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6 反転

「お別れ会とか、すべき……?」

 卵焼きを口に運びながら、実に真剣な顔で一原が言った。

「気が早いな。まだ正式に解散が知らされたわけでもないのに」

 僕は相変わらず惣菜パンに、弁当の蓋の上にはお供え物のようなおかず類。なんだか情けないし要らないといったのだが、彼女たちはやめようとしない。

「そうだよ。まだなんとかなるかもしれないし」

 そう言いながらも一番気が早い八重丸は泣いている。しきりに眼鏡を上げて涙を拭いて、さっきから全然食事が進んでいない。

 なんとかなる、か。これが普通の状態だったら、僕もそう言えたかもしれない。

 だが相手は岸だ。少しの敗北も嫌う完全主義。例えば最も身近なところで、彼女らの親が意義を唱えたとして、それを封殺する手段は既に用意しているだろう。

 何故こうまで奴を敵に回してしまったのか。はっきりとはわからないが予想はできる。一度は切り捨てた僕がまた縋ってきたのが気に入らなかった。エクストラ研究に機関の比重が傾いた。これは有力だろう。以前からあった流れだ。

 ……あるいは、ナカシマのこと。

 考えたくもないな。親密な部下である彼女に、生意気なイントラのガキが手を出したことへの制裁か。案外一番当たっているかもしれない。あのジジイは子供っぽいから。

 今の学習の無意味さを暴いたのもあるし、今更ながら原因は殆ど僕だな。こいつらの場所を奪ったのは僕だ。初日の一原に続き、間接的に八重丸も泣かした。だからってどうとも思わないが、流石だよな。流石は天才だよ。

「でもさえまる、遊べるよ。今度は家で遊べばいいんじゃん。メグミとか、カナメとか、麻田さんも呼んで」

 一原が言って、八重丸は少し明るくなった。

 これは、言わないべきかな。

 僕はともかく、学校の為にわざわざここに住んでいるイントラの家族は、もう国からの金も出ないだろうし、居続ける意味がない。こんな田舎は出て、親戚のところなり、もっと栄えた地域に行くのが賢明だ。最悪に最悪を重ねて考えれば、イントラ同士が引き離される可能性もある。今回のことを間違いだと国が認識しているのなら、あり得なくもない。

