勇者ミコトのお仕事。
シリアス一歩手前。
あれから一週間が経った。ミコトは、そのまま魔王城に居着いている。
帰ろうとも思ったが、どこに帰るのか、という話になり、結局帰る宛がなかったのでここで泊まることに渋々決めたのだ。
その時のルカの喜び様はと云えば、まさに歓喜。大きな胸を揺らしながら跳びはね、走り回り、そして転ける。それでも、笑顔が止むことはなかった。
ただ、ミコトもずっとここでゴロゴロとしている訳でもない。たまにルカと人間達の街へ出たり、出会った人間側の手助けもしていた。
ルカも一緒になって人間達の手伝いを買って出て、ミコトとどこかへ行ったりもした──魔物を狩ってくれ、という依頼にはさすがに来なかったが。
そして今日は王への謁見の日だ。特に決まっている訳ではないのだが、たまに顔を見せろと言われているので仕方がない。
「それじゃ、行ってくるわ。もし王様に何か頼まれたら、帰るのが遅くなるかもしれない。祭りまでには帰って来られるようにするから」
「その時に返事を聞かせてもらうぞ。もし帰って来なかったら私は──私は、泣くからなっ!」
「子供かっ!」
二人とも小さく笑う。
「な、なんだか……こんなこと言うのも恥ずかしいし、勇者にかける言葉でもないのだが──」
「なんだ?」
「──い、いってらっしゃい」
顔を真っ赤にして、小さく手を振るルカ。
ミコトもさすがに驚いて声が出ない。自分の体温が上がっていくのを感じた。
「お、おう」
玉座の座面を開け、ミコトは下へ降りた。
座面が重い音を立てて閉まる。
ルカははぁ、と溜め息をついた。
「早く帰ってきてくれ、ミコト……」
──ミコトのいなくなった静かな部屋で、ルカの寂しい呟きだけが響いた。
玉座の下は洞穴になっていて、そのまま出れば魔王城の外へたどり着く。それも、魔界のかなり外の方で、魔族との遭遇は全くない。人間の国へはもうすぐだ。
「あんなこと言われちゃ、帰らざるを得ないよなぁ」
ミコトは一人小さく呟く。
別に帰りたくないのではない。ただ、帰られるのかどうかが不安だった。
もしどこかの戦争とかに巻き込まれると、最低1ヶ月は戻れない、と男騎士から聞いたことがある。それだけは嫌だった。
ルカと祭りへ行きたい。ただ、それだけだ。
──答えはもう、決まっている。
「はぁ、やっと出れたか」
洞穴を抜けると、そこはちょっとした森だ。広くはないのだが、鬱蒼としていて気味が悪い。誰も立ち寄ろうとはしない。
だが勇者だった頃なら、これを思いっきり使っていただろう。雑魚達を相手にしなくて済むので楽だ。
森を抜け、人間の国へ出られた。後ろが森というだけで、あとはただひたすらに荒野だ。
「転移するか」
魔界では魔力の濃度が高く、転移をするには不安定なのだ。滅多にはないが転移をミスすると、望んでいた場所と違うことになる可能性があるし、悪い時では体の一部が欠損することもあるとか。
彼はその転移を使って、ある国の門前へ現れた。
門の警備をしている兵が、ミコトへ敬礼する。
「勇者様!お久し振りでありますっ!」
「おう、門開けてくれるか?」
「当然です、開門!」
人が一人分通れるくらいの隙間が開いて、そこを潜る。
ここはユルート王国。この世界における最大の国で、勇者が召喚された当初と同じように街は活気に溢れている。
治安もよく、税が安いのがこの国の特徴だ。国民も基本的にのんびりと毎日を過ごしている。
中央の大きな通りは人が集まっていて通りにくそうだ。しかし、大きな通りはここしかなく、裏路地では稀に難民を見かける。
ミコトはそれを見たくないので、仕方なくその通りを歩く。だが、そこでやはり嬉しくない待遇をされる。
「勇者様だ!勇者様が来たぞ!」
誰か一人がそう叫ぶと、たちまちに勇者だ勇者だ、と人が集まる。いつもは別の国で買い物をするので、こんなに人が寄ってくることはない。
ミコトは、その扱いが最初からあまり好きではなかった。皆にもてはやされるのは、正直嫌いだ。彼は、できれば平等な関係でいたい。
それに今となっては魔王に負け、仲間に見限られた。情けない、と常々考えていることが、改めて認識させられるようだ。終いには、魔王と生活している日々。
『勇者ミコト』は今では形だけで、もういない。
差し入れだのどうだの、と良くしてくれるのは嬉しいが、ミコトにとっては苦痛となる。彼は声を聞かないように、走って大通りを抜けた。
「勇者だ、今日は王様との謁見の為に来た。連絡はしていない為、時間が合わないならまた明日出直す」
「そろそろ来るだろうと思って、国王は予定を入れていない。おそらく、すぐに謁見はできるだろう。今、門を開ける」
「感謝する」
ユルートの王城を目の前にすると、いつも緊張して口調が固くなってしまう。厳粛な雰囲気漂うこの王城で、高校生のようなノリで話しかけるのもどうかと思うので、これは正しい。
メイドに案内され、見慣れたドアを開く。
玉座には威厳たっぷりの王がいた。
蓄えた髭は風格を感じさせ、常に厳しい顔は緊張を感じさせる。まさに王、というような見た目だ。
だが──
「おう勇者。今日はどうせ困り事を聞きに来たんだろ。わかってるわかってる、そんなこと王の俺にはお見通しなのさ。とりあえず歓迎だ。酒でも飲め、な?」
「その口調をどうにかしろ、ギャップ王」
イメージを覆させる、軽口だった。