5)白銀令嬢、名を囁かれる
研究塔の一室は、熱気に包まれていた。
「この記録を直ちに写本へ!」
「測定器を再度確認しろ、誤差は一切許されん!」
研究員たちの声が飛び交う中、私はただ椅子に腰掛けていた。
ひとりだけ、嵐の中心にいるのに、凪のような顔をして。
「……本当に、騒がしいですわね」
「騒ぐに決まっているだろう」
ライオネルが笑う。その瞳はいつもの軽さを失い、真剣そのものだった。
「お前の中に眠っていた力は、王国の歴史を変えるかもしれないんだ」
私は一瞬、視線を逸らした。
心の奥に生まれた震えを、見抜かれたくなかったから。
「歴史を変える? ……やめてくださいな。私など、ただ婚約を破棄された“余り物”ですわ」
「余り物?」
ライオネルの声に棘が走った。
「……俺の目に映るお前は、世界で一番特別な存在だ」
胸がひどく熱くなる。
けれど私は、その熱を打ち消すように笑った。
「お世辞は要りませんわ。どうせ貴方は研究者として、私を“実験体”としか見ていないのでしょう?」
「……頑固者」
彼が呟いた声は、小さすぎて誰にも届かなかった。
◆◆◆
塔を後にした夜、私は馬車の窓から街の灯を見下ろしていた。
舞踏会での婚約破棄は、すでに城下の隅々にまで広がっていたらしい。
「白銀の令嬢は冷酷に王子を拒んだ」
「いや、王子が彼女を見限ったのだ」
噂は尾ひれをつけ、まるで炎のように燃え広がっていく。
──けれど、私にとってはどうでもいい。
婚約など最初から茶番。ようやく幕が下りたにすぎないのだから。
「……自由、ですわ」
窓に映る自分の姿へ囁く。
けれど胸の奥では、先ほどの黄金の光がなおも瞬いていた。
◆◆◆
一方その頃。
城下の裏路地。
人目を避けるように、黒衣の一団がひそやかに集っていた。
「聖力の反応を確認した」
「間違いないのか?」
「間違いない。数百年ぶりの“器”が、この地に現れた」
彼らの声は低く、冷ややかだった。
その視線の先にある名は、ただひとつ。
──白銀の髪の令嬢、セレナ・ヴァロワ。
闇の帳に紛れて、彼らの影が動き出す。
まだ本人の知らぬところで、新たな運命が音もなく蠢き始めていた。
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