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徒然と紡ぐ日の影  作者: 村街マイク
2/12

蛸と烏賊と未来線

未来線は選択一つで変わる。

 カウンター席のみの小さな居酒屋があった。場所は駅前ビルの地下を降りてすぐ。そこには仕事を終えた人達が旨い酒や肴を求めて日々やって来る。


 カウンターの奥の席には高校時代からの悪友が二人、社会人になってからも連んでおり、酒を交わしながら陣取っていた。

 この後、もう一人やってくる友人の席を空けて二人は待っていた。


 その人物は社会に出てからの付き合いであり、片方に紹介された時に妙に馬が合った為に三人で連むことが増えた。


「今日のニュース見たか?」

 隼人が久一を今日呼び出した真意を訊ねながら続ける。

 「あの試合で上手くいってれば、あそこには俺かお前がいたかもしれないんだぜ?信じられないよなぁ。あんなところに夢があったんだ。それなのに俺たちは夢に気づかないまま、夢に振られたんだ!」

 隼人はつきだしの山芋と胡瓜の辣油和えを口にしながら遠くを見る目をする。

 それは久一と共に汗を流した過去を振り返ってのものだ。

 「無理だろう? あそこで優勝してても全国大会じゃあ通用したかわからないしさ。あいつのチームはベスト4まで進んだからこそだろ?」

 久一も隼人と同じ考えを共有しないわけではないが、考えたところで現実は変わりはしない。嫉妬したところで相手に届くこともなく虚しいだけだと。

 そんなことするくらいなら、冷蔵庫の整理をしたり、横になりながらあやふやな空想に耽る方がましではないかと思った。

 しかし隼人と同じくニュースを知った瞬間は嫉妬心が強く疼いたのは事実だった。


 「この先どう転んだらスーパーモデルと熱愛発覚出来るの? 今からどこかのクラブチームが俺達にオファーするか? もう俺そんなに動けねぇよ、外周走りたくねぇよ」

 隼人はジョッキを空にして、おしぼりで口もとを拭った。

 「お前はキーパーだから横っ飛びさえできればチャンスはあるよ。俺の方こそ無理だね。今の戦術だとボールも貰えないのに走り回らないといけないからさ。それにもう外周なんて走りたくねぇよ。来世はソフトテニス部に入ってゆるゆるやるんだ」

 久一もジョッキを空にして後頭部で手を組んだ。

 「いやいや、お前あってのチームだっただろ? 思い出せよ、自信持てよ14番」


「それこそお前あっての決勝戦だっただろ? 忘れないぜ、ファインセーブの数々、最後はPKで、まぁ負けたけど、なぁ1番」

 二人は過去に思いを馳せる。

 「でもなぁ、俺が止めてたら、スーパーモデルと熱愛があったんだよ。それは未来線の俺に託すしかないのか? 託したところで、今の俺に恩恵ある? ないよね? ねぇ久一ちゃん?答えてよ、ねぇねぇ」

 隼人は4次元的思考とでも言えばいいのか、答えのない質問を久一に投げかけた。

 久一はこの手の話題を非常に好む傾向がある。もしもの話、そのもしもの話は実現しないのだけれど。

 「そんな未来線があったなら俺ならまずモデルなんてごめんだね。とりあえず女優さんと付き合っちゃうね。とりあえず女優さんから始まって次はグラビアアイドルから女優に転身した子と付き合ってからの。いや、まてまて、日本代表だからって女優さんと付き合えるとは限らないよな?」

 隼人は久一の思考と言動を好み、月日と共にし体に染みこましていた。朱に交われば赤くなるという。

 「馬鹿! 付き合えるよ。そういう未来線なんだから。なんだって起こりえる未来があったんだよ、あの頃の俺達は。履き違えるなよ、そういうルールだ」

 久一はルールを理解した上で返す。

「なら今の俺達はその未来線から弾かれているから、女優とはこのままではいつまで経っても付き合えないってことだろ?悔しいですよ、切ないですよ、情けないですよ、僕だって女優さんと付き合いたいですよー、どこかの道端に女優さん落ちてませんか?」

 久一はカウンターに被さるように伏せておどけてみせる。

 「拾って人生の1割くれるなら探しに行くのもわるくないけど、それは他の俺に託して飲もうぜ、マスター、デュアーズ12年ソーダ割りお願いします」

 隼人はジョッキを下げやすい場所に移動させてメニューが書かれた黒板に目を向けた。

「もうハイボールいくの? じゃあ俺はジョニクロと見せかけてのターキー8年でお願いします。それと紋甲烏賊の天ぷらも」

 久一は店のマスターにフェイントをかけながら迷惑な注文の仕方をする。

「いいね、じゃあ俺は蛸の唐揚げお願いします」

 隼人もつられて揚げ物を頼む。

 「君達、同じ揚げ物なら一緒の品を注文してくれたら助かるのになぁ、別にいいけどね」

 マスターは冗談のように本音を交えながら隼人にカウンター越しにハイボールを提供してから、ひょいっと小皿を下げた。


 この店のマスターは気さくで冗談の通じる人物なので、三人は居心地が良すぎて度々長居をしては迷惑をかけるのがつねだった。

 

