、少女はもうボスの目の前に居た。
「っは、わぁっ!」
速え!と口に出る前に、剣で少女の得物を受け止めたのでおかしな声が出てしまった。
「へえ、まだ使える方ね」
暗闇であるにも関わらず、間近にある少女の翡翠の双眸が愉快そうに光ったのが見えた。
少女が一旦距離を取る。
遊ばれている、とボスは直感で知った。
「くそっ、ナメやがって」
「うーん、月並みなセリフね。五点」
「うっせえよ!」
シリアスに決めようと思ったのに、ダメ出しされてしまった。
「どうでもいいけど、他に仲間いるでしょ?さっさと呼べば?」
しかも控えている一団のことも知られている。ボスの背に汗が流れた。
「くそう、どこまで読んでやがるんだ……」
「あら本当にいるの?カマかけただけなんだけど」
ボスは、ぐ、っと息を止めた後、歯ぎしりをした。この女はどこまで自分をコケにすれば気が済むのか。
しかし気付けば、剣を構える男二人が左右の離れた場所に立っており、その足元には残っていたはずの部下が倒れていた。増えた男二人は、どうやらこの屋敷の警備兵であるようだった。
こいつらも自分より強い。
隙のない構えを見てボスは察した。
もうこの場に立っているのは、自分一人だけである。
ボスは、視線だけで作戦立案者のフードの男を探したが、なぜか倒れている中にも居ない。
もう控えている一団を呼ぶしかなかった。
まさか、敷地に入ってすぐに使うことになるなど想像もしなかったが、仕方がない。
ボスは指を口に含み、大きく息を吐いた。
ピィ―――――ッ!
指笛の音が、大きく夜のクォルツハイム家の敷地にこだまし、夜の闇に吸い込まれていった。
「……」
「……」
「……」
そしてたっぷり一分後。
「遅くない?」
カレンが冷静に突っ込んだ。
増援はまだ一人としてたどり着いていない。
「うるせえ!離れた場所に待機してんだ!少しくらい時間がかかっても仕方ないだろう!!」
「なにソレどれだけ離れてるのよ。呼んだらすぐ来れる距離に置いてこそ増援でしょ」
「そんなの近くに置いておいたらバレるだろう!」
「突撃した時点で移動させなさいよ、段取り悪いわね!」
おおなるほど、とボスはぽんと手を打った。
カレンはがっくりと肩を落とす。
「こんな脳みそ足りないのがウチを襲撃……?」
「まあ、例の一件のせいで、王都の裏社会は現在人手不足と言いますから仕方ないのでは」
ラルフはほんの少し呆れを声に混ぜて答えた。そして離れた場所に立っていた護衛兵に向かい、手を一振りする。
護衛兵たちは軽く頷き、その場を立ち去った。
相手の力量を確認し、この場はカレンとラルフだけで対応できると判断したので、彼らに他の襲撃場所の応援に向かうよう指示したのである。
彼らは二人とも護衛兵として仕事をする『影』であったため、指示を受け取るのも的確であった。
ボスは、自分たちの相手をする人数が二人だけになったことに舌打ちした。
「ナメやがって……」
「それ二度目。〇点」
「うるせえって言ってるだろ!」
ボスの大声に、今度こそ援軍の覆面男たちが集まってきた。
覆面の下で、ボスの口の端が上がった。
今は隠れているが、彼の顔は凶悪顔で有名だった。笑顔でその辺りの子供は軽く泣き叫ぶレベルである。
今、ボスの笑顔の凶悪レベルは最高値だ。
「今度こそ、お前らを地べたに這わせてやる!」
「あ、そのセリフなら二十点」
「うっせえよ!!」
ボスのダミ声が闇夜に吠えた。
そして二十人以上の覆面達が一斉に声を上げ、束になってカレンとラルフに襲い掛かったのである。




