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7 雷

 イントラ学習施設前には、既に恵と八重丸がいた。ぼろぼろの僕に、八重丸は目を大きくして驚いた。

「だ、大丈夫?」

「……近寄るな。何するかわからないぞ、僕は」

 入り口前にどっかりと座った。僕を連れて来た要に、うまく開かない目をやった。彼はひとつ頷き、話し始める。

「極めて悪質な干渉波妨害が市内全域にて観測された。精神ネットワークを通じて対象に昏睡を引き起こす擬似干渉波だ」

 ぽつりと灯る電灯の下、要は淡々と続ける。八重丸は語られる事実よりも、語り手の方に驚愕を向けていた。

「承知とは思うが、リンクシステムは各自治体ごとの管理だ。被害は他市に広がる前に遮断された。よって発生の中心であるこの町は孤立状態にある。国の方で対処は進めているが、一秒でも早い解決が望ましい。そこで貴様らの出番となった」

「要くんって……」八重丸が恐る恐る言った。

「私の身分に関して、質問は受け付けていない」

 僕は笑うしかなかった。正直エクストラが全員ぶっ倒れたことよりも、こいつの変貌ぶりの方が衝撃だ。

「今回の干渉波テロ、犯行は——」

「イレギュラー思想集団だろ」

 僕を一瞥して、要は続けた。

「集団と呼べるかも定かではない。名前もない、しかし繋がりを持ったイレギュラー達だ」

 発見されれば即リカバリの標的とされる思想同士が、繋がるという違和。だがそうとしか予想がつかない。単独でできる規模はとうに超えている。

「先日繁華街で逮捕された男の家から、ある機械が見つかった。家とほぼ一体化した大掛かりなものだが、それは、ある一定の波長の干渉波をブロックするというもの。言うまでもなく、ブロックされていたのはイレギュラー思想だ」

 家を出れば思想を感知されると言っていた男……。地中のリンクを掘り返したイかれ野郎と元宮は言ったが、事実は予想以上だった。

「家の施工は十年前。機械の設置も同じと見られている。そして同時期に建った用途不明の物件がこの町には三件。調べたところ、いずれも架空企業の所有だ。もうわかるな、籠竜」

 成る程、アジトね。

「そこで秘密の語らいがされていたわけか。エクストラの悪口大会」

 要は頷いた。

「これから襲撃し、恐らくあるだろう擬似干渉波発生装置を破壊する。便宜上これを〝ジャマー〟と名付ける」

 ノートが地面に広げられた。僕は目を見張った。書かれていた細かい文字は全てノイズと化し、光学ホログラムによる地図が現れた。

「三箇所のいずれか、もしくは全てにジャマーはある。形状はわかりやすいと思う。大規模なアンテナがついているはずだ」

 そこまで言ったところで、足音がした。校門側から人影が二つ。麻田と、連れられてきた一原だった。

 目が合って、すぐに逸らされた。

「二人一組の三手に別れる。話は聞いていたな、八重丸紗絵」

「は、はい」

「貴様は麻田と組んで西区の建物へ。私と恵は東区へと向かう。地図を渡しておこう」

 ページを二枚破って、僕と八重丸に渡した。ホログラム標示はされたままだ。こういう技術は廃れたと思っていたが……。

「施設内のジャマーを破壊後は、速やかに他施設の支援に向かうこと。何人かは室内に入れたが、道端に放置されているのは健康な若者だけというわけではないからな。不幸が出ることはくれぐれも避けたい。頼むぞ」

「簡単に言ってないか。施設を襲撃、装置を破壊? あのな、僕たちは人以下……」

「計算では可能だ。貴様が見つけた一原凛の身体能力も、私は科学的に説明付けている」

 咄嗟に振り向いて見ると、一原は驚いた顔をした。

「彼女は常人にない筋肉が発達しているだけだ。それが特殊な心理状態でのみ活性化する。恵那影と麻田杏奈はまた違うが、身体能力という点では似たようなもの。あとは判断、指示ができる者が一人いれば作戦には問題ない。そのあたりの配分を考慮してチームは編成した」

