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1 イントラ

 三世紀前に地球上に現れた外向性干渉波保持者(extroversion-accessibility wave holder)通称エクストラと呼ばれたそれは、今ではもう特別な存在じゃない。

 干渉波は人の生殖機能に影響を与え、研究のなされていたアメリカにその年、第一世代が一千万人。翌年には全世界に波及し、新生児の全てが干渉波を持つまでには数年とかからなかった。

 第一世代が成人した二〇三五年から変革は始まる。それまでにあったコンピュータネットワークの代わりに、干渉波と連動する記録媒体を用いた精神情報ネットワークが構築された。

 エクストラ研究がエクストラによって進められ、時にマイナス世代(非保持者世代)との軋轢も生まれた。しかしそれも、彼らが老い、社会を退きはじめた二十一世紀後半から見られなくなっていく。

 さらに二世紀が経ち、非保持者のいない時代。

 特別が当たり前となった世界。それが、僕が生きている今だ。


「新しいお友達を紹介します」

 連中の思考が今この場所にないのは、目を見ればわかる。僕をこの教室に連れてきたこの女教師も、挨拶をした直後、そして僕を「紹介する」と言った今、一瞬の間とともに視線が宙を漂う。

「えーと、コモリ……籠竜くん。皆さんと同じ十六歳ですね」

「十五です。遅生まれなので」

「あっ、これは失礼」

 女教師は宙を見て、確認をとったらしい。「だけど十二月十一日、あと一ヶ月したら十六歳ね。ほほう、ギリギリ第一世代なのねー」

 第一世代。憐れみと共に向けられる言葉。しかし彼女の目にそれはなかった。

 宗教か? こんなクラスを任されるぐらいだから、だとしても納得出来る。

「籠くんは事情があってこれまでこの学校には通っていなかったのですが、今日から皆さんの六人目のお友達になります。仲良くしてくださいね」

 一クラス百人単位が当然となった今の学校教育ではまず見られない、三十人規模の教室。前時代の遺物だろうか。おそらくは物置として使用されていたものだ。そこに机椅子が並べられ、座っているのは制服を着た五人の少年少女。

 頬杖をつく者。

 一心不乱に物書きをする者。

 突っ伏して寝ている者。

 窓の外を見る者。

 僕をじっと観察する者。

 まさしく、イントラの反応だ。

 世界の無戦争状態は三世紀続き、干渉波社会による文化も賑わい、人類——エクストラにとっての安定が続く最中の二三一五年。新生児の干渉波異常が極少数、ここ日本においては六件、発見される。それは本来体外に向けられるはずの干渉波が全てが内向性であり、精神ネットワークへのアクセスが不可能という重大な欠陥。

 introversion-accessibility wave holder——彼らは、そして僕はイントラと呼ばれる。

 この精神情報社会から弾き出され、実験の対象とされ、落胆され、哀れまれ、法整備も整わない中を生きなければならない第一世代。第二世代以降がまともな人生を送れるかと問われればそれも謎だが、一般に僕たちはその扱いだ。こうして時代錯誤の部屋で、六人が一同に会したことが全てを物語っている。

 正式に、人の出来損ないの烙印を押されたということだ。

「籠くんの席は、一原さんの隣に」

 突っ伏して寝る女子の隣に空席があった。前時代のコンピュータ付きのものでも、今の干渉デバイス搭載のものでもない、軽い金属と樹脂でできた机と椅子だ。引いて、腰掛ける。バッグは横のフックに掛けた。

 前の席の眼鏡の女子が振り返って、微笑を向けてきた。こいつ以外はまったく僕に無関心だな。笑える。

「それでは、授業をはじめます。さんすうの教科書を出してね。一原さん起きてー」

 もう一つ、笑えることがあったな。

 イントラは一般に知能レベルが低いと思われている。干渉波による相互理解が当たり前となった今の人類は、非言語のレスポンスがないことを不理解と受け取るらしい。ただでさえ言語や文字を用いた学習は時間がかかる上、それを満足に施せるエクストラは皆無に等しい。その状況で唯一大学教育までを先行して受けることができた高IQ児、イントラの天才こと籠竜も国から見放された。

