027.欲しいもののため
夜会でカレンたちを襲った襲撃者は、王宮の牢に繋がれていたはすだった。
「それが、殺されたって……本当?」
「ああ、二日前だ。食事に毒を盛られて死んだ。何も情報を得られないまま、な」
「それは本当に知らなかったわ……」
「どういうことだ?」
カレンは曖昧な表情でごまかした。
まさか先程ルドルフが教えてくれたドイブラー子爵の件、カレンの「影」によって一部始終知っていたとは言えない。
ルドルフは訝しんだが、追及するのは止めたようだった。カレンが話すつもりがないことを察したルドルフが、意地の悪い笑みを浮かべたのは気にはなるが、無視することにする。
「二日前というと、人さらい事件から約二週間後?……ううん、時期的には微妙な気がするけど……やっぱり関連がありそう?」
「あるだろうな。二日前というと、子爵が釈放された翌日だ。これまで二カ月放置しておいての毒殺だ。きっかけがそれとしか思いつかない」
ルドルフは、カレンを縫いつけていた手を片方外し、カレンの髪のひと房を弄びながら続ける。
馴れ馴れしい行動に文句を言おうかと思ったが、よく見れば、ルドルフは自分の手元を見ているようで見ていなかった。真剣な顔で、何かを考えるように、視線は手のずっと先にある。
「……毒を入れたのが、内部の人間なのは間違いない」
「直後に居なくなった人物はいるの?」
「ああ、厨房の使用人が一人行方不明だ。追っているがまだ見つかっていない」
カレンも思案に沈む。
毒殺は、その使用人一人だけの仕業だろうか。もし共犯が居たとしたら、それは王宮外の人間?それともまだ王宮にいる……?
それに、もうひとつ気になることもある。
カレンに対して何度も刺客を送ってくるドイブラー子爵のことだ。
子爵の手による刺客は、正直なところ毎回質が悪い。侵入の手口も雑、腕もからっきし、口も軽く詰問だけで簡単に雇い主の名を明かす。
こんなレベルの人間しか送り込めない子爵が、集団誘拐を証拠もなくやってのけるとは考えにくかった。
子爵が主犯であるとしたら、必ず頭の回る人物が関わっているはずた。だが、それはどんな人物だろうか。
考え込んでいたら、急に視界が暗くなった。
ぎょっとして見てみれば、ルドルフの青い瞳が先程より近い位置からカレンを覗き込んでいた。
「なっ、何よ急に」
動揺するカレンに、ルドルフがふっと笑う。
髪を弄んでいた手は、カレンの顔の横に置かれ、身を乗り出しているルドルフの上半身によりカレンは先程より狭く囲われていた。
「私を前に隙を見せる方が悪い」
「うるさいわね!さっさと離せばいいじゃない!もう話は終わったんで」
「テオドールの」
「は?」
「テオドールの執務室を片付けるらしいな」
この短時間でどうやってその情報を仕入れたのか。
王宮における王太子の情報網を確認する必要があるな、とカレンは思った。
「……そうよ。それがどうしたの」
「なぜテオドールの部屋だけなんだ?」
「言ってる意味が分からないわ」
「私の部屋も片付けろ」
カレンの目が点になる。
何言ってんだこの王子サマは。
いち側近のテオドールの(汚)部屋はまだしも、王太子の部屋なら片付ける人間は山ほどいるだろう。わざわざカレンが行く必要を感じない。
という感想をストレートに述べれば、ルドルフは意地の悪い笑みを浮かべ、ゆっくりと言った。
「茶会の、赤いジャム」
ぴくり、とカレンの表情が動いた。
それを見て、くくくっと王太子が笑う。
「気になっているんだろう?私がお前のテーブルに行く直前、ジャムを食べて目を丸くしていた」
よく見ていらっしゃる。
「そして、茶会のあと、ジャムの原料となった果物についてメイドに尋ねていたらしいな。料理人から回答は得たんだろう?」
よくご存じで。
「アレが王宮専属の庭師が作った果物だと聞いただろう?どうしようとしているか知らんが、アレは簡単に手に入らんぞ」
「……どういうことかしら」
「王宮専属とは言うが、あの果物に関しては、王族専属の庭師の仕事だ。門外不出の品でな、侯爵令嬢とはいえそう簡単に渡すことは出来ない」
「なんでそんなものをお茶会に出すのよ……!」
「さあな。王妃が気に入ったからじゃないか?」
けろりとした顔の王太子に、カレンの苛立ちが募った。
あの酸味と色、薔薇にも似た風味……あの果物が使えればきっと夏にぴったりの理想的な飲料になる。ヒット間違いなしなのに……!
