兎の獣人は絶対の忠誠を誓う
私が生きてきた中で、これから生きていく中で、一番の幸運はきっと。
あの方に出会えたことです。
薄闇の中、目を覚ましました。
あったかいお布団からの誘惑を断ち切って、寝間着からメイド服に着替えます。その最中、ふと自分の顔に目がいきました。
栗色の髪と、兎の耳。兎の耳は左が立っているのに対して、右は根元あたりで曲がり、垂れています。
顔の右半分を隠す長い前髪の間から覗く右の瞳は義眼で、本来の薄ピンクの瞳とは違います。けれど私は、今の状態に不満はありません。
にこりと鏡の中の自分に笑いかけ、寮の部屋を出ました。丁度、隣の部屋の主も出てきたところで、お互いに挨拶を交わします。
「おはようございます、アルル」
「おはようございます、シャルル」
アルルとは双子の兄妹で、たったひとりだけの肉親です。性別の差で骨格などに多少の違いはあれど、私達ふたりの容姿はそっくりです。
違うところを挙げるのならば、髪型と垂れた耳が左右対称になっている、という点です。
執事服を着たアルルはとっても格好いいです。
私はメイド長を、アルルは執事長という役職をスカイ様から賜っています。この役職は〈獣魔連邦国〉ではかなりの権力を持っているますけど、悪用は決してしません。しようものなら、すぐに首を切られてしまいますから。あ、物理の方ではありませんよ?
アルルと今日の予定について確認し合いながら、スカイ様の元へ向かいます。
「おはよう、アルル!」
「おはよう、シャルル!」
不意にどん、と衝撃が来ました。気配で分かっていたので、冷静に返します。アルルも同様です。
「おはようございます、ハイゾラ」
「おはようございます、ソウガ」
抱きついてきたのは〈獣魔連邦国〉でスカイ様に次ぐ実力の持ち主のふたりの軍団長です。
ハイゾラはアルルの、ソウガは私の番でもあります。実力は申し分ないですけれど、私達の前ではただの甘えん坊の狼さんです。
今日もハイゾラは大剣を、ソウガは双剣を身に着けています。
どちらも力がいる、扱いの難しい得物ですが、軽々扱っているのは流石の一言です。小動物系の私達には少し筋力が足りず、扱えません。
代わりに、どこにでも仕込める暗器などの小さい飛び道具や、短剣などの扱いは一流と自負しています。……あの方には遠く及びませんけど。
ちゃり、と服の下に仕込んだ東方の暗器だという苦無同士がぶつかって音を立てました。
「「おはようございます、スカイ様」」
私達の主であり、王でもあるスカイ様に朝の挨拶をするのも毎日の日課です。今日のスカイ様は執務室にいらっしゃいました。山積みの書類が凄い速さで処理されていきます。まるで右から左へ書類が滑っていくようです。
既に察知していたのでしょう、スカイ様は私達が顔を上げた瞬間に手をピタリと止めました。
「おはよう、アルル、シャルル。今日も早いな」
わざわざ、私達のために手を止めて応じて下さるところは、尊敬する点の一つです。
スカイ様は狼の獣人です。蒼銀の髪に耳と尾を持っていて、空色の目は鋭い眼光を秘めています。優しさと厳しさ、そして強さを兼ね備えた主は〈獣魔連邦国〉の全国民の憧れです。
そんなスカイ様の数少ない短所の一つが、自身の美しさに気付いていないというところです。
いえ、〝容姿が良い方である〟というとこは自覚しているようなのですけれど、そこそこ良い方である、としか思っていないのです。
これには私だけではなく、アルルやソウガ、ハイゾラ様、そして半人半蜘蛛であるラリア様も困っておられます。
人外の種族には美形が多いですが、スカイ様はその中でも群を抜いて麗しい容姿をしていらっしゃいます。
それにあまり声を大にして言うことはしませんが、スカイ様は女性の私でも憧れるようなスタイルなのです。男性の言葉を借りるとすれば“出るところが出ている”とでも言いましょうか。当人は『あっても邪魔なだけなんだけどな……』とこぼされておりましたが。
まさに絶世の美女と呼ぶに相応しいのです。
私がスカイ様に救われ、仕えるようになってから5年。初めて会ったときもハッとするような美少女でしたが、時が経つにつれて蕾が綻ぶように大人の女性となっていきました。
16歳という、私より幼い年でありながら、何故あそこまで大人の雰囲気を纏っているのか。不思議でたまりません。
「……シャルル? どうかしたか?」
