第8話 そして少年は魔女となった
あれからどれだけ経っただろうか。
数分だったかもしれないし、何日も経っていたかもしれない。毒のせいかあれからの記憶がほとんどない。
「うぅ……」
瞼を開けると、木から漏れる夕日が眼に刺さり思わず眉をしかめる。
瞳孔が光に慣れるまでに10秒くらいかかった。
それからゆっくりと起き上がり、辺りを見渡す。
「ここは……?」
森の中……であることは間違いない。
しかしここは師匠と来たことのある場所ではない。
そして何より……俺は、奇妙な苔むした石の四角い構造物の上に寝かせられていた。
それはベッドより一回り大きく、俺から見て脚側にはこの構造物を乗り降りするためであろう階段があった。高さは人の背丈ほど。
その周囲には構造物を囲むように、石像らしきものが一定間隔で置かれている。女性を象ったものらしいが、どれもなぜか首が無い。
「ジャック……?」
そこで俺は、階段の下に佇むカボチャ頭の使い魔の姿を見つけた。
「そうだ、師匠は……?」
そんな疑問にジャックは静かにかぶりを振った。
師匠は……騎士どもから俺を逃がすために、あの場に残ったんだ。
おぼろげな記憶がハッキリしてくる。
そうだ、戻らないと。
いや……あれ?
立ち上がろうとして、俺は俺の身体の違和感に気がついた。
なんか……手足が細い?
この服ってこんなぶかぶかだったっけ?
……え?
顔を横に動かした時、視界の端に黒い何かが揺れた。それを掴むと、それはどうやら俺の頭を繋がっているようで……
え、これ俺の髪?
てかさっきから俺の声が変に高い気がするし……な、なんだこれ?
戸惑う俺に、ジャックは懐から小さな手鏡を取り出し俺に見せてきた。
師匠の愛用していた鏡だ。
って……え?
鏡の中には、師匠を幼くしたような小さな女の子が写っていた。
俺が右手を上げると、女の子も向かって右の手を上げる。
口を開けると女の子も口を開いた。八重歯が牙のようだ。
えっ……これ、俺?
咄嗟に俺は自分の下着の中を確認する……。
……あるべきものがなかった。
俺は自分でもびっくりするほど冷静だった。
これは恐らく師匠の魔法だろう。
問題はなぜ俺の性別を変えたのか、ということだが……
……ん?
その時――
『これより悪しき魔女ラリマーの処刑を執り行う!!』
俺の視界が、見知らぬ広場に飛ばされた。
夕暮れの街中で、大勢の民衆が俺を憎しみの込もった眼差しで睨み付ける。
これは……師匠の、今の視点か?
『嘗てスラム街を全焼させ、あまつさえ東の森の集落を生きた住民もろとも焼き尽くし、この国の民をも滅ぼそうと企てた悪しき魔女を! 国王たるこの僕――アンドルスが直々に断罪してくれる!』
『地獄に堕ちろ邪悪な魔女め!』
『我が国の平和を脅かす悪魔め!!』
『殺せ!』
『殺せ!』『殺せ!』
『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』
『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』
『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』
『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』
民衆どもがどす黒く叫ぶ。
『――悪しき魔女よ、言い残すことはあるか?』
『……悔いは、ない』
――聞こえてるかい、ラフィ。
師匠……! どこにいるんだよ師匠!
――すまない、ラフィ。私はここまでのようだ。
ふざけんなよ、何言ってんのかわかんねーよ!
……そんな俺の声が師匠に届いているのか、よくわからない。
――ラフィ。
どうか、生きて幸せにおなり。
師匠の視点の外側で、アンドルスとかいう金髪の男が剣を振りかぶった。
それから俺は……思い切り叫んだ。
「やめろ……やめろおおおおおっっっ!!!!!!!」
――ありがとう、ラフィ。私のたった一人の……
ザンッ――
見える世界がぐるりと回転したかと思ったら、そこで師匠の視界は真っ暗になった。
一瞬だけ歓声のようなものが響いたかと思うと、たちまち何も聞こえなくなった。
そのまま、何も感じなくなった。
……。
気がつくと、元の森の奥の俺自身の視点に戻っていた。
今のは、師匠の魔法なのだろうか……?
ふと、ジャックの身体の向こう側の景色が、ぼんやりと透けて見えた。
『……』
ジャックはただ深く頷いた。
表情はない。
ただ、とてもとても、ひどく寂しそうに見えた。
ジャックの身体はどんどく更に薄く透けてゆく。
そこで俺は、師匠とのある会話を思い出した。
――――
「師匠、ジャックってあいつ何者なんだ?」
「んー、彼は私の使い魔だね。精霊に肉体を与えて使役してんのさ」
「精霊? ってなんだ?」
「そこらじゅうにいる、身体を持たない意思だけの存在かな。今は私の力で仮初の身体を与えて使役している」
師匠はそう言うとベッドの上にぼふっと身体を投げ出し寝転んだ。
「だからまあ……もし私が死ぬようなことがあれば、彼の身体は消滅するだろうね」
――――
――師匠が死んだら、ジャックの身体は消滅する。
「いや、そんな訳……師匠が死ぬ訳が……」
どんどんジャックの存在が薄くなっていく。
それが、最悪な現実を俺に突きつけてくる。
「やめろ、消えるな……師匠は生きてるんだ……消えるな、もう俺から……何も奪うなよっ!!」
俺は叫んだ。咽び喘ぎ、拒絶した。
子犬みたいに甲高い声で、何度も何度も。
カボチャ頭の使い魔は、何も言わないまま俺の頭を撫でてきた。
ジャックの手から師匠の手鏡がすり抜けて地面に落ちる。
俺を撫でる手の感触も無くなって……そして、完全に見えなくなった。
「師匠っ……また俺をびっくりさせようとしてんだろ?! 出てこいよ!!」
……。
「なぁ、俺が寿命で死ぬまで一緒にいるんだろ!?」
……。
いくら叫んでも、風が木の葉を揺らし擦れる音だけが返ってくるばかり。
俺は薄々、師匠が俺をこの身体に作り替えた理由を察していた。
――見つからないようにするためだ。
男の時の俺の姿は騎士どもに見られている。あのまま逃げおおせたとして、いずれ見つかって捕まってしまうかもしれない。
それを避けるために、顔も性別も変えたのだ。
……もう自分の手で守れないから。
……なんで、なんでどいつもこいつも俺に『生きろ』って呪いを遺すんだよ。
もう、いっそのこと……。
しかしそれをこの新たな身体が許さない。師匠の最期の魔法が、俺をこの世に繋ぎ止めている限り。
「生きて……生きて生きてその先に何をしろっていうんだよ……」
行き場の無い怒りが、広大な森の闇の中へと吸い込まれてゆく。
「ぶっ殺してやる……」
どす黒い感情が、いつの間にか言葉となって口から溢れ出た。
この国の王様を、そいつが王となって善しとした奴らを。1人残らず殺さなければ俺の心が晴れることはない。
木々が踞る俺の姿を隠し、そよ風が俺の背中を優しく撫でる。
空はすっかり暗くなってきている。森の日没は早い。
その時だった。
『――�����』
誰かが俺の名を呼んだ。
「誰だ……?」
『――����������』
俺は声の主を見ようと頭を上げる。
そこで――
『――���������������』
俺は――『神』に出会ったのだ。
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