成長と錯覚 その2
男の感ほど当てにならないものは無い。絶対大丈夫。大丈夫ではない。嘘はつかない。嘘をつく。君を愛している。愛という概念が単純にぶれている。
隼人は美雪から電話があった時、胸に暗い予感めいたものが射した。電話越しの美雪の声は至って平穏そのものだったが、それがかえって気に掛かった。
「どうしたの急に?」
隼人は心を均しながら訊ねた。
「ただ連絡しただけ。休みが合えばどっかに連れて行ってもらおうかなぁ、と甘えようとしたの、駄目?」
不安が拭いきれない隼人は息を吐いて、再度確認する。
「本当にそれだけか?」
不思議そうに美雪は言葉を返す。
「それ以外になにがあるの?」
「ならいいんだ」
心臓に送り込まれる血の流れを感じながら、とりあえずは得体の知れない不安から解放され安堵する。
その後、隼人は美雪の用件を受け入れ、日時場所を再度確認して携帯電話のメモ帳に打ち込んだ。
隼人は店の中で待つ二人のところにすぐには戻らず、地上に繋がる階段に座り込んでしまった。座ってから、前にここで酔っ払いが不届にも小便していたなぁ、と思い出したが、まぁいいかと足下を見つめた。
美雪との電話越しの会話は、遠い昔に別れ話を切り出されて以来だった。だからどうだということはないが、思わないこともなかった。
店に戻ると久一と充は乾杯、乾杯と繰り返しながら騒いでいた。サイン会がどうのセクシー女優がどうのと説明されたが、あまり頭に入ってこなかった。
隼人の反応に二人は不貞腐れてから、充がぐちぐちと言い出したので、頭を叩いて適当にあしらって店を出た。
約束をした日からその当日まで、一切美雪からの連絡はなかった。指定された待ち合わせ場所の近くにある駐車場に車を停めて隼人は歩き出した。
約束の時間まで余裕があったので、喫茶店に入り、コーヒーとサンドウィッチを注文する。コーヒーもサンドウィッチもあまり味を感じなかった。
駅前のベンチに腰をかけて待っていた美雪が隼人に気づいて手を振った。隼人は手を上げて小走りに二人に駆け寄った。
「隼人君おそいよ」
真美が隼人に告げる。約束の時間より十分は早い。美雪の顔を見て目を細める。
「ちゃんと俺の名前教えておいてくれて助かる」
美雪は笑顔でしてやったりと返した。
「隼人も嫌でしょ? その年でおじちゃんって呼ばれるのも!」
別に子供にどう呼ばれようと気にはしないが美雪の心遣いを受け入れた。
「多大なる配慮恐れ入ります。お返しと言ってはなんですが、そちらの大きなトートバッグお持ち致します」
隼人は美雪の荷物を肩代わりする。
「お弁当が入ってるからあまり揺らさないでね」
「揺らさないでね」
二人の視線が隼人に向く。
「わざわざ? 作ってくれたの?」
隼人はまさかサンドウィッチではないだろうか? と思った。
「真美が一生懸命握ってくれました」
隼人はやたらめったら偶然は起きないなと苦笑いする。
「おにぎりの具を当てようか真美ちゃん? 鮭フレークでしょ?」
真美は両手でバツを作って答える。
「ブッーブッータラコさん」
元気よく返す真美を楽しげに美雪は見やる。隼人は「それではさっそく駐車場まで案内します」と真美の頭を撫でてから二人の前を進んだ。
隼人の背に美雪が声を掛ける。
「お昼が楽しみでしよ? 特製弁当よ」
隼人は振り返って後ろ歩きしながら答える。
「楽しみに決まってるでしょうが! ここで否定する人いますかね? いたら俺がぶん殴ってやるよ」
「久一君ならなんかごちゃごちゃ言いそうだけど? さすがに無いかな? 今はどんな風になってるのか少しだけ興味あるかも。隼人、誘えばよかったのに」
久一にはおそらく二通りの行動パターンが考えられる。美雪の言う通りにごちゃごちゃと自分理論を押しつけるケースと、過剰に欣喜雀躍して褒めちぎり相手を疲れさせるケース。そして、その場を一人で楽しむ久一。目に浮かぶ。
「あぁ、久一なら今日は無理だ。書店で開かれるサイン会にもう一人の友人と出かけてるから」
現在、久一と充はセクシー女優のサイン会に参加している。今か今かと女優の登場を充が心待ちにしている時だろうか?
