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【幕間】別邸におけるカレンの一日

 ――くわあぁぁぁぁぁん……


 月も上らぬ夜、遠くから歪んだ金属音が聞こえた。


 またか……


 薄らと目を開けたカレンは、ぼんやりとしたまま音が消え入るのを確認した。

 その後に大きな音も聞こえないことが分かると、もぞもぞとシーツに潜り込む。


 我の安眠を妨げるべからず……


 寝ぼけた頭の中で偉そうに宣言だけして、もう一度眠りの海に沈んだ。



 ◇◇



【起床】



「お嬢様、おはようございます」


 しゃっ、とカーテンを引く音と共に、カレンの顔に朝日が当たった。

 眩しさに顔が歪む。


「もうすこしねかせて……」

「いけません。今日も予定が詰まっています」


 ラルフは、あと五分、と二度寝を始めた主人のシーツを引っぺがして強制起床を促す。


「いいじゃない。昨日は誕生パーティで帰ってくるのが遅かったんだし……」

「そうですね。お嬢様のめでたい十四歳の誕生パーティでございました。昨日は本邸にて、久し振りに家族水入らずでゆっくりとお食事されましたし、もう十分英気は養われたでしょう。ということで起きてください」


 淡々と長台詞を述べる従者に、ベッドのカレンは耳を塞いだ。主人のわがままを受け止め、流して、捻って、返してくる手際に辟易する。

 従者としてカレンに仕えて九年。二十三歳になったラルフは、年々主人の扱いが上手く……いや雑になってきていた。


 カレンは渋々と身体を起こし、ベッド脇に脚を下ろした。すかさずラルフが肩にショールを掛けてくれる。


 サイドテーブルに乗せられた水盆で手と顔を軽く洗い、顔を拭いていると、ちょうど済んだタイミングでラルフがハーブティーを入れたカップを持ってきた。

 この辺りのタイミングもすっかり慣れたものである。


 ここはクォルツハイム侯爵領、クォルツハイム家が所有する屋敷のひとつである。

 カレンの祖父が晩年を過ごし、今や別邸と呼ばれているこの屋敷は、本邸から馬車で半日、一番近い村からも馬をかけて三十分はかかるという辺鄙な場所にある。


 高い木々の繁る林の中、小高い山を背にして建つ建物には、主人用の居間と寝室、そして数室の使用人部屋と食堂という最低限の部屋しかなく、外観も武骨な石造りという、本邸や王都の屋敷と比較すれば大変こじんまりとした屋敷であった。


