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徒然と紡ぐ日の影  作者: 村街マイク
13/19

キャンプに行く その1

 黒いミニバンが久一ひさいちの住むアパートの前で停まった。窓を下ろして運転席の隼人はやとが告げる。

「忘れ物はないか?」

 家電量販店で貰った団扇で首元を扇ぎながら、久一は助手席に乗り込んだ。

「ないない、久しぶり美雪みゆきちゃん、ヘイ、ヘイ、ヘイ」

 助手席から振り返るとみつると美雪、そして、チャイルドシートに収まった真美まみがいた。久一は体を伸ばして美雪にハイタッチをして、真美にも手のひらを向けた。柔らかな小さな手の感触が返ってきた。

「久しぶりで、どんな感じか緊張してたのに私、馬鹿みたい」

 美雪は隼人に視線を送ったが、気づいていなかった。


「真美ちゃんの服いいね。とても似合ってる」

「ごめんね。真美が気に入って離さないから直しに出したの」

 真美は、大きな向日葵の柄の入ったワンピースを着ていた。大人には奇抜な柄でも、子供なら違和感がない。

 おもちゃ売り場で子供は駄々をこねて転びまわり、号泣してもいい。大人がパチンコ屋で台を殴りながら、唾を吐き、発狂してはいけない。

 これが大人と子供の境界線。


「久一君、ありがとう」

 真美は頭を下げて久一に礼をした。

「どういたしまして」

 久一が笑顔を返すと、不思議そうに首を傾げた。

「真美ちゃんは賢いね。薄汚い大人たちに無理やりお礼の練習させられて、我慢したんだね。偉い子」 

 真美は勢いよく美雪を見上げる。

「あー、こんな感じだった。昔から変わらないのね」

 美雪の言葉に、隼人が口の前で人差し指を立てる。久一は、充の形をした捨て猫に疑問を投げた。

「充、今からどこに行くか知ってる?」

 充は初対面の美雪たちとの距離を測りかねて、いつもより硬い冷凍バナナになっていた。

美湖みこちゃんを駅前で拾ってから、キャンプ場だろ?」

「だよな?」

「そうだけど?」

「どーしてシャレたジャケットなんて着てらっしゃるの?」

 充は一皮剥けて、久一に鼻息を浴びせた。

「これはトロピカルウールで夏用のカジュアルなジャケットなの。お前こそ半袖で山に入るのか?」

 全て隼人に任せた結果、足元はサンダル。幸いにも下は半ズボンではなくカーゴパンツを履いている。トータルコーディネートとしてはアウトドア方向ではないか?

「大丈夫だもんね。隼人が用意してくれてるもんね! なぁ隼人?」

 隼人は左折するためにウインカーをカチカチと鳴らした。

「虫除けスプレーと塗り薬がある。長靴もあるよ。それと、このレンタカーに慣れてないから話を振らないでくれる?」

「冷たい、なぁ真美ちゃん」

 真美は首を横に振る。久一も真似る。頭がくらっとして車酔いしそうになり、前に向き直った。

「着いたら起こしてね」

「はい? へい!」

 隼人はハンドルを握りながら返事をした。


 駅の近くに停車して二人は降りた。久一は駅に併設されているコンビニで飲み物と菓子を買う。充は美湖を迎えるために。

 真美が好みそうな物を、片っ端からカゴに入れていく。会計を済ませると、手元には半透明の袋が一つ大きく膨れ上がっていた。


 久一が戻った時には美湖も合流し、美雪と談笑していた。美湖がデザインしたワンピースを、勝手に子供服に仕立て直したことに気を悪くしている風でもなく、感心しているようだった。

「久一さん、そんな格好で大丈夫ですか?」

 挨拶もそこそこに美湖が久一の軽装に口を出した。

「おい、充君」

 充は褒めるように美湖を見やる。美湖は要領を得ない顔でとぼける。

「お似合いだよ、全く」

 久一は袋の口を大きく開いた。真美は林檎の炭酸ジュースを選んだ。チョコクッキーとポテトチップスの袋を抱かせてやり、ペットボトルの蓋を開ける。真美の頭を触ってから残りを充に投げた。

