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デイダラ  作者: ヒロユキ
4/6

デイダラ 4

 アパートの前に彼女の車が止まったのは、きっかり十分後だった。僕は洗いたてのボーダーの入ったポロシャツにジーパンという何の色気もない服装で彼女が車から降りてくるのを待っていた。

 僕を見た彼女は目を点にした。


「ふざけてるの?」

「ふざけてるのはどっちだ」


 僕は言い返してやった。


「朝っぱらから電話してきて。まだろくに太陽も昇ってないぞ」


 半眼で不平を言うとぐう、とお腹が鳴ったちなみに、朝飯だって食べていない。

 しかし、彼女は僕の寝起きの悪さからくる不機嫌など歯牙にもかけず、腰に手を当てて逆に睨みつけてきた。


「小さな男ね。その程度のことでつっかかってくるとは。いい? 今すぐきちんとした服に着替えてきて。近所のコンビニに行くんじゃないのよ」

「じゃあ、どこに行くんだ」


 相変わらずの上から目線に、僕はかちんと来たが、とりあえず我慢して穏やかに聞いた。

 すると、彼女は何を言うかと思えば、


「飛行場」


 と、いきなり告げた。


「何だって?」

「ヘリをチャーターしてるから、そこから発つわ」


 この唐突さには怒りを通り越して、僕は呆れた。全く、いかにもお金持ちがやりそうな気まぐれだった。人を朝早くに起こして、どこに連れて行くのかと思えば……。僕は不快感に眉間に強く皺がよる。


「旅行にしちゃ、ずいぶん乱暴な予定の組み方だな。気乗りしないぞ、そんな行き当たりばったりのゲリラ的な旅行は」


 すると、彼女は僕の言葉をハハンと笑い飛ばす。


「馬鹿ね、旅行なんて行くわけないでしょ。そんなことよりずっと有意義なことよ。ほら、早く支度なさい。待っててあげるから」


 一向に状況が飲み込めないまま、僕はそのまま彼女に追い立てられるように部屋に押し込まれた。ばたん、と扉が閉められ、「早くしてよね」とくぐもった声で外から言われる。僕は少しうんざりし、壁にもたれかかった。

 彼女のあの自信に満ち溢れた顔。

 それが目の前に浮かぶ。

 ああなれば彼女は止められない。あれは誰が何と言おうと、あの手この手で言いくるめて自我を貫き通す、意思の強さが秘められている顔なのである。

 はあ、とため息が漏れる。

 僕は今さら反論の材料を探したところで無駄だろうという失望をかみ締めつつ、服を着替え始めた。

 全く、せっかくの休日だというのに。

 いったい今回はどんな目に合わされるのだろうか。僕はシャツに手を通しながら、得体の知れない予感に身震いする。



 準備を追え、戻ってくると、彼女は僕の服装に一応満足したようで、それ、車に乗りこめと指示した。後部座席に座るとエンジンがかかり、車がスムーズに発進する。すぐに車は国道に出た。交通の少ない道路を高速道路へ向けて進んでいる。

 僕は後部座席で、窓の外へ目を向けた。

 夜の藍色と明け方の山吹色がせめぎ合う山々の稜線を眺めていると、またしても今日が始まってしまったな、とぼんやり思った。


「これ、食べたら?」


 運転席から後部座席の僕に彼女が何かを投げて寄越した。僕は小さく歓喜する。先ほどから妙にお腹がすいているので、食べられるものならば、どんなものでもいい。


 受け取ってみると、それは見覚えのあるもので、「わらび餅クッキー」というお菓子のパックだった。

 わらび餅クッキーは僕が子供のころからあるお菓子で、製造元である会社が洋菓子と和菓子の融合という斬新なアイデアに基づき、研究に研究を重ねて発売されたものだった。その風味、食感は独特で、一度食せばまた食べたいと賞賛を浴びせるものと、二度と作るなと、苦情を投げつけるものとで、一時ニュースにもなるなど有名になった。珍しいもの見たさの人々の行列が店にでき、発売当初は陳列棚がいつも空っぽだったと聞く。

 今では、そんな騒動もとっくに収まっているものの、根強いファンからの支持が続いているおかげで、こうして、今でも販売されているのだ。


 ちなみに、僕がそのクッキーの肯定派、否定派、どちらに所属していたかというと、別にどちらに所属しているわけでもなかった。もちろん、お菓子の味自体好きでも嫌いでもなかったというのもあるが、どちらかの立場につくと他者を否定しなければならないことが嫌だったという理由もあった。


 一方で麻衣子はこのクッキーが大好きで、いつでもどこでも持ち歩いているというほどの、肯定派ということだった。彼女の父親は別の食品会社のトップだというのに、平然と毎日の食べていたものだから、僕は複雑な気持ちでそれを見ていたのをよく覚えている。


「これはね、奇跡的な味なのよ」


 いつだったか、僕が麻衣子にどうしてそこまでそのクッキーが好きなのか訊ねたとき、彼女は興奮しながらこう答えたのを覚えている。誇らしげに一枚のクッキーを空にかざしながら、