 ようやく弁当の半分を空けた八重丸だったが、またすぐ悲しそうな顔になる。

「今からそれだと、後から泣けなくなるぞ。年末にかかるし、少なくとも一月は先だろうから」

 何普通に喋っているんだろう、僕は。

 もうこいつらと仲良くする必要なんてないのに。

「一週間お別れムードで、次の一週間は少し落ち着いて、いざ最後の一週間は微妙なまま過ごすんだ」

 笑わせようとしてるのかよ。……ダサいな。

「それヘンだね」

 一原の隣で、食べながらの八重丸がくすくすと笑った。

 味を占めた僕は、僕用のおかずの配置を変えて、顔のようなものを作ってみせた。

 八重丸は咳き込んだ。

 一原が調子に乗って、その目にあたる部分を極端に離すと、八重丸は耐えられず椅子から転げ落ちた。

「食べ物で遊ぶなよ」

「コモリが最初にやったんだよ?」

「僕のおかずだからいいんだよ。箸をつけるなよ、箸を。お前の口に入れた箸を」

「あたしがあげた卵焼きじゃん」

 今度は物凄く寄り目の顔を作った。

「今は僕のだ。おい、恋人でもない女の唾液なんて無理なんだよ。やめろよ」

「あっ、ご、ごめん籠くん」椅子に復帰した八重丸が、さっき寄越したかまぼこを引っ込めた。

「いや、八重丸はいい。そういう遠慮があるから」

 そこで一原が憤慨した。

「なんだよなんだよ! 今日の朝布団に押し倒してきたくせにー! 変なこといろいろしようとしたくせにー!」

「お、押し倒してはないだろ。突き飛ばしただけ」

「胸見たくせに! 揉んだくせに!」

 ガラガラガラ。疲れた顔の三浦が教室に入ってきた。「素敵ね……」と言って教卓に突っ伏した。

「え……。籠くんそんなことしたの……」

「違う。何が違うかって順序が違う。まるで僕が今朝こいつを襲って胸を揉んだみたくなってる」

「でも、揉んだんでしょ……」

 八重丸は机を僅かに離した。僕は慌てた。

「あんなの揉んだって言うかよ。お前ぐらいあったらそりゃ揉んだことになるだろうけどな、見てみろこいつの胸。申し訳程度にしか膨らんでない。たったこれっぽっちで——」

「……」

 たった今指摘した箇所を隠すように抱く眼鏡の少女。涙目で睨んでいる。

 一原も一層うるさく喚き出した。小さいからなんだよお! い、いちおう女の子なんだあたしも!

 他三人は弁当を黙々と食べ終え、揃って鞄に弁当箱を仕舞う。ひどいよコモリ、揉んだくせにー! あたしあの夜へんなこと考えちゃって眠れなかったのにぃ!

 依然にらみつける八重丸。

「……すまん」

 面倒なので謝っておいた。


 それからの一週間、僕の周りでいなくなった人間が二人。

 一人は小太りの研究員。僕があの日突き飛ばして追い出して以降現れなくなった。実に十数年続いた夜の日課がなくなり、研究機関との繋がりが完全に途絶えたということになる。

 もう一人は三浦晴子。こちらは連絡はついているようだが、学校に顔を出さなくなった。今回の件に関わる諸用の為と断ってはいたが、お陰でクラスは長期自習状態だ。他県の他世代イントラも順次同じことになるか、もしくは既になっているものと思うが、確かめる術がない。自分たちを取り巻く情報からも完全に隔離された状態だ。

 しかしそれを好都合とばかりに張り切る女子が二名。

「そっちもう少し上げて。さえまる」

「うん」

 厚紙で作った星、色紙の輪を連ねたものなど、幼稚な飾り付けをされた教室内。今二人が黒板の上に取り付けているのは、『卒業おめでとう』と書かれた横断幕だ。少なくとも卒業というのは違う気がするが、彼女たちはそういうことにしたいらしい。

「もう少し上だよ。あと三センチぐらい」

「うー……、届かない」

 机の上で更に背伸びをする八重丸が危なっかしい。……と思っていると、麻田が彼女の脚をとんとんと叩いて、取り付けを交代した。

「コモリも手伝ってよ」

 馬鹿らしい。友達だかなんだか知らないが、いちいち面倒な儀式が多すぎる。こいつらがガキなせいもあって余計にだ。

 僕は寝た振りをしてやり過ごした。腕の隙間から様子を伺うと、一原はあっかんべーをして作業に戻った。机の上で飾りと格闘する度にスカートの中が見えたり見えなかったりするんだが、まるで嬉しくない。そういった男子の本能的なことを含め、僕の気力減退はここ数日で更に酷くなった。

 一原たちとの会話にも、それは如実に顕れていた。意外なことに、多少なりは、連中との脳味噌を使わない下らないやりとりでこの厭世観が紛れることもあった。だが存在の中核をまるっきり失った僕に、何も内へ留める力はない。楽しかったかもしれない何かは、注がれるそばから流れ出して色をなくしていく。

 薄目で見ていると、ずっとノートに向かっていた要が手を止めた。一原の方を見て立ち上がった。

「わ……。ありがと」

 不安定な足場を支えられて、一原は照れつつ礼を言った。

「……」相変わらず要は一言も喋らないが、

 視線の角度が邪な気がする。

「実はいいやつだよね、カナメって」

「うん。寡黙な中に優しさがあるっていいよね」

 そんなやりとりを八重丸と交わしているが、一原お前、下着をガン見されてるぞ。

 おい。別に羨ましくはないけど、それはまずいんじゃないか。穴空くほど見ちゃ駄目だろ。一原とはいえ女だぞ。言動は小学生並み、体も年相応とは言えず良くて中学生並みだが、十六の、成熟を始めた女子高生だ。いやいや駄目だろ、そこから更に太腿をなぞってふくらはぎ、くるぶし、左足に移ってはまたふくらはぎ、太腿と戻っていくような視線移動は……。

