023.悪役令嬢と天使
近衛騎士マリグのエスコートを受け、案内されたのはテオドールの執務室だった。
窓以外の壁をびっしり覆う胡桃色の書架に、同色の執務机、そしてそれらと造りを同じくした一組の応接セットが揃えられた重厚な部屋である。
マリグに礼を言って別れ、部屋に入ったカレンとレイラは、中央にある応接セットのソファに座る。
「彫刻がすごいわね」
カレンは壁の書架を見回し、感嘆の声を上げた。
棚板の側面や、ところどころに設置されている収納用の扉には統一された見事な彫刻が施されている。
商売柄、多くの彫刻を見てきたがこれほど意匠を凝らしたものは見たことがなかった。
「ええ、専属の職人に作らせたのよ。このソファも、変わっているでしょう?」
「そう、気づいたわ。下が収納になっているのね。この側面の彫刻も見事だわ」
「テーブルもよ。すごいでしょう、お父様がすごくこだわっちゃって」
テーブルの天板にもソファと揃えた彫りがあり、その上には天板と同じサイズのガラスが乗せられ、彫刻をじっくりと眺めることができた。
前世では見かける手法ではあったが、こういったガラスの使い方はこの世界では珍しい。
単に、完全に平なガラスを造る技術が難易度の高いものであるから、というだけであるが、それを含めてこの応接テーブルが高級なものであるのが分かった。
カレンが物珍しげにテーブルのガラスを撫でていると、王宮のメイドにより、ことりと紅茶のカップが横に置かれた。
「公爵様は、王宮の部屋の設備まで手掛けているの?」
メイドが出ていったあと、紅茶を飲みながらカレンは尋ねる。
テオドールの父であるカルフォーネ公爵が、王宮の部屋の家具建具に専属職人を出すことがあるのかと少し疑問に思ったのである。
レイラはふるふると首を横に振る。
「そんな訳ないでしょ……。完全に我が子可愛さよ。お父様も困ったものだわ……」
レイラが垂れ目をさらに下げた。
公爵子息テオドール・カルフォーネは王太子側近という立場以外に特別な役職を持っていない。彼は、準成人を迎えた十六歳から正式に側近として王宮に出仕するようになった後、その優秀さをみるみる発揮し、今では王太子の業務の完全な補佐を行えるまでになっている。
それ故に、十八歳という年齢で執務室を一室与えられるまでになった。これは破格の待遇であった。
そして、それに喜んだのはテオドール本人よりも父である公爵だったらしい。
嬉々としてこの部屋のリフォームに口を出していた、とレイラは呆れたように言った。
「完全に公私混同、職権乱用だと思うのよね……」
「まあ、止められる人もいないでしょうね」
なんせ貴族の筆頭、貴族院議長であり、公爵である。
一応は私費での改造だったため、呆れる者はいても、表立って抗議する者はいなかったようだ。
「それはそうと、カレン、マリグ様といつの間にあんなに打ち解けたの?エスコートまで申し出ていただけるなんて」
突然の話題変更に、ぶっ、とカレンは紅茶を噴き出した。
「打ち解けてないわよ。ちょっとあって、そのお礼をされただけで」
と、庭園であったゲームイベントについてレイラに説明をする。
「そうだったの……でもよかったわ、無事乗り切れて」
「そうね……私が悪役になったのが気に食わないけれど」
「そう?私はそう思わないわ」
「え?」
レイラは、ゆっくりと紅茶を飲むと言った。
「だって、今回攻略キャラ――マリグ様に庇われたのはカレンの方でしょ?そしてシェリル様は退散した。これ、考え方によってはカレンがヒロインポジションなんじゃない?」
「……確かに、そう、ね」
「でしょう?それでマリグ様の好感度を上げたんじゃないの?」
「ええええ!?」
カレンはソファの上でざっと後ろにさがった。
レイラはカップを持ったままにこにこと嬉しそうに笑っている。
こんな無邪気な笑顔を見ていると、レイラが本来なら悪役令嬢ポジションだったということを忘れそうになる。
「レイラ……冗談はやめて。これ以上王太子殿下やマリグ様と関わるのも嫌なのに……」
「あら、私のせいじゃないわよ。でも何か変化があったら教えてね」
「なんの!?レイラ、もしかして楽しんでない?私、今まさにゲームに巻き込まれているのよ!?」
「素敵よね……王太子殿下に、近衛騎士マリグ様……国中の女性が憧れる男性たちに言い寄られる……これこそ醍醐味よね……」
