第15話 黒い真実
「あの噂聞いた?」
「本当なのかな」
「間違いないって」
黒峰の噂は学校中に広がっていた。女神の一角が関わっているだけあって生徒達にとって格好の暇つぶしになっていた。
あちこちでひそひそ話が聞かれるようになった。
気分が良くない。
昔の俺は毎日こういった状況だった。もっとも、あの時の悪意はこれの数倍以上だったわけだが。
噂の的ではなく客観的にこの状況を見ると本当に気分が悪いものだ。勝手な噂を広げたり、陰口を叩いたりする連中の姿がとても気持ち悪く映った。
「昨日も大人の男と歩いてたらしいよ」
「撮影した人もいるんだってさ。画像流れてきたよ」
「どれどれ。へえ、相手はイケオジっぽいね」
「うわぁ、幻滅かも」
そんな声を聞きながら俺は葛藤していた。
この噂を払拭するだけの材料を持っている。噂になっている男はあいつの父親であって、実の父親だ。ある意味ではパパだけど「パパ活」ではない。
なんで黒峰は噂を否定しないんだろうか。
ここまで広がっていればあいつも噂が流れているのは理解しているだろう。自分の父親だと言えばすべて解決だろうに。
「おはよう、虹谷君」
もやもやしていると赤澤が声を掛けてきた。
「おう。おはよう」
「……教室の空気悪いね」
赤澤がクラスを見回す。
この空気を嫌と感じているらしい。昔この空気を積極的に作り上げていた奴のセリフとは思えないな。
「そういや、赤澤と黒峰は同じ中学校らしいな。仲はいいのか?」
「悪いよ。大嫌いだもん」
嫌いなのかよ。青山とも仲悪いし、学園のアイドルとしてそれはどうかと思うぞ。
「じゃあ、あの噂はどう考えてるんだ?」
「噂は多分嘘かな。あの子は性格悪いけどそういうことするタイプじゃないよ。多分、その大人の男はお兄さんとかお父さんじゃないかな」
当たってやがる。
「本人が否定しない理由は?」
「さあ、そこまではわからないかな。ただ、性格が悪いのだけは間違いないよ。だから近づかないほうがいいし、気にしないほうがいいよ。虹谷君はお節介が好きみたいだから忠告しておきたくて」
性格が悪いのはお互い様だろ。
などとは言わず、笑顔で適当に「忠告ありがとな」と返事をしておいた。
返答に満足したのか、赤澤は所属するグループで会話を始めた。
確かに赤澤の言う通りだ。こういうのは首を突っ込まないほうがいい。無視して生活するのが賢い選択だろう。あいつを助けたところで得はないしな。事情は知らないが本人は噂を払拭する気もないらしい。このまま放置してもいいだろう。
よし、放置だ。
「……」
でも、悪意のある噂を放置すると良くないよな?
あれを放置すると噂に尾びれや背びれがついてくる。知らぬ間にあらぬ濡れ衣を着せられる。俺は身を以てそれを経験している。
とはいえ本人が否定しないわけだしな。気にしない、気にしない。
「…………」
だから気にするなって。
あいつの脇が甘いのがこうなった原因だろ。無駄な正義感であれほど後悔したってのにここで動くとか学習能力なさすぎだろ。
大体、関わらないって自分で言っただろ。
「………………」
関わりたくないと思いながらも、気付いたら体が動いていた。
「パパ活してるとかイメージ崩れるよね」
「オッサンに媚びるとかないわぁ」
「ホントに幻滅だよね」
女子のグループに近づく。
「勝手に話に入って悪いけど、その噂は違うぞ。噂になってる男は黒峰の父親だ。パパ活とかじゃなくて実の父親だ」
意を決して会話に割り込んだ。
「虹谷君?」
「えっ、そうなの?」
突如として乱入した俺に女子達が疑問の声を上げた。
「この画像の人だけど、間違いない?」
女子の一人がスマホを向ける。映っていたのは父親だった。
「間違いない。たまたま俺もその辺をぶらぶらしてたんだ。で、話がちらっと聞こえてきた。実の父親だってよ。仲良く買い物してたぞ」
