8(終) 微笑
三日前のテロ、僕は勝手にエクストラ停電と呼んでいるが、それにより負傷したのは僕と一原と、階段から転げ落ちた元宮だけだった。奇しくも怪我の度合いや部位が同じということで、僕とその間抜けは同室での入院となった。
寒い中に放置されて風邪をひいた者はいたろうが、その辺りは早期解決の功労らしい。大事に至るものはなかったそうだ。
「なのに何だ、その仏頂面は」
隣のベッドから元宮が声をかけてくる。
「お前らが町を救ったも同然だろ。最後はいいとこ持ってかれたかもしれねーけど」
「……うるさいな。あんたとの相部屋が嫌なんだよ。死ねばよかったんだ、あんただけ、あのまま」
「お前は本当にひどいな! 普通放置するか!? 血流してたんだぞ!」
エクストラのくせにうるさいデブ中年を無視して、僕は窓の外を見る。相変わらず滅茶苦茶な車の流れが、この場所からだとよく見える。
日常が戻ってきた。……いや、僅か数時間の非日常が終わっただけか。
三浦をはじめとするイレギュラー達は、警察から機関へと身柄を移されたらしい。まだリカバリはされておらず、色々を吐かせた後でじきにとのことだ。奴らは僕に、エクストラ社会の抱える大きな穴を見せた。人の争いが消えたとは言え、完全じゃない。あのように自ら社会から脱しようとする者がいる。その為の力まで生み出す。旧人類と本質は変わらないということだ。
「おはようございます」
ナカシマがやってきた。朝イチでの来客だ。元宮に諸用とのことだったが、いきなり彼に嘆きをぶつけられていた。
「こいつとの相部屋をやめさせろ。あと少しで退院だとしても我慢できん」
「でも元宮さん彼の担当ですし」
「担当も外せ! こいつな、初日に何をしたと思う? 見舞いに来た俺の娘を口説いたんだよ! 嫁も一緒に!」
「こんな父親と旦那で大丈夫ですかと訊いただけだ。そうしたら向こうが賛同して、悪口で盛り上がっただけ。本当にあんたには不釣合いの美人と美少女だったから、リップサービス的に褒めはしたさ。存外に懐かれたのが気に入らないんだろ? 実声の強みだな。女は声にも出して言って欲しいんだよ。前時代のナンパにおけるセオリーだけど、人の本質は変わってないからな」
「お前がエクストラなら即リカバリしてやるのに……」
「ところで」とナカシマが話を遮った。
「昨日、後処理で籠くんの部屋に入らせてもらいましたけど」
事件への関連物を探る為だ。許可はしている。端的に言えば三浦から渡されたプリントなどを押収する為。
「特に重要な物は見つからなかったことを報告しておきます。——あと、救急箱の中身、包帯とガーゼと消毒液が減っていたので補充しておきましたよ」
何でもないことのようにナカシマは言った。隣では元宮が「え?」と僕に向く。
居づらくなったので、ベッドを降りて、ナカシマの背中を押しながら病室を出た。
「あのな……」
文句を言おうとしたが、やめた。廊下を行き交う看護師たち、静かとは言えない病院内だったが、久しぶりに二人きりだった。
「今、どこなんだ、所属は」
「干渉波研究の方です。元宮さんがいたところですね。入れ替わった形です」
……そう。と言って、僕はそれ以上訊けなかった。
意外にも、ナカシマが話を続けてきた。
「私では、教育に悪いと思ったので」
無表情のままだった。
「一応、男女ですから。何かが起きないとも限りません。元宮さんが適任と思って、強く推しました」
「……そうか」
嫌われたんじゃない。それだけわかって、気持ちは大分救われた。でも彼女の顔が見れない。何故だか泣きたい気分だった。
「キスしたらしいね」
真下からの声に、僕は飛び上がった。一体どこから湧いて出たのか、岸が間に入り込んでいた。
「大切な部下に手を出されて、僕はちょっと黙っていられないよ」