 僕たちは役立たず。

 欠陥品だ。

「昨日やった小数のこと、覚えてるかなー。小数点より右が一より小さい数ですよー」

「うあっ、あたしの好きな小数」

 隣の女子が起きた。

「はいはーい! 一より小さい数、十集まると大きくなる、一原凛、わかります!」

 ははは、涙が出てきた。


「えっとね、あたしは他に聖徳太子が好きかな。コモリくんは?」

「私は坂本龍馬……」

 授業は三十分きりだった。発声や黒板への板書の負担をエクストラ的に考慮した際の適性時間がそれなのだろう。女教師三浦が退室した教室内で、僕は二人の女子に囲まれるかたちとなっていた。

「好きな食べ物は? あたしシリアル類。ヨーグルトで食べる派。コモリくん好きなシリアル類は?」

「特にない」

「私牛乳で食べる派……。身長伸ばしたくて」

 眼鏡の女子はもじもじと言う。そこに一原というショートカットの女子は、「えーっ」と反論めいた声を出す。

「牛乳で背が伸びるとか迷信だから信じちゃだめだよ。だいたい牛乳嫌いのあたしとさえまるが」彼女を立たせ、自分も椅子から立った。「身長ぜんぜん変わらないじゃん。この成長期に」

「だよねぇ……」と眼鏡は項垂れた。その際、背と童顔に不釣り合いの胸がおおきく揺れた。

「そういう世間で言われてることって間違いだらけだよ。もうね、あたしは何度騙されたか知らないから、信じないことにしてる」

 微妙な膨らみの前で腕組みをして、一原はふんぞりかえった。……如実に表れてるな。

 教室内のあとの三人は、それぞれの休み時間の過ごし方をしているようだった。物書きを続ける小太りの男子。頬杖をつく茶髪の女子。窓の外から視線を動かさない細身の男子。この国に六人だけのイントラ第一世代だが、彼らの情報を僕は知らない。不必要なことは知らされなかった。注目を浴びた僕のことも、彼らはよく知らないだろう。精神情報網にアクセスできないのだから。

「ねーね、これまで学校来れなかったのってなんで?」

 丁度一原が訊いてきた。いちいち説明も面倒だが、これから二年と少しの付き合いだ、話しておいた方がいいだろう。小数や分数を今更習っても仕方ないこともな。

「僕はな、三つのときに」

「ところでさ、兄弟いる? 仲いい? あたしは一人っ子。あそこで外眺めてる奴も一人っ子」

 …………。

「私はお兄ちゃんが一人」

「いいよね、兄弟。うち頑張ってるんだけどできなくてさ」

「え、な、なにを……?」

「あ! コモリくんさぁ、帰りにあるたい焼き屋さんわかる? 割とおいしいからさ、今日」

「お前、ちょっと落ち着いて話せ」

 僕は静かに睨んで言った。

 一原は半笑いのまま固まった。

「えと、あのー……」

「さっきから何だ。僕が一言返す間に、お前は二つ以上質問してるだろ。会話になってないんだよ」

 悪い癖だと思うが、馬鹿な奴は嫌いなんだ。必要以上に馴れ馴れしくされると距離をとらずにはいられない。

 僕は、相手を傷つけることに躊躇しない。

「イントラとかいう以前に教育の問題か? 言動を見ていても伺えるし。少しは恥じろよ。高一の女だろ」

「えっ、え……。あたし怒られてる」

 一原はへらへらしながら狼狽えた。

 イラつく。こういう奴のせいでイントラへの偏見が増えるんだ。確かに連中より早く意思疎通はできないし、学習も遅い。けどな、知能が低いわけでは決してないんだよ。こいつのように、教育からも見放されてるだけだ。

「お前、将来のこと考えたことあるか」

「わ、わかんない……」

 目尻に涙が溜まっていた。

「今みたいに国が助けてくれる保証はないぞ。僕がここにいることが何よりの証拠だ。イントラで一番出来のいい僕が、不要になった。これから状況はどんどん悪化するだろうな。お前、言ってやろうか。お前の両親が何だか知らんが頑張ってるらしいな。何の為だか教えてやるよ。今度はまともな子を産みたいんだ」

「籠くん……やめて」

 眼鏡の女子が言ってくるが、僕は止めない。

「続けて品のない話になるけどな、いいよな? お前が品のない女だからな? 就職の話だが、僕たちはお先真っ暗だぞ。まぁ男ならまだいいかもな。そこのデブとかな。そっちの細い奴は微妙かな。でも頑張れば力仕事ならまだ受け口はある。問題は女。お前らだ。知ってたか? 今時性サービスも精神干渉は必須だ。性サービスって何かって? お母さんにでも聞いてろ。要は身体だけじゃなく意識も一つにするってことだ。イントラとじゃ気持ちよくないんだとよ。よってお前らは最最々底辺の仕事にも就けない無能共だ。よかったな、きれいなままババアになれるぞ。ははは!」

