第2話 4色の女神と4色の悪魔
祈りが足りなかったのだろう。そうに違いない。最近は過去のトラウマにうなされる日もなくなり、信仰心を失っていた。
改めてその席に座っている少女を見る。赤い髪が風に揺れていた。
その時、赤髪の女が振り返った。慌てて視線を窓のほうに向け、外を眺めるフリをした。一瞬だけ見えた顔は間違いようがない。
……あいつがどうしてここに?
あえて問わなくても答えは分かりきっている。ここの生徒だからだ。あいつは昔から頭が良かったし、天華院学園に進学していてもおかしくない。
可能性を考慮していなかったわけじゃないが、まさか同じクラスになるとは。
かつて俺を壊してくれやがった悪魔の一角。
あいつはまた俺を攻撃対象にするはずだ。高校生になって嫌がらせもパワーアップしているかもしれない。だとしたら本格的にまずい。あの程度では済まされない可能性もある。
不安と絶望に押し潰されそうになっていると、視界を無数の生徒が塞いだ。
いつの間にか朝のホームルームが終わっていた。
「田舎って言ってたけど道にイノシシとか出るのか?」
「……イノシシはさすがに見ないかな。狸なら何度か見たぞ」
「遊ぶところあるの?」
「複合施設的なところがメインだ。家からチャリで四十分だった」
「電車って何時間も待つってホント?」
「どうだろう。そもそも電車に乗らないからな。移動はチャリと親の車だけだ」
転校生特有のイベントである質問責めに笑顔で答えていく。
自虐的な自己紹介が功を奏したのかクラスメイト達は田舎に興味があるらしい。これなら田舎キャラとしてそこそこな立ち位置に入れそうだ。
計算通りの展開に内心ほくそ笑む。
あちらに引っ越した時に都会からの転校生ってだけで様々な質問をされた。適当にテレビよく紹介される場所の名前を挙げただけで一躍時の人扱いだった。
今回はその逆パターンだ。
あの悪魔は自分の席で友人らしき少女と会話をしている。近づいて来ない理由は不明だが、これは好都合だ。俺は声を掛けてくるクラスメイト達に笑顔を振りまいた。
午前中は質問責めだった。
休み時間の度にクラスメイトが集まってきて様々な質問をぶつけられた。最初こそ田舎に関する話題ばかりだったが、時間が経つと「彼女はいるの?」とか「好きなタイプは?」と思春期特有であろう質問を多く受けた。
「彼女はいないよ」
「好きなタイプは優しい人だな。後は裏切らない人がいいかな」
そうこうしている内に昼休みを迎えた。
さすがに昼休みになると飽きたのか、ようやく解放された。
「――大人気だったね、お疲れ様」
前の席に座っていた男が振り返った。
中性的な顔立ちと表現すればいいのか、女性らしいと表現すればいいのだろうか。パッと見では女子に見える。
そいつの顔に見覚えがある。
こっちで暮らしていた頃に通っていた中学の同級生だ。
ただ、同級生といってもそこまで関係は深くない。同じクラスになったこともない。校内で何度か顔を合わせた程度だ。
「……」
「あの、虹谷君?」
「えっ……あ、おう」
「そういえば自己紹介してなかったね。初めまして、僕は名塚真広だよ。よろしく」
初めまして?
こいつ俺に気付いていないのか。
名塚真広との関係はそれほど深くないので単純に忘れた可能性もあるが、俺の悪名は中学で轟いていた。例え違うクラスでも名前と顔は売れているはずだ。
数秒して答えが出る。
失念していた。そういえば俺はあの頃に比べて大分変化していた。
見た目の変化は我ながら驚くレベルだ。
以前は陰キャ丸出しで長い髪をボサボサにしていたが、今は短髪で爽やか系にしている。鏡の前で見比べる姿はかつての自分とは完全に別人。自分でも変わったと思っている。
それに加えて苗字も変わっている。
翔太という名前は珍しくもないし、顔も苗字も変化していれば気付かないのはむしろ当然かもしれない。ましてやこいつとは同じクラスになった経験がないわけだし。
だったら取るべき行動は――
「初めまして。よろしく、名塚」
「僕のことは真広でいいよ」
「わかった。じゃあ、こっちも翔太で頼むよ」
「了解。僕も翔太と喋りたかったんだけど、さすがに人が多くてね。約束がないなら一緒にご飯食べない?」
こいつは好都合だな。
転校初日から気が合いそうな奴と知り合えた。しかも東部中学校の出身だ。仲良くなれば昔の情報が入ってくるはずだ。東部中学出身なら俺が転校した後の情報も持っているだろう。
ついでに悪魔についての情報も得られるかもしれない。
「誘ってくれてありがとな。初日からボッチ飯回避はありがたいぜ」
それから俺達は会話に花を咲かせながら食事をした。
高校生らしく音楽だったり、動画だったり、あるいは芸能人について中身があるのかないのか不明な会話をした。
俺と真広はノリや趣味が合っていたらしい。
「――そういえば、翔太って転校多いの?」
「いや、今回が初めてだな。だからめちゃくちゃ緊張した」
サラッと嘘を吐いた。
「そうなんだ。緊張してないみたいだから慣れてると思ってたよ」
「緊張してたぞ。表に出なかっただけで」
