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桜の園5

 土道を歩いていくと、桜の園の全貌が見えてくる。


 城のような立派な門が立ち、その奥には立派な二階建ての旅館のような日本家屋。


 白い土を塗り固めたような壁と、それを支える大きな木の柱。瓦は長い年月を風雨に晒されて来たのか古ぼけたように色あせているように見える。


 建物の周りをぐるりと塀が囲っているが、その広さはかなりのもので門からでは全容が分からないほどだった。


 晴影は躊躇うことなく門を潜り、その奥の建物の入口へと歩いていく。


 大きな玄関には【桜乃園】と古い文字が掘られた木の板が貼ってある。


 ガラガラと鈍い音を立てながら晴影が引き戸を開くと、その向こうには日本の古き良き旅館といった様相の玄関が広がっていた。


 形が不揃いの岩を埋め込まれた硬い床。右側には色とりどりに飾られた生け花があり、その反対側には丸い岩が鎮座している。


 そこに 鹿威し(ししおどし)が備えつけられており、カコンという軽快な音と共にその岩の穴の中へ水を流し込んでいた。


 そんな鹿威しを見てふとサクは違和感を覚える。


 普通、鹿威しには竹の中に水を流し込む水源が存在する。だと言うのにこの鹿威しにはそれが無い。


 竹の筒と、そこから溢れる水を受け止める岩があるだけ。


 またカコーン、と景気の良い音を立てるそれからは綺麗な水が溢れ、岩の穴に注がれる。


 一体この水はどこから出てきているのか。いや、そもそもここに流れた水はどこへ行ったのだろう。


 これも何か魔法の類なのだろうか、なんて事を思っていると建物の奥の方から何か人が歩いてくるような音が聞こえてくる。


 そちらの方に目を向けると、1人の少年が歩いてくるのが見えた。


 鋭い目付きをした片側だけまくしあげられたような水色の髪をした少年。身長は170以上ありそうな程高く、スラッと細身の彼はまるでモデルのようだった。


 そんなサクの視線を感じてか、彼は小さく舌打ちをすると玄関に並べられた下駄を履き、そのままサクに肩をぶつける。


「いてっ……」


 結構な衝撃だった。思わずサクはよろけて鹿威しの方へと倒れ込み、頭をぶつけた。


 一方の彼はそんなサクには目もくれず、そのまま玄関の外へと歩き去ろうとしている。


 その様子を見る感じ、わざと肩をぶつけて来たのは明白だ。


 頭の中で怒りの感情が沸々と煮える。しかしだからと言って彼に文句を言ったり掴み掛かると言った胆力を持っているわけでもない。


 渋々その背中を見送ることしかできなかった。


「こら!」


 すると、今度はパタパタとスリッパを履いて走っているような音と共に若い女性の声が響く。


「ノア君!帰って来なさい!あっ、そこの彼にもちゃんと謝って!聞いてるんですか!?」


 突き倒された不恰好な体勢のまま見上げると、そこには白い手拭いを巻いた女の人が立っている。


 膝下まで伸びた薄緑色のエプロンをつけ、長い茶髪を1つくくりにした可愛らしい顔立ちの彼女は20代前半ぐらいに見える。


 その手には先程まで料理をしていたのか銀色に光るお玉が握られており、腰に手を当てながら水色髪に向かって怒っている。


 サクはそこに現れた女性に思わず釘付けになった。とても可愛らしい顔立ちをしているが、可愛いから見惚れていると言うわけではない。


 彼女の頭。手拭いが巻かれたその隙間から溢れているのは大きな耳。恐らく犬だろうか。蝶のような形をした獣の耳が彼女が声を出すたびに揺れる。


 そしてその腰からはフサフサのしっぽがビンと彼女の怒りを表すように天井に向かってまっすぐ伸びているではないか。


 コスプレ……?いや、あれは無機物のそれじゃない。彼女の息遣いや体に合わせて動いているのが分かる。


「うぜえな。あんたには関係ないだろう?」


「関係ないことありません!私はここの寮長ですよ!?あなた達を監督する義務があります!!」


 一方ノアと呼ばれた水色髪は側で見ているサクでもゾッとするほどに怒りの感情をぶつけている。


 茶髪の女性はそれに全く怯む事なくより強い口調で言い返していた。


「夜に勝手に出ていくなんて、勝手な事は許しません!!」


「てめえに指図される筋合いはねえんだよ!犬女!!」


「なんて事を言うんですか!?こら、帰って来なさい!ノア君!ノア君!!」


 怒る女性を尻目にノアは振り返ることもせずにそのまま玄関を出て、ピシャンッと玄関の扉を閉めてしまった。


 一部始終をサクはどこか上の空で眺めるしかなかった。そしてそれは晴影さんと晴輝も同様だろう。