 二人はハイボールで二度目の乾杯をしてから同じ様に過去の記憶の海に身を委ねた。


 十数年前の隼人と久一は歴としたスポーツマンだった。

 今では仕事終わりに飲んだくれて度々気づけば部屋で吐瀉くまみれだったり、靴をどこかに片方無くしてしまう。どうしようもない大人の未来線を歩いている。

 しかし、本当に県大会の決勝を勝ち進んでいたならば、プロも夢ではなかったかもしれないと思うと、やり場のない靄を抱えることがあった。

 そして大会の決勝で敗れた相手の選手がモデルと熱愛宣言したことをニュースで知った二人は嫌でもあの日のことを思い出してしまうのだった。

 「マスター、ブロイラーじゃなくて若鶏の唐揚げください」

 隼人が注文を言い直すと、

 「このブロイラーという呼称が悪で若鶏が正義みたいな風潮嫌いだなぁ。ブロイラーってなんか熱いレスラーみたいで良くないか?」

 酒も入り意味不明なことを久一が言う。

「お前、熱いのはボイラーに引っ張られすぎたろ?」

 と隼人は出てきた紋甲烏賊の天ぷらに檸檬を搾った。そして久一はいつもの言葉を口にする。

「あの、勝手に頼んでもないのに揚げ物に檸檬とか搾る人とか、カレーライスを食べる時に全部かき混ぜて食べる人とか、嫌い。とか言う人、嫌いやわー」

 隼人は火傷しないように口に烏賊を入れながら返す。

 「分かるわー、そもそもお前のことが嫌いやわー、オブラートに包むとお前のこと嫌いかもしれへんわーやわー」

 このまどろっこしい無意味なやりとりは高校時代から10数年忘れることなく二人の間で続いていた。

 勿論、蛸の唐揚げが出てきた時は隼人が同じやり取りをはじめる。そんな二人を見たマスターが「君達のこと、もしかして嫌いかもしれへん」と合いの手を入れるのだった。


 「今日勝てば全国大会だ。気合い入れていくぞ」

 二人の所属するサッカーチームの主将が円陣を組んだ後にメンバー全員に大声で喝を入れる。二人も答えるように大声を上げる。離れた所で女子マネージャーが胸に手を当てて祈るように見守っている。


 二人の未来線が小さな居酒屋で嫉妬混じりにいじけるのが決まったその日。


 試合は膠着状態のまま前半を折り返した。お互いにチャンスを活かせずに無得点。後半戦は押し込まれる場面が多く見られたが、危ないところを隼人のファインセーブなどもあり延長戦へと繋げる。 


 延長戦開始直後、ほんの一瞬、消耗した相手に綻びが生じた。パスミスを見逃さなかった久一はサイドを駆け上がる。インターセプトした仲間が久一にパスをくれる。

 久一はフリーのままサイドから切り込んでいく。残りの体力など気にしている場合ではない。気持ちと足が加速する。9番がディフェンスラインを突く動きを見せる。すかさずパスを出そうとした時、「おい!」とボランチのポジションから駆け上がって来た主将が手を上げてボールを要求した。どちらが正解か迷いが生じた。

 結果、抜け出す9番にパスを出さずに主将にボールを戻す。9番に出すのがセオリーだったが、延長戦というのを考慮した結果だった。

 9番がバックを振り切れても一人でフィニッシュまで持っていけるかどうか疑わしい。カウンターされれば中央ががら空きになる。ならば一度ボールを下げて立て直しながら周りが前線に上がるのを待つ方が賢明だと判断したからだ。


 久一は主将にボールを回す。そして空いたスペースに走り出した時に自信の目を疑った。何故なら無謀にも主将はミドルシュートを放ったのだから。

 ボールはゴールポストの遥か頭上を飛び超えていった。ふかしたのだ。チャンスの前のチャンスがあっけなく消え去った。好きになったバイト先の子が次の日に急に辞めたみたいに。

 主将は悪びれた様子もなく手を叩きながら「ナイスファイト、ナイスファイト」と下がっていった。

 チームの戦略はボールを回しながらマークの隙をつくというのが共通認識のはずだった。それなのに主将は単独判断で一つの可能性を捨てたのだ。延長戦開始直後といえ残り時間も僅かなのに。

 久一は怒りを抑えながらも懸命に守備に攻撃に尽力する。けれども結果は伴わない。隼人も危ないところを何度も指示をだしたり、自らの体を張ってゴールを守り抜いた。

 そして延長戦の終わりの笛が吹かれる。

 試合はPK戦にもつれ込んだ。コイントスの結果、二人のチームが先行で蹴る。

 一本目は8番、ゴール左隅に難なく蹴り込む。相手も同じく左隅に蹴り込む。二本目は主将が左上に蹴り込む。相手も外しはしない。

 三本目、9番が相手のキーパーに読まれて止められる。隼人は落ち込む9番の為、チームみんなの為、そして自身の為に気合をいれてゴール前に立ったが、相手側のコースを読みきれずゴールを許す。悔しさから地面を叩く。

 四本目、久一が右隅に力強く叩き込む。相手も同じく右隅に、久一とは真逆のゴロで蹴り込む。技巧的な一蹴りだった。

 完全にタイミングをずらされた隼人は空を見上げながら、次の一本は必ず止めると自身に誓いをたてる。

 五本目、7番の蹴ったボールはゴールポストに振られる。そして試合は終了。


 隼人の誓いは守られず、隼人は膝を抱えた。

 久一は7番が外した瞬間に9番を見た。9番が一瞬ほっとしたような顔をしてから悲しむ様を表すように項垂れて7番の肩を抱きに駆け寄った。そんな9番を責める気が起きなかった。ただ終わったのだと思っただけだった。


 隼人は久一とは違い、誓いを果たせなかったことを悔いた。一本でも止めていれば、一本でも相手が外していてくれれば、次は必ず止めていたのにと。次はないことを知りながら、次を求めてしまっていた。


 試合が終わり、ロッカールームには声を殺して泣くメンバーや鼻を啜るメンバー達。誰も着替えようとしなかった。後輩達も気を使って愁傷な面持ちで整列していた。隼人も同じように俯いたままだった。

 顧問はできるだけはやく着替えてロッカーを開けるようにと残して出ていった。顧問も悔しかったのだろう。特に慰めもなかった。なくて良かった、これ以上皆んな惨めになりたくなかった。敗北から学ぶにはまだ時間が必要だった。