「よし、出発しよう。真美ちゃん」

「うん、出発」

 真美の声が弾んだ。

「おー」

 真美の号令に久一だけが応える。真美が返事をしない大人たちに口を尖らせる。

「おー」

「おー」

「おー」

 残り三人はもっさりとした返事をした。

「お前ら覇気がないぞ! 隊長のご機嫌を損ねぬよう気をつけろ!」

 久一が喝を入れる。ゆっくりとタイヤがアスファルトの上を滑り出した。


 キャンプ場までの道中は、さらさらと流れた。都会の空気が田舎の空気へ変化していく。化学反応を起こしているのかもしれない。黒から紺へ、変色しながらやがて目に見えない透明へと。


 キャンプ場、到着前に一騒ぎがあった。久一は、うつらうつらと車の揺れを子守唄にしながら目を閉じていた。後部座席にいる充たちの会話が耳に入る。

「ここまで来ると、田舎の匂いがする」

 気取った、わかったような言葉を充が口にする。振り返ると窓の外に手を垂らしながら、遠くを眺めていた。あえてエアコンの効きが悪くなるから窓を閉めろと久一は注意しなかった。

「本当ですね、微かにするのは土の匂いなんですかね?」

 美湖が下手くそな相槌を打つ。

「山の匂いかもね」

 充が山を指す。久一には気に食わないやり取りだった。突いてやろうかとした時、車が信号待ちで停車した。ちょうどそのタイミングで充が悲鳴を上げた。

「うわー。蜂が入って来た! 危ない危ない、みんな窓を開けて!」

 充の声に驚き、女性たちも声を上げた。後ろの席がばたばたと騒ぐ。窓を開けて追い出そうとする。出口を明確にしたにもかかわらず、久一の耳元で羽音がした。羽音は久一の側の窓にぶつかりながら外に出ようともがいていた。

「危ない、早く窓を開けろ!」

 充は久一に唾を飛ばす。久一は羽音の主を元の世界へ逃した。

「無知な充君。あれは虻だ」

「虻だって危ないだろ?」

 充の返答に久一と隼人はくすりとしたが、女性陣は無反応だった。

「なかなか基本に忠実で、俺は好きだけどな充君」

「何が?」

 久一は後ろの真美を確かめる。真美は驚いて口を一の字にし、クッキーを持っていた。菓子工場にありそうな彫刻みたいに。

「もうすぐ着くからね」

「うん」

 本当は、もうすぐ目的地に着くかなんて分からなかったが、真美はこくりと頷いてクッキーを栗鼠のように齧った。


 キャンプ場に到着すると、隼人が迅速に段取りよくことを進めた。管理人に宿泊するバンガローの場所を聞いて、寝具の有無の確認も怠らず、共同トイレとシャワー施設の場所まで把握する。

 支払いを済ませた隼人に、財布を持った美湖が近寄ると手を振って受け取りを拒んだ。

「次は美湖ちゃんの奢りで行こうよ」

「えっ? はい。ありがとうございます。約束ですよ!」

 美湖は笑って財布をしまった。そのやり取りを充は突っ立って見ていた。久一は放っておけなかった。

「隼人はスマートだなぁ。やり口が手だれてやがる。俺は、はなから財布を出さないぜ」

「あぁ、そうだな」

 充は久一に取り合わずに、車からクーラーボックスや折り畳みイスなどを降ろし始めた。久一は荷物の中から缶ビールとネットを探して、ネットの中に缶ビールを入れて湖に投げた。湖は驚いたように水しぶきを立て、水面には大きな王冠ができた。水は冷たかった。山から流れ込んでくるからだろう。近くの立て看板には、遊泳禁止と書かれていた。河童と子供が溺れている絵のおまけ付きで。この湖では河童までも溺れてしまうということか。


 久一と真美以外の者が、バーベキューの準備に取りかかっていた。時刻は正午を過ぎたくらい。このまま昼食をダラダラと摂りながら夕食後まで粘る算段だった。充が炭と火をおこして、美湖は米を研いでいた。久一は真美と二人で湖畔で戯れていた。

「なにしてるの?」

 屈んでいた久一と真美に美雪が近寄って尋ねた。真美の顔には屈託がない。

「ママには内緒!」

「どうして? 教えてくれてもいいじゃない?」

「どうする? 教えてあげましょうか? 真美ちゃん?」

「うーん。じゃあ、いいよ」

 久一は真美の許可を得て、地面に転がる大きな石の一つを、背中の筋肉を力ませながらひっくり返した。すると、安住の地に腑抜けきっていた、小さな虫たちが驚き慌てふためき散り散りにその場から躍り出た。

