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徒然と紡ぐ日の影  作者: 村街マイク
16/19

不本意な休日 その2

 久一は鼠色のソファーに尻を沈めながらテレビのニュースを見て呟いた。

 「山火事の火種はどこからくるんだろうな?」

 充は横に座っていながら返事をしなかった。この部屋にはテレビにテーブル、ソファーが整然とあるだけで、掃除機だとか衣類などは見えないところにしまわれているようだった。

 「おい、聞いてるのか? 火種だよ、どこから来ると思うんだよ?」

 落ち着かない様子の充に話しかけるが、空のペットボトルを太腿に打ちながら話を聞いていなかった。

 「向こうで手伝った方がいいかな?」

 「座って待ってろと言われただろ? そのうち鍋が運ばれてきて、食って帰ればいいじゃないか」

 「いや、でも。とりあえず久一様々でございます」

 充はペットボトルを床に置いて、両手を擦り合わせてから久一に手を合わせた。

 「で、どっちが好みなんだ?」

 声を下げて充に問う。

 「グラマー!」

 久一は充の頭をペットボトルで引っ叩いた。口元を手で覆いながら笑いを噛み殺した。充は唇を摘んで肩を揺らす。気の早いネオンのように無邪気に光る目。我々は俗物だ、なにが悪いと愉快な気持ちで満たされていた。


 スーパーマーケットの精肉コーナー前から手を振っている女に久一は声をかけた。

 「すいません、どこかでお会いしましたっけ?」

 手を振っていたグラマラスな女は悪戯に言う。

 「えー忘れたんですか? ひどーい」

 目の前の女に関する記憶を探るが、全く思い当たる節がなかった。昔の同級生かとも考えたが、クラスが違えば顔も名前も覚えているわけがなかった。

 もう一人のスレンダーな女は警戒してか目を合わそうともしなかった。

 「どうしてあなたはそんなに不貞腐れているのかな? 気に触るようなことした? この一瞬で?」

 「ナンパなら他を当たってください」

 目を上げたスレンダーな女にきつく睨まれた。一方的に振られる。誘われた誕生会に、なぜ来たと追い返された日に通じる思い。

 「あのですね、先に手を振ってきたのはそちらの素敵な彼女であってですね、こちらから」

 話し終える前にグラマラスが割り込んできた。

 「昼間に手を振ってくれてたじゃないですか?」

 グラマラスはスレンダーの腕に抱きついて同意を求めた。スレンダーは凄んだ姿勢を崩さない。絡まった腕を解いて無い胸の前で腕を組み直す。演劇みたいな仕草だった。


 昼間、若い女に誰彼構わず手を振っていた。選挙に出馬した議員気取りで健やかな心持ちだった。なんの因果かスーパーの精肉コーナー前でグラマラスな女にからかわれている。スレンダーな女に睨みつけられている。

 「知りませんね、そもそも僕らは手なんか振ってませんし、見ず知らずの方に手を振ることあります? あなた方は他の誰かと勘違いされてませんか?」

 言い逃れをスレンダーがピシャリと跳ね返した。厩舎に戻らぬホルスタインに体で聞かせるように鞭を打つ。

 「いいえ、間違いない。手を振ってたのはあなたよ」

 「どうして? 証拠は?」

 スレンダーの押し込んでくる態度につい挑発的になってしまった。

 「だって、そんな派手なシャツを着た人を見間違わないと思うの」

 グラマラスが人差し指を充に向けた。

 「充! この馬鹿野郎が! 目立つ格好しやがって」

 現状の責任を充に押し付けた。充は俺が悪いのか? 疑問を顔に貼り付けて鼻ですかした。笑っている場合かと怒鳴りつけたくなる。

 援護しろ、蚊帳の外ですみたいな態度をとるな、外ならば蚊に刺されろ。マラリアでなく、間違いでクラミジアになってしまえ。久一は充を呪った。

 さらにスレンダーが息の根を止めようとしてくる。

 「いつもそうやってナンパしてるんでしょ? 馬鹿じゃない」

 「まず、お名前伺っても構いませんか?」

 「どうしてあなたに教える必要があるのかしら?」

 スレンダーの高飛車な態度にあえて余裕ぶって返した。実際は突然後ろから尻の穴に足の爪先を蹴り込まれたような気分を隠して。

 「なら結構です。野薔薇さんとでも呼びましょう。野薔薇さんはいつもそうやってナンパをしているのだと仰りましたが、対向車から手を振って、振られた相手があらいいわ、やんなっちゃう、とハンドルを切り返しますかね? ユーターンをして手を振った相手を猛スピードで追いかけ回すと? 怖い人ですね、どうかしてますよ。みなさん、この人、どうかしてますよ」

