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徒然と紡ぐ日の影  作者: 村街マイク
16/16

不本意な休日 その2

 久一は鼠色のソファーにふんぞり返りながらテレビのニュースを見て呟いた。

 「山火事の火種はどこからくるんだろうな?」

 充は居心地悪そうに部屋を眺めながら返事をしなかった。テレビにテーブル、ソファーが整然とあるだけで、掃除機だとか衣類などは見えないところにしまわれているようだった。

 「おい、聞いてるのか? 火種だよ、どこから来ると思うんだよ?」

 久一は落ち着きのない様子の充に話かけるが、充は上の空で浮き足だっていた。

 「俺も向こうで手伝った方がいいかな?」

 「座って待ってろと言われただろ? そのうち鍋が運ばれてきて、食って帰ればいいじゃないか充君」

 「いや、でも。とりあえず久一様々でございます」

 充はへりくだりながら、両手を擦り合わせて久一に手を合わせた。

 「で、どっちが好みなんだ?」

 久一は小声で充に問うと、小声で即答する。

 「グラマラス!」

 久一は充の頭を引っ叩いてから、口元を手で押さえながら笑いを噛み殺した。充も同じように口元を手で押さえながら笑った。週末のネオンのように無邪気に輝く目があった。我々は俗物そのものだと実感しながら愉快な気持ちで満たされていた。


 スーパーの精肉コーナーの前でこちら側に手を振っている女に久一は声をかけた。

 「すいません、どこかでお会いしましたっけ?」

 手を振っていたグラマラスな女は悪戯に言う。

 「えー忘れたんですか? ひどーいです」

 久一は目の前の女に関する記憶を探るが、全く思い当たる節がなかった。昔の同級生かとも考えたが、クラスが違えば顔も名前も覚えているわけがなかった。

 もう一人のスレンダーな女は久一を警戒してか目を合わそうともしないでいた。

 「どうしてあなたはそんなに不貞腐れているのかな? 気に触るようなことした? この一瞬で?」

 「ナンパなら他を当たってください」

 スレンダーな女にきつく睨まれてしまう。申し入れもしていないのにも関わらず、切り捨てられる。挙句に一方的に振られる。あんまりではないかと久一は思った。呼ばれた友人の誕生会に呼んでないと追い返されるが如く納得がいかない。

 多少美人だからといって傲慢にも限度があるのでは。ここは一つきついお灸を据えてやらねば、世間は思惑通りにいかないぞと解らせねばと考えた。


 「あのですね、先に手を振ってきたのはそちらの素敵な彼女であってですね、こちらから」

 久一が話し終える前にグラマラスが割り込んできた。

 「酷いじゃないですか。昼間に車ですれ違う時に手を振ってくれてたじゃないですか?」

 グラマラスはいじけた演技をしながらスレンダーに同意を求めた。スレンダーはグラマラスを意に介さずに久一に凄んだ姿勢を崩さない。無い胸の前で腕を組み直す。演劇部みたいな性格だ。


 確かに久一は昼間に若い女に誰彼構わずに手を振っていた。選挙に出馬した議員さん気取りで健やかな心持ちだった。しかしなんの因果か現在、久一はスーパーの精肉コーナーの前でグラマラスな女にからかわれながら、スレンダーな女に睨みつけられるという事態に陥っている。因果は我にあり。しかし断じてこの状況は好ましいものではない。唾棄すべきものだ。軽くお灸を据えてやろうと考えたのも束の間、逃げの一手を久一は早々に打った。

 「知りませんね、そもそも僕達は手なんか振ってませんし、見ず知らずの方々に手を振る意味ってあります? あなた方は他の誰かと勘違いされてませんか?」

 久一の発言をスレンダーがピシャリと返した。厩舎に戻らぬホルスタインに言うことを聞かせるように鞭を打つ。

 「いいえ、間違いない。手を振ってたのはあなたよ」

 「どうして? 証拠は? ないよね? ね?」

 久一はスレンダーの押し込んでくるような態度につい挑発的になってしまった。これが失策となる。無様な展開がやって来る。

 「だって、そんな派手なシャツを着た人を見間違わないと思うもの」

 グラマラスが充を指していた。

 「充! この馬鹿野郎が!」

 久一は窮地に立たされた原因その責任を充に押し付けた。充は俺が悪いのか? と疑問を面に浮かべながら鼻で笑う。笑っている場合かと久一は怒鳴りつけたくなるのを噛み殺す。少しは援護しろ、蚊帳の外ですみたいな顔をしやがって、外なら蚊に刺されてしまえ。マラリアでなく、クラミジアになってしまえ。

