恋愛小説(コンビニにて)
富田は仕事帰り、いつもコンビニに寄ってスイーツを買う。 好きなものは、ホイップがたくさん入ったシュークリームやエクレア、プリンだ。
この日も、富田は仕事の帰りに、アパートの近くのセブンイレブンに寄って、迷わず大きなシュークリームを手に取り、買い物かごに入れた。
レジを通していると、仕事が忙しかったせいか、うっかりと財布を家にを忘れたことに気づいた。おまけについさっきスマホが電池切れになったこともあり、決済をする手段がなかった。
「すみません。お財布忘れたので、やっぱりやめときます」富田は言った。「あぁ、そうですか」と、天然か人工か見分けのつかないパーマにあごひげを生やした、覇気のない若いコンビニ店員が言った。
「すぐ戻られますか?」「いえ、少し家も遠いので、やめときます」富田は言った。「そうですか、では棚に戻しておきますね」店員が言った。
マニュアルどおりなのか、言葉遣いは丁寧だが、全く笑わない人だな、と富田は思った。
帰り道、家のアパートへと続く夜の河川敷を歩きながら、富田はさっきのやりとりを反芻していた。
保険の営業をしている富田は、今日は成約が一件も取れず、ほとほと疲れていたので、特に甘いものを体が欲していた。
しかし、財布を家に忘れてしまったので、それも叶わなかった。
ふと空を見た。空港が近いせいか、轟音とともに飛行機が飛んでいた。いっそ私も乗せていって、と富田は思った。
「あーあ、今日は甘いものお預けかぁ」 そう言いながら、足元に落ちていた小さな石をコツン、と蹴り上げた。
思いの外、石は遠くへ飛んで、「いてっ」 と、河川敷の茂みから声が聞こえた。富田はふいに、草野球に興じていた少年が、隣の家のガラスを割ってしまったような心境になった。
「てめぇ、この野郎」河川敷の茂みの下から、紺色のキャップを被ったホームレスらしき人が出てきた。暗くてよく見えないが、猛烈に怒っていることだけは分かった。「ご、ごめんなさい!」富田は謝った。
「頭に当たっちまったぞ、おい。治療費よこせや、ねぇちゃん」ホームレスが言った。前歯が何本か抜けていて、フガフガと喋り辛そうだった。
富田はとっさに、カバンに手をやった。しかしすぐに、しまった、財布を家に忘れてきたんだった、と思った。「おい、金持ってねーのか。なら家まで案内しろ」ホームレスは問い詰める。微かにお酒の匂いがした。
富田はしどろもどろして、どうしていいかよく分からなくなっていた。じんわりと、涙が目に浮かび始めていた。
張り詰めた空気のなか、突然、「すみません」と、一人の男がこちらに駆け寄って、おもむろにホームレスに五千円札を手渡した。「お、おぉ」ホームレスは嬉しそうな、驚いたような表情を浮かべ、ねぇちゃん、気をつけろよな、と言いながら、茂みの中へと戻っていった。
富田はポカン、としていた。暗くてよく見えないが、まじまじと顔を見ると、さっきのコンビニ店員だった。「大丈夫でしたか?」店員が言った。まだセブンイレブンの制服を着ている。
「ありがとうございます。でも、仕事は?」富田は解放された安堵感からか、涙が溢れていた。
「あぁ、タバコ休憩中だったんです。ここでいつも吸ってるから」コンビニ店員は言った。あんなことがあったのに、レジの対応と同じで全く表情を崩さない。
「お金、すみませんでした。今から家に取りに行ってきますね」富田が言った。
「ありがとうございます。いつでもいいですよ」コンビニ店員が言った。
富田は制服の胸のネームプレートを見た。そこには『喜屋武』と書いてあった。「あの、お名前は?」漢字が読めず、富田が申し訳なさそうに尋ねた。
「あぁ」店員はふと目をやり、「きゃん」「え?」「きゃん、って読みます」と言った。
思わず、かわいい苗字ですね、と富田は笑った。
「たまに言われます」喜屋武が言った。
目じりが細くなり、少し微笑んでいるように見えた。
次の日、仕事終わり、富田は忘れずに財布を持ってセブンイレブンに入った。この日は特に残業が立て込んでいて、夜中の十二時を過ぎようかというところだった。
しかし、店内に喜屋武はおらず、代わりに、東南アジア系のほっそりした男がレジ打ちをしていた。富田はプリンアラモードを買い、レジにカゴを持っていった。
「今日は、喜屋武さんはいないんですか?」富田は尋ねた。
「今日ホントウは、シフトだったけど、急に休んだ」東南アジアの男が言った。ネームプレートを見たが、日本人の舌では発音できなさそうな、むずかしい名前だった。「そうですか」富田は言った。
「明日は、来るかもしれません」「ありがとう」そう言ってレジ袋を受け取ると、店を出た。 あの一件以降、富田はいつもの河川敷ではなく、少し遠回りして別のルートで家に帰るようになった。
あぁ、さらに家に帰るのが遅くなっちゃうな、と富田の気は重くなった。