 架空の聴衆に訴えかけた。

 「確かに、そうね。私は派手なシャツの人と手を振っている人を見て、つい手を振りかえしただけだもの」

 グラマラスが客観的かつ公平な発言をしてくれた。この言葉をしっかりと掴む。

 「あなたのお名前は?」

 「私は由佳で、こっちは早苗」

 「ちょっと由佳」

 スレンダーがグラマラスを制した。

 「大丈夫ですよ由佳ちゃん、こっちの人は野薔薇さんでしょ」

 「野薔薇さん?」

 グラマラスは首を傾げてスレンダーと視線を交わす。

 「ノイバラですよ。近寄るものを容赦なく傷つける。刺々しい棘人間の野薔薇さん」

 スレンダーは反論せずに眉間に微かな皺と頬に片側だけ笑窪を作った。

 場の空気は最高にしらけた。久一は案山子に止まって羽を休める烏のように悪ふざけをする。


 「野薔薇さんとの誤解も解けたみたいですし、本来ならここで侘しく買い物を済ませて、車を二時間くらい走らせて帰る予定でしたけれども、これもなにかの縁でしょう。この後みんなで食事にでも行きませんか? ちょうど彼は失恋したばかりで女性との触れ合いに飢えていましてですね、でもそこは紳士なので、ご安心」

 「はっ?」

 スレンダーが拒絶的に口を歪めた。

 「おっ?」

 充はどうしてなのかと声を漏らす。

 「きゃは」

 グラマラスは傍観的な態度を示す。

 「お前はなに言ってんの?」

 さすがに充は黙っていられずに文句をつける。

 「これはナンパではないです。ただの男女混合お食事会の参加意思の確認であって無理強いはしないですから。あら、やだ。みなさん勘違いしてません?」

 スレンダーが久一を蔑みながら断りを入れた。

 「お誘いですが、私たちこれから鍋パーティーの予定なので失礼します」

 「まだ秋前なのに鍋をするの?」

 「そう、エアコンを効かせて今年の初寄せ鍋をする予定です」

 グラマラスが体をよじった。

 「いいな、いいな。寄せ鍋パーティー参加したいな」

 久一も真似て体をよじってみた。

 「無理に決まってるだろ?」

 「最初から諦めるなよ。男だろうが」

 充に喝を入れてから、スレンダーに下手からお願いしてみることに。

 「食材などは全てこちら側が持ちますから駄目ですか?」

 「駄目に決まってるでしょ」

 「なら、じゃんけんで決めません?」

 「嫌よ。無理なものは無理」

 「もし、負けたら素直に引き下がりますし、二人の食材費もお支払いしてバイバイというのはどうでしょう?」

 「もしって何よ? どちらにしても嫌」

 「でもって、僕はぐーを出すから」

 久一はスレンダーを無視してぐーを出すと宣言した。相手はじゃんけんをするつもりもないのに。そこでグラマラスがスレンダーにこそっと耳打ちをした。

 スレンダーはグラマラスに女性特有の不本意、渋々といったニュアンスの表情を浮かべてから久一の出した条件を煽りながら受け入れた。

 「いいわ、私が勝てばあなたはお金を払ってバイバイしてね」

 「もちろん、すごい悪役みたいな言葉だね。お金を払ってバイバイ、この状況にぴったりだね」

 「いいから、いくわよ、じゃんけんぽん!」


 宣言通りぐーを出した。ぐー以外の選択肢はなかった。仮に相手がぐーに勝るぱーを予想してちょきを出したところでしかたがない。お通夜のような鍋パーティーになる。参加したくもない。同じように相手がこちらが裏をかいてくると予想してちょきに勝るぐーを出してきてもぐーを出すことによってあいこになり、相手が負けることは決してない。ぐーだ。ぐーしか久一には道が無かった。勝つことが目的ではない。ぐーを出すことが目的なのだ。男としての矜持、どんな辛い時でも拳を固く握る姿こそが尊いのだ。拳が解決することもある。