 その隙を間髪入れずにスレンダーが久一の息の根を止めようとする。

 「いつもそうやってナンパしてるんでしょ? 馬鹿じゃない」

 久一はその一言に火が付き起死回生のチャンスを生み出した。

 おやおや、本格的にお灸を据えてやらなければいけない。吠え面かかしてキャンキャン泣かしてやろうと一人で立ち向かった。クラミジアの充は当てにならない。

 「まず、お名前伺っても構いませんか?」

 「どうしてあなたに教える必要があるのかしら?」

 久一はスレンダーの高飛車な態度に苛立ちを抑えながら余裕を装って返す。

 「じゃあいいです。野薔薇さんとでも呼びましょう。野薔薇さんはいつもそうやってナンパをしているのだろうと仰りましたが、対向車から手を振って、振られた相手があら素敵、やんなっちゃうと言ってハンドルを思いきり切り返しますかね? ユーターンをしてまで手を振った相手を猛スピード追いかけ回すと? 怖い人ですねあなた。どうかしてますよ。みなさん、この人、どうかしてますよ」

 「確かに、そうね。私は派手なシャツの人と手を振っている人を見て、おかくて手を振りかえしただけだもの」

 グラマラスが客観的かつ公平な発言をする。この言葉を久一はしっかりと掴む。

 「あなたのお名前は?」

 「私は由佳で、こっちは早苗」

 「ちょっと由佳」

 スレンダーがグラマラスを制した。

 「大丈夫ですよ由佳ちゃん、こっちの人は野薔薇さんですから」

 「野薔薇さん?」

 グラマラスが首を傾げて不思議そうに久一に尋ねた。

 「ノイバラですよ。近寄るものを容赦なく傷つける。刺々しい棘人間の野薔薇さん」

 スレンダーは不服さ半分と傲慢な態度を隠すような表情をして黙ってしまった。ここに久一は勝利を掲げた。そして場の空気は最高に冷え込んで、しらけていた。ピーケー戦で三連続外して試合が終わったような感じだった。ではここでお終い、おいとましますという言葉は久一からでなかった。ここにいる三人に手のひらを返した馬鹿げた発言をする。案山子に止まって羽を休める烏のような悪ふざけ。


 「野薔薇さんとの誤解も解けたみたいですしね、本来ならここで僕と充は侘しく買い物を済ませて、車を二時間くらい走らせて住む街まで帰る予定でしたけれども、これもなにかのご縁でしょう。この後四人で食事にでも行きませんか? ちょうど充は失恋したばかりで女性との触れ合いに飢えていましてですね、でもそこは紳士なので、ご安心」

 「はっ?」

 スレンダーが拒絶的驚きで目が見開く。

 「おっ?」

 充は話の流れから理解不能だと声を漏らす。

 「きゃは」

 グラマラスははしゃぐように笑う。

 「お前なに言ってんの?」

 さすがに充も黙っていられずに久一に問う。

 「これはナンパではないですよ。ただの男女混合お食事会の参加意思の確認であって無理強いはしないですからね。あら、やだ。みなさん勘違いしないように」

 スレンダーが再度目に力をためて久一を蔑む。

 「お誘いですが、私たちこれから鍋パーティーの予定なの」

 グラマラスがくすくすと笑いながらやんわりと断りを入れる。完全な拒絶反応とまではいかない様子。久一はスレンダーに比べてグラマラスに好感を持った。スレンダーはもう相手にしないわよという態度を示すように背ける。久一はお構いなく追撃する。

 「まだ秋前なのに鍋をするの?」

 「そう、エアコンを効かせて今年の初寄せ鍋をする予定です」

 グラマラスが愛想よく体をよじった。

 「いいな、いいな。僕たちも寄せ鍋パーティー参加したいよな。なぁ充」

 久一も真似て体をよじってみた。

 「無理に決まってるだろ?」

 「最初から諦めるなよ。男だろうが」

 久一はスレンダーに下手からお願いをしてみる。

 「食材などは全てこちら側が持ちますから駄目ですか?」

 「駄目に決まってるでしょ」

 「なら、じゃんけんで決めません?」

 「はっ? 無理なものは無理」

 「もし、僕が負けたら素直に引き下がりますし、二人の食材分もお支払いしてバイバイというのはどう?」

 「だから嫌よ」

 「でもって、僕はぐーを出すから」

 久一はスレンダーの言うことを聞かずに、ぐーを出すと宣言した。相手はじゃんけんをするとも言っていないのに。にこにことしたグラマラスがスレンダーになにやら耳打ちをした。グラマラスは久一とスレンダーのやり取りを面白おかしく最初から見ていた。きっかけを作ったのもグラマラス。場の中心は最初からグラマラスが支配していたのだった。スレンダーはグラマラスに女性特有の不本意、渋々といったニュアンスの表情を浮かべてから久一に凄んでみせた。

