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徒然と紡ぐ日の影  作者: 村街マイク
17/19

不本意な休日 その3

 久一は響也の言葉に耳を傾けた。初対面の相手が恥を晒す姿は、濡れたサモエド犬と散歩しているようで居心地が悪かった。


 これは完全に響也の自業自得だった。人によっては盆と正月が一緒にくるということがある。


 話によると響也と早苗は昔から続く友人関係だった。響也が酒でも飲もうと誘うと、早苗が由佳を連れてやって来た。響也は始めは気にも留めずに会社の愚痴や上司の悪口を二人に話した。由佳は響也を見つめては目が合えば俯いた。二人は連絡先を交換して早苗抜きで会う回数が増えていった。アプローチは由佳の方からだった。後に聞くと、早苗の持っていたアルバムの中に響也が写っているのを由佳が見つけて紹介して欲しいと頼んだのがきっかけだった。


 男は不思議な生物。熱は冷めずとも、ぬるくなっていく。

 いつしか由佳への想いは愛情四割、倦怠五割、隙間一割というものになっていた。


 響也の働く職場に一人の女が入社した。女は若く常に笑顔を絶やさなかった。誰にも分け隔てなく接しながら、くそつまらない上司の冗談を受け流す姿勢に好感を持った。上司の指示で響也は女の教育係になる。響也は、仕事の説明や指示を熱心に学ぶ女に惹かれて一割の隙間を埋めてしまった。

 二人は退社後も一緒に過ごす時間が増えて、毎日ではないが夕食を共にするようになる。由佳とは違い、女の従順な性格が響也の心を捉えていく。そして一歩を響也は踏み出した。


 翌日、すぐに由佳の部屋で別れを切りだした。由佳はテレビのリモコンをいじりながら、今度の休みが合えばショッピングに行こう、化粧品とハーブティーを買いたいと聞こえていないようだった。響也は一緒には行けない、別れようとはっきり告げた。由佳はテレビ番組のコマーシャルが終わり番組が始まったときにテレビの電源を消した。投げつけられたリモコンが響也の胸に当たり、落下してフローリングの上で乾電池が踊った。乾電池を拾う響也に由佳はどうしてなのかと抱きついた。乾電池をリモコンに戻して蓋を閉め、ソファーの上に転がし、由佳の手を解いた。テーブルの上にはとうに湯気を無くしたコーヒーがあった。コーヒーに口をつけることもなく響也は部屋を出た。


 「君、なかなかだね」

 久一の声に響也は返事をしなかった。久一はもう少し付き合ってやろうと目に入った自販機の前で足を止めた。カフェラテを二本買って一本を響也の胸に投げてやる。

 「ありがとう」

 「で、どうして今こうなってるの?」

 顎をしゃくって歩きながら話そうと響也に促した。前から自転車に乗った酔っ払いが久一と響也の並ぶ間を強引に通過した。それが合図のように、二人の過去にまた戻る。


 新たな生活は新鮮で穏やかだった。女は由佳みたいに急に会いたがったりしないし、縛りつけるようなこともなかった。今度は急に会いたがったり、縛りつけるのは響也の方だった。女は冗談を言わなかった。それだけは由佳の方が勝っていると思ったが、些細なことで幻滅するほどでもなかった。

 ある日、女が会社を休んだ。響也が連絡を入れると風邪を拗らせているという。見舞いに欲しいものを尋ねると、風邪を移してはいけないからと拒まれた。翌日も女は会社を休んだ。女とは連絡がつかなかった。翌朝上司から女は退社したと告げられた。理由は一身上の都合だと上司は言って溜め息をついた。響也は嘘の体調不良で会社を早退した。相変わらず女に連絡を入れても繋がらなかった。

 日の沈む直前に女から連絡があった。今近くに来ていると。響也は寝巻きのジャージ姿のままで部屋を飛び出した。マンションの前を通る道の向こう側に女が立っていた。響也は車が来ないことを左右確認して女の元へ走った。女はマスクをしながら響也の視線を受け止めきれずに俯いていた。女の顔には殴られたような跡があり、青黒く腫れ上がっていた。