 俺の姿を目に焼きつけろ充。


 思考停止のまま相手の指をぼんやりと眺めた。

 ちょきを出すということは相手がぱーを出すことを仮定する。ぐーを出すというのに、ぱー出したところで相手が素直にぱーを出しても引き分け、裏をかいてちょきを出されても引き分けるだけだ。勝つ気がなかったのか? 裏の裏の裏の裏をかこうとしたのか? 

 

「負けちゃったね。よし、今から仲良く買い出しだ、奢りだ奢り。一杯買ってもらうぞ」

 由佳が充の背中を押しながら、ぱたぱたと足を鳴らして精肉コーナーに誘っていく。予想外の結果に芋を引きながら久一は早苗に訊ねた。

 「あの、無理にお邪魔しようとは思わないので、気にしないで。ただの成り行きだっただけだから、だっておかしいよ、出会ってすぐに鍋を突き合うなんて。不純だよね?」

 「別にいいわよ。鍋を一緒に食べるくらい。家に上げるのは抵抗あるけど、その代わり絶対に変なことしないでよ。すぐに警察呼ぶから」

 「しません、触れません、連絡先も聞きません」

 「あと支払いもお願いね」

 「それはもちろん」

 「ねぇ? 不純ってどういう意味?」

 「なんとなくですけど、初対面で鍋を突くって卑猥な感じしませんか? するよね?」

 久一を置いて早苗は二人が肉を籠に詰めているところに並んだ。薄目で見ても充が一連の流れを疑いなく受け入れ、浮かれているのが腹立たしく、漁夫の利とはこのことかと一つ経験を積む。

 漁夫は全く漁をせずに利益を得るのか、それではただの夫ではないのか? いいな夫は、たまたま持っている瓢箪から駒を出すのだろう。いいな。


 精肉コーナーで一番高い地鶏肉を選び取って、目尻の下がっているだろう充の持つ籠に後ろから差し込んだ。充が振り向くと今日一番の笑顔だった。それが鼻についたが、久一は黙って頷いた。


 幸運とは不思議なものだ。勝手に転がり込む者もいれば、どう足掻いても手に入れられない者もいる。もちろん溢してしまう者も。

 それに幸運は種類がある。手放しで祝福されるものは意外と少ない。糞を漏らして褒められるのは赤ちゃんまでで、多少の手間や問題が付属している方が多いのではなかろうか?


 早苗の車に充が支払った食材や酒を詰め込んだ。ついて来いと言うので早苗の運転する車の後ろを走らせた。運転は二人に気をつかってなのか、思いのほかゆっくりだった。それが仇となって早苗が直進した後に信号が変わり、二人は足止めをくらった。先導車を見失った充はしみったれた目で信号機が青になるのを待った。

 「青だぞ」

 「なぁ、俺たちまかれたか?」

 「とりあえず、まっすぐ進め。話はそれからだ」

 充の運転する車は直進する。

 「そんなに悪くないよなあの子たち、どう?」

 充は久一に同意を求めた。

 「あぁ、そうだな」

 路肩に停めてハザードを点けた車が見えた。その車は早苗たちのものだった。一旦、車を後ろにつけると再び早苗たちの車はカチカチと方向指示器を出して走る。それに続いて行く。