 こいつ、有無を言わせない口調だ。

「地図を見ろ。状況に不足はないはずだ。それとも自分には無理と言うか、籠」

 全員が見ている。そして時間も迫っている。それでも僕は言った。

「理由がない。僕は別にこのままでいいんだが? エクストラが全員死んだところで……」

「貴様がどう思おうとこれは決定されたことだ。籠竜と一原凛は南区の架空物件に向かう。敵の抵抗がもしあるかもしれないが、無論乗り越え目的を達成する想定だ。貴様は裏切らない働きをすればいい」

 ……この野郎。

「質問が他にないのなら、ここで解散、作戦開始とする。八重丸紗絵、いいな」

 僕を見て複雑な表情をしていた八重丸は、向き直って強く頷いた。

 要が合図をし、各々がペアと行動を開始したその拍子、手から地図が奪われる。一原は無言で目を落とし、こちらに少しの注意もなくなった。

「来なくていいから」

 やがて独り言のように言った。

「邪魔だし。迷惑だし。不快」

「…………ああそう」

 地図がびりびりと破かれた。ノイズが散ってそれは僕の足元で舞った。一原は校門に走り出していた。

 遠ざかっていく小さな背中。僕と並んで走った日は何だったのか。破格の俊足だった。

 考えたのは、僅か数秒のことだっただろう。昔聞いた、イントラの精神欠陥のことだ。

 干渉波で物や心を感じられるエクストラと違い、干渉波異常はいわば触覚が一本少ないのと同じ。この世にあるものの尊さ、人の心の儚さをわかろうともわかれない。

 だから、壊してしまうんだそうだ。与えられた玩具をバラバラにしてしまったとき、怒られるのではなくただそのことを告げられた。三歳の僕が彼女の言葉に年不相応の理解と興味を示したことが今に繋がっているというのは、なかなかに皮肉な話と言っていい。

 また壊した。好き好んで僕は壊した。一原との関係に尊いものを覚えなかったわけではない。確かに感じた安息を、充実を、僕は喜んで叩き壊した。

「……」

 だけど、それはイントラだからじゃない。

 確かに僕は優しくない。配慮が足りない。でも、干渉波異常のせいじゃない。わからないやつが多いんだよな。研究員も、そもそもの母親も、勘違い甚だしい。僕は天邪鬼なだけだ。壊すなと言われたものをつい壊してしまうだけ。決してこの結果は、イントラであることが招いたものじゃないんだ。

 何か一つ失敗をする度に、呪いのように頭を巡る言葉があった。誰に言われたわけでもない。恐らく起源は母親にあると思うが、彼女が直接口にしたものではない。一人になって数年、今やもう僕自身が抱える問題だ。打破する術は、当然心得ている。

「僕は、籠竜だ」

 殆ど息と変わらない声で言う。

「イントラ、エクストラ、そういうどこぞの馬鹿が決めた枠組みに入る者じゃない。特別なんだ」

 僕は、イントラじゃない。人の嫌がることが大好きな、最低のクズだ。走って一原に追いつけるか。大分遠ざかってしまったが、やるだけやるか。きっと僕の顔を見れば面白い反応が得られる。また殴られるかもな。ぞくぞくするな。ははは!

「行かなくていいのか、籠竜。一原だけでは作戦の危険値が跳ね上がる」

「わかってるよ! くそ!」

 クソデブを置いて走り出した。畜生、一原凛。お前のせいで全力疾走する理由ができちまったじゃないか、……死んで詫びろ馬鹿!


 南区春日三丁目、大通りに面して飲食店などの店舗が並ぶ区画。家電量販店の駐車場前で途方に暮れていたショートの頭を追い抜き様に叩く。

「こっちだ、来い」

 一原は睨んでついてきた。その目つきも若干きまりが悪いふうだった。

「迷ったんじゃないし」

「そうか。僕を待っててくれたんだな。どうも」

「気持ち悪い。三メートル離れて」

「いいけど、迷子になるなよ」

「ふざけんな、ばか。ばーか」

 たまに罵られるのもいいな。なんて思っていたら頭を叩き返された。痛……。すっかり忘れていたが、顔面ぼこぼこだし、瀕死の状態で敵地に乗り込む流れだ。

「一原、次を右」

「口聞かないで」

「……」

 住宅地に入っていく。塀の傍、道路のど真ん中などに倒れた人間が目に付く。幼児だとか老人がいないことを冷静に確認している自分がいて、可笑しくなった。そうだ、やるからには全力で。一人の犠牲も出してはならない。僕の名誉に関わる。

