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コバルト短編小説新人賞への投稿作

嘘が嫌いな君へ

作者: 日咲ナオ

第160回コバルト短編小説新人賞に投稿した作品です。


 顔の輪郭に沿ってさらりと流れる髪は金髪のようで、よく見ると薄い茶色とわかる。寄せられた眉の下にある青色の瞳は、悩ましげな色を宿して細められていた。年齢は二十になったかどうか、といったところだ。

 彼は時々髪をかきむしり、ブツブツと呟く。そうして、品のいい調度品を設えた部屋の中を、落ち着きなく歩き回っていた。ジュストコールの裾が、バサバサとみっともない音を立てる。

「アルバート様。非常に鬱陶しいことこの上ありませんので、いい加減にしてくださいませんか?」

 書類を片手に呆れ顔で言い切ったのは、薄紫色の瞳の青年だ。背中の中ほどまでありそうな癖のない金色の髪は、縛って右肩から前に流している。アルバートを見つめる瞳は、冬の早朝の空気よりも冴え冴えとした冷気を放つ。

「あのなぁ、リルの誕生日まであと五日しかないんだぞ! しかも、彼女はあまりに慎ましすぎて、欲しいものはないというんだ! 喜ばせられるものがわからないからこんなに悩んでいるのに、お前は優しいひと言もなければいいアイデアを提供してくれるわけでもない!」

「どうして私が、あなたの自己満足のために、心を砕いて協力しなくてはいけないのですか? それとも、アルバート様は、私があなたよりエイプリルさんと親しくしているとでも思っているのですか?」

 完全に頭に血が上った顔のアルバートに対し、青年はさらに容赦なく、しかも滑らかに言葉をつむいでいく。

「存じていれば、とっくにヒントくらいは差し上げています。いくら私が冷徹と呼ばれていようとも、周囲に迷惑をかけるわけにはいきませんから。例えば、エイプリルさんが逆上して、あなたが手のつけられないほどに落ち込む、といった状況に陥ったり」

「待て、サイラス。僕がリルを怒らせたのは、たったの一度だけだ」

 これだけは否定しておかなければならない。

 いつもいつも、ささやかな行き違いで彼女に怒鳴られる。だが、決して怒っているわけではない。アルバートはそう信じている。

 怒らせるというのは、彼女に自分の本当の素性が知られた時の状況を言うのだ。

 嘘をついた。だました。詐欺だ。

 それが彼女に思いつく限りの罵詈雑言だったのだろう。二時間、たっぷり繰り返して浴びせられた。その後、何日も会話が成立せず、拷問のような日々を味わったのだ。まともな返事が返ってきた時は、天にも昇る心持ちだった。

 あんな目に遭うのは、もうゴメンだ。

「何をおっしゃいますか。エイプリルさんは、あなたを嘘つきと何度も言いましたよ?」

「ああもう、それは聞き飽きた! 最初にちょっと身分を低く偽っただけで、反論の二言目には「嘘つきのくせに!」と怒鳴られる日々が、今まで続いているんだぞ」

 アルバートがエイプリルと出会ったきっかけは、ある貴族子息から訴えがあった詐欺だった。子息が下町で、装飾品を売っていた娘に安物を高く売りつけられたらしい。代金はどうでもいいから、その娘を裁いて欲しいと頼まれたのだ。

『ある貴族の子息が、お前を詐欺の容疑で訴えてきた』

『嘘をつくのもつかれるのも嫌いなこのあたしが、詐欺? あたしね、質の悪い冗談って大っ嫌いなの!』

 サイラスに説明された罪状を鼻で笑い、正面切って戦うと宣言した少女。

『そんなこと言った人に、寝言は寝て言えって伝えといてくれる?』

 氷のような青年を前に何度揺さぶりをかけられても、エイプリルは瞳を揺らがせることなく一貫して否認を続けたのだ。

 幼い頃から、人の表と裏に触れすぎた。その結果、嘘を見抜くことに長けているアルバートが、直接言葉を交わして判断することになったのが、今から半年ほど前のことだ。

『初めまして。僕はバートと言います。君が、僕の頼みを聞いてくれる子?』

 ある地方伯の次男で、王都にはよく遊びに来ている放蕩息子的な人物を演じた。

 左耳の上でひとまとめにした、目の覚める鮮やかな赤色の髪。真っ直ぐ落ちた毛先は、肩に触れるほどの長さだ。クリクリした大きな瞳はとび色。何をどう聞いていたのか、大きな目が不思議そうに瞬きを繰り返している。それがまた、小さな動物が見せる仕草に似て愛らしい。