 一原は泣き出した。眼鏡の女子はそれに寄り添って震えている。他はこちらに少しも関心を示さない。本当に、終わってるな。

「はは、まったく……ここは、どこなんだよ」

 また涙がでてきた。

「誰だ、僕をここに連れてきたのは。僕は、こんなところにいる人間じゃないんだよ」

 泣き声が止まない教室内で、僕は一人呟いていた。教師が戻ってきても構わず、睨みつけて、この世界を呪い続けていた。


 実質、僕は家庭から追い出された現状だ。

 三歳で知能指数の高さを認められてから、国の研究機関に預けられ、教育を施されてきた。それが終了した今も、僕を保護しているのは国だ。親はまともな第二子を産んで、まともな家庭を築いているらしい。

 連絡はとれないことはない。一緒に暮らすことも不可能じゃないだろう。向こうが望めば。

 つまりはそういうことだ。

 一原とかいう泣いてた女も、今だから多少の情を受けられるのだろう。だがいずれ僕と同じようになる。気味が悪いんだとよ。精神で繋がれず、何を考えているかわからない子供っていうのは。

 小学校低学年の授業を律儀にこなし、僕は放課と同時に教室を出た。ごく平凡な国立大の付属高に、第一世代の学習施設は設置されている。他世代は他県だ。施される教育がその年ごとに違ってくる為らしいが、実際はどうだろうな。イントラ集団同士の接触を起こさない為ともとれる。

 校門を出たとき、校舎の時計は三時を示していた。小学生そのものだ。帰ったらおやつでも食うか。

 学校とマンション間の道順は記憶している。登校初日だが、問題なく帰れそうだ。あまりもたついてあのクラスの誰かと鉢合わせても嫌だしな。

「……」

 一原は、あとの授業をずっと突っ伏して過ごしていた。最初と違ったのは、背中が時折ひくついたことぐらいだった。

 眼鏡の女子が振り返ってくることは、以降なかった。僕とは目も合わせなくなった。他の連中は、言うまでもない。

 あのクラスで、まともに過ごす気はもうなかった。会話なんざこっちから願い下げだ。言っちゃ悪いが、あそこで正常な人間関係を作れる気がしない。おかしな話だ。世界に数えるほどしかいない仲間なのに。

 やはり、欠陥か。

 こんな不和が生まれるのも、イントラだから。解り合うことができないから。

 …………何だこの思考は。僕はよっぽど、国に見捨てられたのが堪えてるらしい。

 能力を認められているうちはよかった。むしろイントラであることが誇らしく思えた。だが、次第にわかっていったのは、天才といっても前時代の、人類が干渉波を持たなかった基準でのことに過ぎず、例えばそれは干渉波による自動学習を受けた幼児の学習速度にも劣る。結局のところ僕は、少し珍しい動物としてちやほやされていただけだ。

 賑わい始めた商店街を通る。三世紀前と比べ、人々の暮らしは原始的な方向に落ち着いたらしい。当然だ。人というものが、丸っ切り別物の生物へとそっくり入れ替わったのだから。それまで生活の主流にあった電子情報媒体がすべて廃され、干渉波ネットワークを構築する為の有機物質がそこらじゅうに埋め込まれた。それは車等の動力や工業にも応用され、人類は環境破壊からのほぼ完全な脱却に成功した。

 アーチ天井からの陽の光と、各店舗店名だけの簡素な看板。一見レトロな空気とも言える。通行人は増え始めたが、賑わうといってもそれは視覚上のことで、商店街は足音が鳴るだけの静寂だ。本当の賑わいは不可視のネットワーク上にある。主婦たちの視線が僕に向く。顔が割れているからな。今頃どんな高速の噂話が展開されているのか。表情で大体の内容は察しがついたが。

 人はどんなに進化しても、精神の豊かさは手に入らないらしい。登校初日に暴言で女子を泣かした男と何も変わらない。連中はイントラを理解できないというが、結局は同じだ。同じように汚い。

