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3 最速

 好意的な対応を受けるのは、単純かもしれないが気分がいい。それは世界が自分を中心に回っている証拠だからだ。一時間早く歩く通学路の、ランニングをする老人、犬の散歩をする中年、皆快く会釈をしてくれた。やはり住宅街ではイントラはある程度受け入れられている。素晴らしいな。東京なんてところにいたのが間違いだったのかもしれない。

 昨日はナカシマが即、上に連絡をとってくれた。その行動の素早さにも驚きだったが、何より研究機関からの返答が好感触であるということ。すぐにスケジュールを調整するから数日待ってくれとのこと。そして全てが終わったあとのナカシマの言葉。

「流石ですね。頑張られてください」

 本当に単純だが、笑顔が返れば誰だって嬉しい。

 間近の一軒家の前を通りかかると、予想はしていたが丁度ドアが開いて、ショートの髪の女が出てきた。口許までマフラーに隠れている防寒体勢だ。僕をみつけると、嬉しそうに駆けてきた。

「風邪ひかなかった?」

「ああ。お前は?」

 訊くまでもないか。

「全然よゆう。風邪ひいたことってあんまないんだよね」

「すごいな」

 当然の如く並んで歩き出す。昨日の今頃は五メートル離れて、絶対に次の日は鉢合わせないようにと二人で必死に調整していたのにな。日毎に変わる関係性というのも面白い。

 下手をすれば肩がぶつかる距離から、一原は話しかけてくる。昨日の話の流れから、「麻田さん」について。向けられるのは常に無邪気な笑顔だ。懐かれるのは、実際悪くない。

「家に帰ってから思い出したんだけど、前も助けてもらったんだよ」

「麻田に?」

「うん。うちの普通クラスにも不良っぽい生徒っているじゃん。男子の不良だったんだけど、あ、去年ね。中三のときの話。あたしとさえまるが移動教室の帰りに絡まれてね」

 ……整理しながら聞かないとこんがらがりそうだ。清瀧校のイントラクラスは初等部から持ち上がりで、つまり僕以外の五人は九年間、いや幼児期を含めて十二年の付き合いと聞いている。あの歪な形で完成されたコミュニティは年月の成すものかもしれない。

「別になにもしてなかったんだけど、珍しかったのかな。色々訊かれてさぁ。よくわかんないこと色々。何故かさえまるが恥ずかしがっちゃって」

 セクハラかナンパ紛いのことだろうな。外見上ありそうとは思っていた。

「そしたら、すぐ側にあったトイレから麻田さんが出てきてね。あたしたちと不良の間に入って、無言で追っ払ってくれた」

「……それ、通常クラスのトイレか」

「うん。麻田さんそういうの気にしないし」

 僕は少し顎に手をやった。昨日といい、偶然にしては不自然が過ぎる。麻田は一原たちを危険から見守っているのか。常に後をつけないと不可能と思うが……。

 人の疎らなアーケードを通って学校に着く。グラウンドからは部活動の掛け声が聞こえる。僕たちを追い越した乗用車が正門から校舎裏の駐車場へと入っていく。この時間は教師の出勤と重なるらしい。

「あら」

 校舎裏から出てきた三浦と鉢合わせた。

「おはようございます」

「おはよう先生」

「おはよう。すっかり仲良しさんね。私も嬉しいわ」

 並んで裏庭方面までを歩く。一原は「仲良くないですよぉー」と上機嫌に返す。

「照れなくてもいいのよ。六人しかいないクラスなんだから、上手くいくならその方がいいじゃない。節度を守るなら付き合っちゃってもいいのよ」

「ひえっ?」

 一原はすっ転びそうになった。

「先生、いくらなんでもそれは」

「あら籠くん。恋愛は学生生活の華よ。こういう話はどうかと思うけど、あなたたちは人と繋がる手段が一つ少ないじゃない? だからどうというわけではないけど、出会いという観点において不利なことには違いないのよ」