 酷いことに、彼のその行いは反対側で取り付けをする麻田、更には一原と交代して机に乗った八重丸にも同様にされた。僕を絶句させたのは、逐一自席に戻ってノートにメモを記していたことだ。廃クラス、教師不在の無法地帯ぶりも、ここまでくると色々危惧せざるを得ない。

 しかし要はその後は大人しく、テキパキと体格に似合わぬ手伝いをしていた。授業時間は終わったが、手を休める者はいなく、そのまま次の授業時間へと突入した。一原と八重丸は夢中で。あとの二人は黙々と作業をしている。

 窓の外の快晴の空。気持ちよく抜けた冬の空だった。それを眺めていた恵がふと立ち上がって、一原たちの元へ。

「え、いいの? じゃあこれお願い」

「恵くんありがとう」

 飾りの製作を任されたらしい。席に戻ってちまちまと色紙を弄り始めた。

 気づけば、僕以外の全員が動いている。馬鹿らしい。お別れ会とか、発想が子供なんだよ。

「見て見て、メグミすごい器用」

「わぁー」

 僕は完全に机に突っ伏した。

「みんなの名前黒板に書こうよ」

「恥ずかしいなぁ……それ」

 暗闇の中で声だけが聞こえる。今更だが資源の無駄だと思う。環境問題が遠ざかったとは言え、過剰な散らかしは品性を疑う。何事も簡素にやるもんだ。

 まぁ別離の悲しみを否定はしない。でも風情が失われるだろ。無言で別れるぐらいが丁度いいんだよ。

 そう、無言で……。

「…………」

 いや、それはちょっと……寂しいか。

 あのとき何か一言でも交わせていれば、こうまで世界は暗くもならなかった。

 一原の騒がしい声が聞こえる。机を動かす音。マジックの紙に擦れる音。八重丸の微かな笑い声。

 寝れない。

 極め付けは、急に教室に吹き込んできた冷たい風だ。僕は起き上がって、そして窓を開けた恵と目が合った。

「……なんだよ、くそ」

 恵は無言で席に戻っていった。マジックを使っていた八重丸が換気に礼を言った。

 僕は席を立ち、ぶつぶつ文句を言いながら教壇まで歩いた。

「何かよこせ」

 手を広げると、一原は厚紙から顔を上げてにかっと笑った。


 日が進むにつれ、僕は本格的に一原たちと距離をとりはじめた。どんな心理の顕れかは自分にもよくわからない。解散の日取りも決まって、あと数週間の間柄が途端に面倒臭くなったとか、そんなところだ。決して別れが悲しかったり、恥ずかしかったりするんじゃない。

 ただ、一度だけ元宮がやってきて、予想した通り六人を引き離す方向で話が進んでいるのを聞かされた。すぐに動ける僕以外は順次ということになるが、どうやら今生の別れらしい。なら、もう不必要に仲を深めないことだ。僕はそんな感傷は持たないが、一原や八重丸が心に負担をかけすぎないように。我ながら気持ち悪い気遣いだと思う。

 変に悟られないよう、朝は迎えにきた一原に体調不良を訴えて、帰りは用事があるなどと言って、一緒になるのを避けた。

 一人の時間が増え、日に日に深まっていくのは、エクストラに対する憎悪だった。……今日は一原に泣きそうな顔をされた。

「へ、へんなこと言うけどさぁ」

 教室を出る際に呼び止められて、彼女は言いづらそうに、

「あとちょっとの間、コモリも、一緒にいてほしいっていうか」

 クラス全員が引き離されることは、三浦の口から既に知れている。「用事、ならいいんだけど……」と言うその目尻に涙が溜まっていくのを、僕は見た。

「ごめんな。お前らと状況が違うから、手続きとか色々……」

 決して会の準備が面倒臭いんじゃないぞ、と笑って軽く頭を叩いた。涙の粒が落ちた。こんな嘘くさいやりとりをするくらい、僕は彼女と一緒にいたくなかった。

 夕刻のアーケードを行く。道行く連中との隔絶は今や色濃く、僕は強い疎外感を得ていた。精神ネット上で、全てはもう周知の事実なのだろう。機関の方針転換、イントラへの教育の廃止、僕たちはもう、この社会の完全なる部外者だ。歩くことも憚られる異物。主婦たちの目は、僕をそう定義づけているように感じられた。

