勇者ミコトの苦悩。
これはまだ、勇者が勇者でしかないお話。
とある世界に、一人の男子高校生が異世界に喚び出された。いわゆる、勇者召喚なる物である。
──“天土命”。なんだが小難しい名前だが、彼自身はあまり気難しい男ではない。
成績は平均やや上、スポーツはある程度できるし、身長も平均の少し上。顔も整ってはいるが、際立って外見的な特徴はない。黒髪黒目だし。
真面目な時は真面目、ふざける時にはふざける、とTPOをわきまえた対応もできるし、その場での臨機応変な対応もそこそこ上手だ。適応力が高い、とでも言うべきか。
その彼は放課後の帰宅途中、なんだかよくわからない円──魔方陣に吸い込まれていった。彼を見ていた者は誰もいない。
そして彼は、国の王から勇者だと告げられ、魔王討伐の依頼を受ける。彼としては、渋々といった様子だった。
道中ではもちろん様々な出来事がある。
小さな街で、女僧侶がドラゴンに襲われているのを助けた。その結果、女僧侶は仲間となり勇者と共に旅をすることになる。
迷いの森とか云う森林では、迷っていた男騎士を森から出した。それからなんやかんやがあって、男騎士も勇者に追随する。
悪い組織に捕らえられていた女魔法使いも助けた。恩を返すだのどうだのと、彼女もついていく。
覚悟を決めて魔王城へ突撃した4人。途中の雑魚はミコトと男騎士で蹴散らし、中ボスは全員で協力して倒した。
それなりの余裕を持って、最後の魔王が待つ部屋へと足を踏み入れる。
「よく来たな勇者どもめ。ここが貴様らの墓場だ!」
そんなありきたりな台詞を言われて、彼らの第一声は、
『女かよ!』
紅玉の瞳。白銀のサラサラとした長い髪の毛。そして何より、豊満な胸が女性であるという立派な証拠だ。
女僧侶と女魔法使いは思わず、自分の控えめな胸に手を当てた。
「油断したな、馬鹿どもめ!くらえ!」
黒い炎を両手に作り出して、ミコト達へ投げて攻撃する。女子投げだった。
それでも圧倒的な破壊力と弾幕の多さに、全く手が出せないミコト達。女魔法使いが張っていた結界を数発で破り去り、勇者一行に直撃する。
「ぐおっ!」
「くっ!」
「きゃあ!」
「うわわわっ!」
各々が様々な叫びを上げ、竜巻がごとき爆風に吹き飛ばされる。彼らはなすすべもなく攻撃に当たり続け、一瞬の隙をついて魔王城から逃げていった。
数日後、勇者一行は再び魔王城への乗り込みを決意する。しっかりと対策をして臨んでいた。
勇者と男騎士は豊満な胸に目を奪われないようにする為に、同じく豊満な胸を持つ女性との対峙。これらはおそらくできた。
女僧侶と女魔法使いは、とりあえず油断しないこと。目の前にケーキがあっても、毒入りの可能性を考えて、すぐには手を出さない程度にまで成長した。
そして、再び魔王と対面する。
「懲りない奴等だな。またやられに来たのか!」
そう言って、前回と同じく両手に黒い炎を作り出して投げる。もちろん女子投げ。
「その魔法は覚えているぞ!対策をしていないとでも思ったか!」
勇者一行はミコト、男騎士、女二人と三方へ分かれた。そうすることで、一ヶ所はフリーになるからだ。
「えっ?覚えててくれたのか?」
「当たり前だ!前回の敗北は屈辱だったからな!」
ミコトは魔王の問いにきちんと答える。そして、剣を構えて魔王へ突撃した。
魔王は嬉しそうに顔を綻ばせている。その隙に三方から魔法、剣、剣が魔王に迫っていく。
「あ、いけないいけない。えいっ!」
突然、全方向へ黒い炎が立ち上ぼり、彼らを襲った。ミコトと男騎士は火傷を負う。
主戦力の二人が倒された今、彼らの勝ちはない。泣く泣く勇者一行は魔王に背を向けて逃げ帰った。
そんなことを20回も繰り返す内に、勇者一行の士気は滝の水のように落ちていった。口数も減り、動きに覇気が無くなっていく。
そして、ついに我慢できなくなった女僧侶が、