 カレンは領地に戻って半年後には、ここに引っ越していた。

 別邸引っ越しのきっかけとなった医者の診断は、カレンの演技が生み出した成果ではあったが、その行動を起こすまではカレンも当然悩んだ。

 事件からずっと寝込んでいた両親と離れて暮らすのが心配だったのである。


 しかし領地に帰り、馴染みの人々の慰問を次々と受けるうち、死んだようだった両親は少しずつ普通の生活ができるようになっていった。


 子供二人を失った記憶は決して消えず、穴も埋まることはないだろう。けれど優しい両親の周りには優しい人が多かった。

 心からの慰問に、両親は感謝し、その気持ちに少しずつ報いようと決めたようであった。


 それを見てカレンも決めた。

 力をつけるために、集中して時間を作ろうと。


 そして、人の目が届かないこの別邸に引き籠ることにしたのである。



 カレンが住んでいる小さな屋敷には、限られた人数の使用人しかいない。

 そのため一人が複数の役割を果たさねばならなかった。


 侍女は料理人の補助を行い、料理人は侍女と共に屋敷の掃除をし、厩番うまやばんが庭師の役割も担う。

 そして従者のラルフは使用人の取りまとめ役として、主人カレンの身の周りの世話、仕事の補佐、人員を含む別邸全体の管理など広く仕事を行っていたのである。


 ちなみに、本来なら侍女が行うべき主人の朝の世話をラルフが行っている理由は……


「あっ、ハンナったらまたドロワーズの用意してないし!しかも靴が左右違うー!」


 執務室を兼ねた隣の私室で仕事の準備をしていたラルフは、隣の寝室から聞こえるカレンの声を耳にしてため息をついた。

 またあの侍女は、主人の服の準備を失敗したらしい。


 男性であるラルフが、二次性徴を迎え、そろそろ大人扱いされる女主人の目覚まし係を引き受けているのもこのせいだった。


 正直、服の準備のミスなどマシな方である。起こす時間を間違える、紅茶を水で淹れる、カレンと一緒に二度寝する。

 水盆の中身をカレンの頭にぶちまけたときはどうしようかと思った。


 そうしてどんどんラルフの仕事は増えていった。


 この家の従者の仕事は、決して楽なものではないのである。




【朝食】


「今日のメニューは?」

「ホウレン草のキッシュとスープです」


 ラルフが紅茶をカップに注ぎながら答えた。


 食堂に焼きたてのキッシュのよい香りが漂っている。


「あら珍しい。今日は目玉焼きじゃないのね」


 普段は目玉焼きプラス一品、という形が多いいつもの朝食と異なるメニューである。「朝はちょっと面倒くさくて」とかナメたことを言っている料理人が心を入れ替えたのか。


「さて、そんな人物とも思えませんが」


 従者は、主人の予想をさくっと否定する。


「貴方が推挙してきた料理人なのに、冷たいわね……あっ、ハンナ、ワンホール取るんじゃないわよ!」

「え~足りないですぅ」


 人数も少なく、気軽な別邸での暮らしのため、カレンはよく使用人たちと一緒なテーブルで食事をとっている。

 貴族令嬢としてはあり得ない行動ではあったが、お蔭で別邸の主従関係チームワークは抜群に良くなった。


 侍女は、ボブカットの黒髪を揺らし、キッシュの皿を腕で囲って主人に抵抗し続ける。


「六切れ、分けてあげるって言ったでしょ、こら!食べるなっ」

「ごちそうさまでしたぁ~」

「早っ!」


 ラルフ追加持ってきて!と騒ぐ主人に、ラルフは了承の礼をして調理場へと向かうために食堂の扉へ向かう。


「わ~い、おかわりですねぇ」

「もうやらんわ!」


 扉を閉めるとき、カレンの怒鳴り声が聞こえた。

 一部、主従関係に亀裂が入りかけているかもしれない。




【午前】


 ラルフと商会関係の打ち合わせをした後、できあがってきた混合ワインのサンプルを試飲。


 従来領地で生産しているぶどう品種は栽培が難しく、生産量の確保が難しい。高級品種として評価されているものの、これでは収益増加は見込めないということで、混合ワインの生産に取り組み始めていた。


