相談しましょそうしましょ
初めの目的地は王都より北にありし、ナドニス。ここ数週間、豪雨や微弱な地震の被害にあっている地方都市だ。今までのデータから、超常現象が起こる地域は、大概自然災害の被害にあっているらしい。だからといって、必ずしも超常現象が起こるとは限らないのだが、藁にも縋る思いで王宮お抱えの科学者たちが発表してきた推論だ。乗っからないのは不徳であろう。どうせ当てもないのでと、騎士団が推薦した。
ナドニスは山に囲まれた盆地にある過疎地域なので、列車もとっくのとうに廃止され、車が通れる道など整備されていない。そのため、2日かけ、途中のマリアナまでは寝台特急で行き、残る道のりはひたすら徒歩。5日間かけてやっとナドニスについた。とはいえ、伊達に訓練をしていないせいか、エスラはエドウィンのペースについていけたし、アーノルドも虚弱に見えて案外運動ができるようで、山道を辛そうに歩く素振りはまったくなかった。結果、予定より遥かに早く目的地に到着した。
ついてみると、思ったより賑やかな町で、極度な過疎化は進んでいないようだった。しかし、地割れや侵食の跡が不自然に残っており、先の報告どおり地震、豪雨が相次いで起こったのが窺える。
「ここがナドニス……。本当に超常現象なんて起こるんでしょうか?」
パッと見、平和ぼけした――いや、ほのぼのとした町であるから、そんな様子など片鱗も感じない。
しかし、エスラの疑問をあっさりと否定された。否定したのは、エドウィンではなく、アーノルドである。
「起こりますよ、絶対。少なくとも二週間以内には。」
確固たる自信をもった声だった。何をもって断定できるのかまったくもって謎であるが、珍しく自信ありげに言い切るので、 あえて突っ込まずに素直に頷いた。
「何を急に。根拠はあるのか、根拠は。」
と、アーノルドの言葉にいちいち欺瞞を感じる上官もいるが。
「何ですか。俺はそういう役目でつれてこられたんでしょうが。確信のない事は何も喋っちゃいけないんですか?」
思った通り、アーノルドの声がみるみる内に尖っていく。
「いや、別に?今更何もいわんがな。今更、な。」
「何が言いたいんですか。」
あれ?何かヤバくない?いつもと立場が逆転してる上に、いつも以上にギスギスしてるんですけど。これは……、ヤバい。
「あの、お二方落ち着いて。とりあえず、宿探しましょ?ねっ。」
睨み合ったまま動かない二人の仲裁に入るも、冷ややかな雰囲気は変わらない。
この数日で何があったんだか。板挟みの状況に辟易して、内心で呟いた。
エドウィンの機嫌は日に日に悪くなっていた。まぁ、犬猿の仲とする2人が四六時中行動を共にし、夜は宿で二人きりなのだから、当たり前といえば当たり前だ。
毎日、日暮れまでナドニス周辺と街中を手配して巡回する。アーノルドの護衛(兼監視)は、一日毎に交代する。通信手段は携帯電話のみ。そのため、昼時と五時には一旦巡回を切り上げるようにしている。夜の巡回は、九時まで。ただし、夜は三人で巡回する。暗闇の中、一人でいるのは危険である、というエドウィンの判断だ。本当は、エスラが女であることに気を使ったのだと思う。痴漢とか強姦とか。それを思うと、女だということに嫌気が差してくる。しかし、それでもエドウィンは、エスラを認めて特務に連れてきてくれたのだ。それならば、少しでも期待に添えなければならない。
そして、ナドニス到着から九日目。
「あんのっ、クソがッ!」
エドウィンが業を煮やして机を叩いたのは、その日の昼飯時である。ファーストフード店で周囲の目を引いているのに気付き、すぐに謹慎したが、抑えきれない衝動で指で小刻みに机を叩く。
「………珍しく言葉が荒れていますよ。今日は何があったんですか?」
どうしたんですか?とはもう聞かない。エドウィンが怒り狂っている理由は既に分かっている。そういえば、今日は隊長がアーノルドさんと一緒の巡回だったな、と思い出した。
「毎日毎日、嫌みと皮肉の応酬。一々突っかかってきたり、馬鹿にしたり……。」
「まぁ、アーノルドさんも特務に無理やり参加させられて殺気立ってるんですよ。そのうち、慣れてきますよ。」と、宥めてみてはいるものの、大概は効果がない。アーノルドの毒舌に被害にあっていないエスラに言われても説得力がないのは、仕方ないことだが。大方の隊長たちが睨んだとおり、アーノルドは、エスラに対して突っかかったり軽んじたりしない。女だということに遠慮しているのか、さほど気にかけていないだけなのか。どちらにしても、アーノルドの矛先が一点向かっている分、エドウィンに対して殊更にひどいのは確かだ。
しかし、これほどまでに二人の仲が悪化したのは、ナドニスに着いてからだ。王都出発以前も、いがみ合う仲ではあったが、これほどではなかった。