「そうなんだ。久一君って文学青年だったの知らなかった」
「知らなくていいことは、世界に山程あるのですよ」
男は皆んな、命尽きるまで性年である。
三人は車で一時間くらいかけて緑地公園に来た。大きな木の影が射す芝生の上に美雪は用意していたシートを広げる。真美はお弁当を並べてくれる。隼人はお茶を紙コップに注ぐ。そして準備が整い三人で昼食をとることに。
弁当の中は高校時代の隼人好みの物ばかり。鳥の唐揚げ、ハンバーグ、ウィンナー、とんかつ、海老フライ、ポテトサラダ。おにぎり。
「すげぇな、時間かかっただろ?」
弁当の中身を見て感想をこぼす。
「真美も手伝ってくれたからそんなにかからなかったわ」
美雪は真美の為に料理を取り分けてやる。真美は手を合わせてから、いただきますと元気よくハンバーグにフォークを刺す。
「真美ちゃん、料理上手なのね」
おべっかを献上して擦り寄るも、真美はハンバーグの次は唐揚げにホークを刺して口の中を動かしながら頷くに留めた。隼人のことはもう眼中にない様子。
隼人は料理を口にしながらいちいち大袈裟に美味しいねと訴えるも、真美は頷いて反応はしてくれるが隼人の方には目もくれない。食事に夢中というより戦闘中だった。
「どれだけ必死なのよ二人とも」
美雪は噛み合わない二人が滑稽で愛らしくて面白かった。
隼人は果敢に真美にアプローチを続けた結果、フォークに刺した唐揚げを真美から食べなさいと突き出された。王様が褒美を与えようとするみたいに。隼人はありがたく頂戴する。そして又も大袈裟に感謝の意を表すると、今度はハンバーグを突き出される。ここで隼人は「おやっ?」と気づく。これは真美からの黙って食えや! というメッセージなのだと。
「気づくのが遅いのよ」
美雪は呆れて笑った。隼人も一緒に笑った。真美は我関せず黙々と食事をすすめていた。
食事が終わり、横になった隼人は目を閉じて風に身を預けた。緩やかにそよぐ風が子守唄になる。青臭い匂いがする。土の匂いがそこに混ざる。意識が無意識との境界線を超えていく。どちらが主体か区別が無くなる。
真美が隼人の隣で同じように横になる。
二人はほんの少し昼寝をした。その間、美雪はどうしていたのか、目を閉じている二人には分からなかった。
頬を突かれて目を覚ますと、真美の手を持った美雪が悪戯っぽく微笑む。真美も空いた方の手で口を隠してクスクスと笑う。
「どれくらい寝てた?」
「三十分くらいかな」
「もっと寝てたような気がしたけど」
「うん、一時間くらい寝てたもの」
「えっ、悪いね、それは。その間は二人でなにしてたの?」
「真美が起きてから、二人でおしゃべりしたり、誰かがなかなか起きないから、草で顔をこそばしたりして遊んでたのよね、真美ちゃん」
真美は美雪を見上げて破顔する。心強い共犯者に守られながら屈託なく笑う。
「これは真美ちゃん、お仕置きだな」
隼人は体を起こして真美を高く抱き上げる。
「お待ちかねのアスレチック広場に行きますか?」
「はしゃぎすぎないでよ、二人とも」
隼人は真美をそっと下ろしてから広場に向かって駆け出した。その後を真美が追いかける。美雪はトートバッグに荷物をまとめながら頬を綻ばせた。
ブランコに始まり、ターザンロープ、雲梯、丸太ステップ、蜘蛛の巣登り、三角山登り、ロープ登り、ここで隼人はギブアップして美雪のもとに戻った。まだまだ登りものは残っていたが。
「ちょっと、登りもの多過ぎるわ!」
差し出されたお茶で喉を潤す。真美は丸太ステップがお気に召したようで、同じところを行ったり来たりしている。
「美雪は遊ばないのか?」
