凄い奴 その1
週末、どこかの金曜日。ゴミ箱の前に空き缶が落ちている。時を止めたり戻したりは誰にもできない。空き缶は風に押されてゴミ箱から離れていく。一瞬が重なりあった結果、過去がある。非情であり、希望でもある。
「シマキリさんと知り合いになったのか? どうやって? おい、詳細に、おい」
充はバスカーのソーダ割りを右手に持ちながら、カウンターに置いたシマキリキリエの名刺を眺めた。
「マスター、デュアーズ12ソーダでお願いします。しつこいぞ充君。成り行きでだよ。焼肉食べて、一緒に酒飲んで、はい、さいならよ」
「詳しく教えろよ」
充はシマキリシャツの信者で、もっと濃い情報はないのかと迫る。久一は気のいいおっさんだったと口を濁した。
「欲しければ譲ろうか充?」
「いらねぇよ、サインのひとつでも書いてあるなら欲しいけど、それはシマキリさんの弟子のだろ? 俺は本格派なの。いらんいらん」
隼人は大きな向日葵柄のワンピースを胸に当て広げ、久一に疑問を投げる。
「人から貰ったものを人に譲るのってよくないぜ」
「わかってるよ、わかっているけどね、わかってよ隼人」
「わかるけど、さすがに美雪の趣味じゃないから」
「生地や縫製は文句なしだよ、着心地も申し分なしだ」
「お前これ着たのか?」
「成り行きでな、いらないなら捨ててくれ」
隼人は首を横に振る。
「その言い方狡いぞ」
「とりあえずもう所有権はお前のものだから好きにしてくれ」
隼人はワンピースを小さく畳んでカウンターの上に置いた。畳み方にひと手間加えて向日葵が上から見えるようにした。
「自己主張が強いよ、向日葵がこっち見てる。しまえしまえ」
「後でな」
隼人はとりあえず美雪に経緯を説明して渡そうと思った。その後、二人でひと笑いしようか。なぜこのワンピースを久一が着る羽目になったのか? という疑問は残るが二人の話題は次に向かっていた。
穴子の天ぷらを箸で突きながら久一と充は凡人と偉人の違いについて議論する。偉人は歴史に名を刻み込む。多くの人に感銘や畏怖を与えるというのが充の弁。
久一の意見は偉人も凡人も見る人によっては同一視、混同されてしまうもので、明確な偉人と凡人の差はない。
野球フリークならばプロ選手は羨望であり、野球に興味のない人からすれば棒切れを振り回して、玉を速く投げて肘を壊し、お前なにがしたいんじゃい! となってしまう。
デッドボールを受けたバッターがバットを放り投げてマウンドに向かう姿に、そない怒らんでも、そもそも、そんなところに突っ立ってる方も悪いんじゃない? 危機管理能力は棚上げですか? それにちょっと大袈裟じゃない? 見てるこっちが怖いわ。と野球自体を否定してしまうかも、しれない。
偉人と凡人には曖昧な境界線がある。偉人とは個人によって見解が違うのではないか?
「じゃあ久一の偉人は誰よ?」
穴子の天ぷらを箸で割き、隼人が尋ねた。難しい質問だった。久一の身近で著名なのは最近知り合ったメロンちゃんくらいだ。
メロンちゃんが服飾界に残した功績は素晴らしい。販売実績が物語っている。だが偉人とまでは認めたくはない。落ち着くところはセンスのいい変なおっさん止まりだ。好きか嫌いかで言えば好きな人種に違いない。しかし偉人とまでは持ち上げたくはない。
この場合、難しく考えるから答えが見つからないのだ。簡素に平坦に偉人は凄い人と考えればいい。
凄い人など過去に出会っただろうか? 久一は箸を置いて過去を振り返った。
「なぁ、充ちゃん、偉人とは凄い奴のことだよな?」
「そりゃそうでしょ、凄くないと偉人じゃないね」
「一人いたわ凄い奴」
久一は過去に出会った凄い奴の話をすることにした。
春になると環境の変化が訪れる。小学生から中学生に一つ老いる者達。中学二年から三年に上がったばかりの久一は、新入生をを迎える為の式典に参加していた。わざわざ全校生徒で歓迎する必要があるのかと疑問を抱きながら。
校長のネクタイはソリッドの赤色で紺色のスーツ。壇上での話が終わる。拍手する教頭のスーツはサイズが一つ大きく肩が落ちていた。はやく終われと念じていると、新入生の並ぶ一列が一人を除いて輪を描いた。女子生徒の悲鳴を合図にみんなは移動し始めた。除け者にされた生徒の側に近寄る生徒が一人いた。その生徒に躊躇はないように見えた。女子生徒の悲鳴がまた体育館にこだました。
「えぇ、一度、保護者の皆様ならびに、新入生の方々は体育館の外へ退出お願いします。在校生の方々は各自教室戻って担任の指示に従って下さい。繰り返します」
マイクを持った教頭がたどたどしく告げる。
「どういうつもりだ!」
除け者の側に立つ生徒に教師が駆け寄り、怒鳴りつけた。その生徒の手を掴んだ。掴まれた生徒は在校生のいる方に顔だけ振り返って歯を見せた。そらから怒鳴りつけた教師に一言、ぶっ放した。