スカイ様の声にはっと我に返りました。今は物思いに耽るときではありません。
「大変失礼致しました。少し考え事をしておりました」
ぼうっとしていた理由を隠さず伝えます。スカイ様は嘘を吐かれることを好まないからです。私自身も、スカイ様に隠し事をするのは好みませんし。
「そうか。悩みが有れば遠慮なく言ってくれ。……それで、帰ってきたばかりで悪いのだが、一つ小さな仕事を頼みたい」
「かしこまりました」
「普段通り、アルルとシャルル、ふたりであたってくれ。ふたりならば少しばかり面倒くさいこの仕事も、半日ほどで終わるだろう」
「「!」」
スカイ様からの信頼にドクリと心臓が音を立てます。アルルも同じように感じたのでしょう、若干目が潤んでいます。私でなければわからないほど、本当に若干ですが。
なにはともあれ、与えられた仕事を完璧にこなさなければ。
「「その仕事、我ら兄妹にお任せ下さいませ」」
アルルと同時に深々と頭を下げました。
その日の夜中、私はアルルと一緒にあるお屋敷を望む屋根の上に居ました。
暗器を隠しやすいようにゆとりをもたせつつも、機動性の高い服を身に纏い、口元のマフラーが風にたなびいています。
「日付を跨いだと同時に突入、で間違い無いですか?」
「ええ、合っています。それにしても、この屋敷。何処かで嗅いだことのある匂いがする気がするのですが、気の所為でしょうか?」
「いいえ、アルル。私の思っているので、気の所為ではないと思いますよ。どこでかは思い出せないのですけれど」
ポツポツと思ったことを共有します。ある程度は視線だけでわかりますが、こうして言語化して意思疎通をしたほうが確実ですから。
そうこうするうちに時間が来ました。
私達は無言で行動を開始しました。
スカイ様から頼まれた仕事とは“屋敷の内部の状態を把握すること”。なぜか珍しく殺しの許可も出ています。
私達にとって殺しは身近なものです。殺人も同じく。けれどスカイ様は私達が殺人を犯すのを良しとしません。
『お前達の手が血に汚れるのは見たくない』と。
私達もスカイ様の心を煩わせたいわけではないので、許可があるとき以外は控えるようにしています。
それなのに、今日は許可が出ました。不思議に思っていましたが、その理由はすぐに分かりました。
「こ、殺さないでくれ……っ!」
床を這いずり、みっともなく命乞いをする中年の男。私は、私達は、その男に見覚えがありました。
私達を奴隷としていたぶっていた貴族の男。月日が流れ、多少顔が変わっていますが、紛れもなくあの時の男です。
ズキリ、と今はもう無い右の目の奥が疼きました。
約5年前。私とアルルは母と3人で暮らしていました。
父は私が幼い頃に病気で亡くなりました。それからは母が女手一つで私達を育ててくれました。私にとって、母の背中は大きく、安心できるものでした。
住んでいた村の人達もとても優しく、我が子のように、兄弟のように、可愛がってくれました。
獣人は同じ村に住む者を“家族”と認識し、大切にします。私とアルルも村の皆さんを家族だと思っていました。
けれど、そのささやかな幸せは壊されました。
―――――人間の奴隷狩り達が攻めてきたのです。
今でも鮮明に思い出せます。
響く悲鳴と、鉄さびの匂い。
震える身体を、アルルとお互いに抱きしめ合っていました。そこに一人の若い人間の男が来ました。
『ラッキ~、餓鬼が居るじゃねぇか。2匹くらいなら殺しても問題ねぇよな……ちょっとむしゃくしゃしてたんだ、悪く思うな、よ……っ!』
ブンッと振り下ろされた剣が嫌にゆっくり見えました。『ああ、私、死ぬんですね……』と悟り、痛みに耐えようと目を閉じる直前、目の前が見慣れたもので遮られました。―――母の背中でした。
目を開ければ、眼の前にあったのは昏倒した男とうつ伏せで倒れた母の姿。今にも降り出しそうな鉛色の空と景色の中、その身体の下からじわじわと地面に広がっていく赤だけが鮮明に見えました。それが、最初の絶望でした。
そこからは、殆ど記憶がありません。
気付けば、薄暗い、ジメジメした牢の中、私とアルル、ふたりの目の前にこの男が立っていました。頬を蒸気させながら、手に鞭を持って。
それからは、地獄の日々でした。
その時のことについて、これだけは断言できます。私はアルルがいなければ心が壊れていたでしょう。