クォルツハイム商会の新商品にと思っていた果実は、よりもよって王家の、門外不出の品だった。
ああ、せっかく見つけた理想の食材が、遠くなっていく……
「私が、口をきいてやってもいいぞ」
と、遠くなった食材がぐんと近くに戻ってきた。
「えっ?いいの?」
「ああ。私が言えば、おそらく問題なく手に入る」
「ついでに、庭師に会わせてもらうことなんてできる?」
「簡単なことだな」
目の前が一気に明るくなった。
それは、物理的に目の前にいる金髪碧眼の王子の美形が霞んで見えなくなった程であった。
しかしそのせいで、カレンは今日一番に意地の悪い顔をしたルドルフの表情を見逃してしまい、彼の策略に気づけなかった。
「じゃあ、私を部屋を片付けてもらうのは決定だな」
「……えっ……?」
「当然だろう。交換条件なしに私が手を貸すなどありえない」
「……や……」
やられた……!!
まんまと乗せられた。目の前の餌に食いついてしまった。
断りたいが、果実を捨てることもできない……。
数秒間、死ぬほど考えたが、解決策もこのあとの行動の新しい選択肢も思い浮かばず、カレンは苦渋の一言を口にした。
「やらせて、もらうわ……!」
攻略キャラとの接点回避と、商売を秤にかけて、後者に天秤が傾いた瞬間だった。
自分の仕事熱心さが嫌になる、とカレンは心の中で涙した。
ルドルフが満足そうな顔をして、身体を起こした。
カレンの手を引っ張り、一緒に起こしてくれたのはありがたい……ありがたいのか、カレンにはもう分からなかった。
ルドルフが、自分の部屋の片づけはテオドールの執務室が終わってからでいい、とか、庭師と会わせるのは片付けの途中でもいいとか、いくつか条件を言っていたが、カレンの耳には半分くらいしか入ってこない。
もう、自分がドツボに嵌まっていっている実感しかなかった。
「聞いているのか?」
くいっ、と顎が持ち上げられ、ルドルフの美貌が急速に近くなった。
「ぎゃっ」
反射的にがしっとルドルフの額と顎を押さえ、顔の接近を止める。
カレンの両手の間で、切れ長の目がさらに細くなった。
「色気のない声だな」
「うっ、うるさい!気つけに自分の顔を使うのやめてよね!!」
「私の顔をどう使おうと私の勝手だ」
つまらなさそうに手を離すと、ルドルフはさっさと立ち上がった。
「あの執事が居ないから、一度くらいは唇を奪ってやれると思ったんだが」
「だからそういうことしないの!!」
勢いで長椅子の背を叩いたら、拳が木枠に当たってゴン!と太い音がした。
ルドルフはこちらに背を向け、ひらひらと手を振りながら扉に向かう。どうやらカレンを置き去りにして出ていくようだ。
「ああ、そうだ」
扉の把手に手をかける寸前、思い出したようにルドルフが振り返った。
「例の、ヨハネスといったか、あの逃げた青髪の男。あいつの足取りも全く不明だ。私の勘だが、きっと毒殺にも噛んでるだろう」
「……それが、何」
「王宮に手を伸ばせる奴だ。お前に執着もしていたようだし、お前が王宮にやって来るこの数日間で、何か仕掛けてくるかもな」
「!!」
「何か手掛かりが出ることを期待している。ではまた会おう。カレン・クォルツハイム侯爵令嬢?」
くくく、と口を歪めて笑い、王太子ルドルフは扉の向こうに消えた。
「部屋の片づけじゃなく、そっちが狙いってことか……!」
意味のない申し出をした理由にようやく合点がいった。
カレンをおとりに使う気なのだ。
あの王太子は、あの男は、本当に、本当に……っ!