 視線を返さずに、人の流れの中を行く。

 アーケードの終わりにさしかかって、小さな店が目に付いた。割と派手な文字で〝たいやき〟とある。絵付きの看板。気持ちは通り過ぎようとしていたのに、歩調は緩まった。

 あいつは……哀れな女だ。そんなのに夢中になれるのも今だけだ。僕は知っている。国のイントラの扱いがこれ以降ずっと悪くなっていくことを。何せ、守る人間がいない。親と繋がれない僕たちは、真に孤独なんだ。

 さっきの主婦の視線からも感じられた。単なる奇異じゃない、僕たちは恐怖を持たれている。このエイリアンを奴らはいずれ隔離するだろうな。それが妥当だ。

「ボク、たいやき買ってくかい?」

 突然の声に、緊張が走った。気付けば、足を止めていた。そこをたいやき屋のカウンターに立つ青年に気づかれたらしい。

 声をかけられること……、それ自体が僕はあまりない。周囲はいつも目で会話をして、決定されたことを伝えるだけだったからだ。道端で、店から、こんなふうに、というのはほぼ初めての体験と言っていい。

「清瀧高だろ。みんな買ってくぜ。イントラの子たちも。買い食いは学生の華だから、ほら、買ってきなよ」

 なんだこいつ……。見た目は二十歳そこらの遊び人という感じだが。

 立ち去るわけにもいかず、僕は店に近づいた。店員はまだ何も言っていないのに型付きの鉄板で生地を焼き始めた。「しょーがねーなー、一枚サービスしてやるよ。言っとくけど焼きたても作り置きも味変んないからな。ほんとだぞ」

 紙包装に包んだ焼きたてのたいやきを渡してきた。

 安易な発想だが、……毒か? それも致死性のものじゃなく、徐々に嫌がらせ程度に効果が出るもの。いや、単にこういうことをして悦に入っている類の人間か……。

 彼が実はイントラじゃないかという馬鹿な考えも浮かんだ。若しくは、何かが原因で干渉波を出せなくなったエクストラ……、

「ずっと頭で話しかけてたけどさ、反応ないから。つか見ない顔だよな。転校生?」

 それも違った。そもそも干渉波は生きていれば絶えず流れ出る脳波の一種だ。事故や病気で失うことはあり得ない。

「……ニュース、見ないんですか」

「あまり見ないけど、どういうこと? 有名人?」

「……いえ、何でもないです。今日東京から来ました」

 たいやきを一口食べる。味は普通だ。

「へぇ。こんなど田舎までご苦労様。今後よろしくね」

「どうも、美味しかったです」

 明日からは道を変えよう。

 店員に礼をして、僕は踵を返した。

「……」

 目の前に制服の女子がいた。

 泣き腫らした暗い目で、僕を見ていた。

 長居しすぎたか。まぁいい。ここで会うのも最初で最後だ。

「いい店じゃないか。味も悪くない」

 言って、横をすり抜ける。たいやきのもう一口を齧ろうとした。

 襟後ろを引かれた。

 信じられないことに、足が浮いた。振り回されるようにして、店のカウンターに背が打ち当たった。

 一原凛は俯いていた。唇だけが微かに動いていた。

「よくも……いじめたよね」

 手が伸ばされ、襟首を掴まれた。そして押された。足が、浮いた。カウンターに背中が乗りかかる。

 なんだ、この馬鹿力。解こうとするが、細い指は両手がかりでも動かない。

「凛ちゃん!」店員の慌てた声。僕は息もできなくなる。蹴り飛ばそうと思ったが、既に彼女の脚がそれを内側から制している。顔を殴るか。いや、止められる自信がない。なら——、

 右手で胸を鷲掴みにした。

 腰の下で、プラスチックの仕切りが割れる音。彼女は止まらない。背が鉄板の上についた。彼女は止まらない。頭の後ろが熱い。

「びっくりして泣いちゃったけど、おまえの言ったことが正しいわけじゃないよ」

 髪が焼ける臭い。僕は無我夢中で暴れた。制服が乱れ、ブラウスが破け、小ぶりの乳房が見えても彼女は止まらない。

「イントラだから、なんで悲観とかしなきゃいけないの。おまえの言うこと全然意味わかんなかったし。毎日楽しいのに、なんでそういうふうに言われなきゃいけないの。いきなりやって来て、おまえはなんなの!」