「だからなんの!?」
もう泣きそうだ。
レイラは結婚してゲームから退場したことで、相当気が楽になっているらしい。
「カレン、こうなったら、もしかして隠しキャラも出てきちゃうんじゃない?」
「えっ?」
目をキラキラ輝かせるレイラと対照的に、カレンの目は点になった。
「……隠しキャラ?そんなのいた?」
「え、もしかして知らないの?」
そもそも、カレンは前世でゲームを直接プレイした訳ではない。妹の横でイベント映像やスチルを見たり、話を聞いていただけである。概要は知れど、レイラのように細かい情報など持っていない。
そのため、隠しキャラの存在など初耳であった。
聞いていて忘れてしまったのか、それとも元々知らなかったのかすら自信がない。
レイラはきれいな顎に手を当てて考え込んだ。
「毎周必ず出るキャラでもないから、知らなかったのかもしれないわね……」
「ど、どうしようレイラ、私情報がないんだけれど。ええと、そのキャラの特徴は?どういう立場の人なの?」
レイラから情報を貰って、徹底的に避けねばならない。
うっかり同時攻略してしまうと、下手をすれば攻略キャラにっよて拉致、悪くて殺される「危険水域」に達してしまう。
しかも「危険水域」の条件がレイラ共々思い出せず、回避する方法がないので、今はキャラと接点を持たないよう努力しかないのだ。
「ええと……」
レイラは思い出すようにこめかみに指を当てた。
そしてぽん、と手を打つ。
「思い出した!確かグラム皇国の皇子なのよ!」
え、分かり易い。
しかも。
「それ、会うことなくない……?」
カレンは拍子抜けしてしまった。接点回避も何も、他国の皇子では会いようがない。
「違うの、ええとね、幼い頃に殺されかけて逃げてるはず……グラム皇国では死亡扱いになっているはずよ」
「それはまた……」
重い過去を持ったキャラが出てきたものだ。
「それで、この国、ルヘクト王国の貴族として生きているはず」
「養子ってこと?」
「たぶん……」
「心許ないわね」
「仕方ないわよ、記憶があいまいなんだもの。あっ、でも外見的特徴は覚えてる!」
「それ聞きたい」
カレンはぐっと身を乗り出した。
「美形だわ!」
「……レイラ、ボケなくていいから」
乙女ゲームの攻略キャラが美形じゃないことがあるはずない。がっくりうな垂れると、レイラはごめんごめんと謝ってきた。
何だか今日の親友は、いつもに増して軽い。さっきまでの不機嫌はどこへ行ったのだろう。
「本当にごめんなさいね。真面目に答えるわ。確か、髪の色は青、瞳は金色。年の頃は、確か王太子殿下と同じくらいだったはずよ」
「王太子が二十一歳だから、それが目安ね」
「そうね」
カレンは考え込んだ。年齢はともかく、実は髪と瞳の色はアテになるようでならない。
「こんな情報でごめんなさい。考えてみれば髪が青で、瞳が金って、グラム人の特徴そのままね」
「そうなのよね……この国にも多いしね」
内海を隔てているとはいえ、隣国であるグラム皇国の人間はかなりの数、この国に入ってきている。
国際結婚も珍しくなく、青い髪や金や琥珀の瞳を持つ人間は相当数いた。
「でも、全く手がかりがないよりはいいわ。ありがとうね、レイラ」
「ええ、また何か思い出したら教えるわ」
ちょうど話の区切りがついたところで、部屋にノック音が響いた。
「どうぞ」
レイラがよく通る声を上げると、扉が開く。
そこには、癖のある淡い金の髪と、レイラより鮮やかな赤の瞳の青年――いや天使が立っていた。
「お待たせしました、姉さん」
テオドール・カルフォーネ、別名「紅玉の天使」は、ふわりと笑い、レイラに近づいた。
その無垢な笑顔は、教会の人間が見たら膝をついて祈りを捧げそうな清らかさである。
レイラは立ち上がり、テオドールと身内の抱擁を交わす。
天使と言われてはいるが、テオドールの身長はレイラよりも少し高い。テオドールは、姉の頭に頬を軽くすり寄せ、紅玉の双眸を嬉しそうに細めた。
「テオ、ごめんなさいね、お邪魔して」
「気にしないで、顔を見せてくれるだけ嬉しいんだ」
「もう、先週も帰ったでしょう?」
「それでもだよ。今日はこっちに泊まる?」
「いいえ、モートレイの屋敷に帰るわ。あの人もヤキモチ焼だから……」
「それは残念。せっかく一緒にディナーを食べられると思ったのに」