冗談のつもりで揶揄うと、憂いを宿した目で隼人の触れられたくない場所を的確に掴んだ。そして俯いた。
隼人はとても卑怯な手口だと思った。
「私って酷い女よね」
「とても残酷な女だよ美雪は」
隼人は何食わぬ顔で告げる。
「あの日は酷い目にあった。全部、美雪のせいだ。やっと文句が言える。よく耳の穴かっぽじって聞くように!」
隼人の言葉自体は遺恨の表明だが、声の響きはポップでひらりひらりと舞う枯れ葉の様だった。
美雪は隼人の言葉に首を縦にしたが、返事はしなかった。
隼人と美雪は高校を卒業してから進路の関係で住む場所が離れた。一年目は遠距離でも二人の関係は繋がっていた。
二年目の七月一日に美雪が一方的に別れを隼人に告げた。付き合い出してちょうど四年になる記念日だった。
美雪の気持ちが離れていくのを見て見ない振りでやり過ごす日々が幕を閉じた。美雪は隼人の方から別れを切り出すのを待っていたのかもしれない。おそらくそうだった。
徐々にお互いの連絡の頻度は減っていった。しかし自然に消えてなくなってしまうのが隼人はどうしても許せなかった。ともに過ごした時間を否定されるのが納得できなかった。
今は惨めでも、美雪と細い糸で結ばれていれば又どこかのきっかけでロープに縛り直せると信じたかったから。
誰を信じたかったのか? 隼人自身か?美雪か? 二人をか? 傲慢すぎないかそれは? 分からない。分からないものでも、とにかく信じたかった。
二人の時間が宝石ではなくても、ドブで輝くガラスの欠片だったとしても。光を失いたくは無かった。
「今までありがとう、最後にわがまま言って、ごめんなさい」
「どうしても気持ちは変わらない?」
美雪は返事をせずに通話を切った。
真昼間に振られた隼人は急病だと嘘をついてアルバイトを休んだ。その足で久一の住むアパートに連絡もせずに押しかけた。
隼人の住む場所からそう離れていない電車一本のところに久一は住んでいた。進路は違えど変化の無い関係がここにあった。
部屋のチャイムを鳴らすと久一がドアを開けて、びっくりしながら迎え入れてくれた。
「どうしたの?」
隼人は作り笑顔で答える。
「家にいたか、今日泊めてくれ」
「おう、十年でも二十年でも泊まってけやブラザー」
部屋に上がり黙り込んだ隼人に久一は、まだ沸かしたてで冷めていない、熱い麦茶を出した。
「あつ」
湯呑みを手にして隼人が手を引っ込める。久一は隼人の前に買ったばかりのジージャンを置いて説明をする。
「この形はファーストモデルで、前にボタンが四つしか無いんだ。ボタンの柄は月桂樹でドーナツの形をしてて鉄製。このポケットにもフラップが本来ならついてるけど、省略されてるのが大戦モデル。やっと手に入れたんだ。いいだろこれ? よく復刻できてる」
隼人はジージャンを愛でながらうっとりとする久一に美雪のことを告げた。
「美雪と別れた」
一言口から漏れると、そこからは貯水池が決壊したかのように感情と言葉が溢れかえった。貯水池の水の色は後悔がおおよそを占めた。
久一はジージャンに袖を通して腕を曲げたり伸ばしたりしながら隼人の話を聞いていた。
「その四年てのが長いなぁ。ワールドカップが二回やって来る。俺らの人生の約五分の一だ。わざわざ記念日に別れようなんて、ほろ苦いなぁ。風情がないよ。そんなことより、このジージャンにはチノパンと軍パンとどっちが合うと思う?」
久一はジージャンを脱いで床に置いて、チノパンをジージャンの下に並べる。腕を組んで、うんうんと顎をひき一人納得してからチノパンとカーゴパンツを入れ替える。
「チノパンだな」
久一はもう一度ジージャンを羽織って腕を曲げたり伸ばしたり始める。