「ナドニス到着してからエドウィンさんとアーノルドさんの仲が急激に悪化したような……。」
素直にそう伝えると、エドウィンの顔が一気に険しくなった。
「寝台特急まではまだましだったな。昼間も暇だったし、各自自由で過干渉もなかった。問題は歩きになってからだ。昼間はずっと歩き。時間がまったくなかった。」
「アーノルドさんは、暇がないのが不満なんですか?」
文句なく淡々と歩きに徹している様子からして、あまり考えられることでははないが……。エスラの考えを裏切らず、エドウィンは、かぶりを振った。
「あの本、あるだろ?」言われて、アーノルドが常に携える巨本を思い出した。脇に抱えても余るほどの大きさで、重量も相当のものだと見える。山道で持ち歩くのは、大儀そうで、急な斜面にぶち当たったときは少し息切れていたが、決してエドウィンやエスラに頼もうとはしなかった。
「あの本ですね。わざわざ特務にまで持ってくるなんて余程思い入れが深いんでしょうね。」
「そう、あの本だ。」
腹立たしげに、また苛立たしげに頷いた。
「列車の中では、四六時中いじってたが、歩行中はそういうわけにいかんだろ?その分、夜中まで読んでんだが、書いてんだが、よく分からんことをして。あまりにも腹が立ったんで、本を無理やり奪って閉じたら、凄い剣幕で取り返されて。“また、最初からになったじゃないですかっ”ってな。まぁた、いじくり返して……、結局その日は、四時まで寝れなかった。」
「それは……」災難な。胸中でエドウィンに同情する。
そういえば、ナドニスに向かう道中も、休憩時には必ず本を開いていた気がする。
初めて会ったときは、エドウィンとエスラの名前を書き写していたが、手帳というわけではないだろう。まったくもってなんの用途に使うのか理解し得ない。
「ナドニスに着いてからはもっと時間がなくなった。巡回に時間を費やしているからな。それで、睡眠時間は潰れるわ、相も変わらず腹立たしいわ、我慢の限界だろう…。」
最初から過度に我慢をしていたとは思えないが……。にしても、エドウィンが怒る理由も最もだ。疲れを癒やす時間を削られるのは、戦闘職種に対してかなり辛い。それで、ナドニス到着の険悪なムードか。
「事情は何となくですけど、分かりました。私からアーノルドさんにそれとなく伝えておきます。」
エスラが言っても大して変わらないだろうが、少なくともエドウィンが言うように反発はされない筈だ。
ところで、と言い辛そうに話を切り換える。
「アーノルドさん、遅くないですか?そろそろ午後の巡回なんですけど。」
十数分前からトイレにむかったアーノルドが帰ってこない。野郎が用を足すのに時間がかかるなんて大便以外有り得ない。が、大便にしても遅過ぎる。何を手間取っているのやら。
エドウィンも苦々しくアーノルドの存在を思い出して、顔をしかめる。しかし、瞬時に仕事と割り切り、凛々しく立ち上がった。
「仕方ない。出るぞ。」
店を後にして公衆のトイレへと向かう。ナドニスは、水回りが悪いので、ほとんどの家屋は私用のトイレ、浴室を所持しない。そのため、公衆トイレ、公衆浴場で事を済ます。だから、“用を足してきます。”と言って、店を一旦出たアーノルドもそのトイレにいると思われた。
のだが、
「いない。」近場の公衆トイレの男子トイレを覗いたエドウィンが首を振った。
「はい?」
店とトイレまでおよそ10メートル。道に迷うなんてまず有り得ない。とすると……
「逃げた?」
有り得ない話ではない。執拗に特務を拒んでいた彼が隙を見て逃亡を図るなんて充分可能性がある。
「あり得るな。」
エドウィンは、とてつもなく長い溜め息の後に呟いた。
「まだ、そう遠くまで行ってないはずです。手分けして探しましょう。」
特務放棄など許されざる行為だ。一度張り飛ばしてやりたい気もするが、とりあえずひっつかまえるのが先決だ。
しかし、エドウィンはかぶりをふった。「いや、放っておけ。」
知らず知らずのうちにエスラは怪訝な顔となっていた。本人の実力以外にも、責任感に厚く、部下を思いやることで団内に名を馳せるエドウィンならざる言動である。
「どうせ、いようがいまいがさして変わらない。上には、山中のキノコで食中毒に当たったことにしといて、死亡届でも出しておけ。うん、そうだ、それがいい。」
「エドウィンさ……」
諫めようと口にした言葉は途中で途切れた。鬱々と、しかしわずかに喜色を帯びた表情を見かけたからだ。
いや……、確かに心痛お察ししますけれども!そこで、投げ出すは公私混同、職務放棄ですよ!
内心で叫ぶが、とっくに正気を失ったエドウィンには届かない。
何処へ向かうとも言わずに歩き出したエドウィンを呼び止めるとも出来ず、一人でアーノルドを探すことも出来ず、結局エドウィンの後を追いかける羽目になった。