第1章 トラキアの密約 5
自身の館に向かう馬車の中で、マクシミヌスはラーマクリオスにルフィアの提案について詳細を話した。
そして館に到着した頃には、ラーマクリオスは話の全容を完全に理解していた。
マクシミヌスの館の中に入ると、ラーマクリオスは開口一番、
「ルフィアは只の酒場の女将では無いとは思っていたが、ここまでの策略家だったとはな」
と、感嘆の声を上げた。
「俺はラーマクリオスが、ルフィアの提案をどう思うかを知りたかったんだ!」
「どう思うも、先ず策略の筋書きが素晴らしい。そして何よりタイミングが絶妙だ。今日、俺達はズドラヴェイで祝宴を挙げて正解だったな」
「そうか、お前がそう言って呉れるのなら、俺も踏ん切りが付いたよ!」
マクシミヌスはラーマクリオスの同意が得られて、急な話だったが、何かしら上手く行きそうな気がし始めていた、
「特に、結婚では無くて婚約と言う所が心憎いな!婚約だとお前がローマで勝ち馬の娘を娶る時に解消すれば良いだけの話に成る。離婚と成れば地元民からは、お前がトラキアの民を見捨てたと思われてしまうからな」
「誤解が無い様に、お前には予めハッキリと言って置くが、俺は勝ち馬だろうと負け馬だろうと、ローマの馬の娘を娶る積りなど全く無い!」
「まあ、そうムキに成るな。オレは単にルフィアの策を評価しているだけだ」
ラーマクリオスは、マクシミヌスを宥めた。
「これは飽くまでローマを欺く為の芝居に過ぎないから、その娘と結婚する積りも無い!」
「分かってるよ。だがその娘はお前の為に芝居に協力するんだ。彼女に対しては出来る限り、優しく接するべきだ」
「俺は女性に対しては、誰にでも優しいんだ」
「そう願うよ」
ラーマクリオスからそう言われて、18歳も年下のサフィーネと言う娘の事が、少しばかり可哀想な気がして来た。
サフィーネは、一体、どんな娘なんなのだろう?
マクシミヌスは未だ見ぬ、自分の許嫁に思いを馳せた。
「マクシミヌス、ローマに芝居だと見破られ無い様に、近々、トラキア地方の名士を集めて盛大な婚約披露宴を催した方が良いぞ」
「うん、確かにな。だが、全ては明日を乗り切ってからの話だ」
「まあな。お前はサフィーネとは結婚しないと言ったが、その件は全く心配しなくて良い」
「本当か?」
マクシミヌスは、ラーマクリオスの方に身を乗り出した。
「ああ!サフィーネはベリガウス殿の孫娘なんだろ?」
「そうらしいな」
「じゃあ、大丈夫だ!賢い彼女は、お前のような無骨な男には決して惚れないさ」
「何だよ、それは。俺に気休めを言っている積りか?」
「気休めじゃ無い!事実だ。サフィーネは、オレの様に博識で思慮深くそして上品な男に惚れるに決まっているだろ?」
「此奴、言わせておけば!」
二人はお互いに笑い合った。
「そうだ、馬車に乗って来たせいで折角の酔いが醒めちまった。マクシミヌス、明日の『婚約大作戦』の成功を願って乾杯しようぜ!お前、秘蔵の酒が有るとか言っていたな」
「それは、明日が無事に済んだらの話だ!」
「お前は、バリアスポランも言っていたが、天下の大総督マクシミヌス侯なんだ。そんなケチ臭い事を言うなよ」
「お前には敵わないな。まあ、他ならぬラーマクリオス将軍の頼みだ。飲ませない訳には行かないか?但し、一杯だけだぞ!」
「オレが一杯だけで満足する男に見えるか?」
「ちぇ、アマリウスの分だけは残して置けよ!」
「へいへい」
二人は秘蔵の酒で乾杯した。
「所でマクシミヌス、これは真面目な話なんだが・・・」
「何だ?ラーマクリオス?」
「オレ達がローマに凱旋する時、ルフィアがオレ達と一緒にいて呉れた方が何かと心強く無いか?」
「そうだな。俺はローマの連中のドロドロ劇に巻き込まれるのは嫌だが、アレクサンデル帝に拝謁して、今回の戦勝を報告しなければ成らないとは思っている」
「そのドロドロ劇に巻き込まれない為にも、ルフィアの鋭い女の直感は頼りに成ると思うんだ」
ラーマクリオスは、どこまでも真面目な表情をしていた。
「うん、その事なんだが・・・俺はルフィアに一緒にローマまで来て呉れと頼んだんだ!」
「そうなのか?ルフィアは何と?」
「あほ、と一言だけ」
「あほ?」
「そうだ、あほだ。だがラーマクリオス、俺にそれを何度も言わせるな!」
「あほ、ねぇ。マクシミヌス、オレの考えでは、恐らくルフィアはローマに一緒に来て呉れる筈だ」
「えっ?そうなのか!」
「ああ。ルフィアがあほと言ったのは、ローマに一緒に行って欲しいとお前が言った事では無い。単にお前の顔があほに見えただけなんだ!」
「余計に傷付く」
「ズドラヴェイのマダム、オレはこの馬車の中で何時まで待てば良いんだ?」
「淑女のお出掛けには時間が経るのよ。それに今日はサフィーネには事前に色々と教えておく事が有るしね」
「要するに、未だ時間がかなり経ると言う訳か?」
「だけどラーマクリオス将軍、貴方には退屈はさせないわ」
「ほう?と言うと?」
「そこの広場の片隅に、林檎を売っている少女が見えるでしょう?彼女の名前はアンジェリーカ!若くて可愛くて明るい性格の娘だわ」
「林檎売りの少女か?」
「彼女に、花でも持って話し掛けてご覧なさい。あたしの名前を出したら相手をして呉れるから。でも勘違いはしないでね、相手をして呉れるのはお喋りだけだから」
「へいへい、マダムの暖かいご配慮に感謝します」
そう言うとラーマクリオスは馬車から降りると、ルフィアから受け取った花束を片手に、軽い足取りで花屋の方に歩き出した。
「この出会いが、ラーマクリオスの独身生活に終止符を打ちますように!」