バイト先が同じで父親の顔を知っていたとは言わない。
俺の言葉を聞くと女子グループの顔色が一変した。
「やっぱり黒峰さんはそんなことしてないよね!」
「良かった。私も違うと思ってたんだよね」
「絶対違うって信じてたし」
「お父さんとデートするのってなんかいいよね。イケメンだし」
などと言い出した。現金な連中だな。
これはあれだ、あくまでも雑音がうるさかっただけだ。別に黒峰を助けたわけじゃない。
その場から離れるようとした時、赤澤と目が合った。俺は逃げるように自分の席に向かい、机に突っ伏した。
◇
情報はあっという間に拡散された。
ちなみに俺は何もしていない。最初に数人の女子生徒に流しただけだ。女子の情報網というのは想像以上だった。放課後には全校生徒が知る情報となっていた。
噂が広がった後、女子生徒の誰かが黒峰に直接尋ねたらしい。
その結果、父であると判明した。
父親であることが確定すると騒ぎは沈静化した。それどころか父親がイケメンであると判明して黒峰の株が上がり、父と仲良く母のプレゼントを買っていたという情報が流れると印象は良化した。
「ホントに虹谷君ってばお節介だよね」
「……」
赤澤が冷たい視線と共に発した。
反論しようとしたら、今度は笑い出した。
「ふふ、でもそういうところ嫌いじゃないけどね」
「誰目線だよ。つか、別にお節介が好きなわけじゃないぞ」
「自分に得があるわけでもないのにさ、それってお節介の極みだよね」
お節介キャラでも何でもいい。これで雑音が消える。あいつの雑音に悩まされるのが嫌だっただけだ。
机に顔を埋めようしたタイミングで勢いのある足音が近づいてきた。
「ねえ、虹谷が黒い奴の良い噂流したってホント!?」
青山が教室に入ってくると、一直線に俺のほうにやってきた。隣に立っている赤澤には見向きもしなかった。
「誰からそれを聞いたんだ」
「噂になってるよ。黒い奴を助けたのは虹谷だって」
あの現金な連中はわざわざ俺の名前を広めたのかよ。自分の手柄にしてくれてよかったのに、変なところで律儀な奴等だ。
青山まで知ってるってことは黒峰にも知られてるのか。面倒になりそうだ。
「ふーん、事実なんだ。そうなんだ」
「どうして怒ってるんだ。おまえと黒峰って何か関係あるのか?」
「別にないよ。ただ、あいつ嫌いだしさ。あの噂が本物だったら勝手に潰れてくれると思っただけ」
またかよ。赤と青が仲悪いだけかと思いきや、赤と青と黒は全員仲悪い感じなのかよ。女神のくせに仲悪すぎだろ。
「……あのさ、虹谷君とは私が話してるの。勝手に割り込まないでくれる?」
赤澤が青山の肩を掴む。
「はぁ? ボクが誰と話しても自由じゃん」
パンッ、と青山がその手を払った。
「あんた、前に割り込まれて怒ってなかった?」
「そんな昔の話覚えてないよ。赤は神経質すぎ」
「へえ、記憶力ゼロなんだ。青はお猿さんだもんね」
バチバチと火花を散らす両者から逃げるようにカバン片手に教室を出る。
……帰ろう。
教室を出て昇降口で靴を履き替えた。校門の付近で集団の姿が見えた。その中央には黒峰がいる。女子に囲まれ優しげな顔をしている。
校門の外から他校の男達が近づいてきた。男達は黒峰の取り巻き共に追い散らされてどこかに消えていった。
あれが黒の派閥か。まるで親衛隊だな。
あの親衛隊に囲まれていれば噂くらいで凹むこともなさそうだな。
親衛隊の中に我が義妹の姿があるように見えたのは気のせいではないだろう。ここは見なかったことにしよう。
校門を出ようとした時、黒峰と目が合った。ゆっくりと近づいてくる。そして俺の隣を通り過ぎながら。
「……ありがと」
他の誰にも聞こえないくらい小さな声で、そうつぶやいた。