久一はクラスメイトと先程の騒動について喋りながら教室に戻った。
「面白かったなぁ」
久一が感想をこぼしたが、クラスメイトは面白くなかったらしい。
「いい迷惑だ。俺はバスケ部なんだよ、糞が」
「上手いねその返し」
「どこが?」
クラスメイトは心底頭にきているようで、壁を手が怪我をしないくらいの力加減で殴りながら教室に向かった。この光景もなかなかだけれど、先程の騒動に比べればたわいない。久一にとって揺さぶられる出来事だった。
「ここ便所でしよ?」
一人の生徒の叫びはその場にいた人の耳に届いた。律儀な人なら反論しただろうか? ここは便所ではない! 学舎だ、体育館だ! ここには律儀な人など居なかった。状況を飲み込んだ保護者達から場を離れていく。
糞を漏らした生徒は今どういう心境なのだろうか? その横でズボンを下ろして小便をたらした生徒は何者だ? 漏れそうなくらい我慢していたのか? 漏らす人を見て、漏らすくらいなら自ら解き放つ方が良しと考えたのか? ここ便所でしょ? 皮肉が効いてていい。
久一は振り返った生徒の顔を朧げに浮かべながら、どこかですれ違ったら声をかけてみようと思った。その機会は夏休みに入る前日にやってきた。
部活の前に腹拵えをしようと食堂に向かう通路で軽い人だかりがあった。
久一は現場に駆けつけた。派手に殴り合っているのを期待しながら人と人の間から顔を出してみると、なんのことはなく、一人の生徒が胸ぐらを締め上げられて罵られているだけだった。
「先輩」
野次馬の中にサッカー部の後輩がいて久一に声をかけた。
「糞漏らしと、小便野郎が調子にのるな」
目に涙を溜めて罵っていたのも又サッカー部の後輩だった。相手の方は眉を曲げながら、なされるままに体を揺すられていた。
「どういう状況なのこれ?」
「あのですね」
後輩の説明によると、失恋が原因だった。想いを寄せる相手に、繰り返しアプローチするのをやめて欲しい。と伝えたのが被害にあっている生徒ということだった。想い人から直接ではなく、しかも男から告げられたことに逆上して当たり散らしているのが現状だという。
気持ちはわからなくもない。夏休み前というのも高ポイントだ。
「殴り合いはしたの?」
「いえ、ずっとあのまま同じことをしてます。もう止めた方がいいですかね?」
「わかるよ。下手に間に入るのもなんかね、大袈裟な気もするしね」
「先輩、そうなんですよ。一触即発そうでもないので。どうしたらいいですか?」
「でも、あいつ可哀想過ぎるだろ?」
久一は二人の間に入った。
「殴り合わないならやめやめ」
「先輩」
気づいた後輩が俯き、鼻を啜って相手の胸ぐらから呆気なく手を離した。
「トンボかけに行かないと先輩にネチネチされるぞ。ほら、解散」
後輩は素直に久一の指示に従い、頭を下げてスポーツバッグを肩に歩き出した。その後をもう一人の後輩が追いかけて肩に手を回して慰めようとしたが振り払われた。諦めずにもう一度肩に手を回した。またも振り払われていた。
「ありがとうございます」
被害に遭っていた生徒が友人から鞄を渡された。並ぶ二人を見て久一の脳細胞が騒いだ。
「君達、あの入学式のスターだよな?」
鞄を渡した生徒がうんざりとした目を久一に向けるのとは対照的に、もう一人は微笑んだ。肯定の意思表示だった。
「ちょっと俺と食堂でお茶でもしばきませんか? 気分を悪くしたら直ぐに退席してかまわないから」
「えっ、それナンパですか?」
「そう、そんな感じ」
「どうしようか? 秀一?」
「秀一君ね、いい名前だね!」
「英雄がいいなら付き合うけど」
「君は英雄君ね、うん、ピッタリだ」
「先輩、めちゃくちゃ適当じゃないですか?」
「まぁ、まぁとりあえず行こうか」
一人は黙り渋々と迷惑そうに、もう一人は久一を興味深く眺めていた。
二人を前に久一は自身の想像が正しかったのか否か、あの騒動の答え合わせを始める。別に間違っていてもかまわないのだけれど、合っているような気がしていた。
「よし、ここに座って待ってて」
久一は食堂の椅子に座った二人に自販機で買ったスポーツドリンクを渡して待たせた。食券を三枚購入して盆を持ちながら、うどんを待つ人の列に並ぶ。
カレーうどんを三つテーブルに置いて二人に勧めた。
「悪いですよ、喧嘩も仲裁してもらってお昼までご馳走になるのは」
英雄は秀一を気にかけながら遠慮した。
「僕も失礼ですけど、はやく帰りたいので手短にお願いします」
秀一はあくまでも英雄に付き合っているという形だった。しかし既に二人は久一のペースに嵌っている。ここ来た時点で。
「じゃあ、二杯は捨てるけど、いい? どうせ捨てるなら食べればいいと思うけどね? 人の金で食う飯は美味いぞ?」