「久一、俺はどうしたらいいのかわからないんだ。だから決めてくれないか?」
今、隼人が縋れるのは久一だけだった。目の前にいるのは久一だけなのだから。
久一は変わらず腕を曲げたり伸ばしたりとジージャンの皺入れに勤しまながら、片手間に隼人の相手をする。
「とりあえずだな、まだ熱い麦茶でも飲んで頭を冷やせ。それにまだ終わってないんだろ?」
隼人はどこか他人ごとで、腕の皺入れに精を出す久一に声を荒げた。
「お前聞いて無かったのか! 終わったんだ。全部、俺と美雪は、全部!」
久一は渋々と腕の屈伸を辞めて腕を組んで考え込む。隼人は久一を睨みつける。八つ当たりだ。
「そんなに睨むなよ、おっかねぇなぁ。お前の中ではまだ終わってないだろ? て言ったのよ俺は!」
隼人は久一の言うことは理解できる、がしかし二人という関係は片方が拒絶してしまえば終わりだ。どれだけ足掻こうと変わらない。変えられるなら、そもそもなぜ別れるという結末になる? 今が結ばれる為の別れであり通過点だとしたら? そんなマッチポンプみたいなことに意味があるのか。ある訳がない。断言できる。
俺は捨てられたのだと。
しばらく二人は沈黙する。久一はまた淡々と腕を屈伸する。
やがて思考が久一に追いついた。久一はまだ終わっていないと言った。それは二人の関係は足掻けば変わる可能性を示唆したものだと思った。縋れ、情けなくても、格好悪くても。そうしたのかと諭してくれたはず。
違う。そうじゃない。大きな間違いだ。久一は諭してなんかいない。諭す気もない。ただ、別れたことを消化しきれていないだろ? と言ったまでのことだ。別れを受け入れた振りをするなと。振りをするくらいなら、もう受け入れろ。
そういうことか。そういうことなのだ。
隼人は麦茶を一口して目を閉じた。
「当たって悪かった。女に振られた男達はどうやって明日を生きぬいてきたんだ?教えてくれよブラザー」
久一は女に負わされた傷は、女に癒やして貰うのが一番だと答えた。しかし安易に街に出てナンパなどするのは愚の骨頂だと。傷が増える一方で、さらに流れ弾で俺まで傷つくと。
ポテンシャルの高い隼人でも今のコンディションでは軽快なトークなどできやしない。見ず知らずの女を死に物狂いで盛り上げようと奔走しても、さすがに白けた面の女が並ぶとなると、計り知れないダメージを負う可能性がある。
ではどうするのか? と問うと久一はまだ銀行が開いているから金を有るだけ引き出してこい! 俺も付き合うと言った。
銀行には家賃光熱費を差っ引いた少ない仕送りと、安いアルバイトの給料があった。隼人は小銭以外の金を引き出して封筒にしまい、久一の住むアパートに戻った。
「いくらあった?」
「七万八千円、久一は?」
「ジージャン買ったから懐が寒くて悪いが、三万五千円」
「二人で十一万三千円か」
「一人約五万六千円だな」
二人はアパートを出て二つ隣の駅まで移動することにした。
店内は騒音で耳が壊れそうだった。並んだ椅子に大人が座りハンドルを握って前を食い入るように凝視する。台を殴る老人、中年、青年も散見される。
「俺、パチンコなんてしたことないし、もう帰りたいんだけど」
隼人が場に馴染めずにそうこぼす。
「俺もバイト先の先輩と二回打ちに来たことがあるくらいだけど、任せとけよ!」
久一が先輩面で告げる。隼人はさっさと終わらせたくて仕方がなかった。
「じゃあ、どれ打つのよ?」
店内をうろうろと久一の後ろを着いて回りながら訊ねる。
「これだな! 当たる確率が重ければ重いほど吐き出す玉が多い、ハイリスクハイリターンの台だ。先輩がいってたからな、この台は化け物だってよ」
