022.イベントは不要です
唐突に浮かんだゲームイベントの光景に、カレンは混乱した。
思い出したのは、王宮の庭園で、ヒロインが悪役令嬢レイラに髪飾りを取り上げられるシーンである。
シェリルが、サーミュラー伯爵家の伝統的な髪飾りを着けて王宮に来たところ、それを見つけたレイラが髪飾りを壊してしまうのである。
確か、この場面に出演する攻略キャラは固定でなく、イベント発生のタイミングで物理的距離が一番近いキャラが選ばれるはずだ。そしてそのキャラがヒロインを助け、その後のやり取りで好感度がまた調整される。
いまだ接点のないキャラを攻めるもよし、攻略中のキャラの好感度をさらに上げるもよし、とプレイヤーによって用途はご自由に、の便利イベントだった記憶がある。
……ちょっと待って。
思い出しながら現在の光景を観察しているうち、カレンはひとつのことに気づいた。
私、今、悪役令嬢ポジションにいる……!
夜会、人さらい事件とイベントを経験したが、どれもヒロインポジションであった。それが、ここでとうとう自分が悪役ポジションになってしまったのである。
とても悪い方向に転がっている、とカレンは焦った。
いろいろ考えたいが、しかし今はこの場を無事に切り抜けなければならない。
幸運なことに、髪飾りに損傷はない。これなら「髪飾りを壊した悪役令嬢」にならず、乗り切れる可能性があると判断する。
カレンは素早く方針を固めると、小さく微笑んでシェリルに向かって一歩分だけ進んだ。
「シェリル様は、私がこれをうっかり踏んでしまったのを気にされているのですよね……?」
「えっ?」
シェリルが少し怯んだ。そこへ静かに、かつ一気に言葉を畳みかける。
「本当にごめんなさい。髪飾り、壊れてはいないようですけど……よければお預かりして、我が家専属の職人に磨かせてからお返しできればと思うのですが、よろしいかしら……?」
カレンは少し俯き、髪飾りをそっと両手に包んだまま、上目遣いにシェリルを見た。
儚げではあるが、かといって付け入る弱さを感じさせない様子にシェリルがたじろぐ。
「そっ、そんなことしなくても結構です……」
「それくらいさせてくださいな。……ああけれど、大切な物がお手元から無くなるのは、やはり不安ですわよね。余計な事を申し上げてしまいましたわ」
カレンはシェリルに近づき、彼女の手を取ると、その手に優しく髪飾りを乗せた。
「よい細工の品ですわ。もう失くさないよう大切にしてくださいませね」
にこりと微笑むと、有無を言わせない雰囲気にシェリルの頬がひくついた。
「おっ……お心遣い、感謝しますわっ」
シェリルはカレンの手を振りほどくように離れると、両手で髪飾りをぎゅぎゅっと握りしめ、踵を返してその場から走って立ち去って行った。
カレンは全力で駆けていくヒロインの背を見ながらホッとするとともに、「髪飾り、握りつぶしてしまわないかなあ」と少し心配をする。
シェリルが去っていったことで、揉め事が終わったと知ったらしく、周囲で聞き耳を立てていた人々が、ちらちらとこちらを見ながらも思い思いの方向へ散っていく。
「どうなることかと思いましたが……さすがですね」
マリグが感想を漏らした。
下手をすれば、盗んだ盗んでいないの水掛け論になる可能性もあったが、カレンはあくまで家の爵位が上の者としての立場を崩さず、そしてシェリルの無作法にも言及せず、きれいにこの場を収めてみせた。
武器を持った多数の相手に切り込んで見せるカレンなら、この程度、何ら困難でもないということだろうかと思う。
「さすがと言われることなど、何もしていないのですが」
カレンは、茶会での様子から、シェリルはあまり駆け引きが得意でないと判断し、またシェリルが責めつつも、多少の戸惑いを持っていたようにも見えていた。
そこを突いて強気に出て上手く行っただけなのだが、悪役ポジションの回避が成功してすごくほっとしているなんて、マリグには言えない。
「いいえ、ルドルフが気に入るだけはあると思いますよ」
「……それは光栄ですわ……」
一気に機嫌が悪くなったカレンの様子に、マリグが笑う。
カレンが見上げると、そこには銀髪を揺らして屈託なく笑う顔があった。
仕事中の彼しか見たことがないため、無表情か厳しい顔つきしか知らなかった分意外に思う。こんな顔、ゲームのスチルでも見たことがないかもしれない。
「ああ失礼。ルドルフの話をしてそんな顔になるご令嬢が珍しくて。……でもその方が貴女らしいですよ」
カレンの顔が不機嫌なままだったので、マリグが小さな声でフォローを入れた。周囲を気にしてか、身体を曲げてひそひそと話されたため、彼の顔が近くなる。
美形に近づかれると心臓に悪いため、カレンは失礼にならないよう、なるべく自然を装って少し距離を取った。
「しかし助かりました。実を言うと、俺もシェリル嬢が腕を離してくれず、困っていましたので」
「そういえば、なぜお二人でいらっしゃいましたの?」
「……その話し方、変えてもらえると嬉しいですね。何だか調子が狂います」
眉をひそめるマリグに、失礼な、とカレンは思う。
「先日のあの姿を見た後ですと、今の淑女然とした貴女が違う女性のように感じます」
「……これも私ですわ」
「俺は、先日街で見た貴女の方が好ましい」