 久一が一番最初にユニフォームを脱いだ。そして近くにいた後輩に手渡す。

 「お前ら頑張れよ」

 そう声を掛けられた後輩はユニフォームをぐっと掴んで弱々しく答えた。

 「先輩の14番貰っていいですか?」

  久一は込み上げるものがあった。あったからこそ誤魔化した。

 「おいおい、14番じゃなくてお前は10番を背負う器だろ? 謙遜すんなよ」

 後輩は潤んだ瞳で久一に答える。

 「14番が欲しいです」

 久一はパンツを脱ぎながら後輩を見ないで語る。

 「そうか。お前わかってるなぁ、俺の神様の背番号は14番だったんだ。昔の選手だけど、知ってる?」

 ジャージ姿に着替え終わろうとした時に足に痛みが走った。痛みの原因は疲労ではなく、スパイクを投げつけられたことだった。投げつけた相手の方を久一は振り向くと主将が泣きながら声を荒げた。

 「お前空気読めよ、ふざけんな。前から思ってたんだ。へらへらと練習中も合宿の時も普段から後輩達と馴れあいやがって」


 主将は後輩に常に厳しかった。主将としての立場として正しかったのかもしれない。かたや久一は後輩達に馴々しく接しながら楽しい部活動を送っていた。

 今この状況で後輩に八つ当たりするのが主将として正しいのか? 空気を読め? 合宿の時? 久一は主将の言葉に萎縮した後輩の姿に怒りを覚えた。

 「言ってやれよ、もうお前は主将じゃねえよって」

 畏れ多いとばかりに後輩達は返事も頷きもしない。

 「何様だ!」

 片方だけのスパイクを履いた主将が久一に詰め寄ってきた。誰も止めようとはしなかった。

 「お前の方こそ何様だ? なんだあのクソみたいなミドルシュートは? チョモランマにでも届けるつもりだったのか? 下手くそは黙って空いたスペースに走って囮になってろ。それと合宿の時のことまだ根に持ってたのかよ? それでもおかしいのは、お前だからな人の善意と食い方に口挟むなよ、下手くそ」

 「ふざけるな」

 主将が久一を殴ろうとして腕を振るう。しかし殴りかかるのが見えていれば避けることも可能だ。拳を避けられた主将はさらに怒りを込めて久一に襲いかかる。そこに二人の後輩が割って入って主将を後ろに引く。二人は合宿のときに久一に救われた者達だった。


 それは合宿最終日の夕食の時だった。運ばれた大皿には唐揚げが山盛りになっていた。主将の近くに座った後輩が気を使って皿の端に置かれた檸檬を唐揚げに搾った。すると主将が怒鳴りつけた。

 「なんで勝手に檸檬をかけるんだよ! 皆んなが皆んな檸檬をかけたいと思うなよ。かけたいなら小分けにしてからにしろよ。使えねぇなぁ」

 後輩はびくつきながら半泣きで何度も謝罪させられていた。隣のテーブルだった久一は説教途中の後輩を読んで自身の前にある手の付けられてない皿と交換するように指示した。

 こんな空気で食事をするべきではないからだ。周りにいたメンバーに異議はなかった。隼人だけは笑っていた。


 後輩が檸檬を搾った唐揚げを口にして久一は嫌味たらしく大声を出す。

 「うめぇーこんな美味い唐揚げ生まれてはじめてかも。もしかしてお前の指から未知なるスパイスが抽出されてるのか? 将来はカレー屋さんだな」

 久一の一言に悪のりした隼人も声を上げる。

 「もっと搾れよ、ここの檸檬全部搾り尽くしてくれ、頼むよ、お前のことこれからスパイシージョーと呼んでもいいか? ジョー」

 周りのメンバーも乗せられて美味い美味いスパイシースパイシー、ジョー、ジョージ、ジョーと声を上げて笑った。

 主将が舌打ちをするのを気にも止めない。後輩は檸檬を搾りながら恥ずかしそうにスパイシージョーの名を受け入れる。席を立った隼人が後輩の席にあったカレーライスの皿を持ってきて空いていた席に置いた。

 「お前ここで食えよ。俺のカレーの味変の時にソースかけてくれるだけでいい。願いを叶えてくれるよなジョージ? 俺は、お前のスパイスなしでは生きていけない」

 と言って後輩を座らせた。


 この後は何事もなく食事は終わるかと思われたのだが、又も当てつけのように主将が後輩をいびった。

「汚ねえ食い方するなよ! 見てるこっちの気にもなれよ。我慢しようと思ったけど無理だわ」

 次はカレーライスの食べ方にケチをつけた。全て混ぜて食べるスタイルが気に入らないらしい。

 どうしてこんな奴が主将なのか、サッカーはチームワークではないのか? 

 主将はサッカーが下手ではないが特別上手いわけでもない。もちろん人望があるわけではない。しかし顧問に気に入られてはいる。それだけで主将が決まるわけではない。主将は一学年上の先輩達が引退した後に、先輩達が選出するのだった。

 先輩に媚を売りとり入るのがスマートだったというだけの話。


「いい加減にしろよ、くだらないこと言ってないで黙って食えよ。飯が不味くなる」

 久一は我慢の限界で主将に食ってかかった。主将は椅子を倒して立ち上がって久一の席に向かって来た。

 久一は下から主将を馬鹿にしたような目で見上げる。主将は久一の胸倉を掴んで立ち上がらせようとした。周りに緊張が走る。二人はどちらも引かずに睨み合う。

 隼人が主将の肩を叩いて間に入った。

「キャプテンも馬鹿じゃないだろ、引くに引けなくなるのも分かるけど、今は引きどきだろ? じきに大会が始まるのにしょうもない揉め事はやめにしないか?」


 主将は久一よりも隼人のことを買っているらしく、「あぁ、悪かったな隼人」と残してすぐに席に戻った。

 気の収まらない久一は立ち上がって殴りつけてやろうとしたが、椅子から立てないように肩を隼人に抑え込まれた。

 「美味しく食べような」

 隼人はそうこぼした。その後、久一が落ち着いたと判断して席に。後輩が「ソースかけましょうか?」と久一の機嫌を伺う。

 「とびきりスパイシーに頼むジョー」

 後輩がドボドボとカレーライスにソースをかける。

 「ストップ、サンキューでーす」

 久一はそれをこれ見よがしに乱雑に皿全体にかき混ぜる。主将が嫌がった食べ方だ。同じように隼人も真似る。空いた席に連れて来られた後輩も近くのメンバーも真似する。サッカーはチームワークだ。