 一原がじっと見ているのに気づく。また気持ち悪いとか言われると思ったが、意外にもぷいと顔を逸らすだけだった。

 地図の暗記に自信があったわけではなかった。だが目的地点には難なく到達した。白塗りの二階建て、会館のような規模、用途不明を絵に描いたような怪しさですぐにわかった。

「ここだ」

 閉ざされたフェンスを路地の陰から見やる。一原はそろっと半身を出すと、一気に駆け出そうとした。当然想定内だった僕は、肩を掴んで止めた。その拍子に悲鳴を上げかかったので、

「——!」

 口を塞いで路地陰に引っ張り込んだ。もうこの世の終わりの如く暴れまわる一原をどうにか押さえつける。

 フェンスの死角から白シャツの男が訝しむ顔を覗かせた。僕は一原を拘束したまま更に後ろに下がった。

「……どうしたら真正面から突っ込もうと思うんだ」

 一原の口を自由にした。

「……なんとなく」

「いいな、おい。なんとなくで行動できる奴は」

「……身体近い」

 確かに。密着だ。

「もう何もしないから。我慢しろ」

 そう言ってフェンスの様子を伺う。と、頬をつねられて無理矢理振り向かされた。

「散々触っておいて、最低……。全部終わったら、ちゃんと」

「ちゃんと謝るよ。相応の埋め合わせもする」

「う……、うん」

 またこいつのご機嫌とりが始まったか。流石に元の状態に戻すには時間がかかりそうだが。とりあえず……、

「ほっぺを離してくれ」腫れた頬を依然掴まれていた。

「痛い?」

「痛い。離せ」

 一原はこくんと頷いて、指を離すかと思えば、なんと摘まんだまま思い切り引っ張った。

「い゛っ!」

 夜の静寂に短い叫びが響いた。更に悪いことに、痛みに我を忘れた僕は民家の塀から転がり出てしまう。フェンスの向こうの男と目が合う——。

 同時、駆ける軽快な音。路地を一瞬で渡った影は、フェンスを飛び越え様に男へと華麗な蹴りを見舞った。

 僕は唖然とした。隣に一原はいなかった。敵アジトの敷地内に、男を踏みつけて既にいる。

「はやく! コモリはやく!」

 大声。

 もう色々とどうでもよくなって、がちゃがちゃ音を立てながらフェンスを登った。

「急がなきゃいけないんだから。こいつら全部倒さないと」

「今お前、どんな動きしたかわかってるか」

 フェンスは僕の額ぐらいの高さ。一原は頭も出ない。常人にない筋肉、か……。

「ねぇ、どう行けばいいの。あの建物に入ればいいんだよね」

「ここまで好き勝手やっといて僕に意見求めるか」

 駐車スペースと庭を兼ねた空間の先に、少ない街灯でもわかる白塗りの建築物がある。正面突破か。しかしここにきてそれが案外有効かもしれないことに気づく。イレギュラー思想家はイントラを神聖視している。国の動きには敏感になっているかもしれないが、まさかそれと僕たちが繋がっているとは思いもしないはず。ごめんくださいと入って行けば、普通に歓迎されるような気がする。

「ん……。なんだろこれ」

 一原が暗闇で何かを拾い上げた。異様に黒い物体だった。材質は鉄のようで、ゴツゴツしている。倒れた男が持っていたものと思われた。

「よし。正面突破はやめよう」

「え、なにこれ。なんだったの」

 一原から銃を奪って、懐に入れた。速やかに塀に沿った茂みの中へ隠れる。うまく迂回して、建物に裏口や窓があればそこから入ることにした。

 少し進んだところで光の漏れる窓を発見。今度は慎重にいくよう一原に念を押して、覗き込む。

 広い造りの部屋に、やはり白シャツ姿の男が二人。この状況下でエクストラが動いている事実を改めて認識する。そのからくりは、極めて簡単だろう。特定の思想だけを遮断する技術があるぐらいだ。本人らが作った擬似干渉波への防御も、当然備えていなければ馬鹿ということになる。

「相手がお前並の頭ならな……。いや流石にお前もそこまでじゃないか」

 苦笑して言う僕だが、しかしそれ以上の馬鹿を見た。いると思った話しかけた隣に、彼女はいなかったのだ。

「裏口あるし」

 数メートル先の簡素なドアを普通に開けて中に入る一原。直後、どたんばたんと物音がして、少女の泣きそうな声。「コモリ助けてぇー!」

 舌打ちをしつつ踏み込むと、なんと男を後ろから拘束する一原の姿があった。しかし体格差か、すぐに振りほどかれそうだ。そうでなくても物質干渉を起こされたら終わる。今しかない。

