クロノスとゼウスの因縁
「ストロジア・ゼウス。ストロジア・ゼウスです。」
アーノルドが何の前置きもなく、唐突に言い出したのは、午前の巡回後、昼飯前のときだった。
「は?」
「はい?」
揃って怪訝な視線を送る二人にアーノルドは再度言葉した。
「ストロジア・ゼウスです。」
二の句を待つが、それ以上アーノルドは語ることはなく、創造の書の更新を再開するので、エスラが恐る恐るの体で尋ねる。
「あのー……、“ストロジア・ゼウス”って何ですか?」
すると、アーノルドはエスラの方に向き返り、暫し絶句する。長い前髪の奥では目を見開いている様子が窺える。
「今さっきのことも忘れてしまったんですか?」
「はい?」
「先程の赤髪の侵入者ですよ。」
そこまで言われて納得した。
先刻アーノルドに刃を向け、宣戦布告をした輩だ。
「そこまで言ってくれないと誰でも分からないと思うんですけど………。
というか何故今になって思い出したんですか?」
「創造の書の名簿を見てましたから。」
言うと、右手でページをめくりながら、左手で手招きをする。
エスラは首を傾げつつ、アーノルドに歩み寄る。
羊皮紙に刻まれた数多の名前。黒のインクで書かれたそれはざっと見100は下らないだろう。
一番下にあるスペリングを見て目を瞬かせる。
「Edwin・Hg……、エドウィン・ハガード。ということは下は、エスラ・サーティス……。」
そこまで読んで、記憶が甦ってくる。
アーノルドの初対面時に、再度二人の名を尋ね、確かに本に書き込んでいた。
「日常生活に支障がないことを覚えておくことで、脳の容量を割きたくないんです。
それの筆頭として今まで出会った数多くの人々の名前が当てはまりますからね。」
…………それは記憶するに値しない存在だと判断していた、と取っていいのだろうか。
しかも、当てはまったその中には紛れもなくエドウィンとエスラも含まれている。
まぁ当時はあたしも、一緒に特務を行うことになるとは思ってなかったしな、と無理やり納得をつけ、話を進ませる。
「で、件の輩の名前もそこに書いてある……、と。」
アーノルドは頷き、ある一点を指差す。
名簿のかなり上の方の箇所だ。
ストロジア・ゼウス
そう、確かに書いてあった。
「如何にも知り合い風に話しかけられたので確認してみれば案の定見覚えのある名前が載ってたので。
そしたら、何となく思い出しました。」
いかにも知り合い風……。
心の中に微かに浮上してきた同情は気のせいではないだろう。
「で、ストロジア・ゼウスとはどういう関係が……?」
「一言じゃ言い表せないんですけど……、」
アーノルドがめんどくさそうに頭を掻く。
エスラに解るのは、彼ら――というよりストロジア・ゼウスの一方的なものと思われるが――が敵対関係にあるということだけだ。それに至るまでの経緯は知る由もない。
しかし、それが分かるだけで警戒のレベルも格段に変わってくる。
うーん、と唸るアーノルドを尻目にエドウィンが一人ぽつりと零した。
「クロノスとゼウスか……、成る程。ギリシャ神話、ということだな。」
ピタッとアーノルドの動きが止まり、エドウィンの方を向いた。
「知ってたんですか。」
心底意外そうな声音である。皮肉った響きは感じられないことから純粋に驚いているのだろう。
「まぁ、そのくらいは」
一般的に馬鹿だと罵られることの多い騎士団という立場を顧みての返答だろう。
しかし同時に、“そのくらい”も分からない騎士団員ま数多在籍し、またその内の一人がこの場に居合わせていることを失念している発言でもある。
エスラは二人の間に割り込むようにおずおずと手を上げた。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥である。大体知ったかぶって話を振られる方が困るというものだ。
「あのー…、ゼウスとクロノスって一体どんな関係性が…。」
アーノルドとストロジア、双方の名字ということしか分からないのに、ギリシャ神話という単語を絡ませること自体が理解不能だ。