「ぎゃー」

 美雪も虫のように、その場から駆け出し、こっちに向かってくる隼人に援護を求めた。飛び跳ねた真美を真似て久一も右手、左手と空に突き上げてから、次の石に手をかける。

「だから内緒にしたのにね?」

「したのにね。ママ怒るかな?」

「大丈夫、大丈夫。二人で逃げよう」

「うん」

 真美は久一に抱きついた。久一は次の石をひっくり返すために屈んでいたので、倒れそうになったが、踏ん張った。そこに隼人を連れて美雪が戻って来る。

「久一、悪い遊び教えないでくれるかな?」

 隼人の後ろに美雪は隠れていた。

「自然の勉強だよ。もし世界が終わりそうになり、食糧が底をついたとするだろ? でも、幸い釣り道具はある。しかし、不幸にも釣り餌がない。餌さえあればな。あーあー! となった時に困らなくて済むじゃないか」

「確かに」

 久一に甘い隼人に美雪は、いい顔をしない。抱きついたままの真美は、もっと石をひっくり返してくれとせがむ。

「あのね。包丁を持ってくるの忘れたみたいで、今から少し戻って買いに行こうと思うの」

  「包丁だけ買いに行くの? 物騒な感じがするね。しかも包丁だけ持ってキャンプ場に戻ってくるなんて、絶対に事件だよ」

「確かに」

 美雪が同調する。

「それは言い方に問題があるだけだろ?」

「充に行かせれば?」

「駄目よ、もうビール飲んでるし」

「使えないな。あーあー使えない」

「美湖ちゃんの手前で緊張してるんだろ。だから俺が行くから」

「なら、三人で行ってくれば。別に急ぐ必要もない。俺は適当にここらを探索してるから。長靴は履かないけど」

「そうか? 悪いな。でも長靴は履いた方がいいぞ」

「いいよ、気にするな」

「真美ちゃん行かないよ」

「真美、わがまま言わないで」

 美雪は真美と同じ低い目線になり、母親の顔を出した。隼人は頭の後ろで手を組む。

「真美ちゃん、どうして一緒に行かないの?」

 久一が尋ねた。

「だって久一君、ひとりぼっちは可哀想だもん」

 久一は真美を抱えて立ち上がった。

「だそうです。気をつけて。お二人で行ってください」

「お願いして大丈夫?」

 美雪が両手を合わせて片目を閉じた。

「大丈夫! そのかわり必ず二人揃って無事に帰って来いよ! あぁ、三人になってたって構わないけどな! ごゆっくりどうぞ」

「美雪、行こうか」

 隼人はエスコートするように腕を美雪の腕に絡めた。美雪は一呼吸遅れて、久一の言葉を理解したようだった。

「解放的だから四人かもね」

 久一はなかなかな返しだと二度頷いた。それを真似て真美も頷いた。二人は真美を見て吹き出してから、お願いしますと残して包丁を買いに出た。


 久一はコンビニの袋に飲み物を入れて、山の探索に出かけることにした。真美の手を引き、歩調を合わせながら。


 山の中は蝉の鳴き声でごった返していた。ここは地獄に落とされた囚人が蝉の姿で地上に送り返され、泣き叫んでいる場所ではないか? という想像が久一の脳裏に浮かんで消えた。そんなことはありえない。蝉は雄しか鳴かない。女は地獄に落ちないのか? 地獄でも意地を張って泣かないのか? いじらしい。などと耽っていると真美が蝉になった。

「ミーンミーンミーン」

「ミーンミーンミーン」

 久一も蝉になる。二人は三十分くらいずっと蝉だった。そのせいで喉がカラカラになった。真美はいつまでも蝉だった。丁度座って休憩するのに、いい感じの石に尻を落ち着かせて真美を膝の上に置く。