「……いつまでいるんだよ、お前は。早く東京に帰れ」
「まだ先日の処理が続いてるんだ。明日には戻るよ。というか君、会談のときはやっぱり猫かぶりだったんだねぇ。ナカシマの件といい、間違って育てちゃったかなぁ」
「いや、あんたに似たんだと思うよ」
こいつの口調は腹立つし、もう言ってしまえ。
「部下に手を出してた人間に色々言われたくないな。公表したら失脚ものじゃないか?」
「…………ん? 何だいそれ」
まるで思い当たらないという顔をされた。
「日替わりで女研究員に夜の相手をさせてたんだろ。上手なんだって? ははっ。もう僕は然るべき所に言うぞ。私怨そのものだが構うものか。裁かれろ、岸一平」
「ん……、夜の相手? もしかしてあれのことか」
そう言って岸は、精神ネットワーク上の娯楽の一つを説明し始めた。感覚的に僕には理解し得ない内容だったが、わかりやすく言い換えるとこうだ。
「ゲーム……」
「私の知る限りで所長が一番上手です」
「籠くんも誘えないのが残念だね。決して仲間外れじゃないから、怒らないでくれよ」
上機嫌に笑って、「それじゃ、少し寄っただけだから」と岸は去っていった。
「……」
僕の睨みつける視線に、ナカシマは動じる素振りもない。
「……わざと誤解を招くように言ったろ」
「よくわかりません」
確信的な狙いがなければあんな言い回しは出ない。さっきの救急箱のことだって、計って言ったに決まってる。こいつ……。
「私は、嘘が下手ですから」
「よく言うな、その口が……」
一瞬、小さな感情のようなものを目の中に見た。
「近くにいたら駄目だと思ったんです。だから距離を置きました」
な……、なんだそれは。
思っている間に、彼女は気のない表情に戻っていた。
「特別離れる理由もなくなりましたし、元宮さんも戻すように言っています。籠くんさえよければ、また私が担当になりますよ」
「え、いいのか」
教育にどうこう、男女がどうこういうのは……。
「籠くんの私に向ける好意は貴重なデータになります。勿論、包み隠さず伝えてください。性的なことまで全部です」
「お、おい」
「ただし」
空気の違和を感じた。
「触れたりなど、実質的な行為は厳禁です。そこは私個人の領域ですから」
なんとなく、前に進もうとしてみるが、見えない何かに阻まれる。
「新手の拷問か……」
彼女との距離は縮んだかもしれない。だが新しく生まれたのは壁だった。
更に数日が経った。前日に退院した僕は、学校からの連絡で本日の終業式にのみ出席、通常クラスと同様に冬季休暇に入ることとなっていた。
元宮は憎まれ口を叩きながら東京へ帰り、日課は元通りナカシマの役割となった。昨夜彼女から届けられたばかりの新品の制服を着て、マンションを出る。
「コモリっ」
両親に見送られて、こちらもぴかぴかの制服の一原が路地に出てきた。一応、脚に目をやるが、傷一つ残っていない。
「何でお前と僕の退院が一緒なのか、未だに納得いかない」
「え、いいじゃん」
並んで歩き出した。
理屈ではわかってる。弾丸は彼女の筋組織を一切傷つけずに貫通した。その上であの少女の処置が高精度だったこと。変に頭なんてのを打った僕の方が精密検査を要することになった。
「何だ、じゃあ僕のこの十円ハゲも、干渉波で細胞活性とかすれば治ってたのか? 僕はハゲ損かよ」
ハゲ損という単語がツボだったらしい。一原はその後しばらく笑い転げた。
晴れた冬空の下、同じ清瀧高の生徒が歩く中で、彼女の声だけがよく響く。もう気にせず僕も適当に話をするのだが、そのうち周囲からも実声が上がるのを感じる。感嘆の声が主だった。エクストラも変わっていく。事件の後で連中も大分騒がしくなった。朝の静寂が好きだった僕だが、まぁこれはこれでいい。