十分に取れぬ食事に、悪環境の石壁の牢。できた傷が塞がるよりも早く、増えていく傷。そんな中で生きられるほど、生き物は丈夫ではありません。
そんな環境下で約3ヶ月の生き延びられた私達は運が良かったのでしょう。同胞はどんどん消えていっていましたから。
それでもガリガリに痩せ、古傷と、化膿していく生傷。まともに世話もされず、病気にかかった私達の前に、また男は現れました。
朦朧とした意識で、男が手に持っているものを理解した途端、ガタガタ身体が震えだしました。同じく震えるアルルの手を握りしめ、逃げられぬことにまた酷く絶望しました。
男が手に持っていたのは赤く熱された火掻き棒でした。
その日、私は右目を、アルルは左目を失いました。
ヒューヒューと呼吸音を漏らしながら、私はアルルと身体を寄せ合い、最期が来るのを待っていました。
男は私達がもう使い物にならないと判断したのでしょう、私達は森に捨てられました。雨がしとしとと降り注ぎ、火照った体を冷やしていきました。
次第に四肢の感覚が消えていき、『ああ、やっと楽になれるんですね……』と安堵しました。
『……ねぇ……アルル……』
『……シャルル……? どうか、しましたか……?』
『もし、生まれ変わったとしても……一緒ですか……?』
『もちろんです、よ……僕達は、兄妹なんですから……』
『なら、安心ですね……』
ホッとしたことで、急激に意識が薄れていきました。だから、雨音に交じって、足音と幼い子供の声が聞こえたことに、気付きませんでした。
『ソウガ、ハイゾラ!! 子供が倒れている!! ……酷い傷だ、早く手当しなければ、手遅れになるっ!』
次に目を覚ましたときは、寝台の上に居ました。
清潔なシーツの上、私はアルルと共に寝かされていました。見慣れない景色に戸惑い、お互いの手を握りしめていると声がしました。
『あ、起きたか?』
声が聞こえた方に顔だけ向ければ、ベッドサイドに置かれた椅子に座って、子供が本を読んでいました。10歳ほどの狼の獣人の女の子はテーブルに本を置いて、私の顔を覗き込みました。
明らかに分厚い本は、子供が読むようなものではありません。けれど、彼女の雰囲気はどこか達観した大人のようなものでした。
静かで、きれいな空気の中、外からの光を背負った彼女は、天使に見えました。
状況が飲み込めず、茫然としていると、彼女はすまない、といいました。
『君達のことを保護させてもらった。……君達はこのまま死んだほうがマシだったと思うかもしれないが……』
………………私は、死にたかったのでしょうか? いえ、ただ、あの地獄から逃げる方法を“死”以外に見つけられなかっただけ……
出来るならば、生きたい――――
そう自覚した途端、ボロボロ涙が溢れてきました。涙など、いつぶりでしょう……?
泣かせてしまった、とおろおろする彼女に、必死に言葉を絞り出しました。
『生き、たい……私、生きたいです……っ』
『僕も……生きたいです……っ』
アルルとふたり、涙を止められず、泣いていると、ふと、身体が痛くないことに気付きました。
『あれ……からだ、痛くない……?』
寝台の上で上体を起こして軽く身体を動かしましたが、気を失う前まではあちこちにあった傷がキレイに消えていました。
『あまりに酷い傷だったため、あれ以上悪化しないように治せるものはすべて治させてもらった。希望するのなら、傷跡も消すことが出来る』
そう聞き、嬉しさでいっぱいでした。けれど彼女の顔は曇ったままでした。
『だが、すまない。私の力不足で、目までは治すことが出来なかった。代わりに、視界は義眼で補うことができるから、その治療を施すことを許して欲しい』
『! 許すも何も、感謝しかありません。もう、目は戻らないと覚悟していましたので……』
『そうです。そこまでして頂けるなんて、有り難い限りです』
ペコペコと頭の下げ合いをしていると、足元で衣擦れの音がしました。
先程までは気付きませんでしたが、私の方に男の子が、アルルの方に女の子が椅子に座り、ベッドにうつ伏せになり寝ていました。
そこではた、と名前を知らないことに思い当たりました。
『あの……出来れば名前を教えてください……』
『あ』
『『んん……あ!? 起きた!!』』
彼女が外見に合った、幼い顔をすると同時に、凄いシンクロ率で男の子と女の子が目を覚まし、ガバリと顔を上げました。