『あたしは、エイプリルです』

 それなりに距離があって平均的な身長のアルバートが、軽く見下ろせる。それほど低い位置に、幼くあどけない印象の強い彼女の顔はあった。

『実は、この王都で好きな人ができたんだけど……貴族令嬢じゃないからどういった話をしたら楽しんでくれるかとか、驚かせない贈り物はどんなものがあるかとか、全然わからないんだ。よかったら、教えてくれないかな?』

『そういう相談は苦手だけど、でも、話し相手くらいだったらできると思うわ』

 言葉どおり、エイプリルはアルバートの作り話に耳を傾ける。彼女なりに考え抜いた助言を、ひと月の間毎日聞かせてくれた。

 彼女の言葉に、嘘や偽りは当然として媚びる色も含まれてはいない。

『うまくいくといいですね』

 心から信じて、そう願っている。そんな笑顔で言われると、騙している罪悪感で胸がチリチリと痛んだ。

 言葉を交わせば交わすほど、真っ直ぐな彼女に惹かれていった。同時に痛感するのは、彼女は何とも思っていないのだと思い知らされる絶望感。

 毎日会って、言葉を交わせばわかる。アルバートには、どう考えてもエイプリルが嘘をついているとは思えなかった。

 もし、エイプリルがアルバートでも見抜けないほどの詐欺師だとすれば。それこそ、一貴族の子息ごときが見抜けるはずはない。

 怪しんだアルバートが、貴族子息と面談した結果。嘘をついたのは彼の方だと判明したことで、事態は収束へ向かった──はずだった。

『リル、君にかかっていた詐欺の容疑は晴れた。この男の狂言だったんだ』

 突き出した男ではなく、彼女の目はアルバートを真っ直ぐ見つめている。

 彼女は、嘘は元々好きではなかったらしい。八歳の時、お土産をたくさん買って帰るから、と言った両親が事故で亡くなった日から許せなくなった。それから五年、一人で育ててくれた祖母が病を得て倒れたそうだ。

『必ず元気になるよ』

 そう言った翌日、祖母は眠るように息を引き取った。以来、エイプリルは嘘をつくのもつかれるのも、親の敵以上に憎悪している。

 長く生きれば、騙されることはあるかもしれない。だが、人を騙すことはもちろん、その他の犯罪に分類されるような行為は何一つ行っていない。それがエイプリルの自慢だ。

 ……といった話をひと月の間に聞き出していたから、これ以上嘘はつきたくなかった。もののついでと、想いも含めて公衆の面前ですべて打ち明けたのだが、それがかえって悪かったらしい。

『この大嘘つき! あなたの言葉なんて何ひとつ信じないから!』

 そしてとどめの言葉が。

『あなたなんて大っ嫌いよ!』

 涙がにじんでほんのり赤くなった目で、王都中に響き渡りそうな大声で叫ばれた。

 その後、二ヶ月の間、連日謝罪に通ってようやく許してもらったのだ。

 バートと名乗っていた頃のように──いや、それ以上に信頼してもらいたい。できれば好意を抱いて欲しい。そのために今でも毎日会いに行っているが、成果は芳しくない。

「一度崩れた信頼は、なかなか取り戻せないことはわかっている。わかっているつもりなんだけど……どうしてサイラスは嘘つき呼ばわりされないんだ?」

 恐ろしい顔で散々脅しをかけて、しかもこの一件に加担した。サイラスも、嘘つきと言われてもおかしくはないはずだ。

「私は職務に忠実ですから。もっとも、いたいけな少女を脅したとは言われましたが」

 確かに、サイラスは嘘と呼べることはしていない。それでも、彼だけが免れたことに強い憤りを感じてしまう。そこには嫉妬もあると、アルバートは自覚している。

 普段のアルバートは、一人でエイプリルに会いに行く。すると、彼女は決まって硬い表情で出迎える。真摯を念頭に様々な話をしているというのに、その表情が和らぐことはほとんどない。

 ところが、王都の視察を兼ねているとサイラスがついてくる。その際に会うと、エイプリルがいつもより安心した顔を見せるのだ。

 エイプリルが絡むと、視野が極端に狭くなる。自覚もしているが、どうしてもうがった見方をしてしまうのは否めない。

 そもそも、アルバートの心情的には、いろいろとありえない。

「すでに妻子ある身の私と、エイプリルさんの仲を邪推している暇があるのでしたら、あなたは当たって砕けて風に散ってなくなるくらいの覚悟と意気込みで、男らしく正面からぶつかってくることが先ではありませんか? ただし、いきなり婚約指輪じみたものを渡すのは逆効果ですよ。今度は連日の謝罪二ヶ月程度では済みませんからね」