 「まかれてはいなかったみたいだな」

 「どうしよう、俺好きになりそうだ」

 充の言葉に返事しないで、すれ違う車のナンバープレートを足し算した。答えは十五になった。三、五、七、一。再度、足し算する。正解は十六。久一は一人おかしく思った。


 早苗の住むマンション近くにある有料駐車場に案内されて車を停めた。

 「三十分後にまた来るから待ってて」

 早苗に対して充は従順な犬のように返した。

 「うん、ありがとう。おとなしく待ってるよ」

 「犬じゃああるまいし」

 久一は早苗に軽口をたたく。

 「俺達の為に掃除とか色々してくれるんだから、久一なんかより野良犬の方がよっぽど利口だぜ」

 充は早々に女性側に着くことを決めたようだった。

 「なんかより? 野良犬? 酷い言い草だなぁ。お前は小型犬で野良にもなれないだろ? そう思うよね由佳ちゃん?」

 由佳は久一に犬の躾をするように待てと言ってから笑い、先に歩き出した早苗の後ろについて行く。そして二人の乗る車は去っていく。愛玩犬。それを充は目を細めながら頷いていた。

 「なんだよその謎の頷きは?」

 「謎は謎のままでいいじゃないか?」

  久一はポケットから煙草を取り出して火をつけた。

 「おい! 禁煙車だぞ」

 気取った充の顔にタバコの煙を吹きかけて空き缶の中で火を消した。火種がじゅつと音をたてて消えたようだった。


 鍋がテーブルの真ん中に置かれた。室内を冷やすためにエアコンは必死に動いていた。充が場を盛り上げようとして乾杯の音頭をとった。久一と充は麦茶の入ったグラスを手に、早苗と由佳は缶ビールを手に。同じ麦だと久一は自身に言い聞かせる。

 「乾杯!」

 久一の取り皿に料理を早苗が取り分けた。

 「ウィンナーもう一つ」

 早苗に口を出す。

 「はいはい」

 早苗は鍋からウィンナーを三つ取り、久一の取り皿に入れた。

 「はい、どうぞ。召し上がれ」

 「こりゃどうも、ありがとうございます」

 嫌味の一つでももらうのかと思ったが、早苗の態度の軟化を不思議そうに見た。酒が入れば人が変わるのだろうか? ならば、常にアル中なら可愛げがあるのに。


 会食が進むにつれて充は由佳に美湖から身を引いたと誇張した話をする。決して嫌いになって別れたのではないと。久一は付き合ってもいないくせにと引っ掛かりながら黙っていた。由佳は充を軽く慰めた後、自分は振られた男にしつこく復縁を迫られていると嘆いていた。早苗はどことなく居心地が悪そうにビールの缶を開けた。久一がどうしたのかと聞く。

 「響也を紹介したの私だから、ちょっとね」

 「紹介してと頼んだのは私なんだから、早苗は気にしなくていいよ。別れたくないと泣いて縋った時は捨てたくせに、よりを戻したいなんて都合が良すぎるのよ」

 「そいつの肩を持つ訳ではないけど、由佳ちゃんと過ごした時間がどれだけ大切だったか離れてわかったんだろうな」

 充は狡い言い回しで由佳のポイントを取りに行く。肩を持つ振りをして由佳を誉めているのだ。久一はポン酢をくれと早苗に頼んだが、寄せ鍋には味がついているから必要ないと言われる。しかし食い下がり、この家にはポン酢は無いのか? そんなことがありえるのか? 無いならば渋々諦めるが、あるなら持って来いと言った。あるが持ってこないと早苗も対抗する。なぜだと質問すると、早苗は取りに行くのが面倒だと答えた。久一はならば取りに行くからどこにあるのかと問う。冷蔵庫の中にあるから勝手に取って来いと返されて立ち上がると由佳が久一にお願いをした。

