探偵気取りはやめましょう
「着ませんよ、俺は」
向日葵柄のワンピースを突きつけられて久一は拒絶の態度をとった。
「大丈夫、似合うわよ。私とお揃いじゃない。あら素敵!」
メロンちゃんは久一に向日葵柄のワンピースをぐっとあてがった。
「あら、素敵! じゃあないですよ。サイズが合わないでしょ? ぴちぴちになって着れなくなりますよ? いいんですか? よくないでしょ? ねっ」
「このワンピースは体のラインを強調してこそ真価が発せられるものよ、私からのプレゼントだと思って、さぁ!」
久一はバニーボーイ吉村に助けを求めて視線を送る。吉村はウサギの耳を触りながらニンマリと目を細めた。
「もし久一君が拒否するなら仕方ない」
「でしょ?」
「しかし、そうなるとまた一からやり直しだね。なぜ君は彼女を尾行したのか正さなくてはならない。私は同志として受け入れるつもりでもいたが、こんな格好をさらけ出したにも関わらずだ。非常に残念だね」
久一の逃げ道は先回りされた。吉村の終わった話を蒸し返すやり方は姑息だが、考え方を改めるしかない。向日葵柄のワンピースを着さえすれば丸く収まるのなら。思考の転換、大事なものを手放す感覚があるが、たかだか女性物の服を着るだけだ。それも不本意に。空いた手に新たなものを持つことができる可能性だってあるかもしれない。
女装をして得れるものはあるのだろうか。おそらくはない。
「ここで着替えるの?」
久一はその場で服をさっと脱ぎ捨て、メロンちゃんから向日葵柄のワンピースを奪い取り、首を通した。
「いいじゃない」
「実に結構だ!」
久一は脱いだ服を抱えて腰を左右に揺すった。
「我らが同志以外に会うことはないですよね? 嫌ですよこんな姿晒すのは」
「失礼ねぇ、嫌な子」
「大丈夫。専用のエレベーターを使うから、抜かりはないよ。安心したまえ久一君」
吉村は久一の心配を一蹴した。そして吉村とメロンちゃんはサングラスをかけて部屋を出た。久一はスニーカーの紐を結ぶ暇も無いままに着替えを抱えて二人の後に続いた。
個室を出た直後に、配膳に回っていた和装姿の若い女性と三人は鉢合わせた。吉村とメロンちゃんは気にせずに女性の横を通り越していく。女性は向きを変えて白い漆喰の壁を見ていた。バレている。これ見よがしの、見て見ぬふりだった。
「おい! 吉村、おい!」
久一は吉村の肩を殴りつけた。吉村は、はっはっはと豪快に笑い飛ばした。メロンちゃんはバニーボーイ吉村の横でくすりと微笑んだ。アリスにでもなったつもりなのだろうか? 久一にとってここは確かに不思議な国だった。二人は歩みを止めない。久一は足を止めて女性の方に振り返り言い訳をした。
「俺は違うんだ。成り行きでこんな格好してるだけで、違うんだ」
女性は久一の目を見て笑顔を作った。それは完璧な作り笑顔だった。それを差し引いてもチャーミングに見えた。
「違うんだ」
久一は届くことのない軽い言い訳を置いて、先を歩く二人を追いかけた。スカートを片手で捲り上げながら、結んでいないスニーカーの紐を踏んで転がりそうになる。吉村達の背は真っ直ぐに伸びて堂々と進んでいく。
専用のエレベーターとはつまり、従業員しか使う者がいないエレベーターだった。数人の従業員と乗り合わせた。久一はその都度、吉村の肩を軽く殴りつける。吉村は楽し気に笑う。従業員はエレベーターから降りる際には丁寧に会釈する。
「どう見ても、バレてますよね?」
「エチケットだね」
「いつもこんなことしてるんですか?」
「いつもというわけじゃあないね、息抜き程度さ。月に一度くらいかな? 年末は盛大に行うけどね」
「結構な頻度ですやん」
三人が降りたのは最上階のフロアで、普段は会員制の高級クラブとして営業しているところだった。