「もう、うんざりです。辛い思いをするのは、嫌です。ミコトさん、ごめんなさい」
ミコトの前を去っていった。その目には、涙が浮かんでいたようにも見えたが、ミコトにはそこまで気にする気力もない。
さらに女魔法使いも、
「私、故郷に帰って実家の仕事を手伝うわ。先の見えない戦いなんて、もうたくさん。ミコト、ごめん」
呆れたようにどこかへ歩いていった。
最後には、
「後衛がいないんじゃ、俺たちは勝てねぇ。悪いが、俺も抜けさせてもらう。今までありがとな」
男騎士も、彼の前からいなくなる。
一人で取り残されたミコトは、目から涙を流していた。
「俺だって、こんな辛いことはもうしたくないんだよ。何が勇者だ。おだて上げられて、終いにはこうなるのか。やってられるかよ」
始めはとても意気揚々としていた。それこそ好きな玩具で遊ぶ子供のような、明るい彼がそこにはいた。
しかし、魔王との絶対的な力を見せつけられた今のミコトには、いの字もない。
落胆。悔恨。苦痛。その他たくさんの負の感情が、彼の心を支配していく。
「俺も、どっかで働くかなぁ──無理か」
“勇者”という立場上、ミコトには職業選択の自由はない。それは彼自身がよくわかっている。
実力だけなら、国の騎士になることも容易い。誰かの護衛になることも訳ないだろう。
だが、“勇者”という肩書きが彼にそれを許さない。どこへ行っても勇者様は──などとのたまわれ、どうあがいても魔王討伐へ向かわされる。
正直、彼は上に見られるのが好きではない。それは前の世界でもそうだったし、もちろん今もそうだ。“勇者”である前に、一人の“人間”だから。
「いっそ、魔王城で死ぬっていうのも……いいかもな」
自分が追い求めて来た存在に倒されたとなれば、自分を責める者はいない。そして、彼に帰る場所はないのだ。決断は、まるで一桁の足し算のように簡単だった。
彼は剣を持って、道中は無言でふらふらと歩いていく。その様は、糸の切れかけた操り人形よりも酷かった。
「おい、あいついつも来てる勇者じゃないか?」
「あぁ。だが、様子が変だし仲間を連れていないぞ」
「あぁ?」
『なんでもありません!』
感情のない目をしたミコトのメンチ。
城を警備しているゴブリンも、怯えるように門を開けてしまった。体中からは汗が止まらない。
空気の読めないスケルトン最強の中ボス、リッチーとは激しい戦いを繰り広げた。
仲間がいない勇者は、満身創痍となりながらもなんとか勝利をおさめる。ギリギリ立てる程度の体力しか残っていないミコトは、気力だけで歩みを進めていった。
ミコトは見慣れた魔王城の戸を開く。そして、見慣れた部屋に見慣れた魔王。今日も胸が揺れる調子はいい。
「また来たか──って、え?勇者!?」
魔王がヒールの甲高い音をたてながら、満身創痍の勇者へと走り寄る。
「魔王……かく……ご」
ミコトは必死に剣を鞘から抜き取った。しかし剣を持つだけの力が残っておらず、からん、と剣は地面に落下した。
前のめりに倒れた勇者を、魔王が受け止める。柔らかな胸の感触が、自分の胸板から伝わっているのを実感した。
「勇者!死ぬな、勇者!」
ミコトの肩を、魔王が必死に叩いている。ゆっくりと魔王に仰向けに倒されて、そこで死を覚悟した。石造りの天井すら霞む。
「頼むから死なないでくれ!死んだらほんとに殺すからな。頼む……から──」
既に目が開いていないミコトの頬に、一滴の水滴が落ちた。女性のすすり泣く声が、薄れゆく意識の中で辛うじて聞こえる。
弱りきった声を絞り出して、彼は最後にこう残した。
「女の……涙は反……則……だろ……」
「勇者?勇者ぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
ミコトは叫び声を子守り歌に、意識を手放した。