 じゅう、という音が数秒続いた。

 店員が彼女を後ろから抑えて、やっと僕は鉄板から離れた。それでも襟首は掴まれたままだった。空いていた拳が握られた。真っ白な思考の中で、破けた彼女の服がヒントになった。僕はシャツのボタンを千切り、脱ぎ捨て、逃げ出した。すぐに追いつかれた。背中から馬乗りにされた。

「助けて、誰か!」叫んでいた。道ゆくエクストラたちに手を伸ばした。「殺される!」返ってくるのは困惑の表情ばかりだった。顔面に細い指が食い込んだ。僕は悲鳴を上げた。

「……」

 絶叫の中で、背中の女はぽつりと言った。

「十円ハゲになってる」


「話聞く限りじゃ、君が大半悪いよ」

 店員の青年は呆れた顔で言った。破損したカウンターの前で、僕と一原は並んで彼に説教を食らう形となっていた。

「でも凛ちゃんもまずいだろ。後ろが鉄板だって考えなかったの?」

「なんか熱いなとは思ったけど、全然」

 後頭部がヒリヒリする。地毛はもう生えないだろうな。飄々と言う一原に、渾身の憎しみをぶつけた。

「教える人間がいないんですよ。イントラに常識なんてね。だからこういう異常な奴が生まれる」

 一原の視線が向いて、また手が伸ばされた。「事実だろ。それに僕はお前のせいじゃないって言ってるんだ。世の中が悪い」慌てて言うと、わかったのかわかってないのか測りかねる表情でひとまず手は下ろされた。

「いや、性格だと思うけどねー」と腕組みして言う店員。

「お兄さん、店壊れて営業できない? でも儲かってたからいいよね」

「ほら。こういう子はエクストラだって一緒だよ。親が甘やかすのをやめないと」

 店員も辟易としているようだったが、その方向性が僕とは違った。親に、甘やかされてる? 放任みたいなもんだろ。

「とにかく、仲直りして。握手して。……何で俺が親みてーなことしなきゃいけないんだ」

 彼に促されて、僕と一原は手を握った。その間も一原は店員に「甘やかされてないって」などと反論をぶつけている。なんでこんなに打ち解けてるんだ、イントラとエクストラが。

「あ、君ね、その火傷処置した方がいい。火傷用シールでいいから」

「薬局……あります? ここのアーケードに」行き帰りの二度通ったが、見かけなかった。

「駅前にしかないね。潰れたばっかなんだよ。家に買い置きは?」

 これから色々揃えようと思っていたところだ。僕は首を振った。

「店にも置いてねーんだよな、救急箱。家に帰ればあるんだけど。まぁあそこの服屋とか喫茶とかに言えばくれるかもしれないけど、凛ちゃんの家は?」

「嫌」

 即答。

「一応怪我させたの凛ちゃんだろ。仲直りもしたし」

「してない」

 だよな。さっきから一度も僕の方は見てない。

「それでも怪我の面倒だけは見ないと」あやすように店員は言った。「うちの鉄板のせいで大事に至ったら俺も困るし」

「……」少し考える動きを見せて、一原は頷いた。

 店員と別れ、商店街を出る。僕は一原の斜め後ろを歩く。彼女が路地を右に曲がる。僕も右に曲がる。家の方向はどうやら近いらしい。通学時間を早めようと思った。

 住宅街の一軒家に着いた。僕が昨日から暮らすマンションとは目と鼻の先だ。

「あっちが駅だよな」僕は学校と逆方面を指した。昨日向こうから歩いて来たから間違いない。「じゃあ。薬の買い置きも丁度したかったし」

 家の門に手をかけていた一原が振り返る。

 どかどかと近づいてきた。

「待ってて」

 萎縮した僕にそう言って、家に入っていった。意外に思いながら待っていると、傷用シールの束を持って戻ってきた。

「どうも」と言って手を出す。

「……」一原は僕の後ろにまわった。この期に及んで何をされるのかと身構えてしまう僕だったが、後頭部にぺたりと貼られた感触で杞憂だったと悟る。

「仲良くしたかったのに。すごく悲しかったし」

 ……謝った方がいいだろうか。だがこれ以上何の制裁もないなら、無駄にプライドを削るだけだ。悪かったとは微塵も思ってない。事実を伝えただけだから。

「胸も触られたし見られた。最悪。死ね」

 顔も見ないまま、彼女は家へと駆けていった。

 ……お似合いだな。

 三世紀前までは、人類に戦争が絶えなかった。人同士は基本わかりあえるものじゃなかった。

 イントラにはこういうのがよく似合ってる。


 牛乳、パン、それにスクランブルエッグ。スクランブルエッグは初めて作ってみたが、簡単だっただけにつまらない味だ。当面の課題は料理になるだろう。

 朝食を片付け、学校へ行く支度をする。国のイントラ管理担当者には、昨日当然感じたこととして小学生並の勉強を今更させるなと言った。だが学習よりもイントラ同士のコミュニケーションを優先させるとのことで、却下された。