 今の状態で事実を告げたところで、アルバートの頭の隅にも残らないことがわかっている。だからサイラスは、彼の気力を打ち砕く方向にのみ言葉を並べ立てた。

「リルは何も言わせてくれないんだが……」

「ああ、それは救いようがありませんね」

 サイラスは冷たい上にひどい男だということを、アルバートも重々承知している。しかし今は、嘘でもいいから、慰めの混ざった生温かい言葉を聞きたかった。

 深く長いため息をつき、アルバートは重くなった心と足を引きずってドアへと向かう。

「山積みの書類仕事もありますし、あまり遅くならないようにしてくださいね」

「わかっている!」

 今日のアルバートの目標は、エイプリルにそれとなく、好きなものや気になるものを聞き出すこと。

 それは、簡単なようで難しい。


         §


 エイプリルがいるのは、街の中でも貧困街。様々な個人商店が並ぶ、土がむき出しの通りの端っこで、白色の薄い布を広げた場所が彼女の店だ。

 布の上には、色とりどりの小さな宝石をあしらった銀細工の装飾品が、行儀よく並んでいる。指輪、首飾り、耳飾り、腕輪。宝石の並びや形を含め、同じものは二つとない。

 それが、彼女のこだわりなのだ。

 並べられた装飾品は、太陽の光を受けてキラキラと輝く。それらを眺めている時間が、彼女は何より好きらしい。

『お客さんが来なかった日に、気がついたら空が赤くなってたってことはあったわ』

 よくあること。そんな口調で、彼女はいつも愛しげに装飾品に触れる。

 飽きずに眺めてしまう。夢中になって作るうちに夜更かしする。そう笑う彼女に、詐欺罪の親告による調査が原因で、苦行を強いたのだ。嫌われていても、仕方がない。

 その後、何の因果か。名誉が挽回されると同時に、彼女が作った装飾品の素晴らしさが王都中に知れ渡った。しかも、たった五ヶ月の間に。

 品質の割に、安い値段で売っている一品物の店。それが、彼女の露店に与えられた、ありがたくない付加価値だ。

 どうしても手に入れたい。頼み込む人も多いそうだが、注文はすでに一年後まで埋まっているらしい。受けきれずに断っていると、アルバートは聞いている。同時に、作りたいものを自由に作れない不満も、聞かされていた。

「リル!」

 愛称を呼んでいいと、許可をもらったのはバートの頃。それでもアルバートは、少しでも近いところにいたくて、彼女を愛称で呼び続けている。

 手を振って自己主張してから、アルバートはエイプリルに駆け寄る。とたんに、彼女は仏頂面になった。これも、悲しいがいつものことだ。

 近くで見る彼女は、相変わらず可愛い。だが今日は、少し気になる部分がある。

「あれ? 昨日夜更かしでもした? 少し目が腫れているよ」

「昨日は作るのに夢中で、寝たのが明け方でしたから」

「そうやって不規則な生活をしていると、ますます痩せちゃうよ? ご飯はちゃんと食べている?」

 細くて頼りない。だから守ってあげたいと、アルバートは思う。けれど、彼女を守りたいと思うのは自分だけじゃないことも知っている。たとえば、彼女のご近所さんたち。顔見知りの個人商店主たち。場合によっては、通りすがりの客も含まれるかもしれない。

 他人の善意が食べ物で彼女に与えられ、受け取った彼女は余ったお金で商売道具を買ってしまう。そして、作業に熱中して夜更かしを繰り返す悪循環だ。

 小動物のように可愛らしくて、しかも年頃なのだから、このままでは悪い人間にさらわれるのではないか。

 不安に駆られる感情のまま。彼女には二度と嘘をつかないと決めたアルバートは、なぜか言わずに黙っている道を選択しない。

「言われなくてもわかっています!」

 怒鳴りつけて横を向く彼女の、機嫌を損ねた理由がわからない。だからアルバートは、いつも彼女が根負けするまで謝り倒して許してもらう。けれど、原因を把握していないためにまた同じことを繰り返す。