 「いいわよ、私が勝てばお金払ってバイバイね」

 「もちろん、すごい悪役みたいな言葉だね、お金払ってバイバイって、この状況にぴったりだね」

 「いいから、いくわよ、じゃんけんぽん!」


 久一は宣言通りぐーを出した。ぐー以外の選択肢はなかった。仮に相手がぐーに勝るぱーを予想してちょきを出したところでしかたながい。お通夜のような鍋パーティーはごめんだ。参加したくもない。同じように相手がこちらが裏をかいてくると予想してちょきに勝るぐーを出してきてもぐーを出すことによってあいこになり、相手が負けることは決してない。ぐーだ。ぐーしか久一には道が無かった。勝つことが目的ではない。ぐーを出すことが久一の目的なのだ。男としての矜持だ。男はどんな辛い時でも拳を固く握る姿こそが美しい。拳が解決することもある。俺の姿を目に焼きつけろ充。


 思考をまとめるのに久一は戸惑いながら相手の指を眺めた。ちょきを出すということは相手がぱーを出すことを仮定する。ぐーを出すというのに、ぱー出したところで相手が素直にぱーを出しても引き分け、裏をかいてちょきを出されても引き分けるだけだ。勝つ気がなかったのか? それとも裏の裏の裏の裏をかこうとしたのか? どういうことだろう。スレンダーは一体なにを考えているんだ。久一が腑に落ちないでいるとグラマラスが場をとりまとめた。


 「早苗負けちゃったね。よし、今から仲良く買い出しだ、奢りだ奢り。一杯買ってもらうぞ」

 由佳が充の背中を押しながら肉の並ぶ棚へ押していく。予想外の展開に芋を引きながら久一は早苗に訊ねた。

 「あの、無理にお邪魔しようとは思わないので、気にしないで。ただの成り行きだっただけだから、だっておかしいよ、出会ってすぐに鍋を突き合うなんて。不純だよね?」

 「別にいいわよ。鍋を一緒に食べるくらい。家に上げるのは抵抗あるけど、由佳もいるからいいわ。その代わり絶対に変なことしないでよ。すぐに警察呼ぶから」

 「しませんし、触れませんし、連絡先も聞きません」

 「あと支払いお願いね」

 「それはもちろん」

 「ねぇ? 不純ってどういう意味?」

 「なんとなくですけど、初対面で鍋を突くって卑猥な感じしませんか? するよね?」

 久一を置いて早苗は由佳と充が肉を籠に詰めているところにすたすたと向かった。久一は遠目に見る充が一連の流れを疑いなく受け入れ、浮かれているようで腹立たしく、漁夫の利とはこのことかと一つ経験を積んだような気になった。

 漁夫は全く行動せずに利益を得るのか、そんなことがあっていいのか、ならば常に漁夫でありたいものだ。いいなぁ漁夫は、持っている瓢箪から駒を出すのだろうなぁ。いいなぁ。


 久一は精肉コーナーで一番高い鶏肉を選び取って、目尻の下がった充の持つ買い物かごに、そっと後ろから差し込んだ。充は久一に振り向いて今日一番の笑顔を見せた。それが鼻についたが、久一は黙って頷いた。

 幸運とは不思議なものだ。勝手に転がり込む者もいれば、どう足掻いても手に入れられない者もいる。幸運には種類がある。手放しで祝福されるものは少ない。多少の手間や問題が付属しているものの方が多いのではなかろうか?