にこりと笑う騎士を見て、こいつタラシかと一瞬警戒したが、じっくり見ても笑顔に下心は感じない。本気でそう思っているようだった。
何というか、この騎士は普通に純粋でいい人なんだろうと思う。
そして悪い意味で素直だ。
相手によっては、きれいな顔でこんな事を言われれば勘違いすることもあるのではないだろうか。月光の騎士と呼ばれ、ルヘクト王国三大モテ男なのにも関わらず、真実味のある恋人の噂を聞かないのは、彼にとってこの性格が悪い方向に作用してるせいな気がして、少し同情した。
カレンはため息をつき、仕方ないという顔をして肩を竦めた。
マリグはそれを了承と取ったのだろう。カレンの先程の質問に答える。
「ちなみに、シェリル嬢からは落とした髪飾りを一緒に探してほしいと言われたのです。俺はルドルフの護衛に行かなければならないので、他の騎士を付けると言ったのですがどうしてもと離してくれず……」
「なるほど、マリグさんも苦労していたのね……」
シェリル、なかなか強引な娘さんだ。
「シェリル様とは話をしたことはあるの?」
「何度か夜会で顔を合わせてはいます。一度ダンスもしましたが……それだけなので、それほど親しくはないです。今回の髪飾りについても、茶会の会場で失くしたとは言ってませんでしたので、もしかして、何かの口実だったのかもしれませんね」
「そう、かもしれないわね」
この時、マリグの頭に浮かんでいたのは、これまでに自分が受けた、令嬢たちからの強引な誘いであった。
自惚れでもなく、彼は自分の容姿と身分が令嬢たちの興味を引くことを理解しているためそう思ったのだが、カレンは別の事を考えた。
つまり、シェリルはこのイベントにマリグを参加させようとしていたのだろうと。
現在、王太子と公爵子息は仕事の打ち合わせのはずだから、接触を持てるのはこの近衛騎士だけだ。彼女はそれが分かっていて、マリグから離れなかったのだろう。
それにしても、シェリルは誰狙いで進んでいるのだろうか。
情報は入ってきているが、彼女の動きが読めず、カレンは苦労していた。
「カレン」
回廊から、レイラがカレンを呼ぶ声がした。
「カレン、もう部屋に入れるわよ……あら、マリグ様?」
「お久しぶりです。レイラ嬢……いえ、モートレイ子爵夫人」
マリグが回廊から庭園に出てきたレイラに礼を取った。
結婚して公爵令嬢から子爵夫人になっても、レイラは華やかで美しく、薔薇と並んでも見劣りしない。
「ふふ、レイラで結構ですわよ。マリグ様。いつも弟がお世話になっています」
「いいえ、こちらこそ」
軽い挨拶を済ませると、レイラはカレンに、テオドールの執務室で待つように伝言を受けたと説明する。
「では、俺も一緒に参りましょう」
「まあ、マリグ様がわざわざエスコートしてくださるの?ありがとうございます。よかったわね、カレン」
「レイラ、エスコートではなくて付き添いだから。それにマリグさ……様もお忙しいのだし」
「俺は大丈夫ですよ。何ならエスコートでも」
「……お仕事はいいのですか?」
先程、シェリルの探し物に付き合えない理由を王太子の護衛に行くためと言っていなかったろうか。
無邪気に喜ぶレイラには悪いが、仕事の邪魔をすることはできない。
「構いません。どうせ殿下はまだ執務室でしょう。他の騎士がいますので、少しくらいなら大丈夫です」
そしてマリグは小さく、お礼をさせてください、とカレンに言った。
律儀な騎士である。しかも物でなく、比較的気軽に受け取れる形で礼をするなど、気配りも上手い。
一度彼を見捨てようとしていた自分が人として最低だった気がして、恥ずかしくなってしまい、カレンは素直にハイと答えた。
マリグから差し出された手を取ると、社交場でされるようエスコートされる。そうして回廊へと戻る途中、カレンはふと視線を感じて周囲を見渡した。
辺りには回廊や庭園を歩く人々。そして遠くに、立ち去っていくシェリルの姿が見えるだけ。
「カレン、どうしたの?」
「え?いいえ、何でもないわ。行きましょう」
気のせいか、とカレンは顔を戻した。
と、そこには少しだけ悪戯っぽい笑顔をした銀髪の騎士の顔があった。
カレンが首を傾げると、マリグはひそっとカレンに耳打ちする。
「貴女が人見知りだという設定は、もう必要なさそうですね」
思わずその場にしゃがみ込み、頭を抱えたくなった。
考えてみれば当然だ。あんな人目に付く庭園のど真ん中で堂々とシェリルとやりあってしまったのだ。おまけにその後、マリグと普通に会話もしている。
揉め事が終わった後も、人々がまだこちらを見ていたのは「人見知りで引き籠り」のクォルツハイム侯爵家令嬢が、家族以外の人間と普通に話をしている姿を見たからだったのだ。
これではカレンが社交の場に出ないようにしている理由が減ってしまう。
と、砦が崩されていっている……!?
失態に気づき、カレンは自分の魂が抜けていくような錯覚を覚えた。
マリグの笑顔に変化はない。おそらく自分の言葉がカレンに大ダメージを与えているなど露ほども思っていないのだろう。
誠実な人間の放つ真実は、ときに残酷である。
呆けたようになったカレンを、マリグは輝くような笑顔でエスコートしたのであった。
今回のマリグの好意は、単なる「他人」からの格上げ。(言ってもた)