そして凄い勢いで抱きついてこようとし―――
『こら、病み上がりのひとに抱きついては駄目だろう』
『『うわっ!?』』
いつの間にか移動していた彼女に首根っこを掴まれていました。
ぷらーんと仔猫のように捕まえられたふたりの顔はそっくりで、双子だとすぐに分かりました。
不思議なことに、男の子と目が合った瞬間、身体に何か衝撃が走りました。運命を感じた、とでも言えばいいのでしょうか。
少しびっくりしていると、彼女はふたりを掴んだまま、器用に頭を軽く下げました。
『私の仲間が失礼した。私の名はスカイ・カリヴィアという。このふたりは』
『私ハイゾラっていうの!』
『俺はソウガだ!』
告げられた名を口の中で復唱していると、ソウガさんが私に、ハイゾラさんがアルルに話し掛けました。
『なあ、お前、名は何て言うんだ?』
『えっ? あ、シャルル、です』
『シャルルか、いい名前だな。俺のことはソウガって呼んでくれ』
『ねえ、貴方の名前は?』
『……アルルです』
『そう、よろしく、アルル。私のことはハイゾラって呼んでくれると嬉しいわ』
にぱっと歯を見せて笑う彼らの表情はとても明るいものでした。
けれど。
『辛かったよな、あんな傷で、ずっと堪えるのは。苦しかったよな』
ぎゅうっと抱きしめられ、囁いた言葉には、実感が交じっていました。地獄で過ごしたものにしかわからない、感情が、温かい同情が、壊れかかっていた私の心を優しく包み込んでくれました。
さっき止まったはずの涙が再び溢れ、私の頬とソウガの肩を濡らしました。
『…………スカイ、様。たすけてくれて、ありがとうございました』
アルルとふたり、泣きじゃくる私を3人はずっと抱きしめてくださっていました。
その後、私達はスカイ様に仕えることにしました。行く宛もないということもありましたが、スカイ様に受けた恩を返すためです。
もう理不尽に奪われぬように。大切なものを護れるように。
スカイ様やハイゾラ、ソウガから戦闘指南を受け、飛び道具を使っての戦闘では殆ど負け無しの実力にまでなりました。
無くなった右目は、スカイ様の作ってくださった義眼を嵌めることで視界を確保しています。
スカイ様には元の眼と同じ色を提案されましたが、違う色にしていただきました。
「頼む!!」
耳障りな命乞いに我に返りました。うるさく喚く男に嫌悪が沸き上がります。
「黙りなさい」
気付けば、感情のままに刃を男の首に当てていました。
アルルも、怒気を孕み、短剣を抜いています。
「数多の命を己の欲の為に奪っておいて、『命だけは助けてくれ』? よく言えますね、そんなことを。そう言って、命乞いをした子供を貴方は助けましたか?」
「っ!!??」
私の言葉に顔を引き攣らせる男。私の言葉をアルルが引き継ぎました。
「ここで見逃しても、必ず改心するとは限りません。ならば、害をなさないうちに駆除しておくのが賢明でしょう」
男はその言葉の意味を悟り、目を限界まで見開き、恐怖に震えています。
「「地獄で己の罪を償いなさい」」
屋敷の中から保護した奴隷達を逃がした後、火を放ちました。
夜の闇の中、赤々と燃え上がる屋敷。それを遠くの丘から眺めながら立っていると、ぽんと肩に手が置かれました。
「……アルル」
「後悔しているのかい?」
「いいえ、全く。……ただ、救いようのないクズだったな、と思いまして。スカイ様はこんな世界で独りで闘っているのだな、と」
東の空を見やれば、夜明けの色になっていました。
徐々に色づいていく空が紺から瑠璃色、暁へと変わっていき、完全に日が昇れば、青になります。
私とアルルの義眼と同じ色。そして、私達が何よりも敬愛する主の瞳と、同じ色です。
「行きましょうか、シャルル」
「ええ、アルル。私達の、主の下へ帰りましょう」
幼い頃に奪われた、幸せな日々と同じではありません。
けれど、私は今、凄く幸せです。
敬愛する主を持て、大切な兄が居て、愛しい婚約者と、いずれは家族になる頼もしい義姉が居ます。
それらの日々があるのは、紛れもなくスカイ様のお陰です。
私が生きてきた中で、これから生きていく中で、一番の幸運はきっと。
あの方に会えたことです。
読んでくださりありがとうございました。
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