 憎い。

 仕方ないと、世界が悪いと割り切っていたのに、この感情はなんだろうな。僕は、誰彼構わず怒れるほど節操のない人間じゃなかったはずだ。そういうのは、保守的な奴のすることだ。子供のようにずっと何かを大事にしていて、奪われれば世界が壊れると思っている。僕は、消えていくものに執着したりはしない。ナカシマのことだって、大分整理がついた。今更何かを奪われて、見境なしに憎むことなんて有り得ない。

 ……きっと、生理的にエクストラが不快なのだ。声に出さず、こそこそ噂をする連中。別人種はここまで相入れないもの。そう結論づけることにした。

 ハンバーガーショップに入る。ここ数日の夕飯はずっとここだ。一原が食べていたものとまではいかないが、大きめのものを頼んで、食べて帰ったら即寝る。風呂などは深夜に起きてから済ます。学校では寝っぱなしの堕落生徒の完成だ。無気力から始まった習慣だが、誰とも話さずに済むし、都合が良かった。

「鶏バーガーとポテト」

 もう一度目二度目じゃないのに慣れない応対をされて、商品を渡された。ガラガラの店内で、隅の席を陣取る。窓から通りの流れを睨みつけるようにして食べ始める。

 結局、この町にいたのはたった一ヶ月だった。その間に僕は、落胆から、また夢を見て、そして現実を壊した。一原たちの日常も道連れに。完全に疫病神だ。

 何者かへの怒りは、そのまま不完全な自己への不満に置き換えられる。イントラであることが全てを駄目にした。僕がそうでなければ、誰が傷つくこともなかった。

 涙が出そうになったので、ポテトの残りを一気に平らげて店を出た。早足で歩いた。アーケード終わり際の洋菓子店の店先の、昨日まではなかった装飾が目に入った。今日は何日だ……。十二月——。まずいと悟って、喚起される記憶をねじ込めようとしたが、無理だった。

「羨ましいです」と言った、研究員の女。なんで? と返すと、ケーキが、ひと月に二度も食べられる、などと意味のわからないことを言われた。丁度居合わせたダブルスーツの男は、幼少の頃と変わらないお子様なデコレーションのやつを、十三歳の僕の前に広げた。「確かにそうだ。君は贅沢な子供だよ。僕なんてね——」そう言って、誕生日がクリスマスと同じの為に他の子よりケーキが一つ少なかった少年の話をされた。意味がわからない。お前たちが祝いを用意するから、そもそもこうなっているんだろう。論理の破綻だ、と言って、フォークを手にとった。

 僕の靴底は、アーケードの床を強く叩いた。

「おっ、こいつ」

 背後から、汚い声がした。

「モッコリくんじゃん!」

「きゃはは」

 いつかの他校生だ。一応下校が被らないように配慮はしていたが、不真面目な生徒の早上がりまでは想定していなかった。横に回られる。種類は変わったものの、香水のキツさは健在だった。