次の日も、喜屋武はコンビニに来ていなかった。富田は仕事中も、喜屋武のことが気になってしょうがなかった。あの五千円。しかし五千円以上の、値段以上に気になる『何か』がある気がした。
ホームレスの一件から一か月ほどが経った。富田は仕事に忙殺されたせいか、五千円のことをすっかり忘れていた。
仕事中、富田のスマホへ見知らぬ番号から着信があった。「もしもし?」富田は言った。「もしもし?富田さんのお電話でしょうか」若い、丁寧な口調の男性の声だった。
思わず、保険の営業先のお客さんだったかと思い、思い出せない自分に焦りを感じていたが、「あの、セブンイレブン上田店の喜屋武です」と告げられたことで、ようやく理解した。
その日の夜、二人は近くのスターバックスで待ち合わせをすることになった。「すみませんでした。お店の方に連絡してもらってたみたいで」レジで受け取ったホットコーヒーを片手に、喜屋武が椅子に座った。
普段着の喜屋武は、海外のバンドTシャツを着ていた。
それが自分の知っている好きなバンドだったので、富田は少しうれしくなった。「いえいえ、こちらこそ、職場に連絡をしてしまって、ご迷惑をおかけいたしました」富田がチョコチップフラペチーノを片手に言った。
すぐさま、富田は財布からピン札の五千円を抜き出し、喜屋武に手渡した。 喜屋武は、照れくさそうな顔で、どうも、と五千円札を受けとった。
「甘いもの、お好きなんですか?」喜屋武が尋ねた。
「えぇ。まぁ」富田が言った。
途端に、コンビニでスイーツを買い漁っていた自分を恥じた。そうか、この人は私の購買行動を把握している人なんだ、と思った。
「コンビニのお仕事、やめたんですか?」富田は言った。
喜屋武は、しばらく天を仰ぎ、ふぅ、と息をついたあと、「そうなんです。急なことだったので」と言った。
それから富田は、喜屋武から様々な話をひきだした。
喜屋武は沖縄出身で、家は母子家庭であり、デザイナーになる夢を追いかけて三年前にこの街でやってきたこと。
先日、喜屋武の母親が末期の癌であることが分かり、余命が一年もないと告げられたこと。 母親には、喜屋武のほかに兄弟身内はいないこと。
保険の営業をしているだけあって、富田は相手の話を引き出すのがとても上手だった。
店内は、喜屋武の重たい話と相反するように、陽気なジャズの音楽が流れていた。夏が始まる前の陽気にほだされているようで、なんだか呑気に見える店内の客が少し腹ただしかった。
「そんなわけで、来週には沖縄に帰ることになりました」
「そうですか。お母様の近くにいて、寄り添ってあげる、ということですね」富田は言った。
富田の父も、成人した後ではあったが、五十代で早くに亡くなった。
今、母親は、姉夫婦と同居していて健在だが、喜屋武の母親と重ねて少し心配になった。
「よかったら、一緒に沖縄に来ませんか?」喜屋武が言った。
「うんうん。え?」富田は、さっきまでの話の延長で、相槌を打っていたが、急な質問であったため、思わず聞き返した。
「私が、ですか?」富田は言った。
「僕が独りぼっちじゃないよってことを、母親に、安心させたくて。それに」喜屋武は、富田の目を見て、「富田さん、いい人だし」と、照れくさそうに言った。
富田は意味がわかなかった。なぜ、ほぼ初対面の私が、沖縄の実家にいってともに暮らさないといけないのだろう。
そしてなぜ、この人はそんな私にこんな大事な提案を持ち掛けたのだろう?
「あ、でもいきなり同居はしませんよ?うち、実家の土地が広くて、隣に僕が学生の時に暮らしていた離れ小屋があるので、富田さんはそこで生活してもらうのはどうかなと。やっぱり急すぎて、ダメですかね?」喜屋武は笑った。
富田は初めて喜屋武の笑った顔を見たと思った。いつもはクールな顔つきにクシャッとしわが寄った。この人がおじいさんに なるとこんな顔になるのかな、と富田は思った。
じゃあ、帰りましょうか、と喜屋武が席を立とうかと思ったその時、
「行きます」
「え?」
「沖縄、行きます!」富田は言った。
それはスターバックスの店内に響き渡るような、よく通る大きな声だった。
隣にいた女子大生らしき二人組から、沖縄だって、いいなー、という声が聞こえた。
それから一週間。富田は急いで仕事を辞め、アパートを解約して、荷造りをした。
母にそのことを伝えたら、びっくりたけど、また沖縄に遊びに行くね、あと相手方の連絡先だけ教えて、と言われた。
理解のある母でよかった、と富田は思った。
沖縄へと向かう飛行機の中で富田は、『この先どうなるかなんてわからない。でもきっと、こうしなければ一生後悔することになるってたことだけは、確信が持てる。』と、そう記して、パタンと日記帳を閉じた。
サータアンダギーに、ブルーシールアイス。
富田は、アイマスクをつけてぐっすりと眠る喜屋武を横目に、沖縄のスイーツに想いを巡らせていた。