「もう、謝らなくていいですから。商売の邪魔なので、帰ってください!」

 そのため、アルバートはこの日もどうにか許してもらって、目的を果たせずにすごすごと退散するしかなかった。


         §


 その日、アルバートのため息は、朝から数え切れないほどこぼれ落ちていた。サイラスでも「鬱陶しい」と言う気になれない回数だ。

「今日ですね」

 サイラスが小声で呟くと、アルバートの動きが止まった。

「まだ決まっていないんですよね」

 今度は、石のように固まる。

 言葉で返されなくとも、アルバートの態度がすべてを物語っていた。

「まさか、今日だけ会いに行かないなんて、言い出しませんよね?」

「言わない」

 そこだけは即答だ。だが、それっきりアルバートは押し黙る。

「本日は私も同行します。比較的懇意にしている女性の大切な日ですから、祝う言葉のひとつもかけなくてはいけないでしょうし」

「お前はいいよな。おめでとう、のひと言で許されるんだから」

 ここ数日で一番後ろ向きな姿勢が色濃いアルバートに呆れた。あまりの鬱陶しさに仕方なく、サイラスは隠していた事実を打ち明けることにする。

「今、エイプリルさんが欲しがっているものはありませんよ。どうしても贈り物がしたいのでしたら、エイプリルさんにケーキか焼き菓子を買って差し上げたらいかがです?」

 突然の助言と提案に目を丸くし、アルバートはサイラスを見つめて瞬く。

「そんなことでいいのか?」

 記念すべき十五の誕生日だというのに。装飾品やドレスなどではなく、菓子?

 疑問がアルバートの頭の中でグルグルと駆け巡る。

「エイプリルさんは欲のない方ですからね」

 鬼の警備隊長と揶揄されるサイラスには珍しく、口端に小さな笑みが浮かんだ。

「昔から、女性の機嫌を取るには甘いもの、と決まっているんですよ」

「なるほどな」

 捨て猫をやたらと拾って帰る癖を、どうやって家族に許してもらっていたのか。長年の疑問が解消し、アルバートは考え込む。

(王都でもっともおいしい菓子店のケーキと焼き菓子を、全部買い占めてプレゼントしよう。うん、それがいい!)

 この瞬間のアルバートの頭が覗けたならば。サイラスは間違いなく、「それは逆効果です」と突っ込んでいただろう。

 残念なことに、アルバートの顔には彼の結論は書かれていない。サイラスも、さすがに誤ることはないだろうと過信してしまっていたのか。あえて釘を刺さなかった。


 菓子店でひと悶着起こした後。

 二人はいつものように、徒歩でエイプリルを訪ねることにした。下町は道が狭く、王城が所有する大型の馬車では入れない。

 背中に隠し物をしながら歩く。歩きづらくとも、これを見て驚く彼女が見られるなら、多少の苦労など。

「リル!」

 いつもの場所でいつものように。店を開いていたエイプリルを見つけると、アルバートは笑顔で駆け出す。彼の後ろから、サイラスは無表情を崩さず歩いて従う。

「アルバート様、毎日毎日、ホントよく飽きませんね」

「僕がリルに会いたいから来るんだ。飽きるはずがない」

 渋面になって顔を背けたエイプリルに、アルバートの表情は自然と曇る。

「エイプリルさん、こんにちは」

「あ、サイラスさん。こんにちは!」

 しかも、サイラスには笑顔で挨拶を返しているのだから、苛立ちは募る一方だ。

 彼女の視線を向けるため、アルバートは声を張り上げる。

「リル、誕生日おめでとう!」

「……知って、たんですか?」

 驚いて目を見開いたエイプリルが、まじまじと凝視してきた。

 アルバートが誕生日を知っていることが、よほど意外だったようだ。

「それから、これ」

 よりおとぎ話の王子様らしく見える、赤色のマント。その後ろに隠していたものを、エイプリルに差し出した。

 赤いリボンをかけた白い箱の幅は四十センチ四方。高さは二十センチくらいだろうか。

 その大きさに、エイプリルは見る見る渋い顔になる。

「こんな大きなもの、もらえません」

「待って。中を見てから決めて欲しい」

 怖いほどに真剣な顔のアルバートに、真っ直ぐ見つめられて困ったのだろう。エイプリルが、助けを求めるようにサイラスに目を向ける。サイラスは珍しく、小さく微笑んで頷いた。