 三十間近の独身女。言葉の端々から自身の焦りが伺えるんだが……。

「よくわかんない」

「うん。あと十年したらわかるわ。それにね」

 三浦は少し前に出て、僕と一原を眺めるようにして言う。

「もしイントラ同士の子供ができれば、どうかしら。世界中の注目を浴びるわよ。これは差別で言うのではなくて、生物学的な興味ね」

「こ、こどもとか……」

 一原はもう形容も憚られるような顔になった。

 一方、僕は冷静に受け取っていた。

「劣悪な遺伝子ですよ。この能力異常が遺伝するのかは知りませんが、残す必要があるんですか」

「劣悪だなんて、そんなことないわ。私はあなたたちを、人の進化の一つの形だと思ってる」

 ……そうでも思ってないとこんな仕事務まらないだろうけどな。まぁ変に同情とかではなく、ロジカルに接されるのは不快じゃない。

「どうも。……ところで先生にお話が」

 この流れは丁度よかった。「これから時間ありますか」

「いいわよ。生徒の相談より優先される仕事はないわ」

 敷地外れのイントラ学習施設に入り、短い廊下を通って職員室へ。デスクが四つ並んでいるが、実質三浦個人用の部屋だ。入室してまずすることは暖気。三浦が空調を動かして、僕は後ろ手に扉を閉める。

 がつん。何かが扉に挟まった。

 振り返ると一原がいた。

「お前、教室行けよ。……ん?」

「こ、こども……。こども……。えぇ〜……」

 真剣に頭を抱えていた。


 三浦との話が上手くいったことで、この日の体育の授業は特別な意味を持つことになった。予定していたドッヂボールを取りやめ、五十メートルの測定を再度行う。加えて長距離走を一本。職員室での話し合いで決めたことだ。一時間前登校がこんな形で活きるとは思わなかった。

「ドッヂボール、ちょっと楽しみしてたんだけどね」

 グラウンドへ向かう最中、一原が言った。

「算数とかの教科をなくせば、空いた時間で少しはできる」

「勉強がなくなっちゃうのも寂しいなぁ」

「お前……寝てるだろ。授業はほとんど」

「ないものねだりだよね。私もわかるよ」

 八重丸が同意した。この三人で並んで歩くのがほぼ定着しつつある。

「何より自信がないんだよね。あたしちゃんと走れるかなぁ」

「大丈夫。僕が保証する。お前が一番伸びるよ」

 一瞬だが獣のスピードを見ているからな。

「大体さ」

 自信がないままの表情で下から睨みつけてくる一原。

「コモリが走らなくていいのが納得いかないし」

「見込みがないんだよ」

「それでも頑張ろうよ。ていうかあたしが汗だくになるのに一人だけ涼しい顔してるのが不公平だ」

「僕は頭を使ってるしな。同時に走りも、っていうのも難しいだろ。それともお前が代わるか? 国の研究員と日程の調整して……」

「ああやっぱいいや」さらりと逃げた。

 後ろを振り返れば、残りの三人が行儀良くついてきている。こいつらは現在の状況をわかっているのだろうか。少なくとも麻田はある程度把握ができているものと思うが、それならそれで反応が薄すぎる。逆に全て予期していたんじゃないか、とかあり得ないことを考えてしまう。

 トラック中央に、ジャージ姿の三浦がいた。やる気満々の出で立ち。「遅いわ、走ってきなさい!」などと言ってくる。後ろの三人が即座に走り出し、一原と八重丸も慌てて駆け出す。僕も何故か急かされ、ひいひい言いながら後を追った。

「——籠くんに言われる前から、授業に手応えがないと思っていたのよ。うん。寝てばかりの子。書いてばかりの子。空を見てたり、頬杖で微動だにしなかったり」

 体育座りで座らされ、前口上のようなものが始まった。

「特に大学教育まで終えてる子に、何を今更教えろと言うの? 集団行動を学ぶためといっても、ちょっと無理があるのよ」

「私は授業聞いてました……」八重丸が小さく言ったが、軽くスルーされた。

「あなたたちはこれから走りに生きなさい。私がしっかり育ててあげる。ビシバシいくわよ!」

「先生寒いです。あたしもジャージ着ていいですか」

「だめよ!」

 準備運動の後、早速五十メートル走の再測定が始まった。僕が計測に加わって、五人が一斉に走る。まずここで予想外というか予想通りというか、麻田が昨日のタイムを僅かに更新した。

 同時に、更に異常な事態が起こる。

「六秒六六。あれ……。先生すみません」

 三浦は僕の言葉を受け、宙に目をやった。

「……昨日も六秒六六よ」

「ちょっといいか! 恵だけもう一回走ってくれ」

 即座に、ゴール位置の集団へ呼びかけた。細身の男子はこちらに目もやらず、五十メートルトラックを戻っていく。

 もう一度、計測器を掲げてトリガーを引いた。破裂音が鳴ると同時に計測がスタートする。速い。それ以上に異質なものが、僕の向けたレーザー光を横切った。計測は止まる。六秒六六。

