2)婚約破棄
夜の帳が下り、煌めく舞踏会の余韻はなお広間の片隅に漂っていた。
煌びやかなシャンデリアの光は次第に色褪せ、貴族たちの囁き声だけが生温く残る。
「まあ……あの娘も、ついに捨てられたのかしら」
「白銀の髪の美少女が、あんな態度で……」
伏せられた扇の隙間から、好奇と侮蔑の視線が突き刺さる。
私は唇の端をわずかに吊り上げた。
─滑稽だわ。皆、私を飾り物としてしか見ていなかったくせに。
婚約破棄が決まった途端、哀れな犠牲者のように噂する。なんと都合の良いことか。
だがいい。
私は自由だ。茶番も、王子も、そして力の制限さえも─すべて終わったのだから。
「……自由になった気分は?」
背後からかけられた低い声に、私は振り返る。
そこに立っていたのは、黒衣を纏った一人の青年。
鋭い瞳と気怠げな笑みを持つ男、ライオネル。幼い頃からの幼馴染にして、今は王国研究塔に籍を置く魔術師である。
「……清々しいわ」
私が淡く微笑むと、彼は片眉を上げて愉快そうに息を吐いた。
「ならいい。だが、清々しさは長く続かないかもしれないぞ」
「なにか含みのある言い方ね」
「含みも何も、お前に話がある。……来い」
彼の背に導かれるまま、私は夜の街を歩いた。
馬車も呼ばず、裾を翻して石畳を踏みしめる。冷たい風が白銀の髪を撫で、舞踏会の熱気を洗い流していく。
人通りの途絶えた路地を抜け、私たちはやがて高く聳える黒い塔へと辿り着いた。
王立研究塔──魔術師たちが昼夜問わず研究に没頭する知の砦。
かつては近寄ることすら憚られた場所に、今の私は迷いなく足を踏み入れていた。
「さて、これから面白い話をしよう。お前の“魔力”についてだ」
「魔力? 私に? ふふ、冗談も大概にしてください」
「冗談じゃない」
薄暗い書庫に響くライオネルの声は、どこまでも真剣だった。
分厚い書物や水晶球が散乱する机に、彼は片手を置いてこちらを見据える。
「お前の魔力は測れない。だが俺は気づいた。──お前が魔力を持たないのではなく、聖力が魔力を相殺していたのだ、と」
その言葉に、私は目を細めて毒づいた。
「なにそれ。都合よく自分の理屈を押し付けてるだけじゃないの?」
「都合よく……でも、事実だ」
彼の瞳は揺らがない。むしろ私を試すように輝き、逃げ場を与えない。
「……お前、赤くなってるぞ?」
「なっ……何を勝手に!」
咄嗟に顔を背ける。
滑稽だ。私は“感情のない令嬢”と呼ばれてきたというのに。
なのに今、胸の奥で確かに小さな鼓動が騒ぎ立てている。
茶番は終わった。
けれど、自由も、力も、そしてこの面倒くさい幼馴染も。
すべてが今、動き始める。
これが私の物語の、ほんの始まりにすぎないのだから。
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