 早苗の車に充が支払った食材や酒を詰め込んだ後、ついて来いと言うので充は早苗の運転する車の後ろを走らせた。早苗の運転は二人に気をつかってなのか、思いのほかゆっくりだった。それが仇となって早苗が直進した後に信号が変わり、二人は足止めをくらい、先導車を見失うことになった。充がしみったれた目で久一を見る。

 「青だぞ」

 「なぁ、俺たちまかれたか?」

 「とりあず、まっすぐ進め。話はそれからだ」

 充の運転する車は直進する。

 「そんなに悪くないよなあの子たち、どう思う?」

 充は久一に同意を求めた。

 「あぁ、そうだな」

 路肩に停めてハザードを点けた車が少し走ると見えた。その車は早苗たちのものだった。一旦、車を後ろにつけると再び早苗たちの車はカチカチと方向指示器を出して走る。それに続いて行く。

 「まかれてはいなかったみたいだな」

 「どうしよう、俺好きになりそうだ」

 久一は充の言葉に返事せずに、すれ違う車のナンバープレートを足し算した。答えは十五になった。三、五、七、一。再度、足し算する。正解は十六。久一は一人おかしく思った。


 早苗の住むマンション近くにある有料駐車場に案内されて車を停める。

 「三十分後にまた来るから待ってて」

 早苗が充に言うと、充は従順な犬のように返事をする。

 「うん、ありがとう。おとなしく待ってるよ」

 「犬じゃああるまいし」

 久一は早苗に軽口をたたく。

 「俺らの為に掃除とか色々してくれるんだから、久一なんかより野良犬の方がよっぽど利口だぜ」

 充は早々に女性側に着くことを決めたようだった。

 「なんかより? 野良犬? 酷い言い草だなぁ。お前は小型犬で野良にもなれないだろ? そう思うよね由佳ちゃん?」

 由佳は久一に犬の躾をするように待てと言ってから笑い、先に歩き出した早苗の後ろについて行く。そして二人の乗る車は去っていく。愛玩犬。それを充は目を細めながら頷いていた。

 「なんだよその謎の頷きは?」

 「謎は謎のままでいいじゃないか?」

  久一はポケットから煙草を取り出して火をつけた。

 「おい! 禁煙車だぞ」

 気取った充の顔にタバコの煙を大きく吹きかけて空き缶の中で火を消した。火種がじゅつと音をたてて消えたようだった。


 鍋がテーブルの真ん中に置かれた。室内を冷やすためにエアコンは必死に動いていた。充が場を盛り上げようとして乾杯の音頭をとった。久一と充は麦茶の入ったグラスを手に、早苗と由佳は缶ビールを手に。同じ麦だと久一は自身に言い聞かせる。

 「乾杯!」

 久一の取り皿に料理を早苗が取り分けた。

 「ウィンナーもう一つ」

 久一が早苗に口を出す。

 「はいはい」

 早苗は鍋からウィンナーを三つ取り、久一の取り皿に入れた。

 「はい、どうぞ。召し上がれ」

 「こりゃどうも、ありがとうございます」

 久一は嫌味の一つでももらうのかと思ったが、早苗の態度の軟化を不思議そうに見た。酒が入れば人が変わるのだろうか? ならば、常にアル中なら可愛げがあるのに。


 食事が進むにつれて充は由佳に美湖から身を引いたと誇張した話をする。決して嫌いになって別れたのではないと。久一は付き合ってもいないくせにと引っ掛かりながら黙って置く。由佳は充を慰めた後、自分は振られた男にしつこく復縁を迫られていると嘆いていた。早苗はどことなく居心地が悪そうにビールの缶を開けた。久一がどうしたのかと問う。

 「由佳に響也を紹介したの私だから、ちょっとね」

 「紹介してと頼んだのは私なんだから、早苗は気にしなくていいよ。別れたくないと泣いて縋った時は捨てたくせに、よりを戻したいなんて都合が良すぎるのよ」

 「そいつの肩を持つ訳ではないけど、由佳ちゃんと過ごした時間がどれだけ大切だったか離れてわかったんだろうな」

 充は狡い言い回しで由佳のポイントを取りに行く。肩を持つ振りして由佳を誉めているのだ。久一はポン酢をくれと早苗に頼んだが、寄せ鍋には味がついているから必要ないと言われる。しかし食い下がり、この家にはポン酢は無いのか? そんなことがありえるのか? 無いならば渋々諦めるが、あるなら持って来いと言う。あるが持ってこないと早苗も対抗する。なぜだと質問すると、早苗は取りに行くのが面倒だと答えた。久一はならば取りに行くからどこにあるのかと問う。冷蔵庫の中にあるから勝手に取って来いと返されて立ち上がると由佳が久一にお願いをした。