 体操着の少年はまた、ゴール地点の輪の中に入った。「やっぱ速いねぇ。コツ教えて?」一原が話しかけるが、反応は返らない。

 僕は駆け寄った。

「おい」

 彼は振り返る。対面する僕ではなく、少し上方の空に視線が合っている。

「もう一度走れとは言わない。僕だって馬鹿じゃないからな」

「……」

「何のつもりだ。何故こんなことができる」段々早口になっていく。「おちょくってるのか。何だこのタイムは。僕に何を伝えたい」

「……」

 恵那影やすかげ——下手をすれば女に見える顔立ちだが、男だ。成績はムラがあり、テストで高得点を取ったと思えばクラス最低点も普通に叩き出す。三浦から聞いたときは流した情報だが、もう一度調べるべきだ。恐らく点数にも何らかの法則を作っている。

「お前は超能力者か? ええ? 答えろよ。何か言ってみろ。なんで毎回六秒六六なんだ」

「ちょっとやめてよコモリ」

 一原が割って入った。

「偶然だよ。そういうこともあるって。もう一回計り直してみればいいじゃん」

「三回計測して同タイムだぞ? 偶然で済むか? ていうか、おい。普通に僕とこいつの間に立ってるけどな、お前、つむじを凝視されてるぞ。何でか知らないけど興味深げに見てるぞ、そいつ」

 一原が振り返ると同時に、恵は向こうの空に顔を向けた。

「見てないじゃん」

「今見てたんだよ。咄嗟に顔背けたんだ。おい、お前やっぱりおちょくってるんだろ」

 八重丸や三浦も加わった問答の末、更にもう一度恵の計測を行うことになった。このやりとりのせいで時間が押しているが、長距離走などより遥かに重要な事態だ。

 超能力者……三世紀前はエクストラがそう呼ばれていた。一原の馬鹿力を見たときはまだ朧げな可能性だったが、イントラには隠された力が存在するんじゃないか。だがこれは自分の中で都合のいい期待と混同しないよう、慎重に扱ってきた仮説だ。昂ぶるなよ、僕。冷静に見極めろ。

 本日三度目の計測に、恵は嫌な顔一つせず、というか無表情でスタート位置についた。僕は計測器のトリガーを引いた。

「あっ」

 一原が声を上げた瞬間、脚をもつれさせた恵は派手に転んだ。すぐに顔を上げ、土まみれの服と傷のついた脚で駆け出すが、六秒台にはもう間に合わない。

「がんばってー」

「がんばれメグミー」

 声援の中、彼は最後まで走り切った。十二秒一一。僕より遅い。「三連続だもん。仕方ないよ」励ましの言葉、傷だらけの彼を讃える輪が出来上がる。な、なんだこの罪悪感は……。

「うーん、偶然なのかしら。流石にまた同じタイムが出たら私も上に言おうと思ったのだけど」

 三浦も僕と同じ期待を持っていたらしい。彼女は恵に近づくと、怪我の度合いを確認したのち保健室へ向かわせた。

「悪かったな」僕を横切る彼に言った。

「……」目は合わなかったが、僕を認識したような視線が向けられた。

 次回、今度は下手なことは言わないようにして、あいつのタイムにだけ注目しておくか。何かある可能性が消えたわけではないからな。バインダーに目を落とし、僕用のクラス名簿に一応今の測定結果を記入する。

 一二、一一。

「…………」

 僕の、誕生日。

 振り返ったグラウンドに、もう彼はいなかった。


「ねぇねぇっ、昨日っ、夜なに食べた?」

「ひい、ひい」

「あたしねっ、ハンバーグ。どんな味だったか、知りたい?」

「はあっ、はあっ」

「おっ、おいしかったよおー」

 チャイム五分前。他の面子は既に走り終えて、トラック中央に固まっている。長距離走、五キロのトラック周回で、特に八重丸紗絵に思った通りの結果が出た。が、今はそれどころじゃない。レースのドンケツを一原凛と、何故か走ることになった僕が争っているのだ。共に息を切らして、鈍足二強の名に恥じぬ乱れたフォームで走る。互いに時々突き放そうとするも、実力の拮抗ぶりを示すかのようにすぐ肩が並ぶ。