「今日からまた営業だよー。帰りに買って行ってねー」
商店街に入って、更に騒がしい奴が一人いた。たいやき屋の男だ。
僕と一原は頷き合い、関わらないよう身を低くして通り抜けようとする。そこを目ざとく呼び止められる。
「終業式は昼前に終わるだろ。ちょうど腹を空かしたところに売り込むわけ。考えたろ」
「天才ですね」
「すごいね」
「おい、適当にリアクションして立ち去るなよ」
僕と一原は渋々店前に戻った。
「実声の客引き、効果あるのか?」
「……久しぶりに会っていきなりタメ口なのが気になるけど、効果あるよ。むしろ頭の方だと他の情報に埋れちゃうから」
「過剰な営業っていうんだよね、それ」
「お、一原、難しい言葉を知ってるな」
「あと朝からの騒音もまずいんじゃないかな」
「ああ、確か法律で罰せられる」
「ちょ、ちょっと、二人とも息が合うのはわかったから、手加減してくれない?」
僕と一原は顔を見合わせる。
「あたしここのたいやき好き」
「たまに無性に食べたくなるよな。五枚ぐらい」
「わかったよ! 焼いとくよ! 呼び止めた俺が悪かった、早く学校行ってくれ!」
最早涙声。上手い世渡りというものを実践して学んだ僕たちは、いい気分で通学に戻った。
「何気に遅刻ギリギリじゃない?」
そうかもしれない。道に同校生は一人もいない。がらんとしたアーケードを走って抜けた。
一原の走りは、やはり気合が入らないと酷いものだが、それでも初期よりはマシに見える。僕も僕で慣れてきたのか、スムーズに体が動く気がした。
軽く息を切らして校門前に着く。通常クラスの教師が立っているのが見えた。
「そのまま体育館に行け。もう始まるぞ」
「すみません」
一原が頭を下げ、体育館へと直行する。広いホール内は大勢の生徒で埋まっていた。後ろ端に列ぶ八重丸たちに合流した。
「久しぶり〜」
「見舞いで毎日会ってたろ」
「学校で会うのは久しぶりだよ」
麻田と恵、そして要もいた。声をかけたが無視された。
「何だお前、喋ったのはあのとき限定か?」
「……」
「おい、集団行動がそれで成り立つと思うなよ」
「コモリが集団行動を語るとか……」
八重丸から静かにするよう指示が飛んだ。数秒して、壇上の教師の慣れない実声で終業式が始まった。
イレギュラー事件の余波だ。人本来の身体機能を疎かにしないという考えは、エクストラに受け入れられつつあった。一つの種として、内に潜む潜在思想家との調和を取ろうとしているのかもしれない。その柔軟性、変化し続ける姿に、悔しいが進化した人類というものを改めて感じさせられた。
『えー、過日起きたテロ事件でありますが、幸いにも一人の犠牲者もなく、我が校も皆揃って今日の終業式を迎えられたことを嬉しく思います』
校長の話が始まった。それに伴い、生徒達の視線がちらちらとこちらに向く。精神ネット上では校長の思考が筒抜けの為、連中は同じ話を二度聞くことになるわけだが……。どういうことだ。僕たちに関連した話題でも出るのか。
「表彰されるのかも」
一原が振り返って言った。
確かに……そうだ。僕たちが動かなければ、こいつらに何らかの被害が出ていた可能性もある。何せ命を張ったんだ。僕と一原は怪我までした。
「ど、どうする、髪の毛へんじゃないかな」
「僕こそおかしくないか」
「何か言わされるかも……。籠くんが喋って……」
「えっ、……ま、任せろ」
こうして目立つことは望んでいた。人前に出るのは久しぶりで緊張するが、大丈夫だ。
『ご存知のことと思いますが、この町を救ったのは、アメリカの天才少女、米国研究機関所属の——』
…………え?
『彼女の活躍により、町は平和を取り戻しました。私は事件発生時刻、職員会議の真っ最中だったのですが——』
……なんだって?