「ちょっと休憩しようか」

 真美に水分補給を促すと、喉が渇いていたのか勢いよく麦茶を飲んだ。ペットボトルがポコポコとリズムを刻む。

「ねぇ、蝉太郎の話をしてあげようか?」

「うん」

 久一は取ってつけたような作り話を真美にした。


 太郎たろうは念願の地上に、やっとのことで這い出した。もし頭上がアスファルトで固められていたらどうなっていたことか、などと太郎は考えない。

 最寄りの大木に腕を伸ばして、ゆっくりと登り始めると上の方から声がした。

「あなたも今日出て来たの?」

「そうだよ」

 急いで声の主のいる所へ向かう。声の主は太郎が登ってくるのを待っていた。

「僕は太郎、君は?」

「私は花子はなこ、よろしくね」

 自己紹介をして会話が途切れた。月が薄雲から顔を出した。

「よかったら一緒に登らないか?」

「でも、私は体が弱いみたいだから」

 花子は申し出を受け入れなかった。月は雲に負けじと太郎を照らした。

「かまうものか、二人で登ろう。その方が楽しいよ。うん、きっとそうだろ」

「ありがとう。太郎」

 二匹の歩みは遅かった。後から来た者に追い越されていく。一匹、二匹、三匹と。太郎は追い越してゆく者を数えるのをやめた。追い越されるたびに、花子は微笑んだ。太郎は返礼に励ました。

「あいつらは黙々と一人で登って楽しいのかな? 僕は花子と二人でとてもいい気分だよ」

「ありがとう、太郎」

「気にすることはないよ。もうすぐ僕らは大人になるんだ。そうしたら、一緒にどこまでも飛び回ろう。ずっと遠くに、自由になれるよ」

「約束よ」

 月は厚い雲に隠れてしまった。


 ようやく二匹は目的の安全な場所に辿り着いた。そこには既に飛び立った仲間の抜け殻が無数にあった。

「次に顔を合わせる時は、お互いに大人になっているなんて、なんだか面白いね」

「私は少しだけ不安」

「僕は君が大人になるまで待っているよ、だから安心して」

「約束よ」

「約束だね」

 二匹は体をしっかりと木に預けて、その時を待った。もし花子が先に大人になっていたら一人でどこかに飛んで行かないかな。


 大人になれば世界は変わる。大人になれば世界は? 変わってしまう。


 意識の戻った太郎は羽を動かしてみた。羽はしっかりと固まっていた。旅に出る準備は整った。いつでも飛び立てる。花子は大丈夫だろうか? 

 先に脱皮を終えた花子が、約束を守り待っていた。太郎の感情が体を突き抜けてゆく。

「待って!」

 花子が叫んだ。太郎は言葉を耳にしながら空を存分に闊歩した。

 それから、花子の傍に着地した。

「僕一人で遠くに行かないよ。約束したじゃないか。ずっと遠くに二人で行こう。どこまでもね。それにしても、大人っていいものだね」

 花子は太郎から歩いて距離を取った。

「私は子供のままがよかった」

 ぽつりと零す花子に、太郎は木から離れて一回りした。

「子供のままなら、空飛ぶ自由は得られないじゃないか」


 空が染まろうとしていた。月は姿を隠した。花子は太郎との違いを話した。


「だからと言って、約束を破るのは嫌だ」

 太郎は鳴いた。泣いた。懸命に花子のために上げた音は空に吸われた。どこに行ったのか。届かない。


「ありがとう、太郎」

 花子は羽化が上手くいかず、羽が自由に動かせなかった。他の蝉たちのように遠くに羽ばたくことはできない。太郎に対して気丈に振る舞えたか、わからなかった。

 

「花子はずっとここに残るつもりかい?」

「私の体では、遠くにいけない」

「なら、僕が遠くを見てくる。色々な景色を花子に教えてあげるから、よかったら待っていてくれないかな?」

「ありがとう、太郎」

「約束だ、僕はもう泣き言ひとつ零しはしないから」


 太郎は花子を残して飛び立った。染まりきった空へ。求めるものを探し求める旅へ。花子は見送りながら、真っ直ぐに飛ぶ姿に胸が揺さぶられた。揺さぶられない者などいないと確信めいて、気持ちが急速に萎んでしまい、動けなくなった。


 太郎は急いで飛び回った。森を見て、山を見て、海を見た。海に落ちたらひとたまりもないだろうと怖気づいた。花子を想い身を鼓舞する。

 電信柱に捕まってひと休みする。町は緑が少なくてどうにも落ち着かない。公園の木には多くの蝉が集まり鳴いていた。その仲間に加わってみたが、太郎は鳴かなかった。

 どうしてわざわざ花子の元を離れてこんなところにいるのだろうか? 疑念が湧く。もやもやする感情を抱えて過ごすことを太郎はよしとしなかった。残された時間は長いのか短いのか、太郎に知る術はない。


 花子の待つ木に戻ろう。教えてやろう。僕の見た世界は特別なものでは無かった。どこにいても大差はない。君と離れた時間は無駄だった。そのことを知れたのが唯一の救いだ。違う。花子が待っていてくれるのが救いなのだ。