「もっ、もうすぐ、お昼だね……! お腹空くよねっ」

「無理に喋るなよ! 辛いのに返事させるな!」

 はひっ。大声を上げたら呼吸がおかしくなった。差が離れていく。

「どうせ、はあ、ビリなんだし、はあっ、話しながら乗り切ろうよ」

「それは全力疾、走しながらや、ることじゃない」

 どうにか根性で追いついた。あと一周。一着の麻田や半周差でゴールした八重丸とはえらい差だ。何回抜かれただろうか。あの小太りが後ろから迫ったときは流石に僕も一原も必死になったが、涼しい顔で二人同時にぶっちぎられた。

「僕は、いい、んだよ、監督だから」

「監督!?」

「でも、お、前はっ、そのや、るきのな、さじゃ駄目だっ、ろ。ち、ゃんとはっ、しれ」

「コモリもう何言ってるかわかんないし!」

「こうい、うことだ……よ!」

 一原の尻を平手で叩いた。

「きゃ——」

 一メートルぐらい差が離れた。

「余力、ある、じゃないか。おらっ!」ばしん。距離を詰めてもう一発。せくはらぁー! と嘆きと共に、一原は前方更に一メートルの距離をすっ飛ばした。最後の直線、三浦たちの「すごいすごい」との声が聞こえる。尻を叩くために僕もなんだかんだで速度を上げている。先を譲るのが惜しくなり、結局並んでの同着ゴールとなった。