 元々食べ方にけちをつけられた後輩はお代わりして、又も全てぐぢゃぐぢゃにかき混ぜながら食べている。

 それでいい。その姿を見て久一は一息置いて主将を見逃してやろうと思った。


「帰ろうぜ」

 着替えもせずに荷物を纏めた隼人は久一と主将の間に入った。後輩二人は安堵して主将から離れた。

 「お前着替えないのか?」

 不貞腐れながら久一は言う。

 「余韻を味わいたいのよね」

 隼人は主将には言葉を掛けずに久一と肩を組んでロッカールームから出て行った。

 「あいつには声かけなくてよかったのか?」

 「もう主将じゃないからいいでしょ?」

 隼人が笑いながら言う。

 「お前って、ドライ過ぎない?」

 

 二人は互いに過去を振り返ったり後、減ったグラスをぶつけた。

 「俺らのチームでは、やっぱりどう転んでも負けてたわ久一ちゃん」

 隼人はそう結論を出した。

 「いや、俺が選択を誤らなければPKまでもつれ込まなかった可能性がある。でも次があるなら、サッカー辞めて一緒にソフトテニス部に入ろうぜ」

 久一はそんなことを言う。

 「いいね、次はソフトテニスだ! 次なんてないけどね」

 隼人は笑う。

 「もっと夢をみさせてよ」

 

 二人は引き戸が動くのを見て充が来たのかと目をやる。同年代の女性客が一人立っていた。二人の席を一つあけて座るとマスターはおしぼりを渡して注文を取った。

 マスターと親しげに会話する様子から常連の一人に思われた。久一達も常連だが、顔を合わせたことはなかった。おそらく通う曜日が違うからだろう。本来久一達は木曜日か金曜日だが、急遽隼人の集合命令で集まったのが火曜日だ。隼人は熱愛ニュースを見て、いたたまれなくなり二人を呼びつけたのが今日という日。

 隼人は女性を美人だなぁと思ったが久一に告げなかった。久一はどこにでもいる風の女だ、二度あっても覚えてないだろうなぁと気にも止めなかった。


 マスターに女は、烏賊の天ぷらと蛸の唐揚げとどちらがお勧めか訊ねて、マスターはメニューにない、烏賊と蛸の刺身の盛り合わせを特別に作った。

 「なんか狡いなぁ、美人は得だなぁ」

 隼人がそうこぼした。久一はそんなもんだよと言わんばかりに「蛸と烏賊どっちが強いか知ってるか?」と隼人に投げかけた。

 どちらが美味いではなく、強いか? 久一は何を言っているのだろう? 酔いが回っているのだろうか? 呼び出した手前付き合ってやらないと悪いかな? そう、いつものことか。 


 隼人は烏賊の天ぷらを注文したから烏賊派閥ということにした。

 「そんなの烏賊に決まってるだろ? これ、常識」

 「それはどうかな?」

 久一は人指しを横に振って隼人をにやりと見た。


 我が烏賊王国に対して墨を吐く輩が又も現れた。性懲りもなく足を奪ってやってもだ。

 「代表、どうされますか? お会いになりますか?」

 烏賊補佐官は嘴を尖らせて烏賊代表に告げる。

 「かまわん、通せ。タコ殴りにしてやるわ!」

 悠々と8本の足を器用にくねらせた蛸代表が烏賊代表の前に通された。

 「どのようなご用件かな、蛸殿」

 蛸代表は一つの足の吸盤を高く上げて尊大な態度で宣言した。

 「我々の闘いに終止符を打ちに参りました」

 高く伸びた足には規則正しく並んだ吸盤、その足に思わず烏賊代表は心を奪われそうになる。

 「代表、気を確かに」

 烏賊代表にアオリイカが声をかけた。アオリイカはその美しい姿により烏賊代表の心を我がものにしていた。恋する者の前で醜態を晒すわけにはいかぬと烏賊代表は我に返った。

 「美しく並んだ吸盤を見る限り、其方は、雌だな」

 烏賊代表は威厳のある声で蛸代表に問う。蛸代表は顔を赤く染めて答える。

 「お褒めに預かり光栄です。私は九つの脳で導き出した結果、本来我々は争う必要がないのではないか? という結論に達したのですが」

 蛸代表が話終わる前に烏賊代表が言葉を被せる。

 「ぬるいことを! 数々の歴史を其方のふと思い立った考え一つで覆せるわけも無かろう。それに九つの脳とか言って我々を小馬鹿にしおって。けしからん連中だ」

 烏賊代表が蛸代表を袖にすると周りの景色が変わった。

 「烏賊如きが生意気な、いつでも取って喰えることを忘れるな」

 擬態していた蛸達が姿を現す。そして烏賊代表を取り囲む。本来、蛸は単独行動を好むのだが、ここでは些細なことだ。

 驚きで烏賊代表は後ろに飛び退きそうになるのを耐えてから、余裕のある態度をとる。

 「周りをよく見てみろ」

 蛸代表を囲むように擬態していた甲烏賊部隊が現れる。

 「こうなっては争いは避けれませんね。武力と知力を集結させ、どちらが優れているのか白黒つけましょう」

 怒りに任せて蛸代表はその場で墨を吐いて安全圏に逃れた。


 戦力勝負となれば勝ったも同然とばかりに烏賊代表が招集をかける。被害は最初から少ない方がいいに決まっている。

 「いでよ大王イカ」

 とんでもない化け物を初撃で披露する。

蛸達は身を固くする。慌てて烏賊補佐官が烏賊代表に告げる。

 「今大王は、鯨と真っ向から戦闘中とのこと。出陣できません!」

 「あのデカブツめ。いつもしょうもないことばかりしてくれる! くだらない奴だ! いらん。出番だ、槍と剣先、暴れてこい」

 投じられた槍のようにヤリイカがスッと前に出る。ケンサキイカが蛸代表に斬りかかる。蛸代表は九つの脳を働かせるが間に合わない。又も昔話のように烏賊に苦渋を飲まされるのかと諦めかけた刹那だった。