 君と見た月がこの世で一番だったと告げよう。目に入る景色なんてどうでもいい。何度も並んで月を見上げよう。


 太郎は懸命にもと来た道を辿った。寄り道することもなく、花子に会いたい一心で羽ばたいていく。


 太郎は、約束通りに花子の待つ木に舞い戻った。どんな顔で話しかければいいのか。気恥ずかしさはあったが抑えきれない。

「太郎」

 花子が太郎を先に見つけた。

「花子」

 太郎は花子の傍に近寄ろうとした時だった。

「よう旦那、遅い帰りだったなぁ」

 知らない蝉が太郎と花子の間に割って入った。蝉は太郎に見せつけるように、花子の羽に触れて並んだ。花子は拒まなかった。

 太郎は花子に問う。

「そいつは?」

 花子は言葉を探しているようだった。

「俺が話してやろうか?」

「待って、みつるさん」

「いや、もう嫌というほど待った」

 太郎は花子と充のやり取りに平静ではいられなくなった。充は平坦に言葉を並べて、置かれた立場と状況の説明をする。太郎にとってそれは受け入れ難いものだった。

「旦那がふらふらと自由に飛び回っている間、花子はじっと動かずに、一人で待っていたんだ。そこへ俺はたまたま居合わせることになった。ラッキーだったね。花子は最初こそ俺を拒んだけれど、受け入れてくれた。旦那はアンラッキーだったね。それに花子は」

「もうやめて、充」

「やめない、俺はお前を許さない」

 

 世界が歪んでいく。どうして責められなくてはならないのか。許さないとはどういう意味だ。現実が太郎を蝕んだ。太郎の羽は脆弱すぎた。


 風が吹いたような気がした。それを合図に。言葉一つ残さずに太郎はその場から飛び去った。風は本当に吹いたのだろうか。


 太郎は泣いた。胸を振るわせながら鳴いた。


 秋が忍び足をする。蝉の鳴く声もいつの間にか無くなっているようだ。しかし、耳を凝らすと最後まで鳴くのを諦めない蝉がいた。


「太郎が可哀想」

 目を潤ませた真美が久一を責める。久一は蝉の鳴き声のする木を見上げた。

「冷た。うわ」

 顔を手で拭う。太郎が作り話に抗議の意を込めたものだとするならば、実に野蛮な行為だ。汚物を顔にひっかけて飛び去るなんて。

「どうしたの?」

「蝉の野郎がしょんべんをかけて行ったんだ。まったく畜生だね」

「おしっこかけられたの?」

「そう、雄の蝉は鳴きながらしょんべんを漏らすので有名なの。太郎か充の仕業かもしれない。覚えておくんだ。男はすぐ泣いてしょんべんを漏らす情け無い生き物だとね」

「汚いなぁ。久一君も? 隼人君も?」

 真美は不思議そうに尋ねた。表情がころころと変わった。

「もちろん、男は情けないよ。真美ちゃんは女の子でよかったね」

「うん!」

「そろそろ二人も、戻って来るかも知れないから」

 真美は久一の手を握りしめて先導した。

「太郎はどうなったの?」

「えっ? 太郎の話まだするの?」

「うん」

「その後、なんと太郎は、なんやかんやありまして、幸せになりましたとさ。おしまい」

「なんやかんや? 花子と仲直りできた?」

「花子と幸せになりましたよ太郎さんは!」

「よかった」

 花子は花子でも同じ名前の違う花子だけどね。久一は付け足すのを我慢した。代わりに真美に質問を投げる。

「充のその後は気にならないの?」

「充はどうでもいいの」


 久一は真美の言葉に戦慄した。まだ幼いのに、多くの女性が持つ残酷な思考を持ち合わせている。興味の無い者に対して、あからさまな対応。これは隼人に注意喚起を促さなくてはならない。