「広いですねぇ。必要ですかこの広さ?」
久一は簡単な感想をこぼした。
「無駄と思えることに無駄なお金を掛けるのが道楽ってものよ。それを有益にできる、できないかは本人次第ね、吉村さん」
メロンちゃんと吉村はサングラスを外して、純白な扉の前に立つ黒服の中年に渡した。黒服の中年は恭しく受け取り、サングラスを懐にしまってから扉を開けた。
「吉村様、嶋桐様、皆様お待ちです。どうぞ中へ」
二人は当たり前に室内に入って行く。久一は足を止めて景色を眺めた。
「お連れ様も中へどうぞ、紙袋かなにかご用意します」
黒服の中年は久一の手に持つ着替えを気遣った。久一は感心しながら一言。
「大きな視野で見ても、どうかしていると思いませんか?」
黒服の中年は朗らかな笑みを浮かべて答えた。
「よくお似合いですよ。向日葵が太陽のように眩しいくらいです」
問いかけにわざとはぐらかしたのか、取り違えたのか久一には判断つかなかった。
「早く来なさい」
メロンちゃんが手招きしながら久一を呼んだ。久一は黒服の中年に頭を下げて中に入った。室内に足を踏み込むと扉は音も立てずに閉ざされた。
吉村は室内の客に挨拶回りをした。メロンちゃんを見つけた友人と思われる人達が周りを囲んだ。弾かれた久一のところにスーツ姿の女性が紙袋を持ってきてくれた。
「宜しければお使いください。あと、お飲み物をお持ちしますが」
「ありがとう。じゃあ、バーボンソーダでお願いします」
「銘柄のご指定はございませんか?」
久一はスーツ姿の女性に見とれながら、お任せしますと答えた。世の中に美しい人は数多く存在する。あぁ美人さんやねぇ。くらい掃いて捨てるほど。しかし萎縮するくらいの人はそうそういない。絶世の人。そのうちの一人がこの女性ではなかろうか。
「清美ちゃん、ロックちょうだい」
メロンちゃんが馴れ馴れしくその女性に話しかけた。女性は親密な口調でメロンちゃんに答えてその場を離れて行った。
「誰ですかあれ?」
「あれとは失礼ね。普段はここのママよ。会合の時はあぁやって裏方にまわってるのよ」
なるほど、と久一は理解した。これだけの規模のクラブを運営するにはそれなりの人物でなくては務まらない。おそらく容姿だけではないのだろう。
「若くて美人ですね。誰が見ても」
「見た目だけじゃないわよ、かなりの腕利き。多くの権力者から可愛がられているもの、一人のものにはならないわ、惚れても無駄よ。わかった?」
「はい。心得ました」
メロンちゃんの談に久一は返事をして室内の人々を見回した。
バニーボーイ吉村は紺色のブルマ姿の中年とスクール水着の初老と和気あいあいとしていた。頭を下げて兎の耳をブルマ男の腹に擦り付けながら、こそばしていた。ブルマ男は「やめろ、やめろ」と足をばたつかせている。
小学生でもしないような行動だった。
女子高生の格好が人気のようで多くの偽女子高生がいた。中身は中年や初老の男女達。
「女性もいるんですね」
「そりゃいるわよ、あのボンテージ姿の人さっき下で会ったでしょ? 焼肉屋で?」
「えっ? まさか、あの女王様がバニーボーイの奥さん?」
「いかすでしょ?」
「はぁ? はい。あの顔につけている変態貴族みたいなマスクに名前ってあります?」
「変態? 失礼な子! あれはベネチアンマスクと言って由緒あるものよ。昔からカーニバルなどで貴族が素性を隠すのに使われたのよ」
久一は今も昔も国境を超えても変わらないものがあるのだなとしみじみした。
そんな久一はまわりを観察しながら違和感を覚えた。それはただのスーツ姿の人がいることに。このスーツの人達は明らかに店側の人間ではなく、手にグラスやジョッキを傾けている。来客ならばドレスコードがあるはずではないのか? まさか?