 「代表、軟体動物最強の脳が泣いてますぜ!」

 巨大な足で槍と剣先を掴んでくねくねと踊る蛸が蛸代表の前にいた。

 「ミズダコ! 来てくれたのね!」

 ミズダコは蛸代表の招集を拒否した。なぜなら、どう考えても大王イカ相手に戦うなど正気の沙汰ではない。しかし蛸代表のことが気にはなっていた。告白され、一度は断った相手が気に掛かるそんな感じで。こっそり着かず離れずの距離に身を潜めて様子を窺っていたのだ。蛸のお得意技だ。

 

烏賊代表は動じながら墨を少し吐いた。心配そうにアオリイカが烏賊代表の側に寄る。アオリイカは二本の長い足で烏賊代表のエンペラを撫でる。そのアオリイカの心使いに感謝の念と、闘志が湧いてきて怒号を発する。

 「戦えるものは今すぐここに集合! 直ちに蛸どもを殲滅せよ!」

 戦場に光が差した。ぽつりぽつりと。その光景に烏賊補佐官が嘆いた。

 「ダメです代表、本来ならばここは勝利の光で煌々と輝くはずだったのですが」

 状況が掴めず、烏賊代表は怒りを込めて烏賊補佐官に説明を求めた。

 「どういうことだ!」

 「ホタルイカ達の殆どが例年同様、浜に打ち上げられてしまいました」

 「またか! 毎年、毎年学習能力のない奴等め!」

 烏賊代表の言葉に集まったホタルイカ達は萎縮し失望し光と戦意を失くしてしまった。完全に烏賊代表の失策だ。味方のモチベーションを著しく削ぐ一言。

 知力の差がここに出る。この隙を蛸代表が見逃すはずがなかった。今の蛸代表は水を張った桶のように漣一つない境地から戦況を俯瞰して二つの策を打ち込む。


 「行きなさい! 飯蛸達。相手はあなた達より小さいわ! 日頃の劣等感を晴らす良い機会よ」


 蛸代表は飯蛸のひた隠しにしてきた劣等感をわざと刺激して奮起させる。下劣な行為だ。下劣ゆえに毒物のように効果があった。さすが九つの脳を持つだけはある、その中の代表だ。腹の中は墨よりも黒い。

 飯蛸達はホタルイカ達に襲いかかる。その乱戦はお互いに体が小さいので迫力に欠けるものがあった。ペチペチとしょうもないものばかり。多少なりとも飯蛸の方が大きいので蛸勢の優勢だった。しかしここで蛸代表の思惑が外れる。

 一匹のホタルイカが物凄い光を放ちながら飯蛸をタコ殴りにしはじめたのだ。

 「てめぇ、調子に乗りやがって、よく見りゃ俺より小さいじゃねぇか!」

 これは個体差だった。ホタルイカの中では大きな方と飯蛸の中では小さな方がマッチアップした結果、一進一退の攻防戦が繰り広げられたのだ。周りで戦っていた者達は争うのを一時辞めて、二人の戦士が誇りを賭けて絡み合うのを静観しだした。

 ペチペチと殴り合ってはちょろっと墨をお互い吐く。ペチペチ、離れる、ペチペチ、離れる。吐く。ペチペチ。吐く。離れる。吐く、ペチ。

 場の空気が冷めていくのを烏賊蛸両代表は肌に感じた。

 烏賊代表自身、なにをしているのか分からなくなりだした。思考停止寸前だった。 蛸代表の一つの策はまさかの失敗に終わったが、二つ目の策はまだ生きていた。

 二つ目の策は非常に運がよかった。本来ならば烏賊軍を制圧した後に停戦を促す予定だったが、ちっぽけな死闘を前にしらけた両軍の空気に停戦を持ちかける方が効果的に思えたからだ。

 

 「もう終わりにしませんか? 今更感が凄いですが、目の前の争いを目にしながらもう一度よく考えて下さい。我々が争う意味がありますか?」


 烏賊代表はホタルイカと飯蛸の死闘の最中にそれがどうでもよくなりすぎて、アオリイカに愛の告白をした。アオリイカは即答で愛の告白を受け入れた。はなから二人は相思相愛だったのだ。それならもっとはやくに愛を告げるべきだったと悔いたが、今はアオリイカへの気持ちで一杯だった。 烏賊代表ではなく、一烏賊の烏賊としてアオリイカの為に烏賊生を捧げようと決意した時に蛸代表に話しかけられた。

 「私の話聞いていましたか?」

 蛸代表が烏賊代表に近寄る。

 「すまぬ、急に話しかけられたから、びっくりして聞いてなかった」

 烏賊代表は謝罪する。本来烏賊が蛸に謝罪するなどあり得ないこと。しかしアオリイカと結ばれたことで烏賊代表は充分満たされていた。アオリイカ以外のことはどうでもよくなっていた。

