第1章 トラキアの密約 6
「マクシミヌス様、バリアスポラン近衛兵士団団長殿がおみえに成りました」
マクシミヌスの館の門番兵が、報告に来た。
「やけに早いご到着だな。大広間にお通ししろ!サフィーネとは未だ会った事も無いのに、ぶっつけ本番の芝居に成るとはな。彼女の演技力を信じる以外に道は無いか」
マクシミヌスが大広間に姿を現すと、バリアスポランは部下6名を従えて長テーブルに陣取っていた。
「これはマクシミヌス総督!昨夜も某所でお会いしましたが、今日は公式の表敬訪問だと思って下さい。これはアレクサンデル皇帝陛下から貴殿への進物です」
「皇帝陛下から?」
「どうぞ、お受け取り下さい」
「これは光栄の極み!陛下の忠実なる臣下、このマクシミヌス、謹んで頂戴致します!」
マクシミヌスは、ローマ式の皇帝に拝謁する際のコーテシーを行う事で、皇帝への忠誠と礼節を示した。
「さあ団長殿!ここは田舎町なのでお口に合わないとは思いますが、郷土料理を、是非、召し上がって下さい」
「おお、トラキア地方には旨い海鮮料理が有ると聞いていますよ。これは楽しみですな」
バリアスポランは、ローマの皇宮でも有名な美食家だった。
「団長殿、本日はブルガスの入り江で獲れた蠣料理もご用意していますよ」
「蠣料理?しかもブルガスと言えば黒海に面した都市。我々ローマ人は、ティレニア海かアドレア海で獲れた蠣しか食した事が無いので、これは楽しみだ」
「団長殿のお口に合えば良いのですが・・・」
「ほっほっほ、どうやら、マクシミヌス総督は私の好みまで良くご存じの様だ」
バリアスポランは蠣料理と聞いて、これ以上は無い程の笑顔に成った。
「所で総督!ローマでは貴方の様な大英雄が、どなたを妻に娶るのか、注目が集まっておりますぞ」
ひとしきり蠣料理と美酒を堪能したバリアスポランは、恐らく今日訪問した、真の目的で有る筈の話を切り出した。
マクシミヌスは、バリアスポランが愈々《いよいよ》本題に入って来たので、一瞬、身構えたが、直ぐに笑顔に戻った。
「私を英雄と呼ぶ人もいる様ですが、偶々《たまたま》、私は戦いで幸運に恵まれただけで、私が田舎者で有る事に変わりは有りません」
「総督、ご謙遜を!」
食い意地が張っているバリアスポランは、そう言いながらも蠣の焼き物を口に運んだ。
「貴方でしたら皇帝の血族でも、元老院の有力者の娘でも、選り取り見取りでしょう」
マクシミヌスは、そろそろバリアスポランを驚かせる頃合いだと思った。
「その件ですが実は私は、1か月程前に前線から戻ったばかりでローマには未だお知らせをしていませんが、先日、地元の娘と婚約したのです」
「何と!」
「丁度、今日はその婚約者がこの館に来る予定の日なので、若し彼女が来るのが間に合えば、団長殿にご紹介が出来ると思いますよ」
「う~ん、それは意外で急展開のお話ですな?」
流石のバリアスポランも、食事を口に運ぶのを止めた。
そして、半信半疑と言った表情で、マクシミヌスの方を見た。
「それは是非、そのお方のご尊顔を拝したいものです」
「マクシミヌス様、サフィーネ様がお着きに成りました!」
「サフィーネが来たか?バリアスポラン団長殿、ここで暫くお待ち下さい。私は今から婚約者を出迎えますから」
バリアスポランが館の玄関を出ると、林檎が山積みされている馬車からサフィーネとラーマクリオスが降りて来た。
「サフィーネ、待っていたよ。貴女がこれ程の美人だったとは!今日は宜しくお願いしますよ」
「心得ております、マクシミヌス総督様」
サフィーネは、両指で自身のドレスの裾を摘まんで持ち上げると、マクシミヌスに片膝を付いた。
「アマリウス、彼女を大広間にお連れして呉れ」
「かしこまりました」
「所でラーマクリオス、この大量の林檎は何なのだ?」
「これは成り行きで・・・その・・・」
「まあ、良い」
マクシミヌスは、サフィーネを自分の許嫁として、バリアスポランに紹介した。