「メロンちゃん、聞きたいことがあるんだけど?」
「今度はなによ?」
「あのスーツの人達はいったい誰?」
「ふふっ。彼らも吉村さんの友達よ。そういう趣味がないだけで」
「俺を騙しましたね?」
「騙される方が悪いのよ、でも殆どの人が自由な格好で好きにやってるでしょ? いいことじゃない。着替えたければ着替えても大丈夫よ」
「いいですよ、別に帰るまではこのままで」
場の空気に飲まれたのか久一はそのままの格好で過ごすことにした。普通の服装の方が悪目立ちするという判断。黒服の若い男からバーボンソーダを受け取り、ママさんが持って来てくれなかったことが残念だったが、ぐっと一口喉を潤わせた。
会場にマイクテストの音声が流れた。
「マイク、チェック、ワン、ツー、ワン、ツー」
ステージでマイクを持った吉村だった。周りの客は立ち上がってステージの方に拍手を向けた。久一も同じように真似る。
「いよいよ私も次の目標に向かいます。皆様のお力添えあってのもの、大輪の花火を打ち上げましょう」
吉村は拳を天に突き上げた。先ほどよりもさらに大きな拍手と歓声が起こる。吉村がステージを降りると同時にスローテンポなピアノの生演奏が室内を満たしていった。
「あれだけですか?」
「あれだけよ。久一君も帰りたければもういいのよ。遊んでいくなら遊んでいけばいいし」
紺色のブルマ姿の中年が四つん這いの馬になり、その背に跨った女王様が久一の横を楽し恥ずかし気に横切っていく。偽女子高生達がステップを踏む。サンバのカーニバルのような衣装を着た集団が輪を描く。ソファーに身を投げながらグラスを傾けるスーツ姿の男達にドレス姿の若い女性が着く。
ここには歪な自由があった。
「メロンちゃんは他の人のところに行かないの?」
久一はメロンちゃんに尋ねた。メロンちゃんを見つけて話しかける多くの女装家や変装家がいた。
「誘った本人が久一君をほったらかしになんかしないわよ」
メロンちゃんはグラスを空けてテーブルに置いた。久一はタバコを吸おうと思ったが、紙袋にしまわれた服の中から取り出すのが面倒くさくて諦める。
「メロンちゃんは煙草吸わないの?」
「やめたわよ」
「よくやめれたね」
「気合いよ、イメージできることは現実に置き換えれるのよ」
「凄いね、メロンちゃんは」
久一のその言葉に深い意味は無かった。
「キリエちゃんは凄い人ですよ。私は人を見る目だけは確かですから、分かるんです」
メロンちゃんに新しいグラスを渡しながら清美は久一達のテーブルに着いた。
「こんなところにいていいの?」
「もうお仕事はおしまい、飲みましょう」
メロンちゃんと清美はグラスをぶつけた。清美は久一に微笑んだ。そしてグラスをぶつける。硬い人工的な笑みを久一は返した。
「あの、ここに参加している人はやっぱりそれなりの人ですよね?」
清美は久一の疑問を即座に口を隠して笑う。
「そうですね。皆様、地位や失うものを多く抱えていらっしゃいますよ」
「ならなぜ? こんな真似をしてるのか?」
メロンちゃんが代弁をする。
「非日常感と信頼じゃあないかしら?」
久一は清美の言葉の意味を考える。非日常という感覚は理解できる。刺激が欲しいのだろう。突飛な行動を仲間内で行い盛り上がる。その規模を広げたのがこの会合なのか。しかし信頼とはどういうことなのか?
「ここでのことは外には決して漏れないから」
メロンちゃんが清美の言葉に足をつける。
「もし俺が写真を隠し撮りして色々と強請ったりしたら?」
「大丈夫よ、久一君はしないから」
メロンちゃんは見透かして清美は同意見と頷く。
久一は納得する。つまりそのような行動をとっても無駄だということ。揉み消すことすら容易く行える立場の人達だと。
なら堂々と普段も馬鹿な格好で出歩けばいいじゃないか? それは違う。彼等の求めるのは刺激と複数人で集まる調和、コミュニティーでの非日常なのだ。
「要するに暇潰しということですか?」
「極論ではそうでしょうね」
清美は同調の意志を見せて続けた。
「こちらにいらっしゃる方々は格好は自由だけど、器はしっかりとした人ばかりですよ。私が保証します」
「あのブルマ男のお馬さんも? 立派なの?」
「はい、普段は銀行の頭取をされてますよ」
「大丈夫なの? その銀行?」
「大丈夫です。もしその銀行が破綻するようなことがあるなら、この国も一緒に沈むだけですから」