「一原、離すなよ」叫び様に目についた腰の機械を引きちぎった。

 男はふっと気を失ったように、一原を背中に乗せたまま倒れ込んだ。……どうやら当たりだ。

「あ、ありがとう」

「いいから逃げるぞ」狭い廊下を反響する足音が聞こえる。手をとって、外へと連れ出した。

「でも、逃げたらみんなが」

「僕たちが殺されてもいいのか。まだチャンスはある。体勢を整えて出直せば——」

 差し掛かったさっきの窓から、無人の部屋が見えた。

「くそ……」逃げようとした矢先、そのチャンスが飛び込んできやがった。

 そしてどうやら迷う暇もない。僕は下着を見たのだ。大胆に舞ったスカートから伸びる脚は、窓枠を突き破った。強化ガラスは割れもせず、窓枠ごと部屋内に転がった。

「一原、それでいい……」

「え?」部屋に身を入れながら振り返る一原。

「それでいい!」

 尻を思い切り押しやった。裏口からは男が大勢来ていた。そうだ、逃げ腰になるくらいなら馬鹿の方がいい。少なくとも、今を悔いなくて済む。男の一人が声を上げた。「入られたぞ!」僕は地を蹴って、一原の後に飛び込んだ。

「馬鹿ばっかりだ、全員で来てやがる!」

 廊下はガラガラだった。一原の背中を押しながら、一気に駆ける。

「次どっち!?」

「左!」

 地図で見た外観から、内部構造は想像できる。施設中心部に、最も大きな空間がある。恐らくそこだ。

「やることはわかってるな! 敵は一秒以内に倒せ! 装置があったら壊せ! 終わったら全力で逃げろ!」

「よくわかんない! 全部蹴ればいいの!?」

「そうだ!」

 更に一つ角を折れて、正面。両開きの大きなドアがあった。勢いで入ろうとするが、固い手応えが返される。まさか、干渉波認証か。後ろからは大勢の足音が迫っている。

「どいて!」

 咄嗟に身を伏せると同時、鉄扉は吹き飛ばされた。脚を下ろして一原は室内に入る。もう言葉も出ず、僕も後に続いた。

 全面白塗りの大部屋、その大部分を機械が占め、中央には柱型の全方位型アンテナがあった。あの規模なら二台も三台も必要ない。つまり大当たりというわけだ。

「一原注意しろ!」人影は見当たらないが、守りを講じていないはずがない。「自動火器、もしくは——」

 前を行っていた一原が急に立ち止まった。僕は止まりきれず、その背中に突っ込んだ。二人して転倒するかと思いきや、壁にでも当たったかのような制動がかかった。しかし目の前には何もない。

「う……」

 苦しげな一原の表情で理解する。

 物質干渉だ。

 次の瞬間、全身が拘束を受ける。以前女子高生にやられた時より数段強く、鋭い針金のような感触。

「くそ!」

 エクストラがどこかにいる。こうなればもう終わりだ。銃で頭を一撃、いや、首をちょっと締めれば片がつく。焦りすぎた。僕とあろうものが。

「出て来い、卑怯だぞ!」

 有効だから隠れているわけであって卑怯も糞もないのだが、言えることは全部言ってやる。それで事態が好転すれば儲けだ。

「馬鹿! 死ね! お前ら全員!」

 追ってきた男たちが部屋に踏み込む足音。

「僕は天才だぞ! 高IQの希少人種だ! 殺すなよ、絶対殺すな! こ、殺さないでください、お願いします!」

「コモリ……」一原の残念そうな顔。

「これはその、魔が差したんです! 要とかいうわけのわからん奴に唆されたんです。助けてっ! 撃たないで! なんだよ一原、そんな目で見るな。お前も涙を流せ! 僕は命が助かるなら糞小便も流せるぞ! あのっ、隣のこいつは馬鹿なんですけど一緒に助けてやってください! 二人で何でもしますから。何でもしますから!! ひいっ……!(銃を一斉に構える音が聞こえた)わああああ! ぎゃあああああっああぁあぁあーーー!!」