隼人は不安になりながら、久一の横に座って遊技の説明を受ける。そしてサンドに金を入れる。
久一の提案は女で負った傷は女で癒すだった。しかし普通の女ではリスクがあり、下手をすれば追い打ちになりかねないと。さすればどうする? やはりそこはプロに癒やしてもらうのが手っ取り早い。黙っていても手取り足取りチヤホヤとしてくれる店がある。みんなで行こうキャバクラへ! 年上のお姉さんに甘へよう! その前に焼き肉だ! と言う計画から始まる。
そしてなぜパチンコなのか? それは久一曰く、今の隼人に負ける要素が一つも見当たらないからだと力説する。
まず人の運というのは平等であり、女に振られて起きたマイナスをゼロに戻すように運は動く。揺り戻し効果! 次に隼人はパチンコをしたことがない、すなわちビギナーズラックが起こる。
極めつけは神様はこういう時に助けてくれる。そうでなければおかしいし、そうでなければいけない。ドラマチック論。運命論。
資金が増えれば甘えたい放題わがまま放題。焼き肉食い放題という寸法だ。
隼人は馬鹿げていると反対したが、暗い想像なんてするなと一喝され元々情緒が乱れていたのも手伝って心が高揚し、やってやろぜと計画に乗ったのだった。
そしてわざわざ電車に乗って一番客付きのいい店にやって来たのだった。久一曰く、一番客が多いと言うことはそういうことなんだよ! だった。
「なぁ、久一? これ当たるのか? 物凄いスピードで金が減っていくぞ?」
「大丈夫だって、自分の右手を信じてくれ。とにかくお姉さんと焼き肉のことだけを考えて集中しろ! 雑念を捨てろ! 相手は機械だなんて思うな! 見透かされたらいい鴨だ。俺達の未来は多分明るい!」
二人は全てを失って店を出た。金は紙屑の如くサンドに吸い込まれていった。途中で辞めればいいものを久一のまだ大丈夫から、せめて取られた分は取り返すに変わり、ここまできたなら当たって砕けろになり、二人は木っ端微塵に成り果てた。外は真っ暗だった。
「冷静に考えるとだな、よく出す店は、それだけ客から搾り取るってことだな、あこぎな商売しやがってよ、何が最高の駆け引きを! だ。一方的搾取じゃねぇか」
久一と隼人は電車にも乗れずに歩きながら反省会を始めた。
「なんだろうな、神様はいないことが証明されたなぁ。女に振られた挙句に全財産失ってよ」
隼人は愚行の発起人である久一を責めもしないで、己の愚鈍さを痛感するばかりだった。
「いねぇよ神様なんて。運もくそもねぇよ。怒れよ隼人も、まさかお前はビギナーではなかったのか?」
憤りが収まらない久一に隼人は話題を変える。
「あとどれくらい家までかかる?」
「一時間くらいじゃないか?」
「遠いなぁ」
「あぁ、遠い。」
「腹減ったな? コンビニでカップ麺でも買って食いながら帰るか?」
二人は財布から小銭を出して数える。カップ麺二つ買うくらいは残っていたので、コンビニで買って湯を入れて、歩きながら麺を啜る。
「美味いな」
「女に振られて、金も失い、それでもカップ麺は美味い。幸せなことじゃない? 隼人、そう思わないか?」
「美談にすり替えるには無理があるぜ?パチンコなんて俺は一生しないからな! 焼肉もお姉さんもパチンコしなけりゃどっちもいけてたろ?」
隼人は常識的な意見を述べる。
「そうなんだよ、血迷うんだ。人生の選択を今日みたいに人はいつも。美雪だってそうだ、きっとそうだい! 世界は元々選択を誤る創りになってるんだ。不幸が渦巻いているんだ。地獄だこの世は地獄なんだ。それでも俺は諦めない」
久一は隼人にしたり顔をする。