 「どうしたんだ、それ。誰に」

 響也は言葉に詰まった。理解というよりも未来視したかのように思考が形となって浮かび上がらせる。

 「ごめんなさい、私には昔から付き合っている人がいます」

 響也は鍛えた拳を女と、女を殴った男、両方に叩き込みたかった。その場で右の拳を固くする。すれ違いざまの女子高生が足早に過ぎ去っていった。女は道の端に停めてある白いミニバンに乗って消えた。運転席の男の顔が日の落ちる前ではっきりと見えた。濃い色のサングラスをかけた金髪の男。女の昔馴染みなのか。響也に知る術はもうどこにも存在しなかった。


 「それから、聞いてますよ続けて」

 久一は飲み終えた缶をサッカーボールに見立ててドリブルしながら促した。道路を転がる空き缶の音がもう一人の聞き手の役割を担っていた。


 女と別れてから一週間が経った。女とどれくらい付き合ったのか数えようとして、すぐにその思考を打ち消した。代わりに電話をかけていた。

 由佳の声は変わっていなかった。響也を責めずに当たり障りのない話をしてくれた。なのに都合のいい日に会えないかと彼女に誘うと黙り込んだ。受話器を握る震えた手が壊れた機械みたいだった。そのことを告げると由佳は笑いながら、昔二人で出かけたカフェで会ってもいいと承諾した。そこで、電話が切れた。


 約束の日、イタリアンレストランに予約を入れてから、白いボタンダウンシャツを纏って待ち合わせ場所に向かった。このアメリカ製のシャツは由佳からのプレゼントで、過去のアメリカの大統領も着ていたという。

 カフェには約束の時間よりも二十分ほど早く着いた。先に注文をして待つことに。一杯飲み終えても由佳の姿はなかった。二杯目を注文して飲み終えてもまだ来なかった。約束の時間はとうに過ぎていたが、三杯目を注文した。三杯目に砂糖を入れてかき混ぜているとやっと由佳が来た。

 「まだそのシャツ持ってたの?」

 由佳は響也の前に腰を下ろしてメニューを開いた。カプチーノと書かれたところを指で押さえて、これと響也に伝える。いつも店員を呼ぶのは自身だったと思い出しながら注文を済ませた。

 会話が途切れるのを避けるために響也は喋りまくった。昨夜見たニュースの公職選挙法違反で逮捕された議員の話の途中で由佳が立ち上がった。

 「そろそろ行くね」

 「夕食の予約をしてるけど」

 「それには付き合えないかな」

 「どうして今日は会ってくれたの?」

 由佳は響也を見下ろす形で唇を窄めた。

 「やり直そう、あの頃のように」

 由佳は静かに首を横に振る。周りの店員や客の視線が自身に注がれる。

 「ビルから飛ぶしかないのか俺は? 黙ってないで答えてくれ。もう一度一緒に」

 「一緒にはいられないよ」

 

 響也の前には引かれたままの椅子があった。椅子を席に戻して会計を終えて、予約をしていたイタリアンレストランにキャンセルの電話を入れた。応答は事務的でまたのお越しをお待ちしておりますとだけで、こちらが切るのを待っているようだった。そのことに気づいてやっと響也は電話を切った。二人で食べる予定だった夕食は一人で食べるラーメンに代わった。

 二人でよく通った店。店主が響也に彼女は元気かと尋ねた。別れたと告げられずに今度は二人で来ると強がった。


 立ち止まった響也につられて久一は缶蹴りを中断した。視線の先には色褪せた赤い暖簾の掛かった中華料理屋があった。

 「腹減っているのか?」

 「二人でよく来たんだ。由佳の焼豚を勝手に取って凄く怒られた」

 「ここのラーメンうまいの?」

 「うん」

 「じゃあ入ろうぜ」

 久一は相手の返事も待たずに中華料理屋の引き戸を引いた。

 

 横長の店内に客は居らず、主人が競馬新聞を広げながら飯をかき込んでいた。箸を置いて二人にいらっしゃいと声をかけた。響也がラーメン二つを注文しながらカウンター席に座る。店主はあいよと声を張ってからコンロの火を強めた。久一が隣に座ると響也は立ち上がった。

 「どうしたの?」

 「トイレで手を洗いに」

 「そう」

 「君は洗わないの?」

 「今日は洗わないかな」

 返答が冗談だと響也は受け取って店の奥にあるトイレに向かった。カウンターの上には前の客が置いたままであろう週刊誌があった。ページを捲りながら女性のヌードグラビアが載っていないか探したが無かった。

