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汚染



食事中に読むのはお勧めできないお話です。





 アーノルドの家の中は、ある意味外観からの予想と大して違わなかった。埃がつもり、蜘蛛やダニが巣くう魔窟まくつだった。ただ、もう一つ特筆するなら、書物が大量に散乱していたことだ。床が埋め尽くされるほどの量で、足の踏み場もない。アーノルドは自分で踏んでいるので、そんなに頓着していないようだが、一応招かねざる客なので、踏まないように細心の注意を払う。


 部屋の中心には、ローテーブルが一つと、それを挟んで、ソファが二脚。アーノルドは、ソファとローテーブルに重なっていた書物を払い落とし、席を勧めた。

 エスラから言わせると、埃が積もった擦り切れた生地のソファに座るくらいなら外の立ち話の方が遥かにましである。幸い、交渉は上司が務めるので、部下が相席することは無礼千万としてソファの後ろに立つ。アーノルドは再度勧めてくれたが、丁重に断った。


 エドウィンが口を開こうとすると、アーノルドが手を挙げて遮った。


「もう一度名前言っていただけます? 書いておかないと人の名前、すぐに忘れてしまうんですよ。」


 エドウィンが渋々の体で名乗る。エスラもそれに倣った。

 すると、アーノルドは巨本を開き、初めの方のページをめくり、ローテーブルに置いてあった万年筆で書き込んだ。


「エドウィン・ハガードさんとエスラ・サーティスさんですね」


 やがて、万年筆を動かす手が止まり、指を巨本に挟み、真横に置いた。


「話を始めていいか?」


 エドウィンが問うと「どうぞ。」と返ってきたので、本題へと進む。


「貴様に出された特務とは、各地で起こる超常現象の解明またはその力添えをすることだ。そのために国内また、友好国を回り、被害が最小限になるように努める。旅の供として騎士団から2.3人選抜される」


「 超常現象ねぇ……。被害は知ってますが俺みたいな一般人が解決できるわけないじゃないですか」


 いかにも面倒くさそうにぼやいた。


「大体善良な国民に大事件を解決しろ、とか責任丸投げするのは国としてどうなんですか?」


「後半は同感するが、前半部分は撤回しろ。善良な国民に失礼だ

 エドウィンは肩を怒りで震わせながらアーノルドをジロリと睨む。


「大体戸籍もないくせに何が“国民”だ。それに、自然保護区無断侵入罪も加算される」


「だからこそ、住んでいたんですけどね。めったに人入ってきませんし。」


 堂々と開き直る様は、最早潔い。策略を巡らした割には突然の訪問者によく反応したな、と今更ながら疑問にも思うが。


対して、アーノルドが一言発するごとに怒り心頭だったエドウィンは、人を食ったような応答に遂に氷点下の声音になった。「……それは確信犯という認識でいいか?」


「ん? まぁ、そういうことになりますね」


「そんなんで、よく“善良”とか言えたな。貴様は自分に都合の良いように記憶を改竄かいざんする能力に長けてるらしいな」


「御託はいいんで、話の続きに戻ってくれます? 脱線するだけしといて、苛々することこの上ない」


 あ、ヤバい。

 切れかけてる、というか既に切れてる。ギリギリで一線を踏みとどまってる。


 背後にいても、エドウィンの怒気がひしひしと感じ取れる。辛うじて理性で保たせている状態だ。

「そうだな。さっさと済ませてしまおうか」


冷静な声が逆に怖い。剣の柄に手を置いているのも更に怖い。


「只今、アーノルド・クロノスを逮捕するよう命令が出ている。3日後に騎士団本部に出頭しなければ、もしくは特務を受けないようなら、今度は逮捕令状を携えて訪問する」


「特務を受けろ、さもなくば刑務所に行くことになる、みたいなことですか?」


「そういうことだ。参考までに言っておくが、不法滞在は懲役が長いぞ。停戦しているとはいえ、一応戦時中だからな、敵国のスパイだと疑われる。どうせ不法入国だろうし」


アーノルドは何か思索するように首を傾げた。


が、すぐにエドウィンを見据え、過去最大級の暴言を放った。


「それは随分とご都合主義ですね」


 間髪入れずに、言葉を継ぐ。


「自分たちの思い通りにさせるために、公務員の権限を不当に行使するんですか。そんな国は、今に滅びますよ。先程、俺のことを“自分に都合の良いように記憶を改竄する”とか言ってましたけど、あなた方のすることは、自分達がやりやすいように世相を操ってるだけですね。まぁ、国王の人望もしれたものだと思いますけど」