 「飲んで忘れたいのでビールもお願いします。三本」

 「野薔薇さんは今開けたらばかりだから、ぬるくなるからね、又欲しくなったら取りに行ってあげるから一本でいいよね? それにポン酢とビール三本は待てないよね?」

 「違いますよ、二人も飲めばいいじゃないですか?」

 「いやー飲酒運転はね、アウトローですよ。俺は飲めても充は運転があるから」

 「泊まっていけばいいじゃないですか?」

 「それは俺たちがよくても野薔薇さんが許してくれませんから」

 「フローリングの上でならいいわよ。タオルケットくらいなら貸してあげる」

 「はっ? いいのかよ! よくないよねそういうのは」

 「変なことしなければ泊めてあげるわ」

 「気持ちは有り難いけどね、床の上で寝るのは肩凝りそうだし嫌だな」

 「みんなで並んで寝ればいいじゃないですか? 楽しいですよ」

 「由佳さん、お酒を少し控えませんか? なぁ充、おい! その反抗的な目つきはなんだ!」

 「お前が下心出さなければ泊めて頂けるんだ、さっさと決めろよ」

 「俺はポン酢と自分のビールしか持って来ないからな! 後は知らないね」

 久一の後に充がピッタリと着いてきた。


 「乾杯!」

 今度は由佳が音頭をとった。その後、充は由佳と恋愛観について語り合い、久一と早苗は亀を食べたことがあるか無いか、山羊と羊は共存できるのかどうか、山羊の目は意外と恐ろしいなど、お互いを揶揄いながら時間が過ぎていった。


 「野薔薇さん、いい時間だし、シャワー浴びさせてもらってもいいですか?」

 久一の言葉に早苗は驚いて返す。

 「嫌よ、泊まっていくのは勝手だけど風呂は貸したくない。図々しい。我慢しなさいよ」

 早苗の驚きに久一は驚く。

 「風呂だめなの?」

 「普通に嫌よ、歯ブラシは買い置きがあるから使っていいから」

 「歯ブラシの話はしてないから」

 「よく考えてよ。着替えないのに意味ないでしょ?」

 「着替えなんて一日くらい替えなくてもいいの」

 「ならお風呂も一日くらい大丈夫でしょ?」

 「風呂は別でしょうが」

 「二人とも喧嘩しないの、ねぇ充くん」

 「そうだよね由佳ちゃん」

 「でも本当に風呂は貸さないからね」

 「大丈夫、みんなでスーパー銭湯に行けばいいでしょう、ねぇ充くん」

 「そうだよね由佳ちゃん」


 熱い湯に浸りながら目を閉じた。充はその隣で口笛を吹いた。下手くそな笛の音が大浴場の喧騒を微かに震わせる。

 「お前、結構な感じで薄情だよな」

 充は久一の言わんとすることに反論せずに、湯で顔を洗い流した。

 「美湖ちゃんのことは、まだ好きだよ。でも由佳ちゃんと出会ってしまったからな」

 「割り切れるのか?」

 「俺に選択権は無いよ。そうだろ? 振られてるんだぜ?」

 「それは、まぁ、そうだけどさ」

 「先に上がってるわ」

 充は久一の肩をぽんと叩いて湯船から出る。余計な一言だったかな? と考えたが、余計ではなかったなと思い直した。


 休憩所にあるテーブルで三人が久一を待っていた。由佳がフルーツ牛乳の瓶を久一に手渡した。

 「ありがとう」

 久一は蓋をとって一気に喉に流し込んだ。牛乳とフルーツ牛乳の値段は同じなのに牛乳を買う人もいるんだなぁと由佳の手元を見た。化粧の落ちた由佳の顔は少し地味で柔らかい印象がさらに増していた。横目で早苗を確認する。

 「なによ! じっと見ないでよ」

 「いや、別に」

 早苗は久一の視線に文句をつけた。早苗の顔を見て半笑いなどしたからだ。それは馬鹿にしたのではなく自然と溢れたものなので防ぎようがなかった。はっきりとした目鼻立ちで整っており、誰が見ても器量良しとするだろう。しかし風呂上がりで血色がよく、化粧をしていない早苗はどこか幼く少女のように久一に映った。それに加えて生意気な態度が混ざり合えば、ただの子供みたいだなぁ、と余裕のある気持ちにさせられてしまったのだ。


