勇者ミコトの敵対心。
ちょっぴり甘いお二人。
ミコトは目を覚ました。
自分の視線が石の壁に向いていることから、横になって寝ているのだと納得する。
(確か俺はあいつらと別れて、それから……そうだ、魔王城に行こうと思ったんだ。だから、ここは城のどこかだな。リッチーは倒したから、通路のどこかか?)
ゆっくりと思いだそうとしたが、全く思い出せなかった。リッチーとの激戦から、彼の記憶はない。記憶を残せないほど、彼の心身が疲弊していたのだ。
ミコトは、床が冷たくないことに違和感を感じた。細かく言うと、頭だけなのだが。それに、柔らかくて温かい。
さらに、彼の頬に何かが垂れてきた。冷たくはなかったので驚きはしなかったが、顔を上へ向けると彼は思わず飛び起きる。
「ま、まままま魔王!?」
口を開けて涎を垂らしながら、魔王が正座をして寝ていたのだ。豊満な胸の谷間にも、何かが垂れたような跡がある。おそらく涎だ。
彼は頬を袖で拭った。案の定、少し粘り気のある液体が袖につく。これも涎だろう。
「にしても……無防備すぎるだろ」
魔王の方が数倍強いとはいえ、ミコトは勇者である。今にでも、魔王に剣を突き立てることができる。
腰に差している剣を取ろうとしたとき、柄がなかった。鞘の中は空洞。
「んぅ……ゆう、しゃ?」
寝惚けた顔で赤い目を擦りながら、魔王がミコトを上目で見上げる。その瞳から、大粒の涙が溢れ出す。
「勇者!生きてたのだな!よかったぁ!」
「おい魔王!何してるんだよ!」
魔王はミコトに勢いよく抱きついた。
拒否の形は見せるが、しっかりと胸の感触を味わうミコト。中身は男子高校生なのだ。
「私はお前が死にそうになってて心配したぞ!」
「いっつも俺を殺そうとしてる奴が何を言う」
「あんなもの本気ではない」
豊満な胸を張ってミコトに威張る魔王。その時、視界はしっかりと谷間を捉えていた。
「み、見るなぁ!」
頬を紅潮させて、両手で胸を隠す魔王。
(これが普通の女性だったらどんなに嬉しいことか。──いや、魔王も見た目は普通の女性か)
角や羽が生えている訳ではない。見た目だけなら、魔王だと誰がわかろうか。
「そうだ、魔王!俺の剣を返せ!」
「あぁ、悪いがあれは折らせてもらった」
「なんでだよ!」
「だって……起きたら勇者は立ち向かって来るでしょ?」
「まぁ、魔王としては正しいよな」
視線を合わせてくる魔王から目を反らせるミコト。女性と目を合わせることに慣れていないのだ。
「勇者が生きててよかった。私、回復魔法は苦手なんだ」
「ちょっと待て魔王。お前が俺を助けたのか?」
「そうだ。他には誰もいないだろう」
ミコトが部屋中を見渡しても、誰の気配もない。本当に誰もいない。
「なんでだ?」
「それは……勇者がいなくなったら、張り合いがないっていうか──」
「いつも俺達は瞬殺だったのに、張り合いなんてないだろ」
「いや、違うのだ。──そ、そうだ。他の仲間達はどうしたのだ?」
「あぁ、それは──」
ミコトは他の仲間達には愛想をつかされた、という説明をした。魔王をいつまで経っても倒せないから、とも。
話し終わってミコトは、
「なんで魔王にこんな話してるんだよ!」
叫んで、鞘を地面に投げつけた。
ただただ自分が情けないのだ。自分が弱いばかりに、仲間達には辛い思いをさせた。その事実が悔やんでも悔やみきれない。
「な、なんだかすまなかったな」
「いや、魔王のせいじゃない。お前を倒せなかった俺が悪いんだ」
「そ、そうなのか?」
あぁ、とミコトは返事をした。
「だったら、私の首を持っていくか?」
「いや、そんなことしたらあいつらには色々言われるだろ。自分達はいらなかったのか、とかな」
「首を持っていくか、でつっこんで欲しかった……」
気持ち悪いくらいに真面目なミコトの返答に、思わず膝が崩れた。さっきとはまた別の意味で涙が溢れそうだ。
「今日はもう帰るよ」
「え?もう帰るのか?」
「当たり前だろ。いつまでも敵の本拠地にいられるかっての。宿はどっかで取れるだろ。助けてもらったし、命を狙わないでチャラにしてくれ」
んじゃ、と立ち去るミコトの背中に、魔王は言葉をかける。
「そんなことで無しにできるか!」
「だよなぁ……」