エドウィンはエスラをチラと見て、別段呆れる様子でもなく、口を開いた。
「ゼウスはギリシャ神話における最高神。クロノスはゼウスの父たる神だ。」
「はぁ。」
博学はいいのだが、だから何だという話である。
エドウィンはエスラの気持ちを読んだか、「今に関係性が分かる」と言葉を続けた。
見透かされたエスラは決まり悪く俯いた。
「元々世界の支配者であったクロノスは、息子たちに自分の地位を奪われるのを恐れ、幽閉する。運良くクロノスから逃れられたゼウスは、後に父を倒し、世界の支配者となる。……てのが、大まかなあらすじだな。」
「それは確かに因縁がありそうな話ですね……。」
「まぁ、クロノスも過去に自らの父であるウラヌスを殺して支配者の座に就いたんだがな。」
「……ギリシャ神話グロいですね。」
淡々としたオチの割に、気持ちの落ち着かない締めに居心地悪そうに身じろぐ。
「神話なんてどれも同じようなもんですよ。」
アーノルドは大きく欠伸をして、エドウィンに視線を投げかけた。
「ハガードさん、雑学には明るいんですね。」
突っかかりが残る言い方にエドウィンが眉間をひそめる。
「雑多な知識が多いといいたいのか……?」
「そんなそんな。つまみ食い的な知識が多いなぁと思っただけです。」
「馬鹿にしてることには変わりないだろうが!」
業を煮やすエドウィンにアーノルドは悪びれもしない。
もう見慣れた光景である。
「まぁ、あながち間違ってはいませんけどね。」
アーノルドの一言にエスラは瞳をしばたかせる。
「じゃあ二人の、というよりか両家の因縁ってことですか?」
「うー…ん…。両家の因縁がもたらしたストロジア・ゼウスの一方的な因縁ですね。」
「……はい?」
アーノルドのややこしい説明を噛み砕くのに時間がかかった挙げ句、理解が中々及ばない。
「まぁ、俺も今ではクロノスの本家とは殆ど縁がないですが、昔は色々あったんで、ゼウス本家と密に関わることが多かったんですね。」
“色々あった”の端折った(はしょった)感が拭えないが、突っ込んでいたらキリがないので、あえてスルーする。
「両家は仲が非常に悪いんですけど、……いや仲が悪いからこそでしょうか、数年毎に恒例行事を行うんです。」
「恒例行事?
それがストロジア・ゼウスが言っていた勝ち逃げとかに関係しているんですか?」
「そうですねぇ。」
懐かしいなぁ、と天井を仰ぎ見るアーノルド。
そんな彼を横目にエドウィンは「おそらく、」と前置きをして発言した。
「決闘の類ではないのか?」
すると、アーノルドは一瞬硬直して、エドウィンに向き直った。驚愕を帯びたように口がぽかりと開いている。
「…今日は珍しく聡いんですね。」
「珍しく、ってのは何だ?」
憤慨したように零すエドウィン。アーノルドは「あ、」と我が意を得たとばかりに手を叩いた。
「もしかしてハガードさんも経験しているクチですか。」
「…………。」
一転して、気まずそうに押し黙ったエドウィン。アーノルドの言ったことに身に覚えがあるのだろうか。
「えっと…、要するにアーノルドさんは過去にストロジア・ゼウスに決闘で勝ったんですか?」
「まぁ、何度か。」
それだったら何となく説明はつく。ストロジアの一方的な敵視や、言い放った『勝つ』という言葉の意味も。
でも……、
エスラはアーノルドを流し見る。
白髪の長身痩躯の姿。ひょろりとしたフォルムは力強さとは縁遠い。
対して、今朝方乱入してきたストロジア・ゼウス。
体の節々に見えた硬そうな筋肉。巨剣を片手で振り回す腕力といい、騎士団と比べても、中々の実力者だろう。
どう考えてもストロジア・ゼウスの方が強そうなんだけど……。
多分、エドウィンとも思考がリンクしていたのだろう。エドウィンも不可解そうに顔をしかめるばかりだ。
「……というか、普通に流してしまったが、ゼウスというのも魔術師の血筋という解釈でいいのか?」
「まぁ、いくら強靭な剣豪でも、中々魔術師とは張り合えませんよね。」
反語的な物言いがイエスと答えている。
しかし、エドウィンは不機嫌そうに片眉を上げた。
「ほぉ……?