『残念なことに、事件の実行犯が教職員から出る事態となってしまいましたが。……皆さん、よそ見をしないように。担任の三浦教諭と、イントラクラス生徒は無関係です。壇上に目を戻して下さい』
ぐらりと僕は倒れかかった。後ろの恵に当たって、八重丸に支えられた。
閉式の際に教頭から声をかけられ、僕たちはここで解散、下校と伝えられた。成績の通知なども担任不在の為行えず、諸々の不具合に関しては休暇明けからの調整がされるとのこと。
「クラスは三学期からも継続する。国の都合に振り回されて可哀想とは思うが……」
「まぁ、頑張ります」
イントラ教育の終了自体がイレギュラー用の罠であったことは既に公表されていて、関係者には謝罪、必要に応じた賠償も終わっている。岸の敵技術の読み違えから大惨事に発展しかねなかった件については、当然ながら見事な手腕で彼は責任を回避し、全てをあやふやにした上で美談に収めたらしい。損を被ったのは、その美談の構成上で埋れた者たちだ。
八重丸たちが鞄を取りにいく為、全員で教室に向かうこととなった。ついでに施錠をして下校だ。事件以後イライラしっぱなしの僕は、乱暴に教室の扉を開けた。
カラフルな装飾が目に飛び込んできた。
「片付けていいかわからなくて」八重丸が言った。
黒板にはクラス一人一人の名前が書かれている。
麻田杏奈、一原凛、木下要、籠竜、律儀に出席順だ。恵那影、八重丸紗絵、三浦晴子——。
一原が席に座った。
鞄を取りにきただけの八重丸も、席についた。
すると他三人もぞろぞろと自席に向かう。
何もかも元通りじゃないってか。こいつらにとっては、不意に身近なものが欠けたことになる。無論僕にだってそれは同じだ。連中よりは多少ドライに処理できてはいるが、あれがある種僕たちの一番の理解者であったのも事実だ。
「どうでもいいんだよ」
僕は黒板の名前を一気に消した。
「あーーっ!」
悲鳴が上がるなか、チョークの腹を使ってガシガシと板書する。ここ数日の怒りを全てぶつけるように、
『打』『倒』『ア』『メ』『リ』『カ』『女』『!』『!』『!』
「あいつをどうにかして、僕の前に跪かせる」
黒板を思いっきり叩いた。文字に手形がついた。
「面と向かって、あそこまで馬鹿にされたのは初めてだった……。その時点で怒りは収まらなかったが、まあいいとしよう。問題は今日のことだ。なんで何もかもあいつの手柄になってるんだ?」
「だってあの子が機械も壊したし」
「そこまで状況を導いたのは僕らだ! お前は悔しくないのか一原!」
「ぜんぜん」
「壇上に上がらないで済んだもんね」
こいつら、話にならない。
僕はガリガリと、今後の予定を板書した。
「競技会の計画を再度推し進める。エクストラとの陸上徒競走、当然相手はあのアメリカ女だ。一原、麻田、期待してるぞ。全国、いや、全世界の注目の前であいつを負かせ」
まずは冬休み返上で特訓と国への意見を同時にやる。ええー、と声が上がった。目標は四月だ。三ヶ月で全ての準備を終える。三学期に元通り授業をやるとしても糞食らえだ。
「やってやるぞ。全員で、エクストラの頂点をぶちのめすんだ」
一原によって、板書が一気に消された。
「あーーっ!」
「そんなのより今日は大事な日なんだから」
黒板に『クリスマスおめでとう』というわけのわからん文句が書かれた。僕は書いている側からクリスマスの部分を消していった。
「あーーっ!」
「クリスマスは僕の誕生日と一緒に祝ってきたんだ」
右手で消しつつ、左手で書き足す。
『籠竜くん(天才)おめでとう』
「なにその理屈!」
「お前ら祝え。イントラクラス、そして僕の勝利の前祝いだ」
一原は僕の名前の部分を自分のものに書き替えた。
「ああーーっ!」
そんなことをしているうちに入口からたいやき屋の男がやってきて、「研究機関の木下さんって人から注文受けたんですけど、ここでいいの? てか、うち大体配達やってないんだけど」大量のたいやきを机に置いた。要が機関名義で領収書を切った。
外で突然自販機の音がしたかと思うと、恵がジュース缶を人数分持って帰ってきた。麻田の席では、重箱三段の和食弁当が静かに広げられた。「麻田さん、あの日から毎日作ってきてたんだよ。お別れ会に備えて」僕は人知れずガッツポーズをした。
窓の外には通常クラス生の下校風景がある。室内の様子に気づいた何人かが、興味深げに視線を寄越した。今年初めての雪が舞っていた。
ふと一原と目が合った。
ぴたりと缶を持つ動きが止まって、それから自然と笑顔になった。
……だからそういうの、おかしいだろ。
僕が笑ってたみたいじゃないか。
ありがとうございました。
お疲れ様でした。
明日からは『STEALTH ーステルスー』という作品を掲載していきます。