 久一は隼人に手土産を持って、皆の待つ所へ真美を連れて帰った。


 二人がキャンプ場に着くと、すでに隼人と美雪も戻っていた。バーベキューの準備も終わっている様子で、隼人が二人に手を振った。

「走ると転ぶよ」

 真美は繋いでいた手を解き、隼人と美雪の元へ走り出した。久一は注意したにも関わらず。

「危ない」

 躓いて盛大に転んだ真美の元へ、隼人と美雪が駆けつけた。

「真美、大丈夫か?」

 隼人がしゃがむ。真美は膝を少し擦り剥いていた。膝をさすりながら口をすぼめて痛みに耐えていた。

「泣かないの偉いね」

 美雪が褒めた。

「真美ちゃん、渋い顔するねぇー」

 久一が讃えた。

「お前なぁ」

 隼人が物申そうとした。

「ママ、女の子は泣かないんだよ。男の子はすぐに泣いておしっこ漏らすの。真美ちゃん泣かないよ」

 隼人と美雪が久一を同時に見やる。隼人は笑いを噛み殺して、美雪の方はむっとした感じだった。

「蝉の話だよ。真美ちゃんは賢いから、この大自然から学んでいるんだよね。そうだよね真美ちゃん?」

「うん!」

 真美は渋い顔のままだった。

「ご飯にしようか真美」

 隼人が真美を抱き上げて歩き出す。

「美雪さん、あなた今、笑いましたね?」

「あら、見抜かれてしまいましたか?」

 

 一同はバーベキューコンロの周りに椅子を並べた。食べものは小さな給仕さんがお皿に配り回っていた。その姿を肴に酒を呑んで微笑んだり、げっぷをしたりしていた。一人を除いては。

「久一、俺、真美ちゃんに嫌われてないか?」

 充が耳元で囁く。

「どうして?」

「だって、俺の皿には、なに一つくれないじゃないか?」

「食べたきゃ自分で焼いて取れよ。ウィンナー、ちょうだい」

「はーい」

 真美はリクエスト通りに、ウィンナーをトングで掴んで皿に運ぼうとして、地面に落としてしまった。久一はウィンナーを拾い、汚れをビールで濯いでから口に入れた。

「サンキュー」

 真美は美雪の足に抱きついた。

「そういうの、いいな。仲間に入りたいよ。疎外感で切ないわ」

 久一は悪酔いされても面倒なのでお願いをする。

「充にもやってくれるかな? その辺の焦げた野菜と肉でいいから」

 「もう、充君は意地悪しちゃ駄目だからね」

 今度は美雪に教わり、落とさないように皿を手に持ち、焦げた肉と野菜と焦げていない肉を充に渡した。

「はい、どうぞ」

「ありがとう真美ちゃん。ありがとう」

「どういたしまして」

 充は焦げたピーマンとカボチャを口に頬張りながらハイボールで流し込んだ。

「うまいだろ?」

「最高だね」

「感謝しろよな色々とよ」

「お前、変なこと真美ちゃんに吹き込んだだろ?」

 今日の充は冴えていた。

「するわけないだろ? あぁ?」

「もう、意地悪しちゃ駄目っておかしくないか?」

「声が大きい、もっと嫌われるぞ!」

「悪い悪い」

 二人は囁き合った。

「言葉の綾だよ。たまたま蝉の話をした時に、充と言う名の蝉が登場人物の中にいてだな、見解によっては悪い奴じゃないけど、真美ちゃんには悪印象に映ってしまったのかな?」

「お前は好きだなそういうの、そもそも」

「待て、そもそもとはいかに? そもそもはこちらの台詞だ。お前たちを二人きりにしてやるために、わざわざ真美と離れてやったのに、遺憾だな僕は」

「ずるい、ずるい、ずるい。でもありがとね久一」

 充が久一に抱きついた。そこに真美がやって来る。久一は充を引き剥がして真美を膝の上に座らせた。充の方に大きなゲップをくれてやる。真美は口元を上品に押さえた。


 だらだらと過ごした夕暮れ時に、久一はパンツ一枚になって湖に飛び込もうと誘ったが、誰一人参加希望者はなく、一人で泳ごうと、胸に水をかけている所を管理人に見つかり、こっ酷く説教されてしまった。

 本日もくだらないお話にお付き合い頂き、ありがとうございます。夏も終わりでしょうか? しかしこちらはまだ昼には元気に蝉が鳴いております。今年は十匹以上の蝉がひっくり返っていたのを助けました。中学生の頃、夏休みに友達とひっくり返った蝉を1日2匹を最低表に返して助けるというノルマを課しておりました。ひっくり返った蝉が脚を前で組んでいたら友達は「こいつはセミファイナルだ」と言っていました。彼は元気にしているでしょうか? 気が向けば連絡を入れたいと思います。では、次のお話もよければお付き合いお願いします。

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