「いつか絶対、目にものを見せてやるんだから……!」
カレンの決意は、二度目の拳と共に長椅子の木枠に塗り込められたのであった。
◇◇
白い漆喰で塗られ、汚れひとつない壁には、歴史的芸術的にも相当価値があるだろうという美術品が等間隔で並べられていた。
王族の居住区画へと繋がるこの回廊には、議会関係者や大臣たちが集まる別区画と違い、人気はほとんどない。
そこを白のジュストコールに身を包んだルドルフが颯爽と歩いていた。
壁の白と同じ色の服を身に着けているにも関わらず、その存在は壁に溶け込んで薄まることもない。それは鮮やかな金髪と、隠しようもない彼の威厳と存在感のせいであった。
「ルドルフ、ここにいましたか」
離れた場所から、長い銀髪を揺らして青の近衛騎士服を着た青年が駆けてきた。
「マリグ」
王太子は、馴染んだ乳兄弟の名を呼び、立ち止まる。
「まったく、王宮内でも一人で行動しないようにといつも言っているでしょう」
近衛騎士マリグは、ルドルフに合流すると開口一番咎めるように言った。
「悪かった。野暮用があってな」
少しも悪びれることなく返すのも、いつも通りのことであった。
二人は長い脚を動かし、王太子執務室へ戻るべく移動を始める。執務室に居たはずの王太子が姿を消したと、護衛の騎士は彼を大慌てで探していたところだった。
が、乳兄弟であり側近であるマリグには、彼が向かう先に心当たりがあった。それで迷わず主人に合流できたのである。
「カレン嬢のところへ行っていましたか」
「よく分かったな」
「そりゃあね」
わざとらしく目を大きくしたルドルフに、マリグはやれやれという表情をする。
一人の令嬢に妙な執着を見せるルドルフの行動に、最近マリグは手を焼いていた。
「まあ、確かに面白いご令嬢だとは思いますが」
「だろう?」
思うが、そこまでこだわる事の程でもないのでは、と続けようとしていたのに、ルドルフによって遮られてしまった。
「ひとつ、約束を取り付けてきた。私の執務室へカレンがしばらく通う」
「……どうしてそんなことに」
「交換条件を出したからな」
「また貴方はそうやって……彼女、嫌がったんじゃないですか」
気の毒に、とマリグは思った。カレンの眉間に深い皺が寄っている顔が浮かぶ。
ルドルフは悪戯が成功した時の顔をしていた。
「相当悔しそうではあったな。まあお互い様だろう」
そう言って、ルドルフは自分の右手のひらを見た。
カレンを長椅子に飛ばした時に繰り出された拳を受け止めた手は、まだ痺れが残っていた。
「あいつと話をしているときは全く気が抜けない」
「侯爵令嬢相手に何をやっているんですか……」
隣で小さくため息が聞こえた。
「反応が面白くて、つい、な。部屋に引きずり込んだ時も反撃されて危うかった。一発でも食らっていたら動けなかっただろうな」
「本当に何やっているんですか……」
今度は大きくため息をつかれた。
そして、王太子の右腰に向かって指をさす。
「で?それもカレン嬢ですか」
「よく分かったな」
「普通にしているつもりでしょうが、動きがやや不自然ですよ」
カレンを長椅子に落とす直前、ルドルフの腰にはカレンの膝が入っていた。死角への攻撃であったので防ぎきれなかったのである。
何でもない振りをしているが、痛みは相当あった。普通であればうずくまらずにいられない痛みであろう。
服を脱げば、痣になっていることは容易に想像できた。カレンが攻撃を仕掛けた体勢が悪かったせいか、内臓まで損傷するような攻撃にならなかったのが幸いである。
「カレンのやつ、本気で蹴りを入れたようだ」
「いっそ、そのまま動けなくしてくださったら、我々も毎回貴方を探す手間が省けるんですけどね」
「お前どっちの味方だ」
「執務がはかどりそうな方の味方です」
毎回貴方の行方を捜す身にもなってください、と説教が始まった。
この乳兄弟は、剣を抜いたとき以外は真面目すぎるほど真面目な男だ。適度に手を抜いたり、相手の意表を突くことを画策するのに力を使う自分とは真逆だった。
マリグの説教を聞き流しつつ、ルドルフは最近構っている令嬢をこれからどのように翻弄してやろうかと、隣の騎士に見えない位置で、唇の端を吊り上げたのであった。