 ラストスパートの勢いのまま地面に転がり込んだ。

「凄いよ二人とも。最後かなり速かったよ」

「……」息ができない。隣を見ると、一原も同様に荒い呼吸で、さらにうつ伏せで尻を押さえている。

「互いに伸ばし合っていたわね。いいコンビだと思うわ」

「いいコンビだって。よかったね、凛ちゃん」

「ふえぇ」

「僕はもう走りませんからね……」

「あら、それだと誰がお尻を叩いてあげるの?」

「……」

「指導者たるもの、生徒と同じ場に立たずして生徒を理解するなどあり得ないわ。籠くんも走りなさい」

 じゃああんたも走れよ……。

 すると三浦は視線から意思を汲んだのか、しゃがみ込んで目を合わせてくる。

「自分自身を知ることよ。あなたもイントラなのだから……」

 妖しい笑みを浮かべ、立ち上がると同時にチャイムが鳴る。三浦は集合をかけ、一言二言で授業を締めくくった。


「美味い」

 味が均一化されたフィリングとパンが昨日とはまるで別物だ。小麦の風味まで感じる。

「やっぱり適度な運動は要るな」

 机を三つ向き合わせて食べる昼食の時間。僕が言うと八重丸が苦笑した。

「はい、ソーセージ」

「どうも」

「言うことがころころ変わるやつっているよね。はい桃」

 一原はデザートの桃をよこした。メインは弁当箱いっぱいに敷き詰められたご飯と海苔、白身フライに唐揚げ、天ぷら。

「のりべんっておいしいよね。あたし大好き。あのねえ、一気にかきこんでね、口の中でぐちゃぐちゃになって天かすとご飯の味が混ざるのがいいんだよ」

 汚い。まさかそれも僕に食わす気じゃないだろうな。

 危機感を覚えた僕はパンを片手に立ち上がり、なんとなく他の連中の弁当も見てやることにした。

 膝に傷テープを貼って帰ってきた恵は、ごく普通の手作り弁当を食べている。だがよく見れば肉類がない。

「ベジタリアンか。アレルギーか?」

「ううん。こないだは焼肉食べてたよ、そいつ」

「……」

 行動の全てが僕を馬鹿にしているように感じる。

 その前の席、麻田の弁当も覗き込んだ。立ち食いといい品のない行為だが、知るか。こいつらとの交流の方が優先だ。

「お……」

 思わず感嘆が漏れた。既に半分平らげているが、彩り鮮やかな和食弁当がそこにあった。料理はよく知らないが、これ、相当の手間だろ。

「麻田さん自分で作ってるんだよね」

 何……。

 素直に驚愕していると、茶髪の女はほうれん草の和え物を箸で持ち上げた。僕の開いた口に、そのまま放り込む。

 なんだ、この味。

「……籠くん?」

 どれだけ時が流れても、住む人間が変わっても、守り受け継がれるものがこの国にはあったんだ。

 それは、和。

 調和、均衡を意味する、近代の料理にはない隠れた味覚要素。

 ただ一つ。

 ただ強く。

 存在するだけで尊い。

「……もう一口いいか」

 麻田はまるで聞こえていないかのように食事を再開した。僕は数秒愕然と立ち尽くし、しかしなんとか未練を断ち切って次へと向かった。

「要」

 木下要。線の細いビジュアルを想起させる名だが、小太りの男子のことだ。一原がカナメカナメと呼ぶので、僕もそちらで呼ぶことにする。

「思ったより少食だな」

 普通の弁当。肉野菜のバランスがよい。栄養面を考えたものだろう。多すぎない量といい、正直この五人の中で僕が毎日食べたいと思うのはこれだ。

「ところで、ノートを見せてみろよ。いつも何書いてるんだ? 小説か?」

 だとしたらどこで創作文化に触れたんだろうな。家の蔵にでも眠ってたのか?

「おい麻田。隣の席なら見えたことあるだろ。こいつどんなエロ小説書いてるんだ」

「……」麻田は弁当に蓋をした。

 僕も何度か覗こうとしたが、文字が小さすぎて判読できなかった。無理矢理暴くわけにもいかないし。

「正味な話、現時点で気になることのかなり上位にきているんだが。駄目か。金払っても駄目か」

「籠くん……もっと他に興味を持とうよ……」

 反応が得られないので、諦めて自分の席に戻った。さっきから大人しいなと思っていたら、一原は宣言通り口いっぱいに弁当を詰めて咀嚼している。

「ひょうひわういよえ。ほもりっふぇ(行儀わるいよね、コモリって)」

「色々つっこまないでおいてやるから、くしゃみだけはするなよ」

 パンの包装を仕舞って、最後に一原がくれた桃を齧った。悪くない。たまに果物を食べると美味いんだよな。

 と、頬を膨らませる彼女と目が合った。

 まん丸顔の満足そうな笑顔が向けられた。

「仲いいよねぇ……」と八重丸。

 ……? 僕はいつも通り仏頂面で対応しているんだが?

 仲の良い絵面になるわけがないぞ。

 お前ら、馬鹿か?


 学校備品である走力測定器を片手に下校する。アーケードで一原が買い食いに走ろうとしたが止めて、言葉の通りまっすぐに通学路を帰っていく。目を落とせば三人の影が前方に伸びている。一原が自分の頭を踏もうと脚を何度も伸ばしていることに気づく。

 路地を曲がってある程度進んだ先に八重丸の家はあった。大きい、と言われるだけはある。付近は高級住宅が並んでいたが、その中でも一際でかい敷地を有している。実質出入り可能な一般家庭の物とは違う、三メートル超の塀と門。恐らくセキュリティも取り付けられている。