 「もう一度いいますよ!」

 「ちょっと待って、補佐官!」

 烏賊代表は補佐官をその場に呼びつけた。補佐官はどうしましたかと側に陣取る。

 「補佐官にお願いがある」

 「なんでしょうか?」

 烏賊補佐官は訊ねる。

 「代表変わってくれないかな? お願いお願い!」

 「えっ!」

 思わず蛸代表は声を挟んでしまった。烏賊代表は蛸代表を無視して結論をだした。

 「いいですよ、一度代表やってみたかったですし、王様とかは大王とか名乗る奴がいる限りなんだかなぁってな感じですもんね。承ります。いつ交代します?」

 烏賊補佐官はあっさり承諾した。

 「できればでいいんだけど、今からじゃ駄目かな? 片時も離れずにアオリイカの側にいてやりたくて」

 烏賊代表は恥ずかしげも無く言ってのける。

 「OKでーす、ならはやくアオリイカの側に行ってくださいよ。あなたは今から唯の烏賊ですから」

 新烏賊代表はきざったらしく告げる。

 「助かるーサンキューハンキュー」


 元烏賊代表はさっとその場を辞した。あまりの展開に度肝を抜かれた蛸代表だったが、軟体生物最強の九つの脳がここが勝負所だと直感し、すぐ様交渉に入った。


 「新烏賊代表に提案があるんだけど、就任早々に重い決断だとは思うけど、とりあえず聞いてくれるかな?」

新烏賊代表に嘴を挟ませないように捲し立てる。

 「率直に言うと、もう争うの辞めにしない? そもそも烏賊と蛸が上か下かなんてナンセンスよ。人によって違うじゃない? 好みなんて。イカ飯がタコ飯より優れていると言う人もいるけど、無理やり腹に米を詰め込んで、確かにタコ飯よりもインパクトはあるけど、それと味はまた別の話だと思うの。ゴルフって知ってる? まぁそんなスポーツがあるんだけど、8打のことタコと言って10打のことをイカって言うのよ。失礼よね。私達に例える必要ある? 足の数がそうだからって全然上手い例えでもないし、むしろ幼稚で稚拙で下手くそだと思うのよ」


そして蛸代表が互いに長らく目を背けてきた真理を発する。


「それに決定的なことなんだけど、私たちの生息域って被らないじゃない? だから争う必要なんてないのよ。もうやめにしない? 人様に踊らされるのも?」

 新烏賊代表は衝撃を受けた。争うのが当たり前と認識していたが、認識自体が間違いだなどと考えもしなかった。振り返れば蛸と会うことも稀だった。


 人に踊らされていた。人の世界線で。


 「上手いですね! そうしましょうか! 僕も思いますもん。蛸さん達もあんな人々みたいに踊らないですもんね、誇張して口を突き出したり所謂侮辱行為ですよね」

 新烏賊代表の柔軟性に蛸代表は胸を撫で下ろした。

 「話通じて助かるわー、今後は仲良くしましょう。じゃあそういうことでお願いしますー」

 「はい、では此方こそ仲良くお願いしますー」

  

 蛸と烏賊の争いのある世界線はここにて終結した。

 蛸と烏賊が仲良く並ぶ世界線が今、久一の空いた席の隣に座る女の前に置かれて皿の中に確かにあった。


 久一と隼人が蛸と烏賊がどちらが優れているか激論を交わしている最中に待ち人が現れた。

 「遅いよ、充。マスター、充に生お願いします」

 隼人が充の為に生ビールを注文する。充は二人と女の間に空いた席に座る。隣の女に会釈してから二人に向き直る。

 「なんの話してたの?」

 久一は待ってましたとばかりに充に説明する。ここは充に公平にジャッジしてもらおうと思って待っていたのだと。

 充は困惑しながら二人を見やる。

 「烏賊と蛸のどちらが強いか決める為にわざわざ平日の今日集まったのか?」

 充の素朴な疑問を隣りに座る女が吹き出して笑った。充は女をチラッと見る。好みのタイプであった。

 「その件はもういいんだ。解決したから。久一が言い出したんだよ烏賊か蛸かって。だからどっちでもいいからさっさと決めてくれよ」

 「違うぜ、正確には蛸と烏賊だ。どっちでもいいけど、充はどっちだ?」

 充は素面で二人は酒界の住人だった。出された生ビールを一気に空きっ腹に流し込む。

 「では、僕が判決を下そう。そもそもタコもイカも海中では生息域が異なっている。即ち合間見えることはない。よってどちらが強いかなんてのは存在しないし、議論に値しない。よって時間の無駄だ!」

 少し意地の悪い返答を二人に返して充は満足気な顔をする。

 すると二人は口を揃えた。

 「おー」

 「おー」

 一言の感想だけだった。隣の女が又吹き出して笑った。少し恥ずかしくなった充は二人に文句を投げる。

 「なんだよ、おーって! そこはもっとこう真面目にジャッジしろだとか、白黒つけろだとかあるだろ?」

 二人は全く充の言葉に食いつかない。

 「いやいや、凄く真面目な答えだったけど、生息域だとか勉強になったありがとう。そう思うだろ久一?」

 「充のお陰で又一つ賢くなったよ。イカとタコに優劣つけるなんて馬鹿のすることだと思うね」

 取り合わない二人に充は悪態をつく。

 「その馬鹿がお前ら二人だろ?」

 「おー」

 「おー」

 隣の女が又々吹き出す。充は諦めてマスターに本日のお薦めをお願いした。

 充は出された蛸と烏賊の刺身を見て合点がいった。


 「マスター、おにぎりお願いします」

 「俺も」

 久一と隼人が注文した。

 「具と海苔はどうする?」

 マスターは手を洗いながら、二人に訊ねた。

 「鮭で海苔はパリッとした味海苔でお願いします」

 隼人がマスターに告げる。

 「相変わらず分かってねぇなぁ、明太子で海苔は直巻きしっとり、焼き海苔で」

 久一も告げる。マスターは顔を横に振りながらぼやく。

 「わかってねぇのはお前らだよ、同じ物を注文してくれよな。こっちは一人なんだからさぁ」

 「マスター、いつも通り心の声が漏れてますよ!」

 充が会話の流れをまとめる。

 「充君、悪い悪い。もう心の声が漏れる時間かぁ、さっさと帰ってくんねぇかなぁー」

 マスターは米を握る準備をはじめた。


 「確かにマスターの言う通りだなぁ、俺達は客だから好き放題していいってことにはならないな」

 隼人は鼻頭を掻いた。

 「隼人は一見正しいようで間違ってるね。色々と注文して欲しく無いなら色んなメニューを貼らないで米だけ炊いてろって話だろ? しかしだ、ここでジレンマが生じる。いくら文句を並べてもマスターには出禁を言い渡す権利がある。とどのつまりどちらが立場が強いかなんて存在しないんだ。俺が二度と来るか! と、この店を拒否すればいいと思うだろ? そんなのできねぇんだなこれが。だって俺、この店好きだもん」

