第7話 魔女との別れ
煙と鉄の臭いが混じり合い、あの日の吐き気を思い出させる。
「師匠っ、師匠……!」
胸の奥に海水でも満ちているかのような……まるで溺れているかのような息苦しくて。
「私は大丈夫」
「俺より、師匠の、が……」
矢が4本も背中に、と言いかけた言葉は口から出て来なかった。
辺りがなんだか暗くなってきた。
耳に届く音がどこか遠くのようで、辺りにごうごうとひどい轟音が響き渡る。
まるで水面の上に立っているかのように、立っていられなくなってきた。
「いたぞ生き残りだ! トドメを刺せ!!!」
暗い世界の中でくぐもった怒声が遠くから耳の奥に辛うじて届く。
鷲の意匠の刻まれた金ぴかの衣を纏った騎士たちが、剣を抜いて俺と師匠へと迫ってくる。
「死ねっ――」
そう言って騎士が斬りかかってきた――次の瞬間。
「――〝切断〟!」
その騎士の首が、ぼとっと地面へと落ちた。
師匠の斬撃を放つ魔法だ。
頭を失くした騎士の胴は、ふらふらと二、三歩ほど前進すると、その場に崩れるように倒れ込んだ。
「さ、サム……!? おのれ、よくもサムを!!!」
「ま、魔女だ!!! 捕らえろーーっ!!!」
ラリマー師匠の魔法を目の当たりにした騎士どもは、一定の距離を保ったまま俺たちを取り囲む。
「なぜこの集落を滅ぼした……?」
「魔女を匿っている大罪人どもを生かしてはおけないからな」
騎士どものリーダーとおぼしき男と師匠は言葉を交わす。
「……そうかい。私の他に魔女はあと何人残っている?」
「貴様で最後だ、〝黒の魔女〟よ」
ひどい目眩と、わずかに残された目と耳の感覚。
俺は途切れそうになる意識に必死にしがみついた。
「やってみろよ愚王の犬どもめ」
師匠は不敵に口角を上げ、獰猛に唸るように騎士どもへ言い放つ。しかしそれは虚勢だ。師匠がかなり無理をしていることは明らかだった。
「毒矢をそれだけ受けてよくここまで喋れるとは、本当に魔女というものは化け物だな」
「しかしお連れの子供は間もなく息絶えそうだが、守りながら戦うつもりか?」
クソ、俺に何かできることはないか?
俺より師匠の方がひどい怪我なのに、このままじゃ……
しかし……もはや指の先の感覚すら覚束なくなってきた。
「ラフィ。すぐに終わるから目を閉じて……」
いつかの日のように、柔らかくて暖かいラリマー師匠の声が俺を包み込む。
俺は――なんでこんな時に何もできないんだ……?
「【閃光】!!!!」
「ぐあっ!? 目がっ!!?」
暗闇に騎士どもの悲鳴が響き渡る。
ラリマー師匠が目を焼く光の魔法を放ったのだろう。俺は師匠の手で目を包まれたことで、閃光を受けることはなかった。
……とはいえ、もう。
目もぼやけて見えなくなってきた。
背中に突き刺さるこの矢には毒が塗られていたらしい。
平時ならきっと、師匠が魔法で治してくれて、それから……
「し、しょ……」
「案ずるな。ラフィだけは死なせない――」
ほとんど何も見えない闇の中で、俺の唇に何かが触れた。
それは温かくて、柔らかくて、少し湿っていて……
それが触れていたのはほんの2秒くらいだったと思う。
ほんの少しだけ、辛さが和らいだ気がした。
「〝ジャック〟!!!!」
師匠はカボチャ頭の使い魔の名を叫ぶ。
何かが俺のお腹に手を回して身体を抱えこんだ。
「ジャック、ラフィを『あの場所』へ。……頼んだよ」
――師匠も一緒に
という言葉はついぞ出なかった。
「生きろ、ラフィ」
なんで……なんで僕はいつも……
もう独りはいやなのに……
ジャックに抱えられ、何もできないまま何処かへ運ばれてゆく。馬の背に乗せられ、どんどん焼けた集落から離れてゆく。
ままならない視界の中で、焦げ臭さが薄れていくと共に、師匠が遠ざかっていく事だけが嫌にハッキリとわかった。
ジャックに戻れと言おうにも、肺に空気が入らない。
――生きろ。
それが、俺の耳に残る師匠の最期の言葉だった。