「さ、さすがに幻滅した……」

 室内に反響する僕の叫び。哀れむような一原の呟き。全てが銃声に塗り変わるまでの混沌の時の中で、その高い靴音だけは、はっきりと耳に届いた。

 機械の裏。恐らく制御の為の空間から、見覚えのある姿が出てきた。

「寝不足……。いけないわね。肌が荒れるわ」

 一原は目を見開いていた。僕の絶叫も、止まざるを得なかった。

「合コン、婚活……仕事もあるし、寝る時間なんてまともに取れない。そんな中でも、女の魅力は維持している自負はある」

 ロングの黒髪を靡かせ、彼女は僕たちの前に立った。

「でもね、どうもうまくいかないの。いつも私だけあぶれちゃうの。顔かしら?……いえ、自分でもそれなりと思うわ。スタイルも、割といけてるわよね。籠くん。一原さん」

「先生……」

 三浦は、薄笑みを浮かべた。

「やっぱり、この思想のせいよね」

 右手の銃が、僕たちに向けられた。

「あんた……」

「籠くん。さっきの叫びはよかったわ。あれこそが人間よ。屈折があるからこその美しさ。一原さんも、とても純粋……。幼いだなんて言わせないわ。あなたの、誰よりもけがれなき魂は」

 三浦は左手で制止の合図をした。入口からの殺気は止んだ。

「籠くん、残念だったわよね。例の国への進言がうまくいけば、私たちもこれを強行することはなかったのよ。あなたたちが自力で、世界に認められることができるのならば、私も彼らもそれを見てみたいと思った。しかし連中は……イントラが優れた能力を持つことへの嫉妬かしらね。意地悪く握り潰してきたわ。いつもそうなの。あいつらは」

 イレギュラー思想家……。研究でも血縁でもなく、イントラへの理解を持つ者。彼女がそれであることは、考えてみれば必然と言えた。

 想像に足りなかったのは一つ。思想をブロックする技術の存在だ。

 僕の探る視線に気づいたのか、三浦は「これかしら?」とスカートを捲り、太腿の装置を見せた。

「……ずっと怯えながら生きてきたわ。他人と違う考えを必死に隠しながら。夢だった教師も、諦めた。だって私が何を教えられるの? 子供たちを異に導くことしかできないわ。誰かと話せば、世の中への違和は広がるし、根底の思想も知られかねない。人と関わらない職場で無心に働いて、気づけばいい歳になっていた」

 僕たちを見る。今までにない温かな視線だった。

「この技術に救われたわ。あなたたちとの時間は本当に楽しかった」

 思想が解放された為か。これが本来の、僕たちへの感情。

「そして私は、導いてあげなくてはいけない。イントラの新時代へと。あなたたちは、子を成しなさい。それが全ての鍵となるわ。歴史を、さあ、戻すのよ。過ちの未来を捨て、人は過去に還るの」

 三浦は左手にもう一丁の銃を抜いた。「電気麻酔よ。少し痛いけど、我慢してね」

 照準は僕に向けられる。言葉は出なかった。彼女の言ったそれは、僕が一度選んだものと同じだった。

 間違いと言えば、確かに間違いだ。しかし正しいと言えば、確かに正しい。少なくとも、僕に共感を禁じ得る理由はない。

「先生、やめて」

 口を開いたのは一原だった。

「その機械を……壊させてください。それのせいで、お父さんとお母さんが動かない。あたし、むずかしいことは嫌です」

 三浦の眉がぴくりと動いた。

「毎日、楽しかったんです。返してください。……もしかしたら、そのうち家族が増えるんです。エクストラの弟か妹が、お父さんとお母さんに生まれるんです。あたし、よくわかんないけど、それで二人がもっと幸せになれるんです。だから楽しみにしてるんです……」

 信じられないものを見た。鉄の拘束具と同様の強固な物質干渉から、一原は身体を動かしていた。

 一歩、前に進んだ。

「もうやめてください」

「す、凄いわ、一原さん」

 更に一歩。三浦を睨みつけて、叫ぶ。

「返してください。……返して!」

 照準は一原へと向けられた。歓喜と焦燥の入り混じった顔で、三浦は引鉄を引く。

 瞬間、背後で悲鳴が上がった。注意が逸れて拘束が解けたのか、僕は振り向けた。入口で白シャツの男たちが軒並み倒れ、床に小型機械が散らばった。室内に侵入する影——、

 乱れるような銃声は、それを上回る炸裂音でかき消えた。放たれた電気弾を爆ぜ散らせ、不可視の衝撃は三浦の銃を弾き飛ばした。

「要!」

 小太りの少年の周囲にラップ音が生じる。それは三浦が咄嗟に放った現象と衝突し、鋭い光を発生させた。

「東区の施設はダミーだった。加勢させてもらう」

 細い眼光が三浦を捉えた。両者の間に再度、炸裂現象が起こり、三浦は僅かに仰け反る。

 こいつ……やはりエクストラ!