 この取り組みもそろそろ終盤。

 ブレンドする品種も固まったので、あとは割合だけ、という段階である。


 国内の著名なブレンダーをスカウトし、何度かの試作を重ねてきた。そしてとうとう今日、最終サンプルが上がってきたのである。


 近々、別邸から王都への引っ越しを考えているカレンとしては、ここで決めておきたいところであった。

 ブレンド割合を決めるなら生産地に近い方がいいが、販売に関わることは、本部のある王都の方が立地として都合がいい。


 居間で、五本の瓶に入ったサンプルを目の前に、気合を入れるカレン。

 その横で、水の準備をする従者。


 一時間後。


 無事、クォルツハイムブランドの新しいワインが決定した。


「ふにゃあ……」


 そして、カレンはばっちり酔いつぶれた。


 カレンはびっくりするほどアルコールに弱かった。

「前世はもっと強かった」とは本人の談だが、それを確かめる術はない。


 ベッドに運ぶのはいつもラルフの仕事だった。

 しかし女性憧れのお姫様抱っこではなく、荷物のように肩に担いで、というところがラルフであった。


「主人への敬意が感じられないわ!」

「けいいって甘いですかぁ?」

「ケーキじゃないからね!」




【夕方】


 飾り気のない、石の壁に囲まれた広間に金属音が連続して響く。


 屋敷から通路でつながった別棟にあるこの建物には、天井が高く、窓も最低限しかない。

 若い頃は騎士であったという祖父が作らせた鍛練場で、今、孫娘とその従者が剣で仕合っていた。


 長く続いた打ち合いの最後に一度大きな音がして、カレンの刀が弾かれ、飛んだ。


「――参った」


 両手を上げて、降参のポーズをとる。


「動きが鈍いですよ。アルコールが抜けていませんか」


 三日月刀シミターを鞘に納めながらラルフが厳しく言う。三十分近く打ち合っていたにも関わらず、息も乱れていない。


「抜けたわよ。ていうか、こんなに長く打ち合ってたら手がしびれるって。貴方の一撃、重いのよ」


 言い返す少女も、額に汗は浮かんでいる程度で呼吸は落ち着いている。


「まあそれは経験と体重の差ですね」

「もうちょっと太らないと駄目かしら」

「努力する点はそこではないと思いますが」


 それでもこの七年で随分と腕を上げたとラルフは思う。

 元々素質はあったが、細身の少女が三十分近くも自分と打ち合い続けられるほど力をつけた。最近では、少しでも気を抜くと、うっかり一撃を貰いそうになることもある。


 いい弟子を持てたと思うと同時に、従者兼護衛の立場がないため、うかうかしてられないとも感じていた。


「ちょっとハンナ、あれやめてよね、痛いから」


 刀を拾いに行ったカレンが、ついでに侍女に文句をつけている。


「ええ~?だって、ラルフ様が邪魔しろって言うからぁ」


 お仕着せ(メイドふく)で鍛錬場の隅っこにうずくまっていたハンナは、膝を抱えたまま口を尖らせていた。

 今年十六歳にもなるのに、相変わらず子供っぽい。


「それはいい。けど、ちょいちょい小石投げてくるのやめてくれる?投擲したナイフのすぐ後ろにあるとかずるいわ」

「お嬢様がぁ、未熟なんですよぉ」

「小石をわざわざ黒く塗るひと手間かけておいて何を言うか!つかにぴったり付けるように投げるところに悪意を感じる!」

「キッシュ、もっと食べたかったぁ……」

「やっぱそこか!」


 食べ物の恨みはねちっこい。


「さあ、休憩は終わりです」


 キリがないのでラルフは一度手を叩いて二人の口喧嘩を中断させ、この後の予定を指示した。


「ハンナは、鍛練場の片づけと食堂の掃除、それが終わったら夕食の調理を手伝うこと」

「はあい」

「つまみ食いはしないように」

「……はあい」

「お嬢様は、夕食までに裏山頂上からここまでを二十往復」

「えっ」

「何ですか」

「多い!」

「そうですか、では二十五往復に変更、最後の五往復は地面を走らずに(・・・・・・・)行ってください」

「いっ……」


 小さな主人が絶句した。地面を走らないということは、岩や木々を使って――つまりは木や岩の間を跳んで行けということである。

 何度もやっている訓練内容ではあるが、これは結構面倒なメニューだった。


「文句はありますか」

「……ナイデス」


 鬼!悪魔!