 隼人は腕を組んで頷いて、久一に返答する。

 「そうだな。マスターがどれだけ帰って下さいと懇願しても、最後まで居座るものな俺達。それでもマスターは嫌な顔しながら付き合ってくれるもんな。いい店だよ」

 隼人の言葉を繋いで久一が続く。

 「となるとだな、分かってないのはマスターだ。どれだけ椅子の座り心地が悪くても居座り続ける俺達の気持ちをもて遊んでさ。どうせ片手間で握ったおにぎりも、旨いに決まってらぁ」

 話が捻じ曲がっていく。

 「だな。特に鮭のおにぎりが旨いね。口の中でも飛び跳ねるくらい」

 「いいや、明太子のおにぎりの方が凄いね。口の中でプチプチと弾けて、ビックバーン、ビックバーンやでぇー。宇宙の創生や。そして胃袋と言う名のブラックホールに直行やー」

 「それって悲しいなぁ、久一ちゃん」

 

 充は思惑のないやりとりに巻き込まれぬように二人から顔を反らした。巻き込まれることは決まっているけれど。酔いの度合いがまだ二人の域に達していない。


 反らした先に隣の席の女と目が合った。女は充に微笑んだ。その目には慈愛が含まれているようでもあった。

 「楽しいですね」

 女の言葉に充は照れて頭を掻いた。

 「お前ら、ちょっと恥ずかしいわ!」

 充はパリパリ味海苔と、しっとり焼き海苔を戦わせている二人に感謝の言葉を伝わらない言葉で伝えた。


 マスターが二人の前に一つ一つとお握りを提供した。しっとりとパリパリのおにぎりが二人の手でぶつけられる。

 「おにぎりで乾杯するなよ、行儀が悪い。やるなら家でやれよ」

 充が至極真っ当な意見を述べる。

 「うんめぇー」

 「こっちの方がうんめえー」

 「噛めば噛むほどビックバーンや」

 「おにぎり乾杯に参加しなかった奴の遠吠えがアクセントになって、尚更うんめぇー」

 「家に帰って食パン乾杯一人でやるの楽しみー」

 「じゃあ俺は一人で布団に入って寝るの楽しみー」

 「訳わからん!」

 充が吠えると同時にマスターがしっとりとパリパリのおにぎり二つを乗せた皿を充の前に提供した。

 「適当に勝敗つけてやれば? 三人の中で、まともなのは充君だけだとおじさんは知ってるから」

 充はマスターに意味のない頷きを返した。 

 久一と隼人はその様子を目にコソコソと悪巧みをした。おにぎりに手をつけようとした充の右手を久一が掴む。

 その後、久一はコソコソと充の耳元で呟く。

 充は二人が悪巧みしていることを心得ながら、ささやかな下心で久一の提案を受諾した。


 「あの、お姉さん、無理強いはしませんが、お一つ如何ですか?」

 女は最初は戸惑い、充を見る。散歩に連れ出してもらえる前の犬みたいな目の二人を見る。そして微笑んで応じる。

 「いいんですか? じゃあ、有り難く頂きます」

 女はしっとりおにぎりを手に顔の横に持ってきて犬二人に感謝を表した。

 そして女は充と視線を合わせたままで、おにぎりを口にしない。充は状況が掴めないまま女に首を傾げる。

 「お兄さんは食べないの?」

 女の言葉に充ははっとする。

 「ごめん、食べる食べます」

 充はおにぎりを手にした。

 「乾杯」

 充のおにぎりに女のおにぎりがぶつかる。女は悪戯っぽく笑った。

 「乾杯」

 充も女に倣って乾杯と口にした。女はおにぎりを美味しそうに齧った。充も女に倣った。

 「家でやれ!」

 「そうだそうだ、はしたないぞ!裸で一人、家でやれ!」

 今の充には二人の野次が心地良かった。


 しっとりパリパリおにぎり論争の結果は以外な決着を迎える。

 「お姉さんが選んだのはしっとりだったので、私の勝ちということで宜しいでございますか? 隼人君」

 久一が勝利宣言した直後に待ったがかかる。その声の主はまさかの女だった。

 「待って下さい、久一さんでよろしかったですね? 私はしっとりもパリパリもどちらも美味しいと思います」

 久一はノリのいい女に気分をよくした。気分が乗れば頭の回転は加速する。それがまともな方向とは限らないけれど。

 「そういうことですか。わかりますよ。貴女のおっしゃりたいことは全て。その前にお名前を伺っても宜しいですか?」

 女も楽しげに悪乗りする。

 「私はこの街の外れに住む美湖と申します。以後お見知り置きを」

 充は美湖ちゃんと言うのかぁ、と心にメモして久一を褒める。

 「美湖さんはこうおしゃりたいのですね。おにぎりの見た目なんかどうでもいい。中身が大事だと。鮭と明太子では明太子の方が美味であると。さらに深い思考の先に我々三人にこう高々に伝えたかった。おにぎりも人も見た目じゃない、中身だ! 明太子最高。すけとうだら有難う! と」

 隼人も負けずに悪乗りする。

 「俺の負けだ、久一の言う通りだ。鮭は旨い、酒も旨い。でも明太子には勝てないということだなぁ。俺はもう二度と鮭のおにぎりは頼まない。鮭には悪いが明太子にするよ、これで最後だ」

 小さく残ったおにぎりの欠片を隼人は口に運んで目を閉じた。

 「隼人、決して二度と鮭を口にするんじゃないぞ!」

 「あぁ、これからの俺のおにぎりライフはビックバーン!」

 加速する二人に水を差す美湖。

 「すいません、私の一番好きなおにぎりの具は梅です」

 美湖の馬尻に跨る充。

 「僕はおかか」

 充を蹴落す二人。

 「お前はいいんだよ」

 「おかかはお好み焼きの上にふわっとだろ! 覚えておけ」

 落馬しかけた充を拾い上げる美湖。

 「私もおかか好きですよ。五番目くらいに!」

 「おー」

 「おー」

 初対面では上出来な四人の連携。


 こんな感じで閉店前までぐだぐだと四人の時間が流れた。


 「マスターご馳走様でした。楽しかったです」

 美湖は支払いを済ませてマスターにお礼を言う。マスターは機嫌よく返す。

 「楽しかったではなく、美味しかったですだろ? まったく。あいつらはいつも木曜日か金曜日に来るからその日は避けて又来てね。美味しい物探しておくから。本日もありがとうござました」