 「飲んで忘れたいのでビールもお願いします。三本」

 「野薔薇さんは今開けたらばかりだから、ぬるくなるからね、又欲しくなったら取りに行ってあげるから一本でいいよね? それにポン酢とビール三本は待てないよね?」

 「違いますよ、二人も飲めばいいじゃないですか?」

 「いやー飲酒運転はね、アウトローですよ。俺は飲めても充は運転があるから」

 「泊まっていけばいいじゃないですか?」

 「それは俺たちがよくても野薔薇さんが許してくれませんから」

 「フローリングの上でならいいわよ。タオルケットくらいなら貸してあげる」

 「はっ? いいのかよ! よくないよねそういうのは」

 「変なことしなければ泊めてあげるわ」

 「気持ちは有り難いけどね、床の上で寝るのは肩凝りそうだし嫌だな」

 「みんなで並んで寝ればいいじゃないですか? 楽しいですよ」

 「由佳さん、お酒を少し控えませんか? なぁ充、おい! その反抗的な目つきはなんだ!」

 「お前が下心出さなければ泊めて頂けるんだ、さっさと決めろよ」

 「俺はポン酢と自分のビールしか持って来ないからな! 後は知らないね」

 久一の後に充がピッタリと着いてくる。


 「乾杯!」

 今度は由佳が音頭をとった。その後、充は由佳と恋愛感について語り合い、久一と早苗は亀を食べたことがあるか無いか、山羊と羊は共存できるのかどうか、山羊の目は以外と恐ろしいなど、お互いを揶揄いながら時間が過ぎていった。


 「野薔薇さん、いい時間だし、シャワー浴びさせてもらってもいいですか?」

 久一の言葉に早苗は驚いて返す。

 「嫌よ、泊まっていくのは勝手だけど風呂は貸したくない。我慢しなさいよ」

 早苗の驚きに久一は驚く。

 「風呂だめなの?」

 「普通に嫌よ、歯ブラシは買い置きがあるから使っていいから」

 「歯ブラシの話はしてないから」

 「よく考えてよ。着替えないのに意味ないでしょ?」

 「着替えなんて一日くらい変えなくてもいいの」

 「ならお風呂も一日くらい大丈夫でしょ?」

 「風呂は別でしょうが」

 「二人とも喧嘩しないの、ねぇ充くん」

 「そうだよね由佳ちゃん」

 「でも本当に風呂は貸さないからね」

 「大丈夫、みんなでスーパー銭湯に行けばいいでしょう、ねぇ充くん」

 「そうだよね由佳ちゃん」


 久一は熱い湯の中で目を閉じた。充はその隣で口笛を吹いた。下手くそな笛の音が大浴場の喧騒を微かに振るわせる。

 「お前、結構な感じで薄情だよな」

 充は久一の言わんとすることに反論せずに、湯で顔を洗い流した。

 「美湖ちゃんのことは、まだ好きだよ。でも由佳ちゃんと出会ってしまったからな」

 「割り切れるのか?」

 「俺に選択権は無いよ。そうだろ? 振られてるんだぜ?」

 「それは、まぁ、そうだけどさ」

 「先に上がってるわ」

 充は久一の肩をぽんと叩いて湯船から出る。久一は余計な一言だったかな? と考えたが、余計ではなかったなと思い直した。


 休憩所にあるテーブルで三人が久一を待っていた。由佳がフルーツ牛乳の瓶を久一に手渡した。

 「ありがとう」

 久一は蓋をとって一気に喉に流し込んだ。牛乳とフルーツ牛乳の値段は同じなのに牛乳を買う人もいるんだなぁと由佳の手元を見た。化粧の落ちた由佳の顔は少し地味で柔らかい印象がさらに増していた。横目で早苗を確認する。

 「なによ! じっと見ないでよ」

 「いや、別に」

 早苗は久一の視線に文句をつける。久一は早苗の顔を見て半笑いなどしたからだ。それは馬鹿にしたのではなく自然と溢れたものなので防ぎようがなかった。はっきりとした目鼻立ちで整っており、誰が見ても器量良しとするだろう。しかし風呂上がりで血色がよく、化粧をしていない早苗はどこか幼く少女のように久一に映った。それに加えて生意気な態度が混ざり合えば、ただのガキだなぁと余裕のある気持ちにさせられてしまったのだ。


