呼び名は大切です
エドウィンがエスラに決めかねてたのは、女子にすると色々不都合なことがあるからだったらしい。
「男女共有で宿をとるわけにはいかないからな。どうしても二部屋必要になる。経費を鰻登りにするのも気が引ける。」
しかし、会議でエスラをつれていくと意見したところ、反対の声は一切あがらなかった。むしろ諸手をあげて皆賛同した。
「あの阿呆も女には暴言を吐けないだろう。」「どうせ道中の経費は王宮が落としてくれるし。」「一度顔合わせが済んでるなら先方も気が楽だろう。」隊長たちが意見を交わし、案件は思った以上にすんなり通った。
その後、エスラは特務の準備のため、慌ただしく日々を送り、あっという間に特務開始の日となった。
出発は8時と聞いていたため、15分前に騎士団本部前に着いた。
常時で着用する男女共通の群青の制服ではなく、特務用の制服を着衣している。民間人に騎士団と悟られると特務の進行に差し支える可能性があるため、外部には極秘とされる制服だ。女子はスカート、という重役の古い考えの影響で、特務は必ずスカートの着用を義務づけられている。剣はスカートの下に逆さに吊って露出しないようにと指導うけている。スカートにはスリットをいれてあるので、動きにくさはさほどないのだが、スリット部分は普段は留め具で押さえられているので、歩きにくさはこの上ない。戦闘時に剣を抜くと、留め具が外れる仕組みである。
精巧な造りではあるが、そこまで拘るよりパンツにしたほうが制作者も使用者もありがたかったのではないかと思う。スパッツを履かなくてすむし、歩きやすさも格段に違う。
上はワイシャツにベスト、そしてリボン。これまた、重役の偏見が詰まったコーデである。戦闘職種らしさは欠片もないが、学生の制服っぽさが如実に表れている。少なくとも、二十歳を前にした女が日常生活で着る服ではない。騎士団の制服を一新するときがあるなら、若い女子の意見を取り入れるべきだと切実に思う。
腰に携えるは大きめのウエストポーチ。着替えを二着と洗面用具、サバイバル用品、あとは金銭類か。道中にかかる費用はエドウィンが払い、あとで経費として請求する、と言っていたから、殆ど金を使うことはないだろうが、持って行かない訳にはいかない。
かさばらない程度にまとめたバックを腰につけ、浮き足立ちながら、エドウィンの到着を待つ。
待ち合わせ場所に着いてから約15分、ジャスト8時にエドウィンは姿を見せた。服はやはり特務用で、男用は通常用の制服よりも若干飾りっけがある感じだ。剣は、腰に差してジャケットで隠してあるときいたような。
「お早うございます!」朝一番の敬礼とともに活気のある声で挨拶をする。
「あぁ。」
エドウィンも手をひらひらと振り、応える。そして、周囲を見渡す。
「アーノルド・クロノスはまだか?」
「まだ来てませんね。」
「まぁ、時間にこだわるタイプじゃなかろうし、気長に待つか。」と、言ったのは何分前だっただろうか。
五分や、十分はまだ許せた。二十分かかるとエドウィンの顔色が怪しくなってくる。四十分たつとエドウィンが怒り露わに腕時計を見つめ続ける。そして一時間が経過した。
怒りの形相で仁王立ちしたエドウィンが、瞳だけ動かし、アーノルドの姿を探す。その様子はさながら鬼のようで、本部に出勤にきた勤め人は身を縮めながら正面を通り過ぎる。
「よもや、あいつ逃げ出したんじゃなかろうな……?」
冷ややかな声音に含まるる果てしない憤怒。エスラは巧い執り成し方を脳内で即座に模索するが、うまい具合に機能せず、一番当たり障りのないフォローを入れた。
「そう決めつけるのは早計では……。もしかして一時間、集合時間を間違えたとか……。」
エドウィンは、鼻を鳴らして答えた。
「あと十分は待つ。それまでに来なかったら、押しかけて引きずり出してやる。」
しかし、一時間も遅れている人物が制限された十分の間に来るなんて、余程の奇跡がないとまず起こり得ない。実際、アーノルドの姿が見えたのは、その三十分後だった。軽装で、ショルダーバックを一つに、例の巨本を持っている。あの本も持って行くのは肉体的にキツいだろうとは思うが、言わぬが仏である。相当にタイムオーバーしているにもかかわらず、エドウィンを抑えこむことのできた自分の手腕に感謝する。
「遅いッ!!」エドウィンの開口一番はその罵声だった。
「貴様の遅刻で、どれだけの時間が無駄になったか分かってるか!?今もどこかで“善良な市民”が超常現象で悩まされているというのに、貴様は自堕落に……。己が使命の重責を理解しろ!」
“善良な市民”に皮肉を込めて怒鳴る。アーノルドは、エスラとエドウィンを見比べて、いかにも面倒くさそうに、はぁ、と呟いた。
怒りが収まりきらないエドウィンをチラと一瞥し、彼は言葉を続けた。
「粗方予想はついてましたけど、やっぱりあなた達なんですね。」
アーノルドは、そっぽをむいて深く溜め息をついた。
「何だ。何か不都合でもあるのか。」
アーノルドの鬱々とした仕草に、エドウィンが腹立たしげに問う。アーノルドは、「いえ?」と否定するも、言葉を続ける。