 マスターはカウンターから出て美湖を見送る。

 「はい、必ず来ます。マスターと皆さんおやすみなさい」

 三人も口々に挨拶を返す。

「おやすみなさい」

「はい、おやすみ」

「おう、おやすみ」


 美湖が退店したことによって充の季節感は夏秋をすっ飛ばして冬になる。充は珍しくマスターに愚痴る。

 「酷いよマスター。俺達が来る日には来るなみたいな言い方して。正直、又一緒に呑めたらいいなぁと思ってたのに」


 隼人がカウンターをドンと叩いた。空のグラスが揺れた。マスターが口を開く前に隼人が割って入った。

 「充、よく聞けや!」

 隼人の口調には憤怒が滲んでいた。充は驚いて肩をすくめた。

 隼人の行動にはマスターの心遣いに気づかぬ充を人として改めさせる意味合いが含まれていた。

「お前はどうせ美湖ちゃん可愛いかったなぁ、だとか俺が代わりに支払いした方がよかったかなぁ? でも初対面ではやりすぎかなぁ? だとか、夜道大丈夫かなぁ? とか考えてたんだろ? 挙げ句にマスターに嫌味言いやがって。あの娘も子供じゃないんだからタクシーくらい拾うだろ」


 充は隼人に思考を見透かされて苛立ちを覚えた。そして楽しかった時間の余韻を台無しにされて徐々に頭に血が上る。

 「お前が呼び出しておいてその態度かよ! 何様なんだ。えぇ?答えろよ」

 売り言葉に買い言葉。酒の席ではよくある光景。いい酒が悪い酒に変わる。そして第三者何止めに入る。

 「まぁ、待て充、隼人は待たなくていい。全面的に間違えているのは充の方だからな。間抜けだよお前は」

 久一の隼人への肩入れは今に始まったものではないが、今回の充は激怒した。

 「お前らは昔からの付き合いだからか知らないけど、俺はお前ら二人を友達だと思ってたよ。情けねぇ、ただの刺身のつま、添え物、おもちゃだったんだな。クソ野郎が!」

 充が心に無い言葉を吐き捨てる。

 「帰ろうぜ久一、気分が悪いわ」

 席を立とうとする隼人を久一は宥めてから充に隼人の気持ちを代弁した。


 「よく聞けよ! 蛸よりも知力があると期待して説明するからな。」

 充は二人を睨みつけながらカウンターに肘を付いた。マスターは三人に取り合わずに閉店準備に取り掛かる。


 「まず、どうしてマスターはおにぎりをお前の前に二つ用意したのか? それはお前が隣を気にしているのが分かったのと、隣の女が一人で来店して来た事に訳がある。お前の方はどうでもいいよ。ただの助平心だから。女は多分嫌なことでもあったんだろ? だから一人でフラフラ呑みに来たんだろうよ。それをマスターは察して遠回しに俺らで気を紛らわせるのもいいじゃないかと考えたんだ。お前がスマートに横に声をかけないから、隼人がマスターの意図をくんで声をかけるタイミングを演出してくれたんだ」

 充は全くマスターと隼人の思惑に気づかなかった。

 「久一は気づいていたのかよ?」

 充は力無く久一に問う。

 「気づいてないよその時は、振り返ればの話。いいんだよ今、俺の事は。それでだ、お前がマスターに酷いと愚痴るけどな、物事には本質ってのがあるんだ。逆説的なもの」

 「逆説?」

 充は俯いて久一の言葉尻を呟く。

 「そう、逆説。黙って聞けよあんぽんたん。マスターは女に俺達は木曜日と金曜日に来るから避けろと言った。つまりはその日に来れば俺達と会えるよと女に伝えた。さらに女とマスターの感じからして顔馴染みの可用性が高い。俺達は女と初対面。定休日と木曜日と金曜日を除いた日に来れば、充も女に会いたければ会えると教えてくれたんだよ。マスターに女が何曜日の客か教えてくれと頼んでもペラペラ喋るような人かよ。わかったか? 蛸! 宜しいでしょうか?隼人さん、マスターさん」

 隼人は充を見やり、軽く頷くにとどめた。充は怒りが完全に冷めた様子で謝罪を口にした。


「ごめん。僕が馬鹿で浅はかでした。今日の支払いは僕が全てしますので、どうか許してください」

 「当たり前だろ」

 と隼人は答えた。

 「充君、買収ですか? 手口が完全に悪役ですよそれ」

 久一の返事を充は流して、離れたカウンターに座り、一日の売り上げを計算しているマスターに近寄って謝罪する。

 「いつも旨いもので、もてなしてもらい、配慮までしていただいたのにも関わらず、至らぬばかりに不愉快な思いを与えてしまい本当に申し訳ございませんでした」

 マスターは帳簿から顔を上げて充の目を見た。充の言葉には返事をしなかった。

 充はその目の中に寛容さだけを見出して安堵した。

 そしてマスターは三人に退店を促した。

 「十分以内に帰ってくれる? 俺の終電無くなるからさ」

 「はい」

 「はいはい」

 「はいよ、喜んで」


 充が約束通り支払いの全部を持って、最終的に三人は肩を組みながら俺達最高、俺達最強と繰り返しながら地上に繋がる階段を上っていった。


 店の鍵を閉めたマスターは、充君は当分一人で店に来るだろうなぁ、それで売り上げが少し伸びるなぁ、ラッキー儲け。と一日で出た生ゴミの入った袋を持ちながら口元を緩めた。

 

 



 

 

 

 

 


 

 

 




 

 


 

 




 

 


 

 

くだらないお話にお付き合いありがとうございます。又くだらない脱線脱線話を書かせて下さい。

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