「………………はっ!?」


 しばし沈黙が流れた後、女性はサク達の存在に気がつき、あたふたし始める。


「お、お見苦しい所をお見せしました」


 流れていた複雑な空気を察してか、茶髪の女性は恥ずかしそうに頬を染めながら頭を下げた。


「紹介しよう、彼女は犬養アゲハさん。この【桜の園】の寮長をしている方だ」


「初めまして!犬養(いぬかい)アゲハです。あなたのお名前は?」


「あ……宗方サク……です」


 フリフリと揺れる尾に視線を釘付けにしながらサクも無感情に自己紹介を返した。そんなサクを見てアゲハは肩を落とす。


「ご、ごめんなさい。いきなりこんなところ見せられたら不安になりますよね、私なんか寮長になる器じゃないのにしゃしゃっちやって……」


 肩を落とすアゲハの尻尾は地に落ちたように垂れて動かなくなってしまった。


 別にアゲハとノアとかいう輩の言い合いに驚いたわけじゃない。彼女の耳と尻尾の衝撃の方がサクにとってはでかかった。


 だが、人の容姿のあれこれに衝撃を受けたなんて言いづらい。どう説明すればいいかと頭を回す。


 しかし、それを説明する魔法の世界の予備知識がサクにはない。彼女の耳と尾が魔法のそれなのか、それとも彼女の服装による物なのかも分からないのだ。


「安心しなさい。サク君が驚いているのは獣人を見るのが初めてだからだ」


 そう言って晴影は簡単にサクのことを説明してくれる。


 今日初めて自身が魔法使いと伝えられた事。それまで一切魔法と無縁の生活を送って来たこと。そしてこの春から魔法の学校……【桔梗院】に入学することになること。


 要領よく端的な説明だった。アゲハとふむふむと頷きながらそれに耳を傾ける。


「まぁ!それじゃあ私のような【獣人】を見ることも初めてってことですね!」


 そうして事情を把握したアゲハはパンと手を合わせながらサクに笑いかけてくれた。


「獣人……ですか?」


「えぇ。動物の身体を持つ【常人】の種族の1つです。私は犬の【獣人】なので、この耳としっぽが生えているんですよ」


 やはり、アゲハのそれは彼女の体の一部ということらしい。


 ジロジロと物珍しく人の身体を見るもんじゃない。けれど、目を逸らそうとしてもどうしても気になってしまって視線が尾か耳へと寄せられてしまう。


「安心してください、私は気にしませんから。……よかったら触ってみますか?」


 すると、少し考えたアゲハは自分の尾を身体の前に回すと、それをそっとサクの方に差し出した。


「えっ!?」


 アゲハさんの突然の申し出に動揺を隠すことも忘れてたじろいでしまう。


「なっ、何言ってんですか!?」


「ふふふ、これも社会勉強ですよ。私なら大丈夫ですから」


 クスクスと微笑みながらアゲハは告げる。


 フリフリと揺れる茶色い尻尾にサクはゴクリと息を呑んだ。


 動物は好きだ。だから犬の尻尾を触ることに何の抵抗だってない。なんなら学校からの帰り道で犬や猫を見かけたらよく1人で愛でていた。


 だけど、これは犬の尻尾であると同時に人の身体のそれである。


 それも20代前半の綺麗な女性の身体。それも尻尾は彼女の腰から生えている。


 お年頃のサクにとっては少々刺激が強い経験である。


「ぷっ……ふふふふ」


 おい、晴輝笑うな。


 しどろもどろしているサクを見て笑う晴輝。こいつ……こっちの気も知らないで。


「あー、アゲハさん。今日はサク君も色々あってな。少々いっぱいいっぱいのようだ」


 困っているサクに晴影が助け舟を出してくれる。


「あ……それもそうですね!」


 晴影の助け舟にサクは安堵の息をつく。


「え…と……じゃあ俺がここに連れてこられた理由って……」


 薄々理解はしていたが最終の確認のために晴影に問いかけてみる。


「うむ。そういうことだ」


 晴影もそれを分かっていたように頷きながら言った。


「学生の間、君はこの魔法孤児専門の学生寮、【桜の園】で生活してもらうことになる」


「魔法孤児専門の学生寮……ですか。そんなのあるんですね」


「うん。父さんは日本の魔法孤児の処遇をどうするのかを担ってるからさ。こういった魔法孤児専門の寮を作ってたり魔法孤児の引き取りの斡旋をしたりしてるんだよ」


 晴輝の話ではこの桜の園に限らず魔法孤児を預かってくれる里親や親族への取りつぎなども行っているとのこと。


 わざわざ魔法界のトップが直々にそんなことをするなんて、昔あった魔法孤児の事件が余程凄惨だったのかもしれないと思った。


「それじゃあ、早速サク君のお部屋に案内しますね」


「あぁ、待ってくれアゲハさん」