「あの栄誉ある騎士団の方々が供について頂くというのに、不都合なんてあるわけないじゃないですか。――…若干の不満が残るだけですよ?」
「結局気に食わないんだろうが!」
さらりと吐かれた毒に間髪入れずに対抗する。
アーノルドとエドウィンの皮肉の応酬は、その後数分にわたって続き、道行く人々の苦笑する様をみて、身が縮まる思いだったことは余談だ。
「全員揃ったとこで特務の詳細を改めて確認する。」
二人の掛け合いが収束した頃、エドウィンが咳払いして話題を切り換えた。
「此度の特務は、国土で発生している超常現象の解明、解決が主となる。アーノルド・クロノス貴殿には件に力を尽くして貰う。我々騎士団は貴殿の身柄を保護し、貴殿に危険が及ばぬよう努める次第だ。また、解明のための尽力は惜しまず、精一杯のサポートをしていくつもりである。」
エスラも事前に説明を受けていた、型通りの説明である。というか棒読みである、と言った方が正しいかもしれない。
「特務は長期間に渡る事が予想される為、数ヶ月に一度、王都に帰還できる。特務の間の諸経費は王宮の負担となるが、娯楽費、必要最低限以外の服飾費、朝昼晩以外の飲食代など、特務に必要としない場合は各自の負担とする。――…と、まぁそんなとこか。」
何か質問は。と尋ねられたが、同様の事は説明されている。アーノルドも特務の細部は気にしないだろう。
エスラ、アーノルド共に質問がなかったため、エドウィンは言葉を続けた。
「そういえば、これから特務期間は、ファミリーネームで呼ぶなよ。階級もつけるな、ファーストネームで呼べ。それから、敬礼も無しだ。」
「え!?何故ですか?」
つまり、隊長を“エドウィンさん”と呼ぶという事に……。なんか、こう恋人みたいな……。反射で赤面した顔を隠すように俯いて問うた。
「身分を隠す特務の場合、佐官以上の階級は外部に名を知られている事が多いからな。今回は神経質に極秘とする事はないが、騎士団と周囲に気付かれると色々やりにくい。非常事態に陥るまでは身分を隠しておいた方が都合がいい。」
「成程。」、とエスラ。
「まぁ、“エドウィン”の方がありふれた名前ですしね」、とアーノルド。
「おい?」聞き返すというか叩きつけるように、エドウィン。
肩をすくめてアーノルドはスルーするので、エドウィンも耳に入らなかったかのように振る舞う。
「まぁ、そういうことだ。くれぐれも頼む。」
「了解しましたっ、隊ッ………、エ、ドウィンさん?」
言い直すと、エドウィンはこくりと頷いた。エスラは慣れぬ言い方て歯痒く感じた。これが毎日続くと慣れるようになるとは到底思えない。年上の男性で、しかも上官だ。そう思うのが、普通の感覚だろう。
アーノルドも、少し間が空いたあと、口を開いた。「はい、分かりました。“ハガードさん”」
「あ?」
エドウィンは、アーノルドをじろりと睨み付けた。
「貴様は耳が遠いのか?それとも、言語を理解する能力に乏しいのか?」
「あなたの事情はわかりました、ってだけです。俺は、わざわざあなたの為に気を使うなんて御免ですね。」
そして、再び闘争勃発。口論といっても、エドウィンが一方的にキレているだけなのだが、アーノルドが皮肉とともに叩き返してくるので、キリがない。
エスラもエドウィンを宥める立場に立つが、焼け石に水。「貴様にファーストネームで呼ばれても気色悪いしな!」とエドウィンの怒声で終着した。
「ところで、」とアーノルド。
「俺、家名の方で呼ばれると、色々と都合悪いんですよね。“アーノルド”の方でお願いできますか?」
隊長に対しては無下にしといて、自分は同じことを頼むのか…。無礼というか、常識知らずというか、何ていうか…。だったら、面倒臭くても、隊長に対しては折れてたほうがよかったんじゃないのか、アーノルド・クロノス。
エドウィンを横目で見ると、明らかに不機嫌の色が浮かんでいて、簡単にはいきそうにない。
「それは何故だ?」
「うん、まぁ、色々と。何かといわく付きの家系なんですよ。」
非常にぼやかした理由ではあるが、エスラが拒む理由はない。少なくとも、エスラは。二つ返事で了解する。
肝心のエドウィンは、「承知した、“クロノス”。」大人気なく復讐したが。
「俺の話きいてました?」
「きいていたが?」「クロノスだと、困ると言ったんですが。」
「だったら、まずお前もこっちの要件を了承しろ。」
「嫌ですよ。なんで、俺が。」
「その言葉そっくりそのまま送り返す。」
延々と、しかも小学生のガキが言い争うようなレベルにまで堕ちた上官がいたたまれなく、エスラが口を挟むまで至った。
「たいっ…、エドウィンさん、アーノルドさん!これから特務を加担する者が出発から喧嘩してどうするんですか!互いに協力していかなければならないんですから、冷静になってください!」
年下女子に諫められて形無しと感じたか、エドウィンは怒りの矛先を渋々ながら収めた。
そして咳払いをし、「そろそろ出立するか。」
かくして、幸先悪い特務への道が始まった……――というわけである。