 門横にはインターホンなんてものもある。八重丸の為にわざわざ付けたのか。この家の持ち主なら屁でもない出費だろうが。

 女性の声の応答の後、門は開かれた。これも母親とかじゃなく家政婦なんだろうな。妙に若かったし。それくらい雇わないと掃除もままならないだろう。

「さえまるの部屋のソファが座り心地よくってさぁ。空調もほどよくあったかくて……」

 そう言って一原は、遊びにきた際につい気持ちよくなって夜中まで寝てしまったことを話した。夕飯をご馳走になって、十時ごろ親が迎えにきたらしい。

 広い庭を通って、三階建ての家屋前に着いた。

「お前、下に体操着は着てるよな」

 うん、と一原は頷く。

「じゃあもうここで脱げ。八重丸、庭はどのへんを貸してもらえるんだ」

 裏が広いから、と裏庭への道順を指す八重丸。

「ちょ、ちょっと。中で着替えようよ。ひとまず中であったまってから」

「寝るだろ」

「寝ないよ。着替えるだけだよ」

「お前、寒いの苦手だろ。そして暖かいのは好きだろ」

「うん」一原はなぜか嬉しそうに頷く。

「昨日話してたよな。親が朝起こしにくるのがうざったいとか」

「そうそう、布団剥いでくるの。あと夜、居間でうとうとしてるときに、部屋で寝なさいって言ってコタツから引っ張り出されるのもさいあく」

「八重丸、こいつ寝るよな」

 苦笑が返ってきた。「最近はいつも寝るかな……。来てすぐ、こてん、って」

 僕は一原に向き直り、まず彼女のマフラーを取る。

「友人関係というものはよく知らないけどな、少なくとも好き勝手に部屋を寝床にしていい関係じゃないはずだ」

 八重丸にマフラーを巻きつけ、今度はブレザーに手を伸ばす。ボタンを外すのが面倒だったので、下から一気に持ち上げて脱がした。

「う、えええ?」

「お前は訓練以前に根性を叩き直す必要がある。その寒さを避ける癖、怠慢癖、今日を機に直せ」

 首のリボンをしゅるりと抜き取った。まとめて八重丸に渡して、ブラウスに手をかける。強引にバンザイをさせて、脱がした。

「な、なんかやだー!」

 止め具のところで四苦八苦しながら、下も下ろした。すぐさま八重丸に渡して、

「全部家の中に放れ」「はいっ」

「……」

 冬の寒空の下、体操着一丁の一原凛が完成する。

「ほら早く裏に行くぞ。尻を叩かれたくなければ急げ」

「ひいぃ」

 初日に胸まで揉んだからな。僕としてはほとんど異性としての抵抗がない。向こうはどうかわからんが。

 綺麗に整えられた芝生と何本かの樹木、ブランコまで設置されている庭に出た。優遇されてるよな、イントラのくせに。金の成せる業か? だとすれば余計に気の毒かもな。いい家柄だろうに、娘の存在は少なからず汚点になる。せめて金をかけることで体裁を保っているって感じか。

「距離は充分だな。そこの木から走ってくれ」

 僕は少し離れて測定器を構えた。木の横で身体を縮こませる一原にレーザーを当て、五十メートルが表示される位置まで下がる。その間もがたがた震える彼女に、八重丸が声をかけている。