「嘘だろ?」
「大真面目です!」
「やべぇな、あのお馬さん!」
メロンちゃんは二人のやり取りを見守っていた。久一はにわかに信じがたかったが、場所が場所だけに信じるほかなかった。
知らぬ間に狐につままれて実は山の中だった。となっても不思議ではない心持ちになっていく。住む世界が違う? 違う、住んでいる世界は一緒だ。知らない世界を垣間見ただけだ。
清美との会話の中で興味深い実験を知る。今度、久一は充や隼人に試してやろうと感心した。
清美は初見の客に接する時には必ず腕時計を確認するという。腕時計はステータスを表すのに手っ取り早い。時計の本来の目的は時間さえ分かれば安物でも高級品でも用途に支障はない。どちらかといえば機械式高級腕時計の方が正確さに劣る。つまり装飾品としての意味合いが大きい。
清美は腕時計で相手の器を量るという。久一はめざとい女だと落胆しかけたが、話を最後まで聞いて頭の切れる女だと思い直した。
まず腕時計を褒める。その際、時計の値段は関係ない。そもそも時計の値段はどうでもいいと言う。知りたいのは相手の行動なのだから。清美は褒めた後に腕時計を近くで見せて欲しいとお願いする。ここで分岐が生じる。時計を外して清美に手渡す客と外さずに目の前に腕を差し出す客に別れる。目の前に差し出す客は底の知れた男ということになる。逆に初対面の清美に快く時計を外して手渡す男は度量のある男として認められる。良く考えられたリトマス試験紙だ。
清美の話に感心する久一にメロンちゃんは得意気に腕時計をちらつかせた。
「それ高いの?」
「パテックって知ってる?」
「はいはい、知ってる知ってる。世界三大の最高峰でしょ?」
「自分へのご褒美に買ったのよ」
「凄い。実物見たことないから、ちょっと見せてよ、触らしてよ、ねぇねぇ、いいでしょ?」
「嫌よ! 壊されたら立ち直れない」
「小さい男だなぁ。小さい小さい」
「器がしれますわ、キリエちゃんうまく誤魔化して、早く!」
三人はメロンちゃんの敷いた既定路線をしっかり走り、笑った。
次はメロンちゃんの美意識についての講義が始まった。美とはなんぞや? と久一は問われたが考えたこともなかった。出した答案は感覚的好感か否かだった。メロンちゃんは清美の横にぴったりと体をくっつけた。
「どちらが美しく見える久一君?」
メロンちゃんの問いは酩酊しだした久一でも間違いようがない。
「愚問」
「どちらが美人さん?」
「愚問」
「答えなさいよ!」
「答えたくないなぁ、あまり人を傷つけたくないんだ」
清美は二人に含む。どうやらこの後の展開を知っているようだと久一は感じた。
「これは本質の問題なのよ」
メロンちゃんの考える美の本質とはこうだった。清美の美しさは対人向けに作られた虚像であり、清美が求めたものではない。つまり相手が喜ぶことを想定した美ということ。片やメロンちゃんの落書きのようなお粗末な美は本人が求めて満足している美だという。平たく説明すると自尊心の為か、自身の為かとなる。更にそれはどちらが美意識として崇高か? とたたみかけた。
「そんなの自己満足じゃないですか?」
「そうよ。相手を喜ばす為に犠牲になるのは美しくないわ」
「相手が喜ぶ姿を見て自身の喜びに変換する、すてきだと思うけどなぁ僕は!」
「それは美ではなく美徳ね」
「美徳? 話が少し逸れますけど、ならここに集まった人達は美と美徳を兼ね備えているということになる?」
「ご名答!」
清美が手を叩いて話を落とした。久一は解せないままメロンちゃんに尋ねた。
「吉村さんは政治家になってどうするつもりなのですか?」
「知らない」
「マニフェスト的なものとかあるでしょ?」
「本当に知らないのよ。ただやる気だけはあるの」
「やる気は一番大切ですけど、でも高いところからだと下の方は見えないでしょ? 見えても小さい。小さいから見過ごしてしまう、小さいから気にも止めない」
「その辺は大丈夫よ。吉村さんだって最初から高台から見下ろしてきたわけでは無いもの。自分の力で登り下りしてきた人よ」
「政治は誰の為にあるのかしら?」
清美は久一に事実を押しつけた。
「それは、国民の」
久一は言葉を切り、黙ってしまい、反論する気が失せた。
周りの光景は相変わらず騒がしく混沌としている。
「グラス取り替えますね」
清美は席を立って久一の飲み物を取りに行く。その姿を久一は見送った。
