『追悼、西村賢太』
『追悼、西村賢太』
㈠
今日、西村賢太の訃報を知った。近年の芥川賞作家の中でも、精緻を極めた文体は、突出していたと思う。西村賢太を、何かの賞の、選考委員に選ばなかったという、現在の日本にも、責任はあるだろう。難解な言葉が、また、消失していくという、危機感を感じるのも、当然である。
㈡
一般に、私小説家と言われても、小説を創造することの困難は、小説家なら、誰しもがあるだろうと思われる。西村賢太に、文章を生み出す苦しみというものが、有ったか無かったかは分からないが、逆に、生みの苦しみがなかったなら、小説家としては、適任であっただろう。
㈢
『小銭をかぞえる』が『文学界』に掲載された時、確かに、西村賢太を知ったきっかけが、有ったと記憶しているが、藤澤清造を知るきっかけになったのも、西村賢太が、芥川賞を取ったからの、出来事だった。非常に感謝の念を持っているし、本物の小説家が、消えたことが、悔やまれてならない。