「お前それ励まそうとしてるのか? 全く心に響かねぇよ。それより俺は明日からどうやって生きていけばいいのか、そっちの方が心配だよ」
残りのスープを飲み干して隼人は溜息をこぼす。
「大丈夫って言ったろ?」
「何が?」
久一もスープを飲み干す。
「今日は仕送りが振り込まれて無かったけど、明日には振り込まれてるはずだからお前に二万千円は返せるし、そのうちバイトの給料日も入るだろ」
「金返してくれるの?」
隼人はしっかりと保険を掛ていた久一に笑けてきた。
「自分で使った分はそりゃ返すよ。本来はお前も俺も小金持ちになるはずたったけどな。泣けてくるぜ」
隼人は笑いを噛み殺しながらお願いする。
「給料日まで毎日晩飯食わしてくれないか? 二万ちょっとじゃ生活に支障が出るから」
久一は投げやりに返す。
「パチンコ屋のトイレに張ってあっただろ? 生活に支障が出るまで遊技してはいけないって覚えとけよ」
「お前なぁ」
「あぁ、わかったよ。言いたいことはわかるよ。でも、人のせいにしたってどうしようもないよね? 選択したのは自分だもの。いいよ、いいよ。毎日でも四六時中でも食わしてやるよ。ただしメニューはペペロンチーノとサラダだけだぞ文句言うなよ」
「チキンは?」
「偶にな!」
「照り焼きで!」
「駄目だ、洗い物が面倒くさい。フライパンにこびりついた汚れが見えにくいんだよ、照り焼きとかは特に」
二人は長い家路をゆっくりと歩いた。途中でトイレに立ち寄った公園のゴミ箱に食べ終わったカップを捨てると、中から野良猫が飛び出して二人を驚かせた。
どういうわけか久一が突然無言で走り出した。隼人も後を追いかけた。すれ違う人達が不審な目で二人を見やる。
走りながらこれは久一の思惑のない悪ふざけだなと思った。
隼人はことの顛末を話し終えて美雪に謝罪を要求する。困ったような、呆れたような、笑いを我慢したような、馬鹿にするような、見下したような複雑な顔の美雪が言う。
「それって私がわるいの?」
隼人は笑う。笑う以外にない。美雪にも笑って欲しい。そういう話だから。
「久一風に答えると、形而上学的にはそうなるね」
「ごめんね隼人、本当に意味がわからない、形而上学って何?」
美雪は笑ってくれた。
「ごめんと一言いま頂きましたから、あの日の二人も浮かばれるでしょうよ」
角度の違う謝罪を都合よく解釈する。
「ありがとう、隼人君」
あの日の二人に伝えたいことがある。ギャンブルは程々に。後はまぁ、自分でなんとかしろと。
真美は二人が話し込んでいるうちに他の子達と仲良く広場を走り回っていた。もうそろそろ帰り支度の時だ。
「連れて来るよ」
隼人は立ち上がった。
「かけっこが楽しかったのって幾つまでだったか覚える?」
美雪の意図するものが隼人はわかった。
「覚えているよ」
「私はもう忘れてしまってるかな」
「少しずつでいいと思うよ」
そう残して隼人は真美のもとへ向かう。隼人は覚えている。けれど思い出さないだけだ。
三人は帰りの道中ででファミリーレストランに立ち寄った。
美雪は隼人の帰りが遅くなるのを気にして遠慮したが、真美は寂しそうな雰囲気を醸し纏って大人しく助手席にいた。
隼人はハンドルを切ってファミリーレストランの駐車場に突っ込む。真美はぱっと隼人を見上げる。真美の雰囲気が華やぐのを隼人は感じた。
「もう」と呟く美雪に「ふん」と鼻息で隼人は返事した。真美は手を叩いて返事した。
レストランの席に着く。隼人の横に真美が座り、正面に美雪が座る。真美はお子様ランチを隼人はチーズハンバーグを美雪は和御膳を注文する。
「渋すぎるだろ? ファミレスで和食? いいけどさ」