 鞘走らせる音。


 気付けば、エドウィンが抜刀し、切っ先をアーノルドの首もとに据えていた。


「これ以上、国王陛下及び政府を愚弄ぐろうする言動は許さん。次は、首が飛ぶと思え」

 それこそ鋭い刃のような視線でねめていた。

 しかし、当のアーノルドは、平然と剣を見つめるばかりでまったく物怖じしていない。


 そうして対峙して数十秒、エドウィンは剣を納め、ソファに憤然と座り直した。そこで、ようやくアーノルドが口を開いた。


「……平時は市街地で抜刀を禁じられていると聞きましたが。俺が上に報告したら処分受けるんじゃないんですか?」


 剣先を向けられてなお、変わらず舐めた態度を取れるのは、頭が下がる。エドウィンは淡々と、しかし毒のある言い草で応答した。


「始末書くらい何十枚でも書いてやるさ。貴様が望むならな」アーノルドは、鼻を鳴らすエドウィンを一瞥して、溜め息でその話を切り上げる。


「まぁそれはそれとして、俺は一般人であって学者でもエスパーでもないんですよ? 特務を受けなければ逮捕するとかほざかれても、まず物理的に無理なことを言われて何をしろと?」


 王宮のお偉いさんも何を考えているんだか、とぼやいた。


 するとエドウィンは懐から一枚の封書を取り出して、机に置いた。金箔が織り込まれた封筒に、国鳥の鷹の刻印。テレビの画面を通してしか見たことがない物が机上に乗っていた。


「隊長、これって……」 エスラの言葉には応えず、エドウィンはアーノルドに詳細を告げた。


「あんまり貴様が渋るようならこれを渡すように言付かってきた。国王陛下の文書だ、心して読むように」


 他国との外交で使ったり、大臣や総理に任命するときに使う、国王だけが使用する封書だ。薄汚い机の上でも気品を放っている。

 エスラはゴクッと喉を鳴らした。こんなものを生でみる機会など、もう二度とないかもしれない。


 アーノルドは訝しげに見つめながらそれを手に取り、――半ば予想していたことではあるが――何の気負いもなく乱雑に封を破り、中の便箋を取り出した。


 それは、我らが国王陛下が直々にあなたに当てて綴った手紙ですよ!

 もし私があなただったら、白手袋をはめて慎重に封を切り、内容を読んだ後、鉄の金庫に入れて保管する代物ですよ!


 怒りが先走ってそう叫びそうになるが、寸前で踏みとどまった。彼の常識知らずや陛下への敬愛心がないことは先程から分かりきっていたことではないか。拳を震わせてひたすら耐える。


 アーノルドは、手紙に綴られた文章を目で追っていた。始めの内はすらすらと読んでいたが、手紙の中盤にいったところで、止まった。視線は一定のところで留まり、長ったらしい前髪からでも、眉をひそめているのが伺えた。


「陛下はなんて書かれたのでしょうか?」 小声でエドウィンに聞いてみるが、「余計な詮索は慎まれている。」と物々しく戒められた。要するに、“分からない”という事だ。


 やっとアーノルドの視線が動き、続きへと向かう。そして視線が下の方までいくと、考え込むかのように天井を仰いだ。 そうして数分しただろうか、大きな、そしてとてつもなく深い溜め息をつくとともに、国王からの手紙を封筒もろとも握りつぶし、床に放り投げた。