それは私には貴様を打ちのめすことができないと傲っているのか?」
強張った笑みにアーノルドではなく、エスラが怖じ気づく。
ここにも強靭な剣豪がいるんだった……!!
誤謬だと訂正しろ!
エスラの祈りは届くことなく、アーノルドは自身の放った言葉とエドウィンの切れかかっている様子を比べて、納得し、火に油を注いだ。
「まぁ、ハガードさんにも勝てると思いますけどね。」
「……それは私に喧嘩を売ってるという解釈でいいんだな……?」
ゆらり、と震える空気に漂う殺気。
エドウィンの双眸に怪しい光が点る。
ただ事ではすまなそうな雰囲気だ。
「昼飯買ってきます!」
その空気から脱するようにエスラは部屋から逃げ出した。
―――――――――――
「なーんでああいう空気になるかなー……。」
1ヶ月も殺伐とした二人の仲裁に入っていると疲労も溜まるものだ。
さすがに最近は、取り合わずにその場から立ち去ることも増えてきたが。
「アーノルドさんも何でああいう余計な事を……。」
ぽつぽつ愚痴を吐き出しつつ、近場の商店へと向かう。
此度超常現象が起きるとされたのはドノスという西部の都市。10キロ先東に向かうと林があるが、周囲は主に砂漠に囲まれている。直射日光も王都と比べると厳しく感じる。
砂漠化が進む都市のため、物価がやや高く、水も相応の金を払わねば、売ってくれない。
普段は外食も割と行くのだが、食事に関する興味が低い都市である。他と比べてぼったくりと思われる金を払っても、ろくなものが出てこない。
店に売られる食品も王都の十倍の価格とも思われるが、それより更に値段が跳ね上がる外食よりはマシというものである。
エスラは溜め息混じりに歩を進める。
と、前方に気になるものが視界を掠めた。
黒い瓦屋根に映える赤色。注視すると人が寝ころんでいるのに気付いた。
「まさか……。」
その人物とは紛うことなく、今朝方乱入してきた赤髪の男。ストロジア・ゼウスであると視認できた。
傍らに例の大剣を置き、心地良さそうにまどろんでいた。
あれが、アーノルドさんに勝とうと躍起になっている男か。
遠目からなので、曖昧にしか分からないが、筋肉はかなりついているように見受けられる。大振りの剣を振り回しているだけある。
体格だけで比べると、ストロジアの圧勝とも思われるが、何せ二人は魔術師である。魔術師としての力量はアーノルドが優っているということだろうか。
物思いに耽りつつ、商店に向かい、昼飯用の水と乾パンを購入した。
これで、定価の十倍なのだからぼったくりも甚だしい。
膨らんだ紙袋を抱えて、帰路を辿る。
「よっ、と。」
500mlの水が3つと、乾パンが6つ。結構な重量である。
ふと前方を見ると、黒い大きな影が遠く向こうに見えた。
空に浮いたそれは確実にこちらに近付いてきている。
暗雲かと思ったが、にしては地面からの距離が近すぎる。
不審に思っていると、誰かの悲鳴が耳につんざいた。
「早く屋内に避難しろ!」
町長と思しき中年男が叫ぶ。
たちまち混乱する町民だったが、エスラは状況がいまいち飲み込めない。
もう一度例の影を目を凝らしてみてみる。影は先刻より遥かに近づいてきていた。そのため、エスラにもはっきりとその姿を瞳に映すことができた。
「こ、蝙蝠っ!?」
重なる影は漆黒の蝙蝠の大群であった。思わず目を見張る。
大方東にある鬱蒼とした林からきたのだろう。しかし、真っ昼間からしかも10キロ先の砂漠に囲まれた町に来るなんて思いもしなかったというものである。
国民に仇なす場合に置いては、超常現象以外の事件であっても剣を振るうことは許されているが、ただの通行程度なら見逃すのがいいのだろう。それに、無駄な殺生は騎士団でも禁じられている。
しかし、その考えはすぐさま覆されることになる。