「あれ、こいつ泣いてね?」

「マジだ。あれじゃん? 政策終わったから」

「だよね」

 げらげらと笑い出す女たち。

「でも良かったよ〜。税金だぜ? あたしらがこいつらを育ててるようなもんよ?」

「つかどーなんの? モッコリくん、これから。結局生きてる限り税金はかかるじゃん?」

 もう死ねよ。うわそれひどいよ〜。でもあたしも死ねって思う。でしょ! 年々増えてんだよ。キリがないっしょ。どっかでさー、心を鬼にして切り捨てないと。

「つまりそれなに? イントラが生まれた瞬間殺すってこと?」

「そそ。アツシとか言ってたよ。あんまし増えすぎるならそうなってくるって」

「ま、しゃーないよねー。自分の子供がこれだったらって思うと、何より不憫なのが勝るし。あ、ごめんねモッコリくん」

「ぎゃはは」

 ……心地いい。

 半端な優しさよりずっと、心ない言葉の方が。

「お前らみたいなクズが、好きだよ」

 涙を拭って言った。

 クズ二人は最高の笑顔だった。


 奴らは死角を知り尽くしている。法やモラルの隙間を縫って生きるネズミだからだ。許される限界というものに敏感で、その線引きはしばしば弱者を標的とする。

 僕はきっと誰より弱い。痛みを訴える力を持たないからだ。

 カラオケ店の店員の承知の元、廊下最奥の個室が僕の処刑場所に決定した。乱暴に突き放され、僕は汚いソファに転がった。

「男たち呼ぶでしょ」

「当然。殴らせようぜ」

 赤髪の片割れは宙に視線をやり、一瞬だけ表情に少女らしさを浮かべて、

「来るって。つか近いし、五分で着くよ」

「アツシ?」

「うん。いつものメンバー」

 天井にはミラーボールがカラフルな光を投影している。薄暗い部屋でそれだけが忙しなく動き回る。

 僕は立たされた。壁に押さえつけられ、軽く頭をひっ叩かれた。そこから軽いスキンシップが続いた。

 ……アツシ。

 無意味なバス音が充満する室内で、聞こえるか聞こえないかの声量。連中は聞き取り下手だし、きっと聞こえていないだろうと思った。

 赤髪の方の表情が変わった。

「……アツシ」

 今度ははっきりと言ってみる。もう一人の方の顔色も変わった。

「来るの楽しみだな。へぇ、アツシか」

「てめえ……」

 床壁天井を走る数色の光が乱れた。不可視の力に、僕はたちまちに拘束された。

「……エクストラで不良ぶるのって大変だな。周りはみんな知ってるんだろ、それ」

「ぶっ殺す」

 赤髪が拳を振り上げる。

 僕は、頬を殴られる。

 その前後で状況は一変した。

 何が起きたのかわからなかった。目の前の女は殴りかかる姿勢のまま、僕に倒れかかってきたのだ。咄嗟に支えたことで、身体の自由を認識した。

「おい……?」

 後ろにいたもう一人の女も、崩れるように倒れこんだ。頬に浅い呼吸を感じた。赤髪女は瞼を閉じて、苦悶に眉を寄せていた。ひとまず密着を解いて床に降ろす。

「何だ……」

 少し考えて思い当たったのは、元宮が見せた力だ。強力な精神干渉が、どこかから二人に向けられた。……誰だか知らないが礼を言うべきか。別に助けて欲しいなんて思ってなかったが。

 何ともなしに部屋から出て、固まりかけていた想像は否定される。廊下の先、店入口付近に数人の男が倒れている。風貌からすぐに女たちの呼んだ仲間だとわかったが、それだけじゃなかった。向かいの個室の中でも、同様の現象が起きていた。床に倒れる男女二人。歌う最中だったらしく、マイクが転がっている。空の伴奏が扉越しに響いてくる。時間帯もあり客の入りは少ないと言えたが、店内の利用中の個室は全て同じ状況だった。

 そもそもが不自然な話だ。これがリカバリ処理だとすれば、倒れるのはイレギュラー思想の者でなくてはおかしい。百歩譲って正義の味方が僕を助けたのだとして、入口の男たちや暴行を黙認した店員ならまだしも無関係の客を巻き込むか?

 店を出て唖然とする。アーケード通りを歩く者はいなかった。主婦に、増え始めた帰宅生徒、各店舗の従業員などが地面に這いつくばっている。顔を覗き込めば、一様に悪夢を見ているような表情。ベビーカーの乳幼児までもだ。

 僕は思考を巡らせた。干渉波、各所に設置されたリンク装置、エクストラは地球の裏にまで意識を繋げられる。当然、悪意を持つ者にも。それは自然の自浄作用のように即座に感知、処理されてきたが、紙一重で保たれた脆弱なシステムとも言える。何かの拍子に悪意の方が上手にまわれば、崩れるのは必然だ。

 イントラである僕に具体的な想像はつかないが、この状況は恐らく、エクストラ全体が干渉波ネットを通じて何らかの危険に晒されたのだと言えた。

 少し歩くと、たいやき屋の屋台から男の脚がはみ出しているのが見えた。辺りは焦げた臭いが充満している。鉄板には調理を放棄され炭同様の生地があった。別段心も動かず、一瞥して商店街を出た。