「なっ……、国王陛下直筆の文書ですよ!」


 エスラが喚くが、アーノルドは一切反応しない。

 アーノルドはジロリとエドウィンに視線を向けた。


「で?」


「何だ?」


「もう用は済みましたよね? お引き取り願います」

 淡々としかし不機嫌さを滲ませてそう言った。大方国王からの手紙に気になることが書いてあったのだろう。それが分かっていてもアーノルドの物言いに苛ついたらしく、エドウィンは立ち上がりつつ暴言を吐いた。


「そうだな。こんなうじが湧きそうな所、早々に立ち去らせてもらおう。まぁこんな大した家に住んでいるんだ、貴様のご両親もさぞ素敵な方なんだろうなッ。」


「隊長っ、」


 それは言い過ぎです、と牽制を入れようとしたとき、バンッと机を叩く音がした。見ると、アーノルドが机に手をつき、上半身を浮かせ、エドウィンを睨みつけていた。

 これはヤバい、直感でそう感じた。 隊長、今彼の触れてはいけないところに触れましたよ。


 アーノルドは恐ろしくにこやかに――先程の会話からは考えられないほどの――そして明らかに裏が見えるように物申した。


「すみません、俺としたことがすっかり忘れていました。お茶を出し忘れてましたね」


 アーノルドは本の山に埋まっているシンクに向かった。


「いや、結構だ」


 エドウィンは地雷を踏んだことに気づいたか冷や汗を流している。


「はい? 遠慮はしないでくださいよ。アポなしで訪ねてきた礼儀知らずの客人に茶を振る舞おうというホストの心遣いを断ろうなんて無礼を……」



 まさか誇りと栄誉ある騎士団の方が働くなんてありませんよね?


 エドウィンは唇を噛んだ。騎士団を盾にとられたら何も言い返せないのを読んでいるようである。

 やがてやかんから茶を注ぐ音がし、お盆に載せた湯のみを机に置いた。


「お口にあうといいのですが」


 丁寧な口調の裏には皮肉めいた感情が含まれていた。

 エドウィンがそれを手に取ると、硬直したので、何事かと思い、覗き込むとぎょっとした。


 遠目から見ると緑茶に見えるかもしれない。しかし、実体はカビが大量に浮いた、ただの水だった。青カビが水の流れに沿ってクルクル回っているのを見ると、吐き気がしてきた。


 エドウィンはあそこまで追い詰められた手前、引くに引けず、かといって中々飲み込むことができず、湯のみを持ったまま往生していた。

 しかし、「どうしました?」と声がかかると、ままよ、と一気にお茶(に見えるカビの浮いた水)を呷った。


 飲み干すと、立ち上がり「馳走になった。一週間後正午にて出頭願う。色よい返事を期待している。」早口で物申すと、勢い任せに扉を開け、外に出た。


「あっ、えっ、あの、」


エスラもエドウィンの奇行にうろたえたが、一礼して「失礼します」と言い、エドウィンの後に続いた。


その際、アーノルドをチラ見して、彼の口元がにやけていたのが分かった。





 アーノルド宅を出て、エドウィンの後を追うも、エドウィンは早足で林を闊歩かっぽしていた。エスラの存在を忘れているかのように後ろを顧みず、先を進んでいく。


 アーノルドの家から見えないくらいの距離までいって、エドウィンはやっと止まった。振り向いた顔は青白く、明らかに“大丈夫”な顔色ではない。


「一人で帰還できるな?」


 頷くと、「先帰れ」と命令が下された。しかし、どう見ても命令する顔付きでなく、懇願するようなものだった。そんな、エドウィンの命令を断る有無などない。心配ではあるが、エドウィンの心もちは察することはできる。


「では、失礼ながら先に帰還させて頂きます」

 敬礼して林を抜ける。


 エドウィンと別れて、後ろからオェェ……と日常生活から人体が発することのない音が聞こえた。そして、仄かに香る異臭。


 ご愁傷様です、と内心で手を合わせた。






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