秀一はぴくりともしなかったが、英雄は理解した様で手を合わせた。秀一を除く二人はうどんを啜りながら会話を始めた。
「先輩いただきます」
「どうぞ、食ってる間はもう帰れないものな?」
「作戦ですか? せこいっす。このカレーうどんのチョイスも又」
「やめろ食事中だぞ」
「入学式のことを聞きたいんでしょう?」
「そう、でも俺が推測するから、それが当たってるかどうかだけ教えてくれたらいいよ」
「なんかのゲームみたいですね」
久一は音を立ててカレーうどんを啜った。テーブルに汁がはねた。
英雄は人懐っこい性格だった。異性相手ならなおさらその魅力を発揮するに違いない。あんな大それたことをしながら、平然と学校生活を続けている。肝が人と違う。おまけに面もいい。おそらく英雄に恋する女を後輩は掻っ攫おうとして失敗したのだ。
「一つ教えて欲しいのは、二人は入学するまで知り合いではなかった。これは当たっている?」
久一の推測、これが間違っていれば会食はお開きになる。
「はい、秀一がババ漏らすまでは顔も見たこともなかったです」
「オッケー。では聞いてくれ」
久一はカレーうどんを啜ったり、啜るのをやめたりしながら二人に推論を語った。英雄は大人しくカレーうどんを啜り頷いて聞いて、秀一は能面のような顔を久一に向けていた。
あの日、秀一は腹の具合が悪かった。入学式だからという理由で休めなかった。だからこそ我慢の限界を迎えて悲劇が起きた。生理的現象は仕方ない。皆理解しているが行動は伴わない。よくあること。
糞を漏らした秀一を周りは迷惑そうに怪奇の目で、汚物そのものであるかの様にその場から避けた。誰も助けてはくれない。当たり前のことだ。当たり前でないことをしてしまったのだから。秀一は中学生活が初日に終わってしまったと悲観しながらどうすることもできなかった。
しかし、事態は捻じ曲がる。離れたところから見たこともない生徒がやって来る。横でズボンを下ろして小便をたれる。秀一は完全に思考停止してしまう。なにをこいつはしているのか? 馬鹿なのか? 馬鹿なのだろう? 自身も同じか。同じ。
「ここ便所でしょ?」
英雄の一言に愕然としながらも秀一は救われた。しかしなぜこいつはこんな行動に?
英雄はどうして体育館を便所にしたのか? 我慢できなかったのか? 多くの人の前で小便をしてみたかったのか? ただ目立ちたかったのか? 教育現場への宣戦布告だったのか?
久一の考えた答えは、なにか行動しなくてはならないと思ってのこと。励ますでもなく、慰めでもない。極論でいえば気に食わなかった。周りの状況も人も時間も国も季節も境遇もなにもかもが気に食わなかった。結果として秀一は助かった。お互いの歯車の相性が良かっただけ。雑草のように世界に蔓延る運命論。
ふざけた奴だ。ふざけた奴だから、その他の新入生ではなく一人の新入生として映ったのだった。だから興味を持った。偶然があれば話を聞きたかった。その程度の興味であったが、こうしてその機会は訪れた。
「先輩、だいたい合ってますね、あの空気にむかついて、つい出しちゃいました」
「面白かったけどな」
「あの後ですけど、多方面からめちゃくちゃ叱られましたよ、バスケ部顧問から呼び出されてワックスがけまでさせられて大変な日々でした」
「そらそうなるだろ」
久一と英雄は談笑しながらカレーうどんを食べ終わった。テーブルにはねたうどんの汁をダスターで拭いて久一は席を立った。
「お前みたいな奴、最高だな」
久一がそろそろ部活に行こうかなとした時、秀一が冷めたカレーうどんを啜り出した。
「どうしたの秀一?」
英雄が尋ねるが返事はなかった。
「そんなに腹減ってたのなら、もう一杯買ってやろうか?」
久一は冗談混じりに秀一を見る。一気に汁を飲み干した秀一が真面目くさった顔で答えた。
「お腹はあまり強くないので、ここで漏らしても知りませんよ」
「持ちネタにするなよ」
英雄が言葉を重ねた。久一も先輩として負けていられない。
「なら、小便してやるよ」
「めちゃくちゃ怒られますよ! ゴミみたいに扱われますから」
「ここ食堂だもんな」
周りの生徒の誰かが迷惑そうに咳払いした。三人は盆を返却口に戻して、食堂を後にした。
「又な」
「ご馳走様でした」
「冷めてましたけど、人の金で食う飯は最高でした」
「秀一君、自己責任ですよ」
久一は卒業するまでに数える程度の付き合いを二人とした。廊下でばったり会ってふざけたり、体育館でばったり会ってふざけたり、卒業式で待ち伏せされて、又どこかで会えればいいなと別れた。
本日もくだらないお話にお付き合い頂きありがとうございます。世の中には規格外な人いますよね。びっくりしちゃう。では又続きます。