 まるで世界の終焉だ。老人も若者も、男も女も苦悶の顔で倒れている。車も動いていない。自動制動がかかって事故の類は起きていないらしいのが彩り不足と言えたが、エクストラ社会の機能が停止したことはまさしく、やはり喩えでもなく、世界の終焉、そして新しい時代の始まりと言えた。

 歩くうちに口から笑いが漏れていた。最早抑える意味もなく、僕は高笑いを上げた。

「世界が終わった」

 這いつくばるゴミどもの眼前を踏みつけて歩く。

「仕方のないことだよな。旧人類にだって訪れた運命だ。お前たちも、僕も、受け入れるしかないよなあ」

 おっと、この爺さん、毎朝ランニングで顔を合わせている気がするが、憐れみすら湧かないな。あんたがエクストラだったのが悪いんだよ。運命を呪え。そこのガキも、生まれた不幸を呪え。お前も、お前もだ。

 気持ち悪いんだよ。精神で理解し合える? 他人とそれをしてどうする。例えば女が、知らない男と深く繋がって何になる。みんなが一つになって、仲良しして、同じように笑い、同じように泣き、そんなのが人間って言えるか? お前たちは始まった瞬間に終わっていたんだよ。

 マンションの踊り場に血溜まりを見た。それは階段に逆向きに倒れた小太りの男の頭から広がっていた。

 不気味な赤を避けて通ろうとして、靴が思いがけないものを蹴った。洋菓子屋の箱だった。潰れたショートケーキが覗いていた。

「ご機嫌取りのつもりか?」

 機関としては切り捨てる身でも、彼には僕を案ずるような素振りがずっとあった。子持ちの身、情けをかけて自己満足か。わざわざ下校を待ち伏せまでして。

 邪魔な図体の横を通って、部屋に入る。急な事態に、やはり若干の動揺があるようだ。体全体が浮き足立つような感覚。眠いせいもあるか。リビングで、コップに注いだ緑茶をゆっくりと飲む。棚の上の救急箱が目についたが、すぐに顔を逸らした。

 椅子に腰掛ける。少し休んだら、また外に出てみよう。こうなった原因は……朧げに予想はついていたが、一応確かめる必要がある。


 一時間弱は寝ただろうか。外は夕暮れだった。道に広がる光景は、すべてが夢や妄想でなかったことを証明していた。それまでも静寂と共にあったエクストラの世界に、足音すらない完全なる無音が訪れていた。

 少し冷静に、これからのことを考えた。予想が正しければ、この状況でも活動しているエクストラがいる。連中はしかし、僕の味方だろう。恐らく接触があるか。なければ無理に会う必要もないと思うが。

 この倒れた奴らは、最悪このまま凍死。……悪いな。夜は冷え込むとわかってても、僕には散らかったお前らを全員助けるなんてできないよ。はは。でもまぁ、運がよければ生かされる。どう事が運ぶかはわからないが、世の中を回す為に必要とはされるだろう。