「帰りますか」

 久一の一言に三人は立ち上がった。そして充と由佳が前を歩き、ほどなくして二人は腕を組んだ。由佳が振り返って笑った。久一は横にいる早苗に答えを求めた。

 「なによ!」

 久一は早苗に腕が組みやすいように近寄ってみる。すると肩を早苗が殴りつけた。

 「どういうことなの?」

 「ほっときなさいよ」

 早苗の口からは至極真っ当な答えが返ってきた。


 銭湯から出ると充と由佳の前に一人の男が立ち塞がった。二人は足を止めて、久一は後ろから邪魔な人もいるなと思いながら同じく足を止めた。

 「由佳、話したいことがある」

 「私はないよ」

 早苗がペタペタとサンダルを鳴らしながら由佳の前に出た。

 「響也、どうしてここにいるのよ?」

 「話したくて待っていただけ。五分でいい」

 「待ち伏せとか少し異常よ、分かってるの?」

 「早苗に話がある訳じゃないんだ、由佳」

 男が由佳の手を取ろうとするのを充が振り払う。

 「二人ともちょっと下がっててくれるかな?」

 男は振り払われた手で充のシャツの胸ぐらを掴んだ。

 早苗は由佳の手を引いて後ろに下がり久一に訴えかける。

 「ちょっと、止めなさいよ」

 充は胸ぐらを掴まれたまま動かなかった。由佳はいい加減にしてと男を非難した。久一は二人に落ち着くように促す。

 「まぁ待ちなさい、彼が由佳ちゃんの元いい人なの?」

 「そうよ、だから早く」

 早苗は焦れながら久一の背中を叩く。

 「殴り合いになったらどっちが勝つかな?」

 久一の言葉に早苗が怒気を持って返した。

 「馬鹿じゃないの! 響也はアマチュアだけどボクシングしてたから充君が怪我するわよ。はやく止めて」

 久一は充にも男にも聞こえるように大きな声で早苗に言う。

 「彼ボクサーなの? じゃあ充も総合格闘技してるからいい勝負になるね。どっちが勝つか賭けようぜ」

 胸ぐらを掴まれながら充が久一に振り返って笑う。久一も充に笑い返す。

 「ちょっと本当に止めてよ」

 「いや、こういうのって逆漁夫の利みたいになるパターンが多いから嫌だなぁ」

 「ふざけないでよ」

 「別に止めてもいいけど、どっちにしても充の勝ちだろ? 由佳ちゃんに介抱してもらえるか、かっこつけるか。二、三発殴られりゃいいじゃない」

 久一と早苗のやり取りの間、充の方はお互いに睨み合ったまま硬直状態が続いていた。

 「久一君、お願い」

 由佳が久一のTシャツの袖を引いて言う。

 「おねだり上手だねぇ」

 久一はもう少し野次馬していたかったが泣きそうな由佳にほたされてしまい、充と男の間に入った。

 「とりあえず一旦手を放しましょうか」

 充の胸ぐらを掴む手に手を掛けた。驚くほどすんなりと手が下がる。

 「二人とも考えていることは同じでしょう? 先に手を出してくれるのを待っている。そんなの明日になるぞ? いや、ガリガリになるまで待つの?」

 充はふっと鼻を鳴らす。

 「なんだその態度は? 人がせっかく仲裁してやろうとしてるのに。もういいから後ろの二人を連れて先に帰れ」

 久一は充の肩を押す。そして手を払って追い立てる。男は久一を怪訝そうに見る。

 「とりあえず向こうの方に歩きながら話ましょう。悪いようにはしませんから」

 久一は男を優しく反転するように誘導した。素直に男は従ってゆっくり歩き出した。男はそうするしかない。抜いた刀の鞘はどこにも無かったのだから。

 「どこ行くのよ!」

 早苗の不機嫌な声に散歩だよと久一は答えて男と道なりに真っ直ぐ進んだ。


 男は黙ったまま久一の隣を歩いた。

 「響也君だっけ? 君は忍耐強いね。俺ならすぐに殴ってたかもしれないから。殴られてもいいんだけどね女の前で格好つける奴なんて」

 久一の言葉に響也は返事しなかった。そのまま二人は五百メートルくらい無言のまま歩いた。久一はどこまで歩くのかなと思いながら響也の言葉を待った。

 「俺が悪いのは分かっているんです。でも」

 響也はぽつりぽつりと由佳との関係と心境を久一に吐露していく。相槌を打ちながらどこまでこの道はあるのだろうと思った。細くなったり、太くなったり、また細くなったりと。


 

 

 

 

 

 

 

 


 


 

 

 

 



 

 

 

 新年明けましておめでとうございます。今年はもう少し頑張れるといいかなぁと思いながら、すぐに休みが終わってしまいました。本年も暇があればお付き合い願います。

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