 「本当に洗わないのか?」

 響也が戻ってきてカウンターに両肘をついて手を組んだ。

 「うん、洗わないね」

 二人の会話が途切れた。店主が丼を並べる際に二つがかち合う音がした。

 「復縁できると思ってるのか?」

 「可能性は殆どないね。今は絶望的かな」

 「でもゼロではないが今じゃない、わかる?」

 「わかってはいるけれど、僅かな希望に縋ってしまう」

 「それは希望ではなく、過去の幻影だよ。明日、目が覚めると鶏になっている可能性があると思うか?」

 唐突な久一の質問に響也は組んだ手を開いて顔を覆った。

 「あるわけ無い」

 「世の中には絶対は無いよ」

 話を続けようとした時、久一の携帯電話がズボンの中で震えた。画面を確認すると充からだった。

 「もしもし、どうしたの?」

 「お前は今どこにいるの? みんな心配してるぞ」

 「二人で今からラーメン食べるところだから邪魔するなよ」

 「はっ? どういうことだよ」

 「ちょっと隣と代わってくれよ」

 「あぁ、待てよ」

 充は詮索を諦めたようだった。電話を由佳か早苗に渡す。確率は二分の一、乗るか反るか。こういう時だけは神様は仕事をする。

 「もしもし? 大丈夫ですか」

 由佳の声だった。携帯電話を響也の前に差し出して、糞してくると席から離れた。


 便器の染みが店の歴史を語っていた。白いはずの陶器が黄ばむのはよっぽど店主が掃除をさぼっているのか、時間の成せる業だった。

 五分くらい経って久一は席に戻った。カウンターには既に二杯のラーメンが湯気を立てながら箸を突き立てられるのを待っている。響也は左手に携帯電話を持ち、右手で目頭を押さえていた。会話はまだ続いていた。丼の中には厚切りの焼豚が二枚と申し訳程度のネギがスープに浮いていた。手を合わせてから焼豚を口に運ぶと肉の繊維が散る。二枚目を口にする。久一の丼からは焼豚が消えて、隣の丼に比べて貧相な物に変わってしまった。響也の焼豚を一枚取ってスープに浮かべた。これでバランスよくなる。久一は麺を豪快に啜った。


 「ありがとう」

 響也は携帯電話を隣で麺を口に運ぶ久一の前に出した。まだ電話は通話中だった。ありがとうという言葉は電話越しの由佳に対するものなのか、久一にだったのか、それとも横着に二人同時に発したものなのか判別がつかなかった。携帯電話を受け取りそのまま通話を一方的に遮断する。焼豚を半分齧って丼に戻すと、新たな焼豚が横から一枚割り込んできた。それをまた齧って半身の焼豚の横に久一は浮かべた。