 だが干渉波はもう使えない。奴らは生物の最上位から転落し、イントラの時代が来る。イントラ同士で子を成し、干渉波を持たないことが人類のスタンダードになる。

 ……子か。

 何故か僕は、一原を思い浮かべていた。

 そこで性衝動が湧くのはわかる。でも八重丸じゃなくてあいつかよ。頭は馬鹿で、体も貧相なガキじゃないか。

 僕が歩けばついてくる。少し高度なことを言えば、無理に合わせようとしてボロが出る。難しいことはわかんないと言って、笑っている。

 ……人懐っこい奴だ。そういう面にリビドーを感じるのも、まぁおかしくはないか。

「——」

 静寂の中に、何かを聞いた気がした。

「…………っ、うぅ」

 嗚咽だ。聞き覚えのある声。自然と体がそちらに向いた。

「コモリぃ……なんなのこれぇ……」

 一軒家の玄関先に、一原がいた。子供っぽいショートの髪、目を真っ赤に腫らして、泣きじゃくっていた。

「お母さん、動かなくなっちゃった……。みんな、死んじゃうの……?」

「……」

 なんでだろうな。今更こいつが愛しく思える。保護してやりたいとか考えている僕は下衆かな。

「エクストラは滅びたんだ。イントラだけが残った」

「うっ……うぅ……」

 門を開けて、涙をぼろぼろ零す彼女に近づいた。

「僕たちは世界に選ばれたんだよ」

「お゛っ、おかぁさんはぁ? おとうさんは?」

 僕は目を伏せた。

 途端に湧きあがった嗚咽を、一原は必死に押し殺した。

 その様にやられた。僕の中の衝動はピークに達した。

 伸ばした手が髪に触れた。濡れた頬に触れた。身を寄せると、一原は体をひくつかせて家のドアに背をつけた。

「あっ……、や……」

 初めはこいつでいいか。八重丸は後からだ。触れた素肌から、しゃくり上げる振動が伝わる。思ったよりずっとスムーズに、ブラウスから下着を抜き取った。

「一原、全部」匂いだけは女のそれだ。「終わったんだよ。お前の親ももう駄目だ」肌の柔さは子供かな。「何もない。残った人間の身体以外。貪り合えって本能が言ってる。そうだろ、お前も……」

 彼女は僕の胸を押した。

 どこに触れられるのも抵抗はせず、ただ僕の胸をゆっくりと押しやった。

「やだよ……。なんで、こんなことするの」

 僕は何も返さず、ただ続けた。

「お母さんを、助けてよ」

「やだね」

 ひぐっ、と声がした。嗚咽のようにも、未成熟な喘ぎにも聞こえた。

「もう恩を売る意味もない。お前には同人種の女としての価値しかないしな」

 手首を掴んで、顔を近づけた。泣きながらのしゃっくりのような痙攣は続いていた。小さな唇に、唇を重ねる。数秒して吐き出した吐息は白靄になった。

「好きで仲良くしてたと思ったか。まさか。目的でもなきゃ、お前みたいな馬鹿女に近づくかよ」

 一原は唇を噛んで耐えていた。

「エクストラも大概だがな、お前らも充分不快なんだよ。やれ子供の仲良しごっこだ、算数だ、お弁当の分け合いだ。こうなってよかったよ。あのままガキ教室の世話なんてしてたら狂いかねない。お前もさあ……」

 女として、良かったろ、まっとうな体験ができて。

 一原がぎゅっと目を瞑ったのが僕にとっての合図だった。僕は肉体の一線を踏み越える——。

 だが、彼女にとっては違った。

 開けた両眼に、攻撃意思を見た。

 気づけば、一秒が飛んでいた。頭から仰け反って、足をよろめかす僕がいた。

「ちょっ——」

 頬に第二打が打ち込まれた。間髪入れず鼻を左拳が不器用に叩いた。——顔しか狙ってない。

 反撃の間も無く次がこめかみに飛んだ。「胸……」浅はかもいいところだった。さっきまで散々自由にしてきたそれに、今は触れられもしない。衝撃の度、周囲に赤い霧を見る。思考は飛び、遂には自分は命のない木偶だと脳が認識するようになった。

「あたしであそばないで」

 今のは眼窩に当たった。

「もう絶対ゆるさない」

 慣れない左拳が耳を掠めた。甲のところに、僕の歯に当たってついた傷が見えた。次の一撃で視界は塞がれた。

 それが終わったのはいつなのか知れない。僕は半分気を失っていたし、一原は何も言わずにその場を去ったからだ。道端のエクストラと同じように、僕は寒空の下、アスファルトに横たわっていた。

 腫れ上がった顔面を引きずるように、上体を起こした。夕焼けは遥か向こうの空に微かだった。秒毎に暗くなっていく世界。

 長く伸びた影が、僕に重なった。顔を上げると、無骨なシルエットが見下ろしていた。木下要だ。

 彼は目の前に腰を下ろした。

「事態の解決に貴様の力が要る」

 …………。

 打たれすぎたか。幻覚か。このクソデブが喋っている。

「エクストラの奪還を開始する。ついて来い、籠竜」

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