1.とある日の一場面
――空を切り裂く音。
窓ガラスから射し込む日の光は、刀身が放つ白銀の輝きと見事に呼応して目を細めんばかりに眩く光る。機械的に繰り返される剣の素振りは、数を重ねているせいか、精度は多少落ちているように思えるが、俊敏なのには変わりはない。
荒い吐息と共に繰り出される素振りの回数が千を超えて、エスラ・サーティスは床にへたり込んだ。頬を伝う汗の量は尋常ではなく、床にもこぼれ落ちんばかりだ。細身ながら重さ約2.2キロの剣を振り下ろすのは結構キツい。女子のハンディとして腕力の不足は否めないが、男子でも連続して振るのは至難の業だ。
愛剣を鞘に納め、腰に吊す。喉は乾いて、水分を求めているが、疲労がたたってすぐには立てそうにない。素振り始める前に水くらい買っとけば良かった。後の祭と後悔し始めた刹那、冷たい何かが額に触れた。
突如感じた冷たさに「う、わっわっわっ!?」1オクターブ違う声の高さで驚きの声を上げた。自分で出した声に恥じらいながら、そぉっと頭上を見上げる。
見ると、艶やかな黒髪が目立つ女子団員がミネラルウォーターのペットボトルを携えてうそ笑んでいた。
「お疲れさま。要る?」
「要る!」食いつくように反射で答えて、受け取った水を貪るように一気に呷った。冷えた水が乾いた喉に奔流のように流れ込む。 喉の渇きを癒すために呷った水は僅か十数秒で無くなり、一滴の雫を手に入れんがため、ペットボトルを逆さにする始末だ。
「そんな野獣みたいな事しないでよ。飢えてんなら後は自分で買って頂戴。」呆れ果てた声の同期はペットボトルをエスラから没収した。
「あ、ちょっとー!」
エスラの制止を振り切り、彼女はペットボトルを近くのゴミ箱に投げ入れる。と、綺麗な曲線を描き、見事にゴールを果たした。
「あーあ…」
物惜しそうにゴミ箱を見つめるエスラにとびきりの笑顔がぶつけられる。
「何か問題でも?」
意地悪い、悪魔のような笑顔であったが、特上の美人に微笑まれて言い返せる奴などいまい。「いえ、何でも…」と言葉を濁す。
彼女はエスラの同期で、ミリア・シャーレという女子である。“騎士団の華”、という異名を持つだけあり、彼女の美貌はエスラの知っている限り、騎士団随一で、雑誌に写るモデルと比べても何ら遜色ない。あけすけな物言いには誰しも文句を放つ――が、女神のような顔してほほえんでしまえば一発KOなのだから美人はずるい。
ミリアは溜め息をつきながら、エスラのそばにしゃがみ込んだ。蠱惑的な切れ長の瞳に見据えられてドキッとしたのはミリアには秘密だ。女のあたしが惚れそうになるなんて屈辱的だもの。「というか年頃の若い女子が休日に暇を持て余して剣技に勤しむなんて……嘆かわしい世になったもんだわ」
「暇じゃないっ。好きでやってるんだからほっといてっ!」
噛みつくように答えると、ミリアは呆れ顔である。
「そんなのあたしに限った事じゃないし。第一、あんただって今日は公休じゃない」
デートのお誘いはどうしたの?
仕返しとばかりに冷やかすように放った言葉はミリアには何の効果もない。
「ああ、全部断ったわよ。ただでさえむさ苦しい職種なのに休日までヤローにつぶされちゃたまらないし」と、常日頃からいい男が欲しいと叫んでいる女とは思えない暴言である。
「それに、午前中は隊で臨時集会で呼び出されてねー、どっちにしろ遊びになんか行ってる暇なかったのよ」
「はぁ」
ところで、とミリアは顔をずいと近付けた。
「今から暇? 面白い見せ物があるから一緒にいかない?」
「見せ物……?」
「そ」
ミリアはエスラの手をひいて立ち上がらせた。
「うら若い女子が1日剣技で棒に振る気か! 刺激がないといい加減腐るわよ」
「別に色恋沙汰に興味ないし」
「わーー、つまんない女っ! わざわざ特上の美人が誘ってあげてるんだから、有り難く思って付き合いなさい!」
傍若無人としか思えない暴言にエスラは黙る。自ら特上の美人と言い放つ所がらしいといえば、傍若無人としか思えない暴言にエスラは黙る。自ら特上の美人と言い放つ所がらしいといえば、らしいが。今までの付き合い上、ミリアがこういった手合いで折れる事は十中八九ない。渋々の体でミリアに付き従う。
実は見せ物の内容が気になっていた事は考えなかった事にしておく。