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第1章 トラキアの密約 10

 「ベリガウス殿もご存じの通り、私は長期に亘わたったゴート族との戦いに運良く勝利しまして、先日、トラキアの地に戻ったばかりです」

 「マクシミヌス総督のご活躍で戦勝したとの報せが届いて、ブルガリア全土が祝賀に沸きました。誠にお目出度うございます」

 「まあ、戦争に勝った事は良かったのですが、戻ってみるとローマの重鎮達から、山の様に縁談話が舞い込んでいたのです」

 マクシミヌスは、ベリガウスが注いで呉れた二杯目の茶を口に運んだ。


 「今のローマの状況では、野心を持つ者なら誰しも、総督が持つ武力を自身の陣営に引き入れたがっているでしょうな」

 「私はローマの政争に巻き込まれるのは嫌なのです。ですから全てのお話をお断りする積りですが、アレクサンデル帝から縁談を賜れば、流石にそれを断る訳には行きません」

 「戦勝報告で陛下に拝謁される時が鬼門と言う事ですか?」

 「ええ、その通りです。そこでルフィアに相談した所、こちらから先手を打つべしと教えられて、策まで授けられました」

 「それが我が孫娘、サフィーネと言う訳ですな」

 ベリガウスも二杯目の茶を飲んだ。

 「甚だ身勝手で破廉恥なお願いなので、身が縮む思いです」


 「総督は、ご自身がローマに行かれる前に、サフィーネとの婚約を発表されたいのですね?」

 「冷や汗が止まりません」

 「ははは、総督のお話は分かりました。全てを理解した上でサフィーネが望んだ事なので、婚約したからと言って結婚して呉れとは申しません。ですが、わしの願いは叶えて貰わなければ成りません」

 「何なりと!」 

 ベリガウスは、(そば)に控えていた家職と侍女を人払いした。


 「縁談から逃れる為の策とは言え、サフィーネは総督の許嫁いいなづけに成る訳ですから、先ずは予あらかじめ、サフィーネについて総督に知って置いて欲しい事が有るのですじゃ」

 「私に知って置いて欲しい事ですか?」

 「そうです」

 ベリガウスは、サフィーネの身の上について、徐おもむろに話を始めた。


 「サフィーネはわしの次男の長女ですが、兄弟姉妹はいません。それはサフィーネが幼い頃に、両親が護衛に付けていた兵士達と共に、旅路の途中で賊に殺害されてしまったからです」

 「えっ?そんな悲惨な事が?」

 マクシミヌスは、ベリガウスの話に驚きを隠せなかった。

 「幸い、その時、サフィーネはわしの館に泊まりに来ていたので、無事でしたが」

 「ベリガウス殿、その賊は捕まったのですか?」

 「人気ひとけの無い山道で襲撃されたので、それは無理でした。役人から死亡の報せを受け取れただけでも運が良かった方でしょう。そのお陰で遺体を引き取ってプロプディフ市に埋葬する事が出来ましたから」

 「う~ん、幼いサフィーネは、嘸さぞや衝撃を受けた事でしょう!」

 「ええ、総督のご想像の通りです」

 ベリガウスは、そう言いながら目頭めがしらを押さえた。


 「ですが、その賊の黒幕は見当が付いています」

 「何と!」

 ベリガウスの話は、マクシミヌスに取っては驚きの連続だった。

 「黒幕はイシス教で、賊はイシス教の裏組織『支持者クリエンテス』です。そう断定するのは息子嫁が旅立つ前に、わしに宛てた書簡が見つかったからなのです」

 「イシス教とは、女性信者ばかりの、あのイシス教ですか?近年、ローマで信者が増えていると言う」

 「左様」

 「だが何故、そんな宗教集団がサフィーネのご両親を?」

 「賊の狙いは息子の嫁で、息子はその巻き添えを食ってしまったのです」

 「息子さんの奥さんが狙われたと?」

 「これから先は、わしも酒でも飲まなければ話せそうも無いので、総督殿もわしに付き合って下され」

 「それは全く構いませんが・・・」


 ベリガウスは、自室の引き出しからワインの「(アンフォラ)」を取り出すと、2つの陶器のコップを机の上に並べた。

 「これは、ルフィア殿から差し入れて戴いた、トスカーナ産の高級ワインですぞ」

 ルフィアは口は悪いが、相変わらずその気遣いは素晴らしいな。

 ベリガウスは、勝手に我が女房と決め付けているルフィアを褒めた。

 「わしも、息子嫁がミトラ教との関わりが深い事は知っていたのですが、ミトラ教は男しか信者に成れないので、甘く考えていた罰ばちが当たったのです」

 「ミトラ教?ここブルガリアでは余りミトラ教を話を聞く機会が無いですが、先さきのコンモドゥス帝が積極的に庇護ひごした為に、ローマ帝国の属州まで、多くの兵士達が信者に成っている事は存じています」 

 「これは息子嫁の書簡で、わしも初めて知ったのですが、息子嫁の父親はミトラ教の教主だったのですじゃ」

 「教主と言う事はミトラ教の頭かしらと言う事ですか?」

 「ミトラ教の信者組織は7つの位階で構成されていますが、その上に頭に相当する祭王と、彼を補佐する教主が存在するのです」

 ブルガリアがミトラ教に染まっていない事も有って、ベリガウスにはミトラ教に関する知識がほとんど無かった。


 「わしも書簡を読んで驚きましたが、息子嫁の父親は、ミトラ教の裏組織『後援者パトロネス』を主幹する祭主だったのです」

 「ミトラ教にも裏組織が有るんですか?」

 「左様。コンモドゥス帝の庇護で勢力が拡大したミトラ教でしたが、そこにイシス教が割って入って来た訳です。然しかも、ミトラ神は男性を象徴する太陽、一方、女神イシスはエジプトの母性の象徴です」

 「教義が全く異なると?」

 「ミトラ教からは、イシス教が疫病神に映った様で、先に粛清に動いたのは信者の数で勝るミトラ教の方だったと、息子嫁の書簡には書かれていました。粛清にはその『後援者パトロネス』が暗躍したそうです」


 ベリガウスはそう言うと、トスカーナ産のワインを一口で飲み干した。

 それに釣られた様に、マクシミヌスもワインをぐびっと飲み込んだ。

 「その報復で、息子さんとその奥さんが殺されたと?」

 「次男はわしに、プロプディフ市の近場に有る霊場れいじょうを巡礼すると言っていましたが、実際は暗殺された息子嫁の父親の葬儀に夫婦で参列する為に出掛けたのです」

 「息子さんの奥さんの父上が暗殺され、その娘も殺された・・・」

 「イシス教の『支持者クリエンテス』は、恨みが骨髄に達するその教主の血筋を根絶やしにしようとしているのです」

 「えっ?それじゃ、今度はサフィーネが危ないじゃないですか!!!」

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