「全ての国で推奨すべき国民のお菓子!」


 とか、


「タイムカプセルに入れて、未来に残すべきお菓子の遺産!」


 などと、大げさに言っていた。


「そんなことしたら、カビが生えちゃうよ」


 とつい僕はそんなことを言ってしまい、むっと唇を突き出した彼女に、肘で小突かれたものだ。


 まあ、そんなどうでもいいことはさておき、僕は久々に見るわらび餅クッキーのパッケージをまじまじと見つめ、それから一つの袋を開けると口に放り込んだ。

 歯で噛み砕く。すると、じんわりと独特の甘みが口に広がった。

 空腹は最大の調味料と言うが、確かに、今のわらび餅クッキーは今まで食べたことのあるものの中で一番においしかった。とても癖のある味の食べ物ではあるけれど、彼女が感じている感動が今なら分かるかもしれないと思う。


 うまい、うまい、うまうま。

 そのまま何も考えずサクサク口に運んでいると、ふと、ルームミラー越しに麻衣子が睨んできた。


「ちょっと、全部食べないでよ。私もお腹空いてるんだから」


 その眼光があまりにも鋭利で、ひやりとした冷たさを帯びていたので、僕は一瞬悲鳴を上げてしまいそうになった。


「わ、分かってるさ」


 食べかけのクッキーを口に突っ込む。


「で、でも、君はまず食事をすることより、僕にきちんと事情を説明するというのが、最優先事項なんじゃないのか?」


 すると彼女は、幾度か目をぱちぱちとさせて、


「そうか。まだ話していなかったのよね」


 とぼんやりと言った。

 そうだそうだ、僕は心の中で抗議する。さらに付け加えるならば、いますぐ僕への非常識な態度を謝り、自宅に送り届けて欲しいものである。

 僕はまた一口クッキーを齧った。


「いったい何があったんだよ」


 彼女はごほん、と咳をして声を整え、ひどくもったいぶった様子で話し始めた。


「……その、見つかったのよ」

「何がさ」

「だからさ、海の真ん中にさ、こう、ぷわーっ、と浮き出てくる感じでさ」


 じゃりり、と僕はクッキーの端を歯ですりつぶすように砕いた。


「だから、何だよ」

「……それは」

「それは?」

「……巨人の足跡なの」


 その瞬間、僕の口の中で粉砕されたはずのクッキーがごそごそと集まり、凝集し、一つの石ころのような塊となって、胃袋の中にどすんと落ちていった気がした。

 なんだそれは。


「巨人の足跡が見つかったのよ。途方もなく大っきいの。東京ドームが入るくらい」


 彼女は突然、留め金が外れたように、ミラー越しに目をいっぱいに見開いて、そう誇るように語った。

 僕には訳がわからない。


「おい、どういうことだよ。ちゃんと説明しろって」

「だから、そのままよ。日本の南の海でさ、最初は漁師さんが見つけたんだって。遠洋漁業って言うの? よく知らないけれど。とにかく、昨日のことよ。どこか遠い漁場に行く途中に、海底がへこんでるのに気がついたの。最初は海の上からだったから、よく分からないけれど。浅瀬に妙な感じのやけに綺麗な穴ぼこがあるって。それで、よくよく辺りを見渡してみたら、足の親指から小指が並んでたんですって」


 彼女がハンドルを握りつつ、半分こちらを振り向きながら熱っぽく語るのを目の当たりにして、僕はますます混乱した。状況整理しようとする脳内の小人の軍勢が、方向感覚を失い、あっちの壁にぶつかり、こっちの壁にぶつかっている様子が目に浮かぶ。


「一応聞くが、たまたまそれっぽく見えるんじゃないのか?」


 しかし、彼女は力強く首を振る。


「そうじゃないわ。まだニュースには報道されていないけれど、私、その写真を見たって人から話を聞いたの。あれは間違いなく生物の足跡だって言ってたわ。とても冗談を言えるような人じゃないし、かといって、自然に形勢されたものと見紛うほど目が節穴な人じゃないわ。だから、信憑性はばっちり」

「その写真は無いのかよ」

「残念だけど、今は見せてもらえなかった。だから、これから見に行くの。ヘリに乗って」

「……」


 僕は言葉を失って、そのまま、どっかとシートにもたれかかった。柔らかなシートがぽわんと弾んで、何だか、現実味のなさを加速させるようだった。

 巨人の足跡ねえ。

 朝早くに突然起こされたと思えば、そんな奇妙奇天烈なものを見せられに行くとは。


「……ダラ」


 と、僕は彼女がハンドルを握りつつ、遠い目をして何かを呟いていることに僕は気づいた。


「何だって?」


 しかし、僕の問いかけには気づいていないのか、彼女はこちらを振り向くことなく、遠い水平線の向こうに何かを見出しているようにじっと見つめている。その瞳は、空の薄い表面を吸い取った溶液から一滴の雫を垂らしたかのように、透明に淡く澄んでいた。


「……来たんだよ、やっぱりそうだ」


 僕は耳をすませる。


「……デイダラ」

「え?」


 その言葉は、僕の胸の奥の澱をすっと掬い取るようだった。車が前進しながらゆっくりと後退しているかのような奇妙な錯覚に襲われる。

 きゅるきゅるとネジが回る音と共に、僕の記憶が蘇ってきた。

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