 どうせデータもろくにとってない。連中の僕らへの興味は尽きたんだ。意味なんてないんだろ。やめちまえよ、もう。

 所謂ファミリータイプの、一人で暮らすにはどう見ても広い部屋を出て、階段を下りる。早めと思って七時に出たはいいが、マンション住人とは何人か出くわしてしまう。スーツを着た隣家族の父親や、掃除をする管理人、立ち話をしているらしい主婦。どれにも軽く頭だけ下げて通過する。

 ランニング帰りの中年、家前に箒をかける老人。結局どの時間帯だって人はいる。でも同校の生徒が大勢いる中登校するよりはいい。それは彼らの為でもある。無駄に異物に気を遣わせることもない。

 何より、自分を嫌悪している女子にわざわざ会わずに済——、

「どうしたの凛。一時間も早く出るなんて」

「いいの」

「お父さんより早いじゃないか。朝から自習か?」

「ちがうし」

 通りかかった一軒家から、女子高生とその両親が出てきた。思わず固まってしまった門前の僕と目が合う。

 一原は泣きそうな顔になった。

「あっ……もしかして」母親が気づいて家に引っ込もうとする。

「彼氏か? 待ち合わせだ、母さん。凛が待ち合わせ」

「ちがう!」

 僕は一応、頭を下げておいた。

 すると、まず母親の表情が変わった。次いで父親も何かに気づいたらしい。

「ちょ、ちょっと、お父さん、お母さん!」

 一原の制止を振り切って、二人は門に近づいてきた。僕の顔をまじまじと見る。

「イントラ?……凛と同じ」

「そうだよなぁ。反応ないし。あれ、でもこんな子学校にいたかい。というか、君どこかで見たような」

「あ、イントラの頭いい子よ」

「そうだ、イントラの希望の星!」

 そんな扱いだったな。今となっては苦笑いで返すことしかできないが。

「どうも。昨日転校してきた者です」やりづらい。前日に娘を泣かしたのは僕だ。

「凛と仲良くしてあげてね」

「いや、もう仲良いんだよ」

「あ、そうよね」

 ……なんでこんなことになってるんだ。なんでこんな息苦しい状況に。

 偶然が重なったというのがまずある。今朝彼女と、ましてその親などと会うことは想定外だった。

 いや違う。何より想定外なのは……。

「そういうのじゃないんだって! こいつは嫌な奴なの。嫌いなの」

「凛! こいつとは何だ」

「いたっ。……お父さんがぶったぁ。……うあっ。お母さんもぶった……」

「すみません。私たちもはしゃいでしまって。こんな子だけどよろしくお願いしますね」

「……」

 これじゃあまるで、親子じゃないか。

 五歳のとき、僕の為に用意された前時代の映像媒体で観た親シロクマと子シロクマの姿。学校学習の場で、授業参観の親と生徒の纏う空気。国の研究員が見学に来させた息子に見せた、僕には絶対にしなかった表情……。

 イントラだぞ。あんたたちの言葉を聞くことができないイントラだ。黙っていれば親殺しを考えているかもしれないイントラ。何の職にも就けない、生まれてから死ぬまで負担をかけるだけの生物なんだぞ。

 二人目が生まれたら……変わるに決まってる。

 一原、お前も捨てられるんだ。哀れだな。そんなに愛されていたのに、冷たくされるんだ。親との距離がわかるんだ。可哀想だな。ははは。泣くなよ。自殺するなよ。

「もう行くから。仲いいんじゃないからね」

「はいはい、わかったよ。いってらっしゃい」

「気をつけてね」

 一原は門を飛び出した。突っ立っている僕に、「早く進んで」と移動指示を出した。

 軽く礼をして、家から離れる。

「なにその顔。早く先に行ってよ。五メートルはなれて」

「……」

 ちょっと待ってくれ。上手く歩けない。

「……変な顔」

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