「頑張って。走ったらあったかくなるよ」

「……」

 自然さがある。

 なんとなく、親との関係が希薄だと、人は表情が歪になるのだと感じていた。鏡を見る度にそう思っていた。

 考えずともわかる。八重丸もあちら側の人間だ。どうしても僕の中の一部の感情はそれを認めたくないみたいだが。

「コモリはやくー! 寒いー!」

「籠くん早くスタートして!」

 二人の声で我に返った。一原が半袖短パンで足踏みしていた。「悪い悪い」と言って、トリガーを引く。

 全く心の準備ができていなかった。

 モニターに出た数字を見るまで、僕は事態に気づかなかった。

「何秒だった? ていうか何本走ればいいの?」

 軽く息を切らして一原が近づいてきた。スタート地点の八重丸を見ると、驚いて声も出ない様子だった。

「五秒九五…………ちょっと待て」

「それ速いの?」

 故障か? そう思ってもう一度八重丸を見るが、ぶんぶんと首を振られた。つっかえにつっかえて、やっと出せたような声で、

「速かった……!」

 僕は一原の肩を掴んで向き合った。それから二の腕、腕を触って言った。

「細い! どこにそんな力が」

 太腿、ふくらはぎ、どれもぷよぷよしている。「おかしいだろ!」

「や、やめて。くすぐったい……」

 一原はやたらと硬直していたが、それでも肉は柔らかいままだ。

「これまでに運動経験は? ないよな?」

「学校の体育しか……」

「だよな。筋肉ってもんがほぼない。これが女か。……ちょっと八重丸も触らせろ」

 寄ってきた彼女の二の腕からふくらはぎまでを同じように揉んだ。

「こっちは割としっかりしてるな」

「う、うん。元々走るの遅かったから特訓したんだ。お兄ちゃんとジョギング」

 そんなことをしていると、後ろから一原が僕の脚を掴んできた。

「細っ! あたしより細いんじゃないの」

「そんなわけあるか」

 と言いつつ自分でも触ってみると、確かにこれは細い。東京ではそれなりに運動もしていたはずなんだが。

「筋肉も脂肪もそうだけど、維持されやすい体質とそうじゃない体質があるらしいよ。二人とも太りにくいでしょ」

 僕と一原は揃って頷いた。

「私は動いてもなかなか痩せなくて……。だから凛ちゃんとか羨ましいかな」

 八重丸は二の腕を握りながら言った。その動作すら邪魔をしている胸を見て、ああなるほど、と思った。

 ……って、納得しちゃ駄目だろ。

「あり得ないよな。これっぽっちの筋量で今の走りは」

「うん、うん」

 今回は八重丸も目撃した。やはり僕の見間違いではなかった。

「イントラには、隠された力がある」

 一原の運動機能。恵の、何と定義していいかわからない異常な能力。僕の高IQですらそれかもしれない。

「内向きではあるものの、干渉波は僕らの身体に存在しているんだ。それが肉体に何らかの影響を与えている。考えられない話じゃない」

 二人は唖然とした顔で聞いている。

「五秒九五だぞ。この速さで走れる女がこれまでの歴史の中でいたか? 完全に狙ったタイムを出せるランナーは? いるわけがない。僕らは……、ははっ! 僕らは超能力者の集団だ。欠陥だ機能不全だと馬鹿にしてきた連中の鼻をあかせるぞ」

 場所も二人の視線もお構い無しに、僕は高笑いを上げようとした。そうせずにはいられなかったのだ。

 ぽつりと漏れた声が、それを遮った。

「凄くなくない?」

「————は?」

 一原は首を傾げていた。馬鹿にする調子ではなく、恐る恐るといったわけでもなく、ただ、ぽっと浮かんだ疑問を口にした。それだけの顔だった。

「心で会話できて、思っただけで物を動かせる方が、便利だし……」そこで少し逡巡する。「……コモリが前言ったみたいに、仕事も普通にできるし」

 な……なにを言っているんだ、こいつは? 他にはない力を、僕たちは持っているんだぞ。そのことが誇らしくないのか?

 例えば、この力で、鼻につくエクストラの誰かを……。

 ええと……。うちのめしたりとか……。

「ぶっちゃけ、役に立たないよね」

「…………」

 何も言えない僕を、八重丸が狼狽えがちに見ていた。

 息を吸って、吐く。

 興奮を覚ますにはもう少し時間がかかりそうだった。

「凛ちゃん、凛ちゃん……」八重丸に耳打ちをされ、一原はハッとして僕を見る。

「ご、ごめん。変なこと言ったかも。あたしの意見、無視していいよ。思いついて言っただけだし」

「いや……確かにそう、かな……。役には立たない。ははは、大丈夫か、僕は。ごめんな、急に変なことを言ったのは僕の方だ」

 八重丸が「ちょっと怖かったよー」と苦笑した。

「あたしも空気読めないっていうか、すぐ水をさすっていうか……。ごめんね。お、怒っていいよ」

 おい、そんなこと言うな。そこまで汐らしいと優しくするしかなくなるだろ。

 俯きかかった彼女の頭を、僕は両手で掴んで、がくがくと揺らした。

「ぁ、あう、あ、あぅあ」

 ひとしきり遊んで、ぱっと離した。髪の湿った感触が手に残った。

「もう一本走れ。さっきみたいなタイムが出たら休憩にするから」

「ほんと?」

 一原は大喜びでスタート地点に戻っていった。僕も八重丸も元の位置につき、気を取り直して再計測となった。

「用意」

 わかっている。次は平凡以下の記録しか出ない。さっきの走りは、この気温や彼女の無意識が生み出した偶然だ。こうして練習を重ねて、いつか本当に速く走れるようになればいい。結果それが飛び抜けたものでなくてもいい。焦らなくていいんだ。

 僕は何を求めていたのだろう。もしエクストラ以上の能力が僕らにあったとしたら、変革を望んだのだろうか。それがひどく無価値なことだと、目の前の光景は告げている。役立たずの人生を精一杯生きる少女たちの姿が。

 くだらない野心に囚われるのはもうやめよう。僕はただ、イントラの可能性を見つめる。彼女たちの笑顔が、もっと豊かになるように。

 スタートの合図。一原凛は駆けていく。

 ——超速で。

 巻き起こった風に前髪が流れた。

 測定器のモニターは、五秒八七を記録していた。

「はぁっ、はぁっ、何秒だった? けっこういい感じだったと思うんだけど」

「……」

 スタート位置に目をやると、八重丸が芝生にへたり込んでいた。

「ねぇっ、何秒? ちょっと見せてよ。……うぇ? 五秒?……って速いの? そうでもないか」

「空気読めよ……」

 呪うように言う僕に、一原は首を傾げるばかりだった。

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