流れるようにスムーズな動きでUターンをしたミコト。思わず魔王が見とれるほどだった。
「何がお望みだ?お前が助けた命を差し出せ、とかか?」
「そんな簡単な事ではない」
「俺から命奪うのは簡単だ、っていう脅しだな」
「まぁ、簡単だな──いや、そうではなくて!その──」
魔王はさっきまでとは裏腹に、急にしおらしくなった。
ミコトはその態度を警戒する。
(あれか?死よりも辛い魔術の実験台になってもらう!とか?貸し一つでそこまでされるのはちょっとなぁ……)
だが、魔王の貸しは彼の予想からは大きく外れていた。
「き、今日!私の家に泊まっていけ!」
「……はぁ?」
ミコトは口をあんぐりと開けた。誰が見てもアホ面だと思えるだろう。
「なんで俺が敵の本拠地に泊まらなきゃならないんだ。死よりも辛いぞ、精神的に」
いつ、どこで襲われるかわからない恐怖がいつも彼につきまとう。さくっと死ぬより、堪えるかもしれない。
「そこは問題ない。ここから一歩も出ないからな」
「それならいい──いや良くない良くない!なんで俺が魔王の部屋で寝なきゃならないんだよ!」
「大丈夫だ。私もここで寝る」
「一番怖いじゃないか!」
魔王は不機嫌そうに頬を膨らませる。
「じゃあ、ホモゴブリンの巣窟で──」
「ここで寝させていただきます!」
よしきた!と魔王は一人喜ぶ。ミコトは生気を失ったように、ばったりと倒れ伏す。
「勇者!?どこか具合が悪いのか!?」
「具合は悪くない。精神的に悪い」
揺れる魔王の胸が、とは決して言えない。そこはTPO──ときどきポロリするおっぱい、だ。
「寝顔は可愛かったのに、今の不機嫌そうな顔は可愛くないぞ」
「おま、見てたのか!」
「当たり前だ。私は治療した後に、ずっと……ひ、膝枕をしていたのだからな」
そこでミコトは気づいた。あの柔らかい感触は魔王の太股だったのか、と。
「お前!なんてことするんだ!」
「言葉の割には鼻の下伸ばしてるな」
「う、うるさいっ!」
顔を真っ赤にしながら叫ぶミコト。
その様子を、魔王は嬉しそうに笑顔で眺めている。
「だいたい、なんで魔王は俺にそんなによくするんだ?弱ってたら回復させて、宿をとるって言ったら泊めてくれるし、膝枕だって──」
「あーあー!きーこーえーなーいーっ!」
耳を両手で塞ぎ、大声で叫ぶ魔王。何かを誤魔化しているようだ。
「なんでだよ、魔王」
「あっ……」
魔王の耳を塞いでいた手を握り、耳から離すしかめっ面のミコト。
急にミコトに手を握られて、赤面の魔王。
お互いの顔は、10センチも離れていない。
「あ、いや、悪い。そんなつもりはなかったんだ」
「そ、そうか……」
二人しかいない魔王の部屋に、静寂が訪れた。ミコトが起きてからは、おそらく初めてだろう。二人とも照れているのか会話を切り出せず、妙に気まずい。
「ミコトは、その……これからどうするんだ?仲間もいないんじゃ、私には勝てないだろう」
「そうだな、どこかでまた別の仲間引き連れてまた攻めに来るよ」
「そうか」
ミコトは、今感じた違和感を言いたくなった。言わざるを得ない。
「なんで俺の名前知ってるんだ?」
「うえっ!?いや、それは──あれだ!部下に偵察させた時に、名前を聞いたんだ!」
「お前のせいか!最近妙に視線を感じると思ったからストーカーかと思ったぞ!」
「うぐっ!」
魔王がミコトから視線を外す。冷や汗が頬を一筋流れる。
「まぁ、偵察なら仕方ないな。魔王だしな」
「そうだそうだ!仕方ないのだ!あ、それと、魔王っていうのはやめてくれ」
「ん?なんでだよ。魔王は魔王だろ?」
魔王がミコトに詰め寄る。胸が若干押し付けられ、ミコトはどっちに気を向けていいのかわからない。
(今は──胸だな)
ハズレだ。
「見るなと言っておるだろう!」
顔を真っ赤にして、魔王は谷間を隠した。
ミコトが残念そうに舌打ちをする。
「私の名は“ルカ・ディレンデュールゼイン”だ!ディレンデュールゼインと呼んでくれ」
「そこはルカだろ!」
「名前は、流石に距離が近すぎるだろう……」
「そう思うなら俺から距離を置いてくれ」
「あっ!わ、悪い!」
魔王は身体能力をフルに使って、ミコトを押した。
「そっちじゃねぐはあっ!」
「勇者ぁぁぁぁぁぁっっっ!」
ミコトは後頭部を壁に強打し、意識を失った。