 文句を言ったら課題が増えるに決まってるので、心の中で毒づいておいた。




【夕食】


 どんなに激しい訓練の後でも、お腹は空くようにできている。


「……何だかおかしいわね」


 カレンの目の前には、本日のメインディッシュ。

 チキンと香草の包み焼である。


 ちゃんと美味しい。とっても美味しい。


「何がおかしいのですか?」


 カレンの給仕を終え、隣に座ったラルフが問いかける。

 ちなみにカレンのいいつけにより、コース形式のディナーでも、料理はほぼ一気に出させていた。「一品ずつ出してたらみんなで食べれないでしょ」というのが理由。

 一気に出てきても冷めるまでに食べきるから問題ない、と言ったカレンは大変男らしかった。


「今日の昼食は何だった?」

「ミートパイですね」

「そうね。で、朝はキッシュだった。そして夕食は包み焼」

「何がおかしいですか」

「今日は、普通の焼き料理が出てきていない」


 そういえばそうだ、とラルフも気づく。


「……偶然では?」

「いいえ、違うわね」


 カレンは、ぱくぱくとメインディッシュを平らげ、席を立つ。そして何を考えたのか、ドレスの裾を持ち上げどかどかと食堂を出て行った。


 ラルフもハンナもカレンを追うことをせず、ドアを見つめて見送る。

 主人の唐突な行動はいつものことだったので、特に慌てることなく食事を続けた。


 しばらくして、外からカレンの声だけが聞こえてきた。


「やっぱり、フライパン、ぼっこぼこに凹んでるじゃない!侵入者撃退にはちゃんと武器使えって言ってたでしょ!」


 ああ、そういえば昨夜、侵入者があったっけ。

 ラルフはぼんやりと思い出した。


 今朝、調理場に、頭に大きなたんこぶを作って縄で縛られた男が転がされていた。確か料理人が捕縛したとか言っていた。


「え?フライパン全滅!?そんな!明日、パンケーキ作って欲しかったのに!」


 ではバターとシロップの追加納品を遅らせる連絡をせねばならないな。


 従者は自分で淹れた紅茶をゆっくりと飲んだ。




【就寝前】



「お嬢様、もうお休みになられては?」


 ラルフは、ランプの灯りで一生懸命書き物をしている主人の横に、ハーブティーを置いて声を掛けた。

 ハーブの香りで一息つくことを決め、カレンが一旦ペンを置く。


「それは、エルヴィン様からの手紙ですか」

「そう」


 カレンは、カップを口に運びながら、机にあった紙の束をラルフに見せる。

 今彼女は裾の長いネグリジェにショールを羽織っただけの、もうあとは寝るだけという恰好であった。風呂も入り、身体からはハーブ入り石鹸の優しい芳香が漂ってくる。


「寝ようとして思い出して。昨日の誕生パーティ帰りに渡されたのよ。会って話したのに、手紙もくれるんだから」

「エルヴィン様らしいですね」

「しかも何よこの長さ!」


 手紙は、十枚以上に渡っていた。もちろんこれで一回分である。


「もう来月には王都の屋敷に引っ越すっていうのに……。しかも引っ越しが決まったら更に手紙が長くなるってどういうこと!?」


 だん、と机を叩くと、丸いインク瓶が倒れないギリギリの角度でごろごろ回った。


「お嬢様と一緒に暮らせるのが楽しみで仕方がないといった感じですね」


 再び一緒に暮らせるのが嬉しい、休日には王都のこの店に行こう、あの菓子を食べよう、散歩にはあそこの公園に行こう、よい紅茶を貰ったから一緒に飲もう、一緒の時はこんなドレスを着て欲しい、楽しみで楽しみで夜も眠れない。


 手紙には、愛が溢れていた。暑苦しいほどに。


「これに二日以内で返事を書けって……」


 湯あみして、せっかくさらさらになった髪を掻きむしりながらうめく。


 返事を適当に、短く済ませると「私のことが嫌いになったのかい!?」と電光石火で手紙が返ってくる羽目になる。

 別邸に乗り込んでくる勢いだったので、なるべく三枚程度の返事にするよう、毎回苦戦して書いていた。


「かなり苦行よ。あーもう書くことないし!」


 こうやって愚痴を言いながらも、主人はこの七年間、しっかり期日内に返事を書き切っていた。律儀な人である。


 そう言うと、カレンは苦い表情になった。


「……約束は約束だから、仕方ないでしょ」


 返事は二日以内に出して。そうでないと兄様は寂しくて死ぬかもしれない。


 あのバルコニーで、エルヴィンは泣いているような笑っているような顔でこう言った。

 ひとりで頑張っている兄を元気づける方法は、今はこれくらいしかない。


 ラルフは、優しいですねと返そうとしたのをやめ、そうですねとだけ答えておいた。どうせ照れ屋の主人は必死になって否定するだけだ。


 自分から望み、クォルツハイム家の従者になって九年。

 思ったより主人は礼儀マナーに厳しく、仕事も多いし、他の使用人は個性的で扱いにくい。ここに次の人生を求めたことを失敗した、と思うことも時々あったが、こうやって主人一家の優しさを見ると自分の判断は悪くなかったと思うのである。


 ラルフは少しだけ目元を和らげた。

 では主人に、集中して手紙を書いていただこう。そう考えて就寝前の挨拶をする。


「それではお嬢様、私はこれで失礼します。早めにお休みになってください」

「うん、ありがとう。貴方も、」


 くわあぁぁぁぁぁん。


 遠くから、金属の歪んだ音が鳴り響いた。


「――下のを始末したら、休んで頂戴」

「……畏まりました」


 今日主人から注意を受けたばかりなのに、どうも癖が抜けないようだ。

 腕のいい(・・・・)料理人なので、襲撃者はちゃんと捕獲できているだろう。だが、使う得物の選択について、経費の観点からも説教をせねばなるまい。


 一般的な従者の仕事ではないが、元上司として彼らの教育は避けられなかった。


 ……本当に、この家の従者の仕事は楽ではない。


 鋳物店の手配を急ぐことを頭の中で明日の仕事メモに書き加え、ラルフは本日最後の仕事しょりに向かった。


 こうして、クォルツハイム別邸の夜は更けていく。

次回から新展開です。

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