「自力での干渉波制御は国もやってきたが、機械で同じことを民間がしているとはな。しかも我々が出した結果は、極選ばれし高能力者のみにしか無干渉状態を作り出せないというお粗末なものだ」

「私の、監視かしら……? いえ、違うわね。あなたはクラスのデータを直に取るために国から紛れ込んだ」

「ご名答だ」

 更に強力な衝撃が三浦を吹き飛ばし、背後のアンテナに叩きつけた。いける——。

「ところで籠竜。私はこの辺りが限界のようだ」細い目をしばたたかせ、途端に要はふらついた。「干渉波の解放は当然、擬似干渉波も受け入れることになる。今の一撃で装置を壊せればよかったのだが。……あとは、頼んだぞ」

 頭から床に倒れこんだ。おい……まて。何しに出てきたんだ……?

 次に起こった突風に、僕は巻かれた。床を転げ、頭を打って、入口までゴミ屑のように吹き飛ばされた。

 被撃で服はボロボロ、片方裸足の三浦が、銃を構えた。

「やられるわけにはいかないのよね……。例えあなたたちが賛同しなくても、私が新しい世界を作るわ。実弾を当てるけれど、頭は外すから許して頂戴————って、一原さん!」

 部屋隅の機械に銃弾が飛んだ。隙間に入り込む影が見えた。

 直後、機械の外装が蹴られる音。

「コモリ、どこ壊せばいいの!?」

 僕は、どうやら頭から出血があるらしく、意識も朧げで、返事に苦労した。

「アンテナ、だよ……。アンテナを狙え……。三浦の後ろだ……!」

 わかった、と声がした。

 そして彼女は飛び出した。三浦が銃を向ける空間へ堂々と。すぐさま発砲がされる。一原が蹴った直後の床が小さく爆ぜた。

「止まりなさい、一原さん!」続けざまに乱射する三浦。しかしただ真っ直ぐ走るだけの少女を、寸でで捉えられない。

 両者間の空間が歪む。埃と硝煙が舞う中で、針金状の干渉波が浮き出した。僕は意識の混濁をねじ伏せ、叫ぶ。

「構わず突っ切れ!」

 破裂音と同時に、光が散った。バラバラの針金が一原の後ろを舞った。

 三十路女の顔面を、靴底が捉えた。

 そのとき思わず拳を握って声を出してしまった僕だが、確かに聴いていた。空気を叩くような銃声。そして遅れて噴出する、真っ赤な液体。

 歳の一回り違う女二人は、同時に倒れた。一原の、左脚からの出血はおびただしく広がっていく。

 数秒の時が経つ。悲鳴のような呼吸が聴こえていた。……一原のものではない。

 顔を覆いながら三浦は銃を突きつける。

「恐ろしい……。恐ろしい子……。籠くん、そこからは見えないでしょうけど、彼女、私を睨みつけているのよ! 血に浸った髪の間から覗くこの眼光! 私は失禁しそうよ!」

 ……何。

 耳を疑っていると、即時に目も疑うことになった。一原の身体が、発作的に動いて、起き上がる姿勢に入ったのだ。手をつき、膝をつき、撃たれた脚すらも使って。

「返して、せんせい。…………返せ」

 ——理解した。

 彼女は守る為にのみ強い。

 自らを取り囲む世界、温かい時間、愛情、それらが奪われようとするとき、彼女は戦う力を得る。

「撃、撃っていいわよね! 私、殺されるわ! この子を起き上がらせたら、もう、どうなるかわからない! ふふふ、撃つわよ! ははははは!」

 三浦が引鉄を絞った時、僕もまた、懐から抜いた銃を彼女に向けていた。照準、発砲の為の動作は速かった。これが何故の焦燥かはわからない。一原を殺させない為。不本意ではあれ目的を達する為。……いや。