「ちょっと道を」
「又か」
警察官の格好をした男が溜息を漏らす。
「私は警察官ではない、ただのサラリーマン」
「でも制服を着ていらっしゃる」
道を聞いた老人が困惑する。
「好きな服を着ればいいじゃないですか?」
「私もそれに同意ですが」
海水パンツ一枚の老人は腰紐を締め直す。その時、近くで騒ぎが起こった。金髪で裸の男がヘビメタ風の男とナース姿の男に取り押さえられて地にひれ伏していた。裸の男がもがきながら叫ぶ。
「ふざけるな! ふざけるな!」
ヘビメタ風とナース姿の二人は怒鳴り返す。
「ふざけているのはお前の方だ」
「我々は警官だ! よくもそんな格好で街を彷徨ってくれたな! 秩序を乱しやがってクソが。連行する」
学ランを着た中年やチアガール姿の老人、ランドセルを背負った青年など、さまざまな格好の人達が野次馬となって裸の男に冷めた視線を送る。
「あぁなったらおしまいだね、一線を超えてしまっている」
警官の格好をしたサラリーマンが老人に告げる。老人はいたたまれなくなり、返す言葉がなかった。
いつから自由が世界を支配したのだろうか。自由の中にも規律はある。規律は自由に反するものなのか? 警官姿の警察官が旧車の外車で応援に駆けつけて、裸の男を後部座席に押し込めた。
老人は締め直したばかりの海水パンツの紐を緩めながら自由の世界に宣戦布告した。
「捕まえたければ捕まえてくれ。私の自由はここには無いのだから」
はっと意識を戻した久一は座り心地のいいソファーに横になっていた。室内は薄暗い間接照明が焚かれていた。居たはずの魑魅魍魎の姿はどこにもなかった。
「もう、いつまで寝てるの?」
太陽が柔らかな声で包み込んできた。そこには見つけた時と同じ長袖姿のメロンちゃんがいた。
「起こしてくれればよかったのに?」
「寝顔が面白かったから放って置いたのよ」
久一の格好は向日葵柄のワンピースのままだった。
「ここで着替えるの?」
「誰もいないからいいでしょ?」
久一はワンピースを脱ぎ捨てて軍パンに足を通した。くしゃくしゃのワンピースをメロンちゃんが丁寧に畳んでパンパンと叩いてから紙袋にしまった。
「タクシーを呼んであげるから待ってなさい」
メロンちゃんから紙袋を渡された久一は迷いなく受け取り、このワンピースをどうするべきかと頭を悩ませた。
タクシーを待っている間、メロンちゃんが薄いブラックコーヒーを淹れて二人で飲んだ。
メロンちゃんと話すことなく黙ってコーヒーを飲み、うっすい味だな、酸味がきついな、猫の糞から取り出したコーヒー豆から抽出したものだったら嫌だな、でもあれは高級品だよな? メロンちゃんはそこそこいい奴だなぁと。
「そろそろ下に降りなさい。車が待っているわ、料金も心配しないで家まで帰るのよ」
「なにからなにまで、貴重な経験でした」
「それって感謝しているの?」
「感謝はしていないです、ただ」
「ただ?」
「なんとなく」
「嫌な子!」
メロンちゃんが右手を差し出した。久一は右手に紙袋を持ったまま勢いよくメロンちゃんを固く抱きしめた。意表を突かれたメロンちゃんが変な声をだした。メロンちゃんの顔を覗き込んでから扉のある方に走り出した。一つはやり返したと久一は満足する。
ビルの外は空が赤く焼かれていた。こういう時はおかしな気分になる。夕焼けは寂しいけれど、今はなんともない。
用意されたタクシーに乗り込み、行く先を伝えた。ポケットに手を突っ込むと硬い感触があった。取り出してみるとそれは名刺だった。名刺はシマキリキリエの物でオフィスの住所と電話番号まで記されていた。後ろには、又ね。とあった。
久一はもう会うことはないだろうと思った。しかし会おうと思えば会えるのだとも思った。メロンちゃんは変な奴だ。
久一は変な奴が好きだ。世界が変な奴で埋め尽くされれば変な世界になるのに。
「お客さん、着きましたよ」
久一は運転手の声掛けに閉じていた目を開けて、しっかりと右手に大きな向日葵柄のワンピースの入った紙袋を持ってタクシーを降りた。
わざと忘れ物をした振りをして処分しようと考えたが、それは勿体無いかな? と気が引けたのだった。
今回も貴重なお時間をおふざけに頂戴して、ありがとうございます。猛暑続きで嫌になりますね。ご自愛くださいね。早く秋来い。化け物みたいな、でかい椎茸食べたい。ですねー。では次回もよろしければお願いします。