 意気揚々とサクを案内しようとするアゲハを止めながら晴影はサクの方に目を向ける。


「我々はこれでお暇させてもらおう」


 靴を脱いだサクは晴影と晴輝に振り返る。


「あの、これからどうすればいいんですか?」


 ここまでサクを連れてきてくれた2人がいなくなるという事に不安を感じる。


 魔法学校に入ることは分かった。でも、じゃあこれから先サクはどうすればいいのだろうか。入学の準備だとかなんだとか。分からないことだらけだというのに。


 そんなサクの不安に応えるように晴影は言う。


「近いうちに使いの者を送る。その者に学用品の準備など諸々を託すつもりだ。詳しい事はその者に聞くといい」


「は、はぁ……」


 使いの者と聞いて気が重くなるのを感じる。あまり社交的な性格では無いので新しい人と関わるのに気乗りしないのだ。


 でもサクはそれ以上何も言えない。ただ去りゆく2人を見送ることしか出来ないと思った。


 晴影が外に出た後、晴輝が足を止め振り返る。


「サク君、今日はごめんね」


 晴輝の言葉にサクは驚いた。突然晴輝は何を言うのだろう。


 そんなサクに向けて晴輝は続ける。


「僕らが来なかったら、サク君と叔父さんを決別させることもなかったよね」


 晴輝の言葉を聞いてサクは返す言葉を失った。


「本当は、こんなつもりじゃなかったんだ。君をあんなに傷つける結果になるなんて……思わなかった」


「別に……」


 確かに、言われてみればそういう考え方もあるのかと思った。晴輝達が来たことでサクは信玄と喧嘩し魔法使いとして生きていくことを決めた。


 だが、これはあくまでサクと信玄の問題で晴輝は悪くない。悪いのは信玄だと思う。だから晴輝に何の責任もない話だ。


「だけど、これだけは伝えておきたくて」


 それでも、晴輝の顔は悲しげで本当にサクと信玄の決別に対して責任を感じているようだった。


「君が、魔法の世界に来てくれたこと。僕は嬉しく思ってる。本当は、あんな形でなんて望んてなかったけど……また君と、桔梗院で会えるのは楽しみかなって」


「はは。別に俺なんて面白い人間じゃないだろ」


 悲しげに語る晴輝を見て、サクの心も自虐的な方向に傾く。


「そんなことないよ。父さんに言われたのもあるけど……君に会ってみたかったんだ」


「……幻滅したか?」


 晴影から何をどう聞かされていたのかは知らない。けれど、こんな何者でもない凡人の姿を見て期待はずれもいい所だろうと思った。


 けれど、晴輝は首を横に振る。


「まさか。僕の一方通行な気持ちかもしれないけど、また学校でも会えたら嬉しいなって思ってる」


「……っ」


 晴輝の言葉にサクは驚きを隠せなかった。


 俺と会いたい?おかしな奴だ。でなければお世辞か何かだろうか。


 そう思ってみたが、こちらを見る晴輝は柔らかく笑っていた。


 サクは人と関わることは苦手だ。だから相手がどう思ってるかとか、そう言ったものを想像するのは難しい。


 それでもこの晴輝の言葉は本心な気がする。


 半日ほど晴輝と一緒に過ごしてきたが、今この瞬間、初めて晴輝の笑顔を見たような気がした。


 魔法でもなんでもない、晴輝のただの言葉が不思議な程に不安な心を晴らしてくれた。


 カコーンと、また鹿おどしが夜の静寂を割る。


「じゃあね、サク君。また学校で」


 そう言い残して晴輝は玄関の戸に手をかけようとした。


「晴輝」


 気がついた時、サクはそんな晴輝の背中を呼び止めていた。


「どうしたの?」


 すると、晴輝は心底驚いたような顔でサクを振り返る。


 そんな晴輝の顔が何故かおかしくてサクは自然と頬が緩んだ気がした。


「サクでいい」


「え?」


「だから、俺の呼び方。同級生なんだし、呼び捨てでいいだろ」


 性に合わないことを言っている自覚はあった。けれど、何故かこのまま晴輝を帰したいとは思えなかった。


 口に出してみて、サクの顔が熱くなる。


 サクの言葉を聞いて、晴輝はポカンとした顔でサクを見ていた。


 せめて何か言ってくれよ。たまらずサクは晴輝から目を逸らすしかない。


「……うん。分かった」


 晴輝は少し間を置いてそう答えた。そんな晴輝の顔を見れなかった。


「また学校で。楽しみにしてるよ、サク」


「またな」


 そう挨拶を交わして晴輝は玄関の戸を閉めた。


「ふふ。では、行きましょうか」


 一瞬の沈黙の後、笑顔のアゲハがサクにそう声をかけてくる。


 サクもそれに応じて薄暗い桜の園の廊下を歩き進めていくことにした。

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