「初めまして、バリアスポラン団長様。わたくしはマクシミヌスの婚約者のサフィーネと申します。以降、お見知り置きを」
サフィーネはマクシミヌスにした時と同じコーテシーを、バリアスポランに対しても行った。
「これはこれは。うら若き気品に溢れる麗婦人にお会い出来て、私も光栄です!」
バリアスポランは、お世辞なのか本音なのか分から無い言葉を述べた。
バリアスポランへの挨拶が終わると、大広間に予め用意されていた夫妻用の豪華な椅子にサフィーネは腰掛けた。
「ラーマクリオス将軍がサフィーネ様のお付き添いとは、マクシミヌス総督の彼女への惚れ込みようが伺われますな」
「弥速、流石にバリアスポラン殿は全てをお見通しだ!兼ねてから私はサフィーネに恋心を抱いていて、これまでも淡い交際を重ねてはいたのですが、彼女は自分が若過ぎると言って、色好い返事が中々貰えなくて・・・」
「それが今回、ゴート族討伐から凱旋された総督の雄姿が、彼女を決心させたと言う訳ですね」
バリアスポランは訳知り顔でそう言った。
「サフィーネ、それは本当なのか?」
「いいえ、違います。マクシミヌス、本当は貴方が戦いに敗れて傷心で帰国したら、それをお慰めするべくわたくしは婚約を密かに決意していたのですが、一度決意した自分の心は凱旋帰国でも変え難くて・・・」
「そうだったのか?サフィーネ」
「これだけお熱いお二人を見せ付けられたら、我々は退散するしか有りませんが、最後にひとつ、ふたつ、ご質問をしたいのですが」
「何です?」
マクシミヌスは、怪訝そうな顔でバリアスポランを見た。
「サフィーネ様はどちらのご出身で、そして、どちらのお家の方なのでしょうか?私もこの事を知ったからには役目柄、陛下にご報告をしないと叱られてしまいますので」
バリアスポランは自席から立ち上がると、サフィーネの前で跪いてその答えをサフィーネに求めた。
「わたくしは北トラキア地方の、ここからは少々離れていますがプロプディフ市の出身です。祖父がプロプディフ地方の前領主ベリガウスだったご縁で、マクシミヌスにも出会いました」
「あの名領主と謳われたベリガウス殿のお孫さんでしたか?所でお二人は何処で婚約の儀式をされましたか?」
バリアスポランは、サフィーネを試す様な目付きでそう訊いた。
それは、とマクシミヌスが答えようとした時、サフィーネが先に答えた。
「わたくし達は、ローマ歴で先月の28日に、ここエディルネ市のアテナシウス神殿で婚約の儀式を行いました。ですが、マクシミヌスが仕事で忙しくて、未だ婚約披露宴は催しておりませんの」
「アテナシウス神殿ですか?」
「ええ、わたくしの父は、ローマ帝国に終生忠誠を尽くす信念の人で、コンスタンティヌス帝が崇拝所に指定されましたアテナシウス神殿に多額の寄付をしていましたので、わたくしがマクシミヌスにお願いして、そこで婚約したのです」
「良く分かりました、サッフィーネ様!私もお二人のお幸せを祈っていますよ!長居をしましたな、総督。それでは今度はローマでの貴方の凱旋帰朝報告会でお会いしましょう」
「団長殿、ローマまでの帰りの道中、どうかお気を付けて!」
バリアスポランは、マクシミヌスとサフィーネに一礼すると、部下達を連れて館を出ようとした時、サフィーネが彼らを呼び止めた。
「暫しお待ちを!バリアスポラン団長様。ここの玄関先で林檎をラーマクリオス将軍様から受け取られて、エディルネ市だけに伝わる祝福の方法で、わたくし達にその祝福を与えて戴けませんか?」
バリアスポランは、サフィーネの言葉に興味を持ったらしく、サフィーネの方に振り返った。
「ほう?勿論、私共はお二人を祝福しますよ。サフィーネ様、私共は一体どの様にすれば良いので?」
「簡単です!受け取られた林檎をひと口だけかじった後、それを右手で空に突き上げて、お見送りをしているわたくし達に向かって、アウグーリ、即ち、おめでとうと仰って下さい」
「成る程、お安いご用です」
「ラーマクリオス将軍様、玄関で準備をお願いします」
「御意!」