「歳を重ねるとこうなるのよ、隼人も早く大人になりなさいな」
隼人の軽口を美雪は軽口で返す。隼人も美雪も確実に歳を重ねている。美雪と過ごした時間は四年間、別れて過ごした時間は四年以上あった。そして今、美雪と美雪の娘と三人で食事をする。この先も自分の未来は見当もつかないなと隼人は思った。
「ちゃんと野菜も食べなさい」
真美はフォークに刺したトマトを隼人の口元に突き出した。隼人は口に入れる。そしてハンバーグを切って真美にお返しする。真美は微笑んで次はキュウリを隼人に突き出す。隼人は口に入れて、ハンバーグをお返しする。目の前で行われるアンフェアトレードに美雪が真美に注意する。しかし二人のアンフェアトレードは食事が終わるまで続いた。
隼人は美雪の住むマンションの前で車を停めた。真美は遊び疲れて眠っていた。丁度いいと隼人は落ち着いた口調で美雪に語りかけた。
「なぁ美雪、あの時の俺は幸せにできなかったけど、今の俺ならできるなんて都合いいことは言えない」
美雪は拒絶する様に答える。
「聞きたくないよ、そんな話」
隼人は誤解を解くように訴える。
「聞いてほしいんだ。そんな気持ちはもうないんだ。未練も情も、もう無くなったんだ。あるのは、心配というか、難しいけど、もし期待させたなら、すまない」
美雪は隼人の言葉を最後まで聞かずに車を降りてドアを閉じる。助手席のドアを開けて真美を抱いて降ろす。真美は眠そうにしながら美雪と手を繋ぐ。
美雪はドアを閉める前に隼人の名を口にした。
「隼人、ありがとう。わざわざチャイルドシートまで用意してくれて。今日一日楽しかった。それと一つだけ忠告してあげる。男の自惚れはかっこわるいよ、おやすみ」
美雪はマンションの入り口に向かう。
隼人は時間の流れの中で美雪のことを想う時間は次第に減っていた。去年は一度も思い出してもいない。一昨年も思い出していなかっただろう。ずっと思い出していないはずだ。
しかし再会した時に連絡先を訪ねたのは隼人の方だった。美雪はおそらく隼人に少なからず罪悪感を抱いていたのだろう。邪険にはしなかった。
隼人はなかなか連絡してこない美雪にやきもきした日々を送ったのは確かだった。間違っている。どこが間違っている? 過去のような熱量はない。未練も特にない。なのにどこが引っ掛かる? もう、会わないのか? 会えないのか? それでいいのか。後悔しないのか。とりあえず、とりあえず。とりあえずでいい。
隼人は車から降りて、マンションの玄関口に到達した美雪に聞こえるように声を張った。
「また、直ぐに連絡するから」
隼人に気づいた二人は軽く手を振ってマンションに消えていった。
隼人は答えを見つけた。どうして連絡をしてこないのか、だと? 馬鹿野郎、どうしてお前が連絡をしないんだ? 馬鹿野郎。熱量がないからどうしたのだ、細い糸でも縋りたいなら縋ればいい。布も始まりは糸だ。糸の始まりは植物の繊維とか虫の繭とかよく知らないけれど。そんなだろ?
隼人は帰宅してから、すぐに美雪に電話を掛けた。出て欲しい、と願い、出てくれると信じて。
「もしもし?」
願いは偶には叶う。神様は機会くらいは用意してくれるのかもしれない。
「なぁ、美雪、今日の反省会だ。俺の悪かったところを教えて欲しい」
美雪からの返事はない。
隼人は黙って待った。そして隼人は女という生き物を少しだけ分かった気がした。
「今日は、真美を甘やかしずきだったわね」
二人は東の空が白むまで話した。話した内容はくだらないものばかりで、話にならない。
ここまで読んで頂き有難う御座います。次回は本当にくだらないお話です。