「やっぱりそうだよね。転校って緊張するもんね」
思い出した。そういえば、真広は転校生だったな。
「えっと……真広も転校したことあるのか?」
「僕も中学一年の頃にこっちに越してきたんだよ」
「へえ、転校生だったのか」
知っているがあえて知らないフリをする。
中学の頃に可愛らしい顔立ちの男子生徒が転校生してきたと噂になった。幼馴染のあの悪魔がはしゃいでいたので記憶に残っている。
「転校生ならわかると思うが、教室入る時の視線がやべえよな」
「わかるわかる。教室入る前は必死に当たりクラスになれって願うよね」
「俺もここに来る途中はそればっか考えてたよ」
「あはは、誰だって同じだね」
そう言って笑い合う。
「でも、翔太は幸運だよ。このクラスは大当たりだからさ。担任の水島先生は優しいし、何より女神様がいるからね」
「……女神様?」
「ああそっか、転校生だから知らないよね。天華院学園には『天華コンテスト』って呼ばれる文化祭の目玉企画があってね――」
真広が説明してくれた。
天華院学園では毎年秋に文化祭があり、目玉企画が”天華コンテスト”と呼ばれるコンテストらしい。元々はミスコン企画だったが、女性を軽視していると批判もあったことから十年程前に取りやめになった。
しかし諦めきれないどこぞの馬鹿が男も対象に入れれば差別じゃない、と正論をぶつけたことで現在では男子と女子の人気投票が行われることになっているらしい。
「選ばれた男子は『男神』で、女子のほうは『女神』って呼ばれるんだよ。どうして神なのか説明するとね――」
神と呼ばれる由来は「天に咲く華といえば女神だろ」という謎理論で決まったらしい。後で追加された男神のほうは特に由来とかはないという。
「つまり、このクラスにそのコンテストの優勝者がいるわけだ」
「全員じゃないけどね」
「どういうことだ?」
コンテストなら優勝者が複数いたらおかしいだろ。
「去年は史上初の同票優勝だったんだよ。一年生が優勝しただけでも驚きなのに、おまけに4人が横並びっていう奇跡的な確率でね」
「マジで奇跡だな」
「ホントにね。結果に対して色々な議論はあったけど、結局全員が優勝ってことになったんだ。同票だからしょうがないってね」
妥当な結論だろう。別に同時優勝でも困るとは思えないし。
事情は理解した。ミスコンがあって同時優勝した。このクラスにはその中のいる。だから当たりクラスというわけだ。
「しかし4人同時か。それだけいると呼ぶ時に困りそうだな」
女神の可愛さについて話をしている時に誰を指してるのかわからなくて面倒そうだ。
素朴な疑問を呈すと真広が得意気な顔をしていた。
「いいところに目を付けたと言いたいところだけど、その対処もばっちりだよ。だから4人の女神を【4色の女神】って呼ぶことになったんだ」
「……何故だ?」
「優勝した女神の苗字にたまたま色が入ってたからだよ」
何となく嫌な予感がした。
ありえない、と思っているはずなのに悪寒が止まらない。全員の苗字に色が入っていると言われ、頭に浮かび上がったあの悪魔共だ。
かつて俺をぶっ壊したあいつ等もたまたま名前に色が入っており、俺はあいつ等のことを【4色の悪魔】と呼んでいた。
大丈夫だ、そんな偶然が世の中にあるはずがない。
「……女神がこのクラスに居るって言ったよな」
「赤の女神がいるよ」
視線がとある少女に向かう。
そこだけ華やかな雰囲気があった。多くの女子に囲まれ、男子から羨望と好意の眼差しを受ける圧倒的な美少女が立っている。
「ちなみにどの人か聞いてもいいか?」
「あそこの赤い髪の人だよ」
「……」
「見ての通り超正統派の美少女だね。学園のアイドルって呼ばれてて、誰に対しても優しくてまさに女神のような存在だよ」
見間違いではなかったらしい。そいつは俺にとって忘れたくても忘れられない相手だ。
……でも待てよ。
あの赤い悪魔は接触してきていない。最初は何故だろうと疑問だったが、今はその理由がわかる。俺の正体がバレていないからだ。見た目も名前も違うし、声変わりもしている。
つまり、あいつも俺が無川翔太だと気付いていない。
そう、今の俺は虹谷翔太であり、無川翔太ではない。
「他にも女神がいるんだよな。女神について聞かせてくれ」
「興味あるの?」
「男として知っておきたいだろ」
「気持ちはわかるよ。女神の名前は――」
名前を聞いて震えた。
赤の女神・赤澤夕陽。
青の女神・青山海未。
黒の女神・黒峰月夜。
白の女神・白瀬真雪。
天華院学園の誇る【4色の女神】はかつて俺をぶっ壊してくれやがった最低最悪の女である【4色の悪魔】だった。
地獄時代の生活が頭を過る。
「どうしたの、翔太?」
「な、何でもないっ。確かに色が入ってるな。ははは」
落ちつけ、俺のことはバレてないんだ。バレるわけがない。だったらこのまま潜伏して、見つからないように過ごせばいいだけだ。
こうして始まった。
絶対に正体がバレてはいけない高校生活が。
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