 菓子店で声を荒げてまで、サイラスがアルバートに諦めと納得をさせた結果だ。エイプリルに正否を決めて欲しい気持ちは、アルバートと同じ程度はある。

 仕方なく、エイプリルはリボンを解いて箱を開いた。

「わぁ!」

 箱の中に入っていたのは、大柄な男性は一口。女性でも二口か三口で食べられる大きさのケーキが十種類。それぞれが宝石を飾られているように、キラキラ輝いて見える。

「これ、キャロウのケーキですよね? あ、この新作、まだ食べてなかったんで食べたかったんです!」

 破顔したエイプリルが指差したのはフィナンシェだ。キャロウのこれは、砂糖漬けにしたオレンジの皮を細かく刻んで生地に混ぜ込み、薔薇の花をかたどった型に流し込んで焼き上げている。

 サイラスの助言を受け入れて決めた、最後のひとつだ。

 小さくて種類の多いケーキが家族に好評だった。サイラスのそんなひと言が、店をキャロウにした決め手だ。

「嬉しい……アルバート様、サイラスさん、ありがとうございます!」

 箱を受け取ったエイプリルの、心からの笑み。今日見たかったものを見せられ、アルバートとサイラスはこっそり顔を見合わせる。

「リル、誕生日おめでとう!」

「エイプリルさん、お誕生日おめでとうございます」

 口々に祝いの言葉を告げた。

 受け取るエイプリルは、恥ずかしそうに頬を淡く染める。まずはサイラスを、それからアルバートを見つめた。

「あたし、アルバート様は「こんなにいらない!」って怒鳴りつけないといけないくらいたくさん持ってくると思ってたので、ちょっとだけ見直しました」

 後ろでサイラスが「さすがはエイプリルさん、鋭いですね」と呟いたのは、もちろん聞こえない振りだ。

 バートと名乗っていた頃のように、エイプリルが小さく微笑んでくれた。

 アルバートは嬉しくなって、つい彼女の手を握ってしまう。とたんにエイプリルは顔に赤を散らし、ケーキの入った箱を取り落とした。

「あっ!」

 アルバートとエイプリルの、驚愕に満ちた悲鳴が重なる。

 こうなると読んでいたのか。さりげなく近寄っていたサイラスが、うまく箱を受け止めてくれた。ほぼ無傷のケーキに、エイプリルとアルバートは安堵の息を吐く。

「そうだ。リル、食べてくれないか? 僕とサイラスからのプレゼントの感想を、ぜひ聞かせて欲しい」

 懇願され、エイプリルは数回瞬きする間ケーキを眺めていた。迷いに迷った末、新作に手を伸ばす。

 食べようとして口を開きかけ、不意に二人に視線を向けた。

「せっかくですし、アルバート様とサイラスさんも一緒に食べませんか?」

 戸惑うアルバートと違い、サイラスは気に入っているらしいものをつかみ上げる。

 丸くて厚みの薄い型に、生地を流し込んで焼いただけ。そう見えるが、生地には紅茶葉が混ぜ込まれ、中に紅茶で煮たリンゴが入っている。

「あ、それもおいしいですよね。紅茶の香りがすごく濃厚で」

「甘みは抑えてあるので、甘いものが苦手な人でも食べやすい点が売りだそうです」

「あたしは口直しに食べるのが好きです」

 和気藹々と、エイプリルと話を弾ませるサイラスが羨ましくて。アルバートは半ば自棄になり、食べてみたいと思うものを選ぶ。

 ふと目に留まったのは、エイプリルの髪色に似た、鮮やかな赤色のソースがかけられたフロマージュ。

(これを食べたら、少しは彼女に近づけるだろうか?)

 笑顔を弾けさせて、サイラスとケーキ談義で盛り上がっている。近くて遠いエイプリルを思いながら、アルバートにとってはひと口サイズのそれを口の中に放り込んだ。

 甘酸っぱいソースが、ますますエイプリルを思い起こさせる。

(来年のこの日には、できれば指輪を贈れるくらいに距離を縮めたいところだな)

 その手始めとして、エイプリルが好みそうな菓子店を回って味見をしよう。売っている菓子類を、すべて把握しておかなくてはいけない。

 もちろん、サイラスが案内人だ。細君のご機嫌取りで菓子店に詳しいのだから、これを利用しない手はない。

 サイラスがいなくても、ケーキの話についていけるようになったら。また見直してくれるかもしれない。そうなれば、もっと打ち解けた笑顔もたくさん見せてくれるだろう。

 アルバートはぼんやりと、いつか手繰り寄せたい日々を思い描いた。


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