 店を出て二人は別れた。

 「帰り道わかる?」

 「電話して迎えに来させるよ」

 「そう、じゃあ」

 「じゃあまたどこかで」

 響也は肩を回しながら路地裏の方に消えていく。充に電話をかけると早苗が出た。

 「どこまで歩いて行ってるのよ、馬鹿じゃないの」

 「迎えに来て欲しいんだけど駄目かな」

 早苗の口振りはもう酔いから醒めているようだった。

 「そこから絶対に動かずに待ってて、タクシーで向かうから」

 「了解しました」

 早苗の命令通りに中華料理屋の前にあるガードレールに体重を預けながら欠伸をした。


 到着したタクシーには早苗一人だけが乗っていた。

 「二人はお留守番か?」

 「そう」

 「大丈夫なのか?」

 後部座席の隣に乗り込んだ久一は腹を擦ってシートベルトを締める。

 「犬猫じゃああるまいし」

 「充は猫より薄情で、犬より吠えるけどな」

 タクシーは来た道をUターンして走り出した。

 「タクシー代は充持ちなの?」

 「もちろん」

 早苗は手に持った一万円札をひらひらと久一の目の前を泳がせる。

 「釣りは折半だね」

 「きちんと返します」

 「返すくらいなら貰っときなよ」

 「いいかしら?」

 「いいよ、わざわざこうして迎えに来てくれたし、そもそも得をしたのはあの二人だけだ。今も二人の時間を与えてやってるわけだし、駄賃だよ」

 「本当だわ! なんだろう? 少し苛つくわね」

 早苗は冗談を言って流れる街を車窓から眺めた。久一はふと気になっていたことを尋ねた。

 「由佳ちゃんが君に耳打ちした結果がこれだけど、なんて言ったの?」

 早苗は姿勢を崩さずにそっぽを向いたまま。

 「あなたのことタイプだって」

 「おい!」

 久一の声量に運転手の体がびくついた。

 「大声出さないでよ危ないじゃない」

 「納得いかないな」


 早苗は自分の財布からタクシー料金を支払い、お札を久一に渡そうとしたが、受け取らずに早く戻ろうと急かした。一万円札は早苗の財布にきっちりと収まった。

 部屋の前で鍵を差し込もうとする早苗の手を押さえて囁く。

 「そっと開けてよ、二人に気づかれないように」

 「どうしてよ?」

 早苗も声を殺して囁き返す。

 「驚かしてやろうぜ」

 「いいわね」

 できるだけ音を立てないように鍵を差し込んでドアを開ける。部屋の明かりはあったが二人の姿は見えなかったが、ベランダで会話しているようだった。お互いに口の前で人差し指を立てて、中腰になりながら足音を抑えてリビングのソファーに辿り着く。ベランダの引き戸は開かれており網戸のため、話し声が筒抜けになっていた。二人は互いに示し合わせたように不敵に微笑んだ。


 「充君は総合格闘技してるの?」

 「してないよ。久一が勝手にほざいてただけ」

 「本当に? じゃあ怖くなかった?」

 「怖いよ、相手がアマチュアとはいえボクサーとか殴られなくてよかったよ」


 二人のたわいもない会話から親密さが窺われ、聞き耳を立てている方が赤面しそうになる。早苗は目を閉じて誤魔化そうとしたが、お互いに口元でバレていた。


 「じゃあ約束だね」

 「行きつけの居酒屋に招待するから、隼人は久一なんかよりもまともで面白い奴だからきっと仲良くなれるよ」

 「そろそろ、まともでない人が帰ってくるかも」

 「そうだね、戻ろうか」

 ベランダからリビングに足を踏み入れた二人をソファーの前で仁王立ちの二人が意地悪く出迎える。

 「まともじゃない方ですけど」

 「きゃーつ」

 「うぉ」

 「うわー、くっ付いてる」

 充の腕に由佳がしがみついた。充はしどろもどろにいつからいたのかと問う。戻ったなら声をかけろとも。

 「いつからでしょうね?」

 「ここは私の部屋だから、いつ帰ってもいいわよね?」

 二人の共犯者は満足そうに二人に告げる。

 「わたくしは喉が渇いたかしら」

 「充もあんなに喋れば喉が渇いているんじゃないか?」

 はっはっはっと腰に手を当て久一は笑う真似をした。由佳が冷蔵庫から缶ビールを四本持ってきて配り、乱雑に掲げて喉を潤し御開きとなった。


 次の日の朝は早かった。まだ朝の六時だというのに起こされた。リビングの床の上で寝たせいで背中が凝っている。充は歯ブラシを咥えて上から見下ろしていた。

 「そろそろ帰るぞ」

 早苗と由佳は出勤の準備を済ませていた。顔には戦闘用の鎧がしっかりと装着済み。早苗のあどけなさは消えていて、由佳の温和さは鳴りを潜めていた。

 「コーヒーの一杯は?」

 「無いわよ」

 早苗に背を押されながら洗面所で顔を洗い、歯は磨かずに口すすいだ。着ていたTシャツの裾を持ち上げて顔を拭くと、後ろで見ていた早苗がハンドタオルを投げてくれた。

 「タオル使いなさいよ」

 「いいよ、もったいない」

 

 車を停めていた有料駐車場まで早苗と由佳は見送りにきた。充は由佳に連絡をするからと残して車を出した。充は下ろした窓から手を出して振る。サイドミラーに映る由佳はいつまでも手を振っていた。見えなくなるまでの間に早苗は小さく一度だけ手を振ったように久一には見えた。

 「お世話になったんだ、お前も窓開けて手を振れよ」

 「やだね」


 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

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