 馬鹿な女が守ろうとしているものを、僕も守りたいと思った。

 全てに導かれた流れを、エラー音が遮る。

「……」

 引鉄は弾けなかった。セーフティ解除は手動式。当然、エクストラ世界での〝手動〟だ。

 ここでも、干渉波かよ……は、はは……。

 絶望のなかで聴いた銃声。叫んだ僕の声はとても遠かった。この世のものでないように感じた。景色も掠れていた。崩れていたかもしれない。

 怪我が見せた幻影か。それとも僕の心象風景なのか。涙とかいう馬鹿げたもので全てが朧になったとき、僕はようやく、彼女を助けたかったことに気づいたのだ。

 瞬きを一つ。涙滴の落ちた視界——、

 景色は、確かに崩壊していた。

 天井が落ち、空いた夜空に月が見えた。星が見えた。不釣合いな飛行体が見えた。

 極大の雷が地上に走った。それは噴煙で可視化された干渉波だったが、恐らくそれでなくとも可視率は高い。月よりも明るい。女教師は一瞬で飲まれた。

 同時、部屋の大半を占めていたジャマーが火花を噴き出す。アンテナの破片が一帯を輝かせた。その中に、金髪の少女がいた。

「よっ、と」

 眼前にスーツの女が降り立った。

「お久しぶりです、籠くん。間に合ったみたいですね」

 ヘリの音が頭上でしていた。

「とはいえ、ぼろぼろで出血もあるようですが。……それは涙ですか? 泣きたいときは我慢しない方がいいですよ。お、溢れてきましたね」

「うるさい」

 拭おうとする彼女の手を振り払った。袖で瞼を思いきり擦った。

「何なんだよ、これは。あいつは何だ」

「それは僕が説明しよう」

 するするするーとヘリからロープ伝いに岸が降りてきた。だが着地に失敗した為、数秒待つことになった。

「まず君には謝らないとね。騙してすまなかった」

 腰を摩る岸はそっちのけで、ナカシマは僕の傷の処置をする。ジャマーの残骸の前では、一原が少女に手当てを受けていた。

「あの会談の日、受け取った記録映像から特殊な心理傾向を見つけた。ナカシマは気づかなかったようだけどね。あの女性のものだ」倒れた三浦を見る。「思想を制御する技術……それでも潜在意識までは誤魔化せないらしいね。抑えたことでむしろ歪となって、記録映像、または絵画などの作品には顕著に出る」

「所長は心理のエキスパートです。イレギュラーを見抜かせたら世界でも右に出るものはいません」

 いやいやよしてくれよ、と謙遜して岸は続けた。

「初日は様子を見させてもらった。僕も驚いたからね。まさか籠くんの背後にイレギュラーが関与してるなんて。その後、思想家の素姓が割れたところで、動きを誘発する為の揺さぶりをかけた。彼女——三浦教諭は以前にもイントラの教育で進言があったからね。冷たくあしらって追い詰めて、牙を剥くのを待った」

「誤算だったんだろ」

「ああ。その点でも謝らなくてはいけない。一原さんにも。——でもね、イントラの能力は伝わったよ。少なくとも、ただ走るだけよりはずっと」

 金髪の少女がいつの間にか側にきていた。

「彼女が撮ってくれていた。千里眼ってわかるかい? 遠くで起こったことを、壁なんかも透過して見る力。フィクションのものとは違って、彼女のは強力な干渉波によるソナーのようなものだけど」

 少女は岸に映像を送ったらしい。無言のやりとりがあった。

「見る価値はありませんよ。所詮はイントラ。検討することもない」

 少女は言った。よく見れば西洋の顔立ちだ。

「彼女はアメリカから来た干渉波制御の天才でね。向こうでこういう事態には慣れているらしいから、協力してもらった」

 エクストラの……天才。

「私がいなかったらどうなっていたか。岸さん、しっかりお願いしますよ」

「歳だからねぇ。ま、研究員と警察総動員で何とかなったとは思うけど」

 少女の青い目が僕を見下ろした。

「ご苦労様とだけ言っておくわ。あなたたちの働きで、私がスムーズに対処できた。————訂正」

 一原の方を見やった。

「あの子の手当てが面倒だったわ。五十点ね」

 少女は踵を返した。

 室内を夜風が満たしていた。空に響く何台ものヘリの音が、事態の収束を告げていた。

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