「帰りますか」

 久一の一言に三人は立ち上がった。そして充と由佳が前を歩き、ほどなくして二人は腕を組んだ。由佳が振り返って笑った。久一は横にいる早苗に答えを求めた。

 「なによ!」

 久一は早苗に腕が組みやすいように近寄ってみる。すると肩を早苗が殴りつけた。

 「どういうことなの?」

 「ほっときなさいよ」

 早苗の口からは至極真っ当な答えが返ってきた。


 銭湯から出ると充と由佳の前に一人の男が立ち塞がった。二人は足を止めて、久一は後ろから邪魔な人もいるなと同じく足を止めた。

 「由佳、話したいことがある」

 「私はないよ」

 早苗がペタペタとサンダルを鳴らしながら由佳と男の間に入った。

 「響也、どうしてここにいるのよ?」

 「話したくて待っていただけ。五分でいい」

 「待ち伏せとか少し異常よ、分かってるの?」

 「早苗に話がある訳じゃないんだ、由佳」

 男が由佳の手を取ろうとするのを充が振り払う。

 「二人ともちょっと下がっててくれるかな?」

 男は二人を気遣ってから、振り払われた手で充のシャツの胸ぐらを掴んで捻り上げた。

 早苗は由佳の手を引いて後ろに下がり久一に訴えかける。

 「ちょっと、止めなさいよ」

 充は胸ぐらを掴まれたまま動かなかった。由佳はいい加減にしてと男を非難した。久一は二人に落ち着くように促す。

 「まぁ待ちなさい、彼が由佳ちゃんの元いい人なの?」

 「そうよ、だから早く」

 早苗は焦れながら久一の背中を叩く。

 「殴り合いになったらどっちが勝つかな?」

 久一の言葉に早苗が怒気を持って返した。

 「馬鹿じゃないの! 響也はアマチュアボクシングしてたから充君が怪我するわよ。はやく止めて」

 久一は充にも男にも聞こえるように大きな声で早苗に言う。

 「彼ボクサーなの? じゃあ充も総合格闘技してるからいい勝負になるね。どっちが勝つか賭けようぜ」

 胸ぐらを掴まれながら充が久一に歯を見せた。久一も充に笑い返す。

 「ちょっと本当に止めてよ」

 「いや、こういうのって逆漁夫の利みたいになるパターンが多いから嫌だなぁ」

 「ふざけないでよ」

 「別に止めてもいいけど、どっちにしても充の勝ちだろ? 由佳ちゃんに介抱してもらえるか、かっこつけるか。二、三発殴られりゃいいじゃない」

 久一と早苗のやり取りの間、充の方はお互いに睨み合ったままどちらも手を出さないで、硬直状態が続いていた。

 「久一君、お願い」

 由佳が久一のTシャツの裾を引いた。

 「おねだり上手だねぇ」

 もう少し野次馬していたかったが、泣きそうな由佳に絆されてしまい、充と男の間に入った。

 「とりあえず一旦手を離しましょうか」

 充の胸ぐらを掴む手に手を掛けた。驚くほどすんなりと手が下がる。

 「二人とも考えていることは同じでしょう? 先に手を出してくれるのを待っている。そんなの明日になるぞ? いや、ガリガリになるまで待つの?」

 充はふっと鼻を鳴らす。

 「なんだその態度は? 人がせっかく仲裁してやろうとしてるのに。もういいから後ろの二人を連れて先に帰れ」

 久一は充の肩を押す。そして手を払って追い立てる。男は久一を怪訝そうに見る。

 「とりあえず向こうの方に歩きながら話しましょう。悪いようにはしませんから」

 久一は男の肩に触れて反転するように誘導した。男は素直に従って歩き出した。男はそうするしかない。抜いた刀の鞘はどこにも無かったのだから。

 「どこ行くのよ!」

 早苗の不機嫌な声に散歩だよと久一は男と道なりに真っ直ぐ進んだ。


 男は黙ったまま久一の隣を歩いた。

 「響也君だっけ? 君は忍耐強いね。俺ならすぐに殴ってたかもしれないから。殴られてもいいんだけどね女の前で格好つける奴なんて」

 久一の言葉に響也は無言だった。そのまま二人は五百メートルくらい歩いた。どこまで歩くのか。響也の言葉を待った。

 「俺が悪いのは分かっているんです。でも」

 気づけば響也はぽつりぽつりと由佳との関係と心境を久一に吐露していた。

 相槌を打ちながらどこまでこの道はあるのだろう。細くなったり、太くなったり、また細くなったりしていた。


 

 

 

 

 

 

 

 


 


 

 

 

 



 

 

 

 新年明けましておめでとうございます。今年はもう少し頑張れるといいかなぁと思いながら、すぐに休みが終わってしまいました。本年も暇があればお付き合い願います。

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