などと、麗しい姉弟の会話は取り留めもなく続く。
カレンは立ち上がりもせず、会話が終わるまでゆっくりと紅茶を飲んだ。
別に会話にあてられた訳ではない。もっとベタベタな言葉を振ってくる人間(兄)をカレンは知っている。
と、軽く五分は経った頃、テオドールがカレンにようやく視線を向けた。
「――で、アンタは何しに来たの」
先程までの天使の清らかさが、一瞬でかき消えた。
背中から黒いオーラを噴出させ、残念なくらいに眉間に皺を寄せながら低い声を吐く。いっそ清々するくらい「嫌い」を全身で表現されていた。
普段は聖書に出てくる天使のようなテオドールのこんな一面を知っているのは、彼の家族を含めほんの一握りである。
特にカレンの事が気に食わないようで、彼女を見ればすぐに黒天使化する。確か出会った頃はこんなのではなかったはずだったが、いつからか嫌われ始めてしまった。
実は、カレン自身にはきっかけも理由も思い出せない。確実な事が言えるとしたら、好き嫌いが分かりやすい彼の性格からも、実はカレンに懸想してました、などというオチは考えられないだろうということくらいだ。
カレンとしては、姉大好きなテオドールが、姉の親友である自分を毛嫌いしているのだろうと思っている。
まあ元々、監禁系ヤンデレ設定の公爵子息だから、シスコンの気があっても不思議ではない。
ついでに言うと、これだけ嫌われていれば好感度もくそもないので、意外に気が楽だった。
本人から避けられていることもあり、滅多に会う相手ではなかったが、他の攻略キャラに比べれば、意外にも会う事も話す事も抵抗はなかった。
「何って、レイラに呼ばれてここにいるのよ?」
座ったまま、平然とカレンは答えた。
テオドールは、けっ、と声が聞こえそうな顔でそれに応じる。
「ボクは呼んでない」
「あら、大好きなお姉さまの意思を無視するの?」
「……」
食って掛かってくるくせに、こういう切り返しをすると黙ることろがまだ可愛いものである。
「用が済んだらさっさと出て行け。アンタだけ」
苦々しい顔つきで、黒天使はカレンを睨んだ。
「あらだめよ?テオ。カレンに頼みたいことがあるんだもの」
「……それ、ボクにも関係あること?」
「ええ!」
と、にこやかに言ったレイラが、すすすと移動をし、執務机の後ろに立った。
そこにはレイラの身長よりも少し高い、三つの板を並べた衝立があった。
そう、カレンもその衝立が気になっていた。
立派な本棚をわざわざ隠すように立っていることが、景観を乱して仕方がない。
レイラは無言で衝立に手をかけた。
それを見て、テオドールが慌てる。
「姉さん、それ、動かさないで……!」
弟の制止に全く耳を貸さず、レイラは衝立を真横に動かし、後ろの物を露わにする。
どさどさどさどさ――
隠れていたものが、雪崩のように執務机に向かって流れてきた。
それは大量の本、書類、箱、何だかよく分からない置物たち……
「……」
「……」
カレンとテオドールは、それぞれ違う意味で固まった。
「……ええと、レイラ、それは……?」
眉間をぐりぐりと押さえながら、カレンは尋ねた。
何だか嫌な予感がする。
「これ?テオの荷物よ。この子ったら、片づけが苦手で、こんなに収納があるのにすぐにこーんな山を作ってしまうの」
「姉さん、やめて……!」
天使の悲痛な声が上がった。
だが、天使の姉はそれを無視し、カレンに話を続ける。
「ここだけじゃないのよ?机の中も、そのソファの下の収納も、棚の収納も、全部いっぱいで、そしてぐちゃぐちゃ」
「そ、それは酷いわね……」
「だから姉さんやめてってば……!アンタも話に乗るなー!」
後半黒天使に切り替わったテオドールが、ちょっと涙目でカレンに訴えた。
そしてカレンは納得した。やたら収納が多いように見えるこの部屋の意味が分かったからだ。
加えてその収納を全て満タンにし、ぐちゃぐちゃにしているというテオドールの片付けられないっぷりもよく分かった。
王太子殿下の側近の執務室は、実は隠れた汚部屋だったのだ。
「酷いでしょ?――ねえ、だからカレン、この部屋、片付けて?」
ばちんと片目を瞑ってレイラが言った。
とんでもないことを言いだした――。
実は今でもレイラが悪役令嬢なのではないか。